Track 002 GAZE YOUR BEAUTIFUL STORM
加入当初でもなし、
しかしながら、だ、今現在の
間に合わせを隠す気のない、素っ気ないフロアの灰皿、というよりこれは、使い古したドラムの
三條が漂わせる紫煙からは、
バニラの
うちのヴォーカル――章帆を除いたふたりのうち背が高い方、つまり央歌が煙草の煙を
苺を
ぼくたちのリハは無事に終わった。リハそのものは。ぼくの手に、スティックを握っていたそれに、
今夜のライヴ、その直前まで
ぼくの
分からないはずがないