Track 007 I'LL ALIVE DAYBREAK 'CAUSE...



 鏡映かがみうつしに、まるでいかにも、そのようにあるじゃないか、と。

 ぼくは思わされる。

 作曲家としての本能で。嗅覚で。

 いろうことを独占するかのよう、三條さんじょうのテノールの歌唱うたは、どこまでも旋律的メロディアスに、色香と力強さの声音うたごえ、殉教者たちを導いていくに相応しい燈火ひかり。混濁の中にあればこそ酷く輝いて示す。そう、サウンドの全ての構築が、三條のヴォーカルのためにあるのは間違いない、三條の抱く殺意こそが何より透き通って聞こえる、しかしそれは、支配ではない、君臨ではない、玉座が用意されているのではない。〈Worstワースト Hurtsハーツ〉のバックのサウンドは、何ら踏みつけられることのないまま、堂々と、今なお響き渡り続ける。

 

 それこそ、今でこそ、譜面を見せてもらいたいものだと、そう、驚嘆を禁じ得ないために。協和音と不協和音があまりにも複雑に入り組み、そこかしこで調和と自壊が繰り広げられているにもかかわらず、三條のヴォーカルの音律だけが、唯一にして一切、他のどの音とも衝突しない。全て協和としてあるのだ。その制限の中で、不自由なく、流麗に、華美と翻弄で、歌声だけがぶれない、けがれず、惑わない、侵されない絵空事のような音色メロディとして、その色艶いろつやは傷つかない。この混迷の極みの中で、それをする。

 アマウチユヅル。

 鏡映かがみうつしを見るとはそのこと、卓越した技巧を持つ、〈Worstワースト Hurtsハーツ〉のサイドギター、その作曲の全てを任され、殉教者からは作家先生と呼ばれる。まったく、ぼくだって、そう呼びたくなっちまうよ。さすがですね、と。

 例えばぼくが、〈SO LONG, MAGGIE〉において、マイナーコードしか用いずに、それでいて前向きポジティブな曲としてだけ聞こえるように仕上げたのと似て。

 なあ、あんたの演奏プレイはすばらしいよ、でも――

 奏者プレイヤーじゃないな、ぼくと本質を同じくする、作曲家クリエイターだ。

 そうでなければ、尋常じんじょう埒外らちがいの遙か彼方にあるこんな禍事まがことなど、成り立つものか。仮にぼくが作曲の天才というのだとして、あんただって、そう大差はないと思うよ。いくらなんだって、ぼくでも、こんな複雑怪奇の極致にあるパズルなぞ、そうそう組みたくはない。御免ごめんこうむるね、というのが正直なところ。

 三條は彼の言うことを解読したというが、きっと全ては。ぼくとは同じ穴のむじなだものな、気付かないはずがないよな。その場にいて、全部聞いてしまったはずだ。大半のギターは央歌おうかが弾いていたにしても、曲は曲としてあった。〈SO LONG, MAGGIE〉はしかりとして、その他の曲だって、〈略奪者たち〉のためにある曲なら、ぼくは自由にやれてしまうし、それならば、容赦無く、ぼくの中に根付くぼくのやり方というものは、正体を隠さない。だから、きっと彼は伝えたかった。演奏プレイがやばい、のみならず、いったい誰が書いたものか知れないが、と。誰か教えてやれれば良かったのにな。その誰かは、舞台そこにいるよ、と。

 ――そう、パズルなのだ。

 複雑怪奇にありながらも、だ。

 あまりにも、完成している。

 埒外らちがいの一体感が、今ここにある。

 〈Worstワースト Hurtsハーツ〉の裏の心臓が、曲が血流を循環させ、生命をともし、生きゆくものとなり、燈一とういちという存在を戴き、その願いの殺意をこそ中核に、全ての命の器官が聯動れんどうを間違えず、目の前にある愛すべき者たちを、殉教者たちを――

 殺す。

 何がどうあろうと、必ず、殺してやる。

 統一の極限にあって、殉教者たちもまた、全身全霊をもって応える。いっそ見事なまでに、本気で、明らかな総意として、、と。

 狂騒の坩堝るつぼ。ひとつなのだ。瑕瑾かきんのない渾然。加害と被害は、今、その意味を同じくするかのようなのだ。

 協和と不協和。濁浪だくろうを切り拓く精粋のヒカリのうた。調和を棄ててなおてばこそ生まれる調和。生死のうちの死が繰り広げられる征野せいや。あるいは瓦解の水際みぎわで。幾許いくばくか、〈略奪者たち〉のサウンドとの相似そうじを見ればこそに、める。おかしいじゃないか。何かがおかしい、いな、何かどころのものじゃない、決定的、致命的なまでにおかしい。この瞬間にこそ、ない。

 

 たった今を、見ていない。

 ぼくらがライヴごとに死ぬのは、今だけを求めているからだ。だから、その瞬間ごとに価値があり、ひるがえせば、その瞬間にしか価値がない。は違う。始まりからの連続の流れの最中さなかにあり、続きがある。では、ライヴの行き着く果て、殺されてそれで終わりか。それで終着となるのか。それで満足か。わざわざここに足を運んでまで、意力にあふれるまま、しかしまさにその時には死んでいて、何ら感じようがないというのに?

