Track 006 WANNA MORE HURTFUL GRAVITY



 なるべく央歌おうかを休ませてから、〈Worstワースト Hurtsハーツ〉のライヴが始まろうという間際でフロアに出て、なるべく全体を見渡せるよう、ぼくらは四人並んで後方に立つこととした。こういったライヴハウスは定義の上では飲食店となるため、何も頼まないでは悪かろうと――出演者にその義理があるかないかは定かでないが、先んじてフロアに出たぼくと八汐やしおが四人分のドリンクを抱えて戻る途上、フロア後方で、章帆あきほがリーダーとして、「央歌ちゃん、体調は問題ないですね。」と確認をしているのが耳に届いた。央歌の声はれたままでも、「全く、問題ない。」その意力の具合から、きちんと取り戻していると知れた。

 その意力が喜ばしく実らなかったというのは、央歌にとって致命的な不幸を招いてしまったのは、取り戻したついで、意気盛んに、「たとえだめでも、這ってでも、来ないでいられない。くたばったって、あいつらがどういう有機体ものか、この目で見なきゃ済まない。」と、口にしてしまった時には、もうすっかり、それがまともに聞こえる位置に八汐が辿り着いていたからだった。

 八汐は章帆と央歌の並ぶ間にするりと入り込み、難なく央歌の隣の位置を得ると、にこやかに央歌を見上げ、五寸では足りぬような釘を差した。「うん? ウカちゃん、そんな馬鹿やって、もしかして、私に見捨てられたい?」おそらくのところ、最大級の脅し文句であって、無茶をして体調を崩した直後のこと、まるで懲りぬでは寛容になれるはずのあるものかと。央歌の過剰な戦意は微塵みじんの始末で、ドリンク――央歌だけはただの氷水のそれを受け取りつつ、「とにかくもう大丈夫。本当に大丈夫だから。」と、盛んだった意気は慣れぬ言いつくろいに取って代わった。

 章帆にドリンクを手渡し、自然と一番左側に位置したぼくのそば、すぐ隣で、章帆がか細く、ぼくにしか聞こえないような声量で、つまりはぼくにだけは聞こえると承知で、情け深く呟いた。「ああ、阿呆あほうしつけって、大変なんですよね。ホント。阿呆あほうしつけって。」ぼくはここで、章帆に無限大の感謝を捧げるべきか、それとも、として、央歌に何かひと声かけてやるべきなのか。

 ぼくのみに向けて言っているというのは間違いないらしく、呟きの足すところでは、「よかったですね。私が慈愛の女神で。あっち、ずいぶんと恐怖政治みたいだから。」とのことなので、ぼくは怯えて保身を先にした。生憎あいにく、章帆にはぼくほどの聴力みみはないが、幸いドリンクは右手にあり、章帆の左手は空いていた。短い間ではあったが、ぼくは章帆と密かに手を繋いで、謝意と好意を無言のうちに伝える、ぼくの成長か慈愛の恩寵おんちょうの結実かは知れないが、章帆の横顔をちらと見るだけで確信できる程に、機嫌を取ることはついに大成功で、心のうちで、こんな些細なことさえ、ぼくたちみたいな手合いだとな、どうにかまともにやれるようになるまでに、散々な苦労をかけるんだぞ、と、一応、思うだけは思っておいた。

 ぼくたちがフロアの後方にいて、自由にやれて、居心地の悪くなかったというのは、殉教者たちがフロアの最前へと押し寄せ、あまりの密度で集まるゆえに、フロアの後ろ半分を、ぼくたち目当てで来た客を一部残しながらも、不自由なく歩けるほどのゆとりある空間に変えてしまっていたからだった。さすがに最前に押し入ることはできぬものの、〈Worstワースト Hurtsハーツ〉はデビュー直前の人気バンドだ、〈略奪者たち〉のチケットで入った半数を超えるほども、殉教者たちの後ろではあるが、前へ向かっていた。

