Track 004 CHEERFUL, GOOD FELON



 満員に近かったフロアから、いったん半数以上の客がけ、また再び満員に迫るという、迫ろうとしつつあった。〈Worstワースト Hurtsハーツ〉の飛び入り参加の結果、今日は異例の措置として、特殊な二部制になるという。〈略奪者たち〉の名のあるチケットで入った客は、最初から最後までフロアにいられる――その数はおよそ四十で、本来ならばぼくたちが最後トリだった、八汐やしお郁杏いあんがバンドに加わったという形でもチケットはさばけたし、集客について立場がないとぼくが糸原いとはらにうっかり漏らしてしまったため、頼んでもいないのに糸原はぼくの分、販売代行をした――それ以外の、もとから出演の予定にあったバンドの客は、詫びの粗品と優待券をもらって帰る。入れ替わりに、〈Worstワースト Hurtsハーツ〉の名――厳密に言えばその正式名称のあるチケットを携えて、つまりは後半二組のライヴを見られる立場で、およそ五十の客が入るという。追加の五十では〈A's NYCアーサーズ〉の定員キャパシティには達しないのだが、店の経営の体裁上、ドリンクやらがなくなって売れないでは困るということで、在庫などの関係上、そこの数字で切ったらしい。

 〈Worstワースト Hurtsハーツ〉の客は順序良く入ってきた、というのは、入場が許されるなり揃って押しかけるでなく、客の入れ替えのために設けられた時間をいっぱいに使うというふうに、なだらかな速度でフロアを埋めていった。それが流儀として浸透しているのかどうか、ともかくも、対応をする店側は助かるだろう。

 その数を増していく〈Worstワースト Hurtsハーツ〉のファン、あるいは、この限られた場に辿り着くのならば、章帆あきほの言葉の中にあったところの信者か、客層のほとんどは女性、そして、服装は必ず黒を基調として、そこにどこかしら、差し色としての紅を入れていた。物販で人気だと三條さんじょうが言っていた真紅のスカーフを身に着ける者は幾人もいたが、例外なく、タイとして首元に巻くことがなかった。それは彼のみに許されるのであり、憧憬は絶え間なくとも、同化は決して望まない、あってはならない、規律ある服装の群れは、そう語っている気がした。予感は加速する。〈Worstワースト Hurtsハーツ〉の中心点は三條であると、

 その光景を眺めていたいがため、フロアの片隅、間に合わせの灰皿の隣で、つい、余計な二本目の煙草に火をけてしまい、それがために、三條を間に合わせてしまった。人混みにはまだ満たない、人と人との間をすり抜け、三條は難なく灰皿のもとまで辿り着いた。十分に〈Worstワースト Hurtsハーツ〉の客は入っていると言えるにもかかわらず、だ。友好の表情はぼくに向いた。「つれない共演者だ。ひとりで煙草をるのが味気ねェって言ってんのに、俺は置いていかれたわけだよ。」ぼくが煙草を吸いに行ったと知って、わざわざ追いかけてきたということなのか。ぼくは〈Worstワースト Hurtsハーツ〉の客であろうと思われる女性と灰皿を分け合う形で使っていたのだが、その女性は状況を見て取ると、吸いかけだった煙草を揉み消して、三條から、「悪ィな。気、遣わせて。」との言葉をかけられつつ、フロアの片隅から去った。

 何とも不思議なものを見る思いで、一連の流れを目にしていた。「で、自分のところのファンが煙草を吸うのを邪魔してまで、ぼくからまた一本、煙草を強請ねだろうという話なら、見損なうところだけど。」強く出ても、三條はむしろ溌剌はつらつとするような気配があった。「俺がおまえとふたりで煙草をる機会をお膳立てしたわけだろう、むしろ自慢話のたぐいじゃねェかな。連中からすれば。もしかしたら、おたくら次第じゃ、後々のかたぐさになるぜ、〈略奪者たち〉との友誼ゆうぎに貢献したってな。むしろおまえ次第だ、邪魔だったかどうかは。」とんでもない暴論とは思いつつ、嫌に思うような挑発とは受け取れなかったのだ。