 突如、殉教者たちの密集の中に流れが生まれて、失神でもしたのか、どうか、意識の確かでないひとりが、いっそ鮮やかなまでに速やかに、個々の協力のもとで掻き出され、助けられ、スタッフに託される。まさに三條の歌唱の響く中で、それをする。それをただ、礼儀作法とは思わない。思えない。熱意を、協調を、友愛を、そして何より、を、そのをそこに見る。違う。そうだ、決定的に違う。

 

 今この時が、殉教者たちの熱望のもとにあるのは確か。

 しかし、必要なのは今じゃない。

 自らの生きる、だ。

 正解はひとつ、希求はひとつ、生存。結末はライヴの対極にある。

 明日は万民にとって等価値ではない。明日の生存を望むか、拒むか、知れたものではなくて。生き延びていたくない夜明けがある、当夜のうちに断ちたい命がある、明日、明後日、それ以降、さらに先、生き延びていられるか、生き延びていたいのか、望まないのなら、忌避きひするのなら、ならば死にたいか、それの訪れぬうちに、自らをあやめてしまいたいと、悪慮あくりょが差し招くのならばこそ、ここに来る。

 せめて生きたい。

 完膚かんぷ無きまで、ここで殺されて。

 是非無くのぞんでしまうこと、なんら、全て果たして、ごみさえ残らぬように。

 今夜、自死の誘いの消え失せてくれと。また再び、遠からず、いずれ生じてしまうのだとしても。

 多くは欲さない。

 夜が明けた時に、夜が明けたのだとだけ、ただ思いたい。

 生き延びてみせるよ。

 明日を、その先を。

 だから殺して。

 今ここで。

 またあなたに会いに来るから。

 凄絶な鏖殺おうさつとして処刑ライヴは執行されていく。信じている。この繋がりにあるいずれもが。三條燈一が神サマなどではなく、ただの人間でしかないことを、果てなく信ずればこそに、これはある。救えるものなら救っている、そんな都合の良い奇跡はここにない、このくらいしかしてやれないから、せめて殺されてくれねェか、と、協和のうちにある三條の歌唱うたにこそ、最も純粋で、濁りない、無垢な殺意が宿り、燈一というものがひとりのヴォーカリストに過ぎないと知り切ればこそに、その殺意は揺るぎなく受けとめられる、声音うたごえ満遍まんべんなくみなぎらせるとも、それでも、殉教者たちこそが、殺されるのに相応しい。

 たったの三十分、央歌に触発されたのでもなかろうが、三條の吐息は乱れていた。時間的に最後の一曲を残すのみというところ、息がぎょしきれなくても、声音のつやは変わらない。「昨今、三十分一枠ひとわくなんてやらねえし、寂しいもんかと思ったら、案外、これだけで燃え尽きてみるのも、悪くねェなァ。」半分は本当でも、半分はきっと嘘だろう。三條はこだわった、律儀にも、時間の短くあるとも、曲数の少なかろうと、いつも通りに殺さなければ、足りない、と。「再奏アンコールなんてねえからよ、これが最後ラスト、少々、流儀じゃないのはご愛敬あいきょうで、心配すんな、いつものやつだよ。」殉教者は何ら特別な反応なく了承したが、どのみち、今ここに至って、燈一という存在ものを疑ったりはしない。

 三條は曲名を告げて、

「またきっと会おうぜ。なァ。〈Alive Daybreak〉――」

 握っていたマイクを、そっとスタンドに戻した。

 

 バックの演奏が何ひとつ鳴らすことのなければ、弾くことのなければ、重々承知の殉教者たちも、物音ひとつ立てまいとしながら、ただ耳を澄ませる。残された一命いのちはあと一欠片ひとかけらだけなのだ、ただそれをそっと、優しく指ではじくほどのことで、満ちる。だから、要らない。協和も不協和も、濁色だくしょくも混迷も、精粋せいすいさえ。ただただ、そのうただけがあればいい。