 陰りにある舞台上に差す光は、五つの一点スポット、今は誰もいない、光だけが、いずれ訪れる彼らを予兆する。左右に二つずつの白い投光、そして中央、スタンドマイクの位置にはっきりと注ぐ紅の光にしてしるべ。トウイチという存在ものが在るゆえの星系であると、あらわに示してはばからない。殉教者たちは不動のまま、誰もが無言を貫いていた。待っている。今はまだその時ではない。ここには光しかない、よって、World End世界の終わりのその時ではない。あえて名を呼ぶことのなくとも、信じている、きっと現れる、きっとその時は来る。

 割り入った都合上、三條の場合は律儀さもあろうが、〈Worstワースト Hurtsハーツ〉に与えられた時間は他のバンドと同じ三十分で、本来であれば彼らはワンマンとしてライヴを行い、時間は占有するのであろうから、比してずいぶんと短くなる。凝った演出をする間もなく、呆気あっけなく、自然な――少し散歩しに来たとばかりの振る舞いで、〈Worstワースト Hurtsハーツ〉の五人は、特に誰がはっきりと先頭を切る形というのでもなく、そろって姿を現した。その瞬間、殉教者の昂奮ヴォルテージは激しく脈打つことを始めた。

 熱狂のギアは果てを知れず上がる、歓声であり嬌声、そして何よりも、叫声きょうせいだった。三條の機嫌は見事に良さそうであり、それはライヴにおいての彼の当然なのかもしれないが、フロアの後方に陣取る〈略奪者たちぼくたち〉に、これからたっぷり見せつけてやろうと、そのような戦意の滲むものとも思えた。

 殉教者がその熱度を絶え間なくする中、三條は無造作にスタンドからマイクを抜き取って、マイク越しに声を投げかけた。彼らはここで、幾度も、幾度も再会を果たす。殺し、殺されるために。「俺たちに会えてそんなに嬉しいか。俺だって嬉しいけどよ、毎度毎度、出てきただけでよく騒ぐもんだよなァ、もう見慣れてねェか。俺たちの顔なんて。」熱狂の湿度が変わる、叫声きょうせいが途絶え、熱の中にありながら、応答が生じる。声は一部混線するも、そこにあるのは、ぴたりと切り替われる統率で、三條のいかにも好む、というのだ。殉教者いわく、親の顔より見てるだの、何度見ても良いだのと、あるいは反発する向きで、いわく、会えたってことが嬉しいのだと、さらには、顔は正直あんまり好みじゃない、とまで。

 央歌の呟きが耳に入る。「気に食わない。」この一連の流れだけでも、すでに、央歌の気に障るところがあるようだった。三條は惜しそうにしつつも、そこそこで話を切った。「悪ぃなァ、あんまり時間取れねえんだ。今日は。」それだけだった。具体的な指示なく、殉教者の全員が即座に応じた。沈黙、無言、一斉に口を閉じ、微動だにせず、そして、を待つ。

 三條は苦笑いをこらえた。「ちょっと今日は行儀が良すぎるくらいだなァ。まあこんなとこまで来ちまって、『いつもの』で通じる連中しかいねェのも道理か。来ちまったな。そう、来ちまったんだ。おまえたちは。」三條が半歩、前に出て、はっきりと明瞭な声で、浸潤しんじゅんするつやを奥に潜ませるテノールで、問うた。

「俺たちにどうして欲しい。答えろ。」

 BPMテンポ100――

 四分音符ならふたつ。

 ぴったりそれだけの間を置いて、殉教者たちは、もはや斉唱に似て、その全てで叫んだ。一糸いっしさえ乱れぬ調和としか、言い得ない。

!!!」

 コロシテ。この上なく単純シンプルで、あまりにも直情ストレートな願い。そして今、この願いを唯一として、その存在の意味の全てとして願い尽くし、他には何も余さない。章帆がひとつのに似て言う。「よくもまあ、飽きないものですね。これ。」章帆は感心混じり、呆れ混じりで、無論ぼくには聞こえているし、聞き分けられる。「ライヴを始める時の、お決まりのやりとりですよ。今のところ、昔のまんま。」今夜のライヴは〈Worstワースト Hurtsハーツ〉にとっては変則イレギュラー、ゆえに殉教者が五十。本来であれば、千、二千、あるいはより多くの聴衆オーディエンスがコロシテと叫ぶ。ここが、そこが――

 彼らのだ。

 三條たちの抱く、遙かに望み、そしてついに降り立つだ。

 舞台上、マイクを握るまま、三條は屈託無く笑う。

 本当に、心の底から、おかしくてたまらないと言わんばかりに。

「なァ、ホント、笑っちまうよ。こんな馬鹿げた話、いつまで経っても俺は慣れそうにねェや。そうだ、マトモなんかじゃねえ。けどな、ここでこそ、それは正しい。よくご存じだっつーハナシだよ。いいぜ、殺してやる。」

 がねは近づくも、まだ。一転して、三條は睨むことを尽くす。敵意を、害意を、舞台上に醸成させていく。凶行の匂いだけが香る。まだだ、だから問う。

「笑わせる。そんなに死ぬことが大事か。だからここまで来たか。なァ、救えねえなぁ、おまえらも、。お望みは何だ。殺してやりたくてしょうがねえよ。ナイフで刺すか、銃で撃たれてくれるか、それとも、俺がこの手で絞めるか。あァ、そうはさせてくれねェんだろ。この贅沢ものども、クビシメが嫌なら、何で殺されたいか、ちゃんと言ってみな。」

 BPMテンポ100――

 問いかけの終わりから、ちょうど、四分音符ならふたつ。

 殉教者たちは、口を揃え、欲した。

!!!」

 その切望は、ただ一向ひたすらに、とどこおりも濁りのひとつもなく、純に過ぎる奔流ほんりゅうとして、唯々ただただ舞台ステージに向き、そして、他の全てを無価値に変えた。今この時、この場、月の裏にあって、殉教者にとって生きていく意味の全ては、生きるということの何もかもは、ここで殺されることのみで、唯一、それだけを信じた。

 立ち尽くしていたのみだった他のメンバーが、演奏をいよいよ始めてやろうという気配を見せる。がねを鳴らすのは、きっと三條ではなく――

「鳴っちまったら、『いつもの』で頼むぜ。今夜の連中、とっくにご存じだ。やりようってやつは。殺されてやるイノチ、後生大事にまもンなよ。どうせなら、全部使い果たしてから、だ。もったいねェだろが。なァ、本気で殺されてくれるんだろ。だったら応えろ、呼べよ、お前らを殺してやる、俺たちの名前を呼べ!」

 待ち焦がれていた。

 その叫びを上げられる時を。

 殉教者たち自らで、がねを打つその瞬間を。

 BPMテンポ100――

 待ちきれるはずもないと、四分音符なら、ひとつだけ。

 あまりにも等しく、咆哮は揃った。

「Our Songs Hurts Worse Than Anything You Could Bring Yourself To Do At World End!!!」

 その名が、限りなく正しく呼ばれる。鳴る。そこでこそ鳴ることの着火、殉教者たち自身が望む断頭台、傷つけ、害して、痛めつけ、そして、コロシテ。私たちができる何よりも、あなたがくれる傷こそが、何より酷く、むごくて、そして、愛おしい。愛おしくてたまらない。だから殺して。暴れようにもその隙間すらない密集地帯で、腕を振りかざし、殉教者たる願いのまま、自らたちを殺めるオンガクをこそ、全てを懸けるに足ると、ただそのことに従順であるままに。

 がねはとうに告げることを果たした。もう一点スポットが個々人を照らすこともない。音を彩るすじとして、照明が、投光が、その乱れる中で、なれば〈Worstワースト Hurtsハーツ〉のサウンドが嘘偽りのない獰猛どうもうさとして、さらけ出される。

 下敷きとなる絶えぬしたみ、涓滴けんてき滝波たきなみの編み目の美しい廻流かいりゅう打音ドラムは16ビートのニュアンスのある8ビートで、いくさの庭を揺るがすのだという意力の決して強くはなく、それがためにむしろれることのいかに容易たやすいか。

 その秀麗な打音ドラムの編み目の流れの上で、低音ベースは勇敢な攻勢を、その強圧きょうあつ雄心ゆうしんとで打ち、全くじることのない。バンドサウンドを支えていくのに迷いはなくも、地に潜むつもりはないのだと、ひくみからまが逆取ぎゃくしゅし、し潰していく鋒端ほこさき