 三條が何気なく上着のポケットから取り出した煙草の箱は、バニラの方ではなくて、ぼくがまさに今吸っている銘柄のそれだったので、いささか面食らった。買って間もないのか、まだ封は切られていない。「こいつは教えておいてやる。筋を通す時ってのは、きっちり最後までやンだよ。美味うま美味うまいって、もらいものの煙草をったんだったら、自分でも買うだろ、普通よ。」まったく、呆れるばかりだ。ぼくから奪った一本、最後の最後まで、ずっとしかつらこらえながら吸っていたじゃないか。煙草の一箱には、通常、二〇本入っていると、知らないか。

 風変わりな人好きで、律儀で、それは三條なのだと表す他はなくて。「なんとなく、少しだけね、三條サンのことを好きなフロアにいる誰ひとり、ここに来ないのがわかった気がするよ。人気者なんだな。」ぼくは友好を採択したのだが、比して三條は素直さによる辛口だった。「俺からすりゃあ、おまえの人気がなさすぎるってことしか伝わってこねェぞ。誰かひとりくらい、来てもいいだろうによ、ここに。」ぼくのファンは、度胸と胆力の塊みたいなところがあるから、こそこそ一服の隙を狙うなんて真似、しないだろうな。

 ぼくは三條の煙草に呆れたが、三條も事の顛末てんまつに呆れていた。「いやはや、恐れ入るったらない。楽屋で修羅場を始めやがったことじゃねェぞ。本当にそれが、だったってことだよ。すっかり俺たちもリハをして、再会してみりゃあ、トラブルがあったってふうじゃねえ、相変わらず骨の折れるバンドだなってくらいだ。」特別に劇的な変化が残ったではなく、強いて言えば、央歌おうかと八汐の間で――直接的な会話を選ばず、Pメールが送受信されるようになったくらいか。央歌を追ったのは八汐なのだし、それが少々、仲良くなるきっかけとなったって、あえてのPメールは女子高生のかわいい流儀なのだろうし、おそらくは。つまり、ぼくは何も聞いていないし、聞いていたとしても、全て忘れた。なお残念ながら、章帆が持っているのはPHSピッチではなく携帯電話なので、Pメールは送れない。

 そうこう思っていたら、ぼくにPメールが届いた。八汐からだった。一通目は、『オウカ アキホ マタケンカ』で、二通目は、『イチタニサンノオンガク ダメニスルナト』さらに、『セキニンオシツケアイ バカミタイ』なのだそうだ。そこに割り入る勇気はなくて、ぼくはPHSピッチのテンキーを操作して、『イマ サンジョウトデート マカセル』と返して、それでしまいとした。どうもしばらく、楽屋には戻れない。三條の名が向こうで出たならば、そこで一時休戦となりそうな気はする。

 平和の限りだとは言えた。「こうしていると、三條サン、まるでちっとも、ロックスターじゃないな。」結局、三條はいまだに、喫するたびに、しかつらをどうにか隠そうとしていた。ついでの気紛れで、ぼくなりの礼節は重んじた。「われるばかりじゃ割に合わない。バニラのやつ、一本くれてもいいだろう。」道連れにされる側になるのも一興だ。

 三條はおとなしく一本渡したが、「ちなみにこれ、お高級だからな、全然、等価交換じゃねェからな。」言いつつも、満足げではあった。「俺は俺だよ。それにおまえ、いざ舞台ステージに上がったらどうするよ。」ぼくは吸いかけの、馴染みの一本を見捨てて、受け取った煙草に火をけ、バニラのかざいとわしく思いながら、舞台上のことを思う。「そりゃあ、章帆と心中するのは決まっていて、のみならず、観客オーディエンスごと丸きり、まとめて、死ぬことを望ませてみせるよ。死ねるってのは、生きている者の特権だ。そいつを感じるのが、今ここに自分が生きていることを知るには、手っ取り早いからね。どうせならいっそ死んじまえばいい、疑いようもない。」ぼくは一般的にはなかなかに物騒なことを言っても、もはやとうに、三條のうちでは、理解しか生まれない。