 独唱であり無伴奏ア・カペラ

 まったくもって、ライヴハウスを聖堂に変えてしまうなんて、よくやるよ。

 三條は歌った。あらん限りの祈りにいて。

 再会の時のために。

 命ある連中と、再び。きっと。

 曲のサビを前にしようかと思われるところ、その独唱が途切れたところ、殉教者の群れは動いた。あらかじめ望んでまない、暗黙の招待で。そして、三條自身、そうしたいと願っているから。殉教者たちは自らの群れを砕き、割れて、フロアの最前に誰も立たぬ小さな空間を作り出す。悠々と、舞台ステージとフロアを隔てる柵を越えて、三條はその空漠に降り立った。ルールからすれば明白な違反ではあるし、逆のことをしてお叱りを受けたのはうちの八汐やしおだが、これにお小言を食らわすなら野暮であるし、どのみち、三條たちがまたここでライヴをすることはないのだろうし。

 殺されてこそ、生きられる。

 祝福しよう。

 月の裏側の正しさを。

 歌唱うたが再開すれば、曲のサビに入ったならば、そこにあるのはもう、独唱ではなかった。三條燈一は、ただのひとりに過ぎなかった。ためらいなく響く斉唱に加わったに過ぎなかった。殉教者たち全員と、共に、同じくして歌った。人の陰になって、本人の様子はちっとも窺えやしないが、ぼくが聞き分ける限り、三條の声音は、ひどく楽しげで、馬鹿げた話だ、こんなに明るく仲の良い殺人など。一途いちずに、乱れなき狂おしい斉唱が現場ハコちた。五十の殉教者たち、その全員が歌うことに秀でているわけでもなし、実際にそうだったのだが、それでも、その精神においては、一切、迷いも乱れもない。一緒に歌おう、殺してみせるから、殺されてみせるから。


  We Sing Every Hurt for Us

  きっと殺して 何度でも

  あなたの歌で

  生きていきたい だから殺して


  We Sing Every Live for Us

  ずっと殺して 響かせて

  あなたの息が絶えるまで

  殺して 殺して 殺して

  あなたの歌で

  生きていきたい だから殺して


 狂騒の大団円フィナーレまで、三條は舞台ステージには戻ることのなかった。愛すべき者たちに守られた聖域の中で、ぼくの聴力みみには心底愉快そうに聞こえるのだが、その殺意の尽きぬ彼の歌声は、今この時、色艶いろつやの最も輝くまま、連中と共に在り続けた。


 リーダーである章帆あきほがチケットの精算に出向いていて、誰が出向くものか知れないが、〈Worstワースト Hurtsハーツ〉もその点、立場は変わらず、三條たちが持ちかける、納得がどうのという話に応じるかはいったん脇に置かれ、どうせ追いかけてくるものならばと、ぼくは三條とふたり、フロアの灰皿のかたわらにいた。すっかりと彼の方のライヴを見届けてしまった後で、ぼくはすっかりと気紛れをこじらせていて、む煙草は交換された。三條が筋を通して新たに買った煙草は減らず、バニラの方が一本、ぼくの手に渡り、ぼくの手持ちから一本、三條に譲られた。等価交換じゃない、缶コーヒーじゃ釣りが酷い――結局三條は本当にオレンジジュースを飲んだのだが、そのことにかこつけたら、今さら友愛に理由を持ち出すなと三條から苦言を食らった。

 呆れなのか評価なのか、ぼくも定かではないのだが、全くすっかり見届けてしまったのであれば、何も言わずにはいられず。「完全犯罪の大量殺人には違いなかったね、まったく、ちっとも、そうだったけど、あんな顛末てんまつになるなんて、考えもしなかったな。」三條はしかつらこらえることになるのを恐れず、煙草に火をけた。よくよく見れば、普段の煙草はどうも高級品らしいが、ライターはどこでも買えるような安物だった。

 ぼくも火をければ、バニラのかざが生まれていく。三條は間接的にそれを味わう。「俺たちだって、そこまで深い考えなんぞなかったさ。最初は、ただ殺せりゃいいって、それがうちだって、それで満足するつもりだった。今のスタンスは、まァ、言ってみりゃ、が作り上げた。俺たちが狙ってやったことじゃねェんだよ。」三條はひとつ喫して、ここでしかめるのを忘れて、記憶を過去からすくい上げた。「届いちまってな。ま、うちの連中は奥手なのが多いから、出待ちで渡される手紙とか、Eメールとか、俺たちのライヴで死にたい気持ちが満たされたから余計な傷が増えなかった、殺してもらっちゃったから、明日も生きなくちゃならなくて困る括弧カッコ感謝、だのって、そういうのがなァ。」三條は苦笑した。ぼくから渡された煙草をっているはずが、ひどく嬉しげになって。「こんな間抜けな話があってたまるかよ。笑っちまう。俺たちは殺すつもりだったのに、現象は逆で、あいつらは生きていくって言うんだよ。もうこっちにしても手遅れじゃねェか。第一、バンドってのはファンあってこそのものだぜ。結局、応えることにしてやって、だから一曲だけ、生きるってこと、入れてやったよ。」