 明確にメインとサイド、役割を分けるギターのふたつの鳴動は、あるいはどちらが主役なのか、耳の肥えた者ならばこそ分からなくなる。伴奏バッキングであるはずのみのサイドが、しなやかに過ぎる弾きようで、こんなにも舞衣まいぎぬに似ることなどあるのかと。在るべくして音をつかねていくようにさえ思えるそれは、なるほど、先に話に出ていた、作曲を任されているほうが弾くのであれば、単なる伴奏バッキングと呼びようもない、自らのたぐまれな技巧をそこに尽くしてこそ成る曲として書かれた、そして汝鳥あなたのとりであれ、と。

 なお表にいられて、陰に隠れることのないのであれば、メインとして牽引けんいんを果たすリードギターとて、言成いいなり放題にならぬどころか、ればむ。音のすっかりと完成しきって、後は主役を待つだけのところ、おまけとばかりに足される酷薄の夜遊よあそびからかうように心のずいを貫いて翻弄する嘲戯トリック、継ぎ足されるばかりの刹那の奇襲。ぐでない、先の見えぬ曲律きょくりつに、油断してくれるな、ほの見える嗜虐しぎゃく

 交響。

 揃えば見える。

 演奏の確かさで、それのみで、殉教者の望む死が待つか。

 ――あるはずがない。

 意志がある。

 一切のぶれのなく、戴く者によって統率された、完全な感情がある。

 おそらく、この場でもっとも耳を塞ぎたくなったのはぼくだろう。こんなもの、ぼくの精緻に過ぎる音感にとっては、猛毒にも程がある。楽譜を見せてもらいたいものだな。破り捨てたくなるだろうよ。

 高らかに混じる。

 攻撃の

 須臾わずか、噛み合ったかと思えば、次の刹那、合致しない音と音の衝突が耳を襲い来る。協和音と不協和音が複雑に入り組み、自らでオトを傷つけ、綿密な計画のもとに、犯行は止まらない。。自らたちで、サウンドを壊れたものとしている、壊れながら、それをこそとしている。不協和音を効果的に用いること自体は珍しくない、クラシックで育てば、ままある。しかしそれはあくまで、との手法だ。これは違う。真情しんじょうに基づけばこその、明確な、攻撃そのものだ。

 悪意の不協和。ためらいなく調和を亡きものとすればこそに、彼らのサウンドは高鳴っていく。演奏の直中ただなかではあるが、これをぼくが聞けばこそ、章帆は今でないと通じない説明を隣で添えた。正直言っていいか、助かったよ。こんな凶行に戸惑う中、せめて好きな女の声が聞けて。「イントロ長めなので少し。作曲を任されているサイドのギター、天内あまうち由弦ゆづる、彼だけは中学からずっと三條と組んでまして、作曲を任されてるのって、まさにそこからなんです。知り尽くしてるんです。三條さんじょう燈一とういちを、そのための曲を。だから、〈Worstワースト Hurtsハーツ〉の裏の心臓。殉教者は作家先生なんて呼びますね。」三條燈一の抱く、祈る世界観を、響き渡らせるためにこそ生まれた曲。そしてそれを、何ら穿ぐところなく、全能のまま、バンドとしての総体をもって、完全として在らせる曲。三條燈一は確かに三條燈一であっても、やはり、〈Worstワースト Hurtsハーツ〉も確かなものとして、〈Worstワースト Hurtsハーツ〉としてそこに在るのだろう。

 待っている。

 今ここに完成することを。

 いったい何が?

 決まっている。

 紛れもない――

 

 三條燈一の歌唱ヴォーカルが加わればこそ、今ここに、が成る。

 その全てが攻撃。

 自壊と尖鋭の混濁の中に生ずる甘露かんろと共に、淀みなく透き通るまでに堅牢。

 純粋で完全な意思統一。

 本気だ。

 何に至るまで、演奏プレイのひとつひとつ、全てが、そのためにこそある。

 本気で殺すつもりだ。

 殉教者たちの懇望こんもうに応ずる、轟音の処刑場と成り果て、そうだよな、三條燈一は律儀者で、優しさの塊で、人好きのお人好しで、人間らしさの強さで、そして、を愛してやまなくて、そうであるならば、殺すと言ったからには、誰ひとり残すことなく、必ず、このうたで、このオンガクで、絶対に殺してやるから、と。




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