 しかしまあ、ぼくが共演者と馴れ合おうとは。

 一時いっときのみ、三條の表情からしかむところが消え、この場にそぐう妙味みょうみだけが表れた。「ロマンチックぶってやろう。月の表側で餅をついたって、それはそれでかまいやしないんだ。メシはうめェよ。おっと、醤油はかけすぎるなよ。月の裏側までわざわざ来る手合いはな、うちの連中で言えば、全員殺すよ。あァ、きっちりと息の根止めて、殺し尽くしてやるんだ。では、それこそが正気なのさ。あいつら、殺されるために来てんだ。どこでも誰でもってわけじゃねえ贅沢者で、死に場所はここで、執行人は俺がいいんだとよ。」三條は煙草をひとつ喫して、しかめる顔つきに逆戻りして、「つまりソレ、結局は俺が優しさの塊だって話になっちまうなァ。」と、言い足した。

 ぼくはどうにも、愉快に思うのを抑えられなかった。「集団自殺に大量殺人? ああ、今夜ってそういうイベントなんだ?」ぼくは面白みにあるままでも、三條はにわかに生真面目きまじめな顔つきとなって、「オンガクだからそれをやって無罪っていうの、法の欠陥だと思うんだよなァ、俺。」刑法にまで話を広げるのだから、相変わらず大袈裟な男で、しかしぼくがその物言いを気に入らないはずもなかったのだ。

 ぼくの方から持ちかける形になった。「どうも、楽屋に戻るとぼくはまた巻き込まれるらしくてね、だから帰れないんだけど、ずっとここにいたら、三条サンのところのファンが、いつまでも灰皿が使えないだろう。煙草、等価交換じゃなかったんなら、缶コーヒーぐらい奢らせてくれって話だよ。」月の表側で餅をつくことをためらわない気分のままで誘えば、三條は嫌がる素振りは加えても、おそらく快く応じた。「やめろって。煙草一本の差分だぞ。いくらなんでも、缶コーヒーじゃ釣りが酷い。あとおまえ、万民全てに対してコーヒーで片が付くと思うなよ。ま、奢られてやるさ。オレンジジュースな。」


 無謀と勇敢のぜの航海の果て、とうに海底うなぞこに沈んだ船に敬意を。

 ぼくらの難破船はついに成った。何らの欠けるところのないカタチで。あとはくだけ、どこへなりとも、どこの海域と知れずとも、さあね、狂う南緯Furious五〇度Fiftiesかもしれないし、過ぎて、絶叫する南緯Screaming六〇度Sixtiesかもしれないな、なあ、なんてこの世界の美しいことかと言ってみせろよ、嵐だけが敵と思ってくれるな、氷盤にし潰されへし折られても、文句のひとつも言えるものかよ、後悔だけがそこにない。

 終わりなき旅路などのぞまないから。

 そのたった一度きりに。

 ライヴ。

 今夜、どのような深みの海底うなぞこまでも、沈むとも、ためらうな。

 えを隠さぬ観客オーディエンスを前に、どういうわけか、今夜の央歌は上機嫌だった。これまで央歌が舞台ステージの中央に立ち続けてきたライヴとの違いなんて、せいぜい、隣に八汐がいるかいないかくらいだろうに、なぜだろうな。曲の鳴る前に、自ら前のめりで煽ろうというのは、誰が何回見たことがあるだろうかな。

「ようこそ。メンバー紹介なんてするものか、あたしたちは〈略奪者たち〉っていう、ひとつの、ただの不幸なイキモノだ。あんたらもね。まさか、シアワセなやつなんて、ここにいないだろうね。そうだろう、不幸なイキモノが、さらにもっと不幸になるために、貪るために今夜があるんだろうが。好きなだけ喰らえよ。あたしたちも、優しくはしてやらない。」

 曲順は章帆による決定で、優しさと見做みなせるかとなると、違うな。

 わざわざ痛いところに、遠慮無く叩きつけてやりたいのだ。

 かわいらしい伝説の一部始終、すったもんだだったそれを――

 