 ぼくは黙ってかざを振り撒き、三條はしかめることを忘れるまま。「愛だのユメだのだけで世の中が出来上がってるわけじゃねェとはわかるが、どうにもこうにも、死にたがりは多いらしい。ま、あいつらの私事わたくしごとだ、いちいち具体例は出さねえ、が、特に今日ここに来た連中はそうだよ。俺が個別に招待したわけじゃねえけど、だいたい、結果的には。言ったろ? 俺は優しさの塊だってよ。」今となっては、三條燈一が優しさに過ぎるなんて、知れたこと。

 三條は一時いちじに何度も続けて、灰を落とした。繰り返し、もう落ちるものがなくなってからも。「結局、何回か、あいつらの葬式に顔を出した。優しさだけでどうにかなるなら、俺はとっくに神サマだぜ。あいつらは俺のことを知ってる、仲間のことを教えてくれる、それがどっか遠くでも、俺が飛行機に乗るってことも含めてな。困っちまうよなァ、行ったところで、かける言葉がなくて。あいつらが大好きなオンガク、足りなかったなんて言えねえよな。俺がいつだって本気と、誰より信じてるのはあいつらだよな。」自らに怒ることも、恥じることもできないと、三條の迷いは、そうあった。

 少し、気持ちのゆとりが生じたのか、三條はしかつらを浮かべることをやっと思い出したようだった。「馬鹿の集まりなんだぜ。余程よほどだよ。燈一さん葬式に来ちゃうなあって分かると、俺たちの予定を気にしやがる。ツアーとか、そういうのな、邪魔されたことねえんだ。死ぬしかねェって状況で、意地張って余計に耐えやがる。俺の予定が空くまで。すげェよ、あいつら。つくづくマトモじゃねェ。俺は立派だと思ってるよ。本当に、本心からな。」何人なんぴとも立ち入れないような領域に、三條たちと殉教者の、ひとつの共同体としての絆がある。無暗むやみな理解をためらってしまう程に。

 寸時すんじ、言葉に迷い、それでも呼びたい名があった。「ぼくが何を言っても、上辺の言葉になるだけなんだけど、なあ、三條サン、これから先、何人の死を見送っても、続けていくはずなんだと思うよ。この世からなくなっちゃいけないんだ、〈Our Songs Hurts Worse Than Anything You Could Bring Yourself To Do At World End〉のサウンドはね。」驚いていた、ぼくがバンド名の全てを言い切ったことに。「おいおい、いつの間に。」そりゃあ、失われちゃいけないなんて、他には父のピアノくらいしか、思ったことがないのだから。「さっき。ファンではないし、毎度フルネームで呼んでやるつもりはないけど。」むしろ、正式名称をみだりに呼ぶ資格は持ち得ないと言う方が正しいか。

 三條の瞳が真摯しんしにぼくに向く。「俺を礼儀知らずにしやがって。こっちはまだ名前を聞いていなかった。」生真面目きまじめに言うので、ぼくは、「一谷いちたに絢人あやと。」と、簡潔に返した。無論、ぼくにはその音は聞こえていたのだが、事務所を出て通路を抜け、通りすがりにぼくらを目に留めて近づいてきたのが章帆だった。何やら、うんざりするのも難しそうな気配で、「仲良きことは美しきかな。大好きな今カレと大嫌いな元カレが仲睦まじくしている構図、とんでもなく奇々怪々な心理状態を生むんですけど。しかもそれ、煙草交換しちゃったりしてません?」目敏めざとく気付いた。煙草はもう残りわずかというところだが、フィルター部分が異なるので、それで見分けたのだろう。

 愉快な心持ちをあらわにしながら、三條は煙草の火を灰皿で揉み消した。「そりゃそうだ。アヤトがこんなお洒落なやつをるもんかっての。銘柄も知らねェでってんぞ、こいつ。」章帆の定番のは、ここでこそ、これでもかと。「うわあ。名前で呼びやがるよ、こいつ。」さて、ぼくは銘柄を知るべきなのか、どうか。




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