 だから、央歌は宣告する。いやみったらしいまでに、力とう声音で。

「不幸なミナサン、もう手遅れだ。一曲目、〈SO LONG, MAGGIE〉――」

 八汐がバンドに加わる絶対の理由となった曲、それはステージに飛び入った際の騒動と、その後の凄絶な、天地あめつちを切り裂く演奏プレイによって、〈略奪者たち〉の一曲であることには違いなくとも、バンドの内外で、〈SO LONG, MAGGIE〉は、という印象が濃くなっていた。だからぼくも、そう、少なくとも優しくはない。

 少しばかり、悪戯いたずらをした。

 変則的な曲の構成、低音ベースは静かに打つだけ、そして待つのは、四小節のソロ。

 これまで、その四小節では、ぼくが打音ドラムで、誅戮ちゅうりくを果たそうという心意しんいを放ってきた。けれどぼくは今、スティックを握る手に力を込めない。叩きたいのは山々やまやまだよ、だからって、ぼくにも分別ってものがあるんだ、そりゃあ、譲るだろう。

 

 薙ぎ尽くせ。その酷薄と慈心じしんの悪徳を、神解かみとき鳴響ギターとして、ここに在る唯一絶対の存在が神柄かむからあたいしてまぬことを、そして、今ここに在る八汐郁杏というものが抱く、その全て、一向ひたすらな愚直としてのただひとつのねがいの限りを、貫き通せ。

 ――このオトが正しくあれ。

 心魂こころを、命脈いのちを奪い、喰らい、それでなお、生かすものであれ。

 ――このオトを聞くならば望め。

 神振かむさぶものを前にすればこそ、枉逆おうぎゃくを望め。知れたことだろう。

 略奪を望め。

 ぼくから八汐に譲り渡したソロの四小節は、もはやすっかりとそれに相応しく、そのギターは遙か高みより注ぐ圧倒的な重圧として、観客オーディエンスに知らしめる、たった四小節が、それでさえ余る程、十分に過ぎると思える程に生々しく突きつける。何の幕が開くのか、そこにある流儀と作法、決して、決しておとなしくしてくれるな、音楽を音楽として受け取るな、喰らえ、そうでなければここには立てない。

 さあ、死んでしまおうか。鳴響ギターの逸脱が終わるのならば、撃つよな。撃つさ。とんでもなく、愛ってやつのカタチに酷似してるんじゃないのか、撃ち尽くせよ、全てに、そして、ぼくと章帆、どちらともが残らない明日のために、撃て。そうだろう、先に死んだら相手は殺せないよな、だからさ、やはり愛に似る、通じ合う、心中しんじゅうの約束はたがえない、よって、、愛する者を殺す業は、自分こそが負う、打音ドラム低音ベースも、ずいぶんと意地を張る。

 見かねて八汐が悠々と、神鳴かむなりの切っ先を突きつけて、ぼくらの命運を危うくすれば、もしくは共同戦線で刃向かい、狂瀾の乱戦に陥り、誰もが粘る、こだわる、。信じている。、と。

 そしてその先に待つ、多数の略奪者へ辿り着くみちは、殺意の騒擾そうじょうを土台とすればこそ、命尽いのちずくでそこに君臨する、それのみが歌唱うたうことと、今ここで、真に、いつになく、自らの強さしか赦さぬことを得た者が、不要なものの全てをどこぞへ預け、あるいは棄ててきた者が、今夜この場所で、強くあることしか、もはやできぬ者が、央歌だけが、そのうただけが、切りひらく。一条ひとすじみちだなどと、今さら言えるものじゃないな、その武威で、かせを解かれた傲慢プライドで、戦場のを運ぼうというか、天空あまつそらからの睥睨へいげいひとつで、天罪あまつつみにも等しく、何もかも、何もかもと。なぜ残す必要があるか。くれてやれ。

 どうせ喰らわせてやるのなら、いっそ全てをくれてやれよ。

 今ここに、骨片こっぺんのひとつ、血屑ちくずのひとつさえ残すな。

 さあ、これからだろう。

 

 奪え。向こう側に蔓延はびこる略奪者どもから。

 こちらが喰らわせてやった以上に、何もかも、その命ごと、全てを。

 奪えよ。

 魂魄こんぱくの一滴すら、そこに残すな。

 どうせあいつらは、そうなったって、また喰らう。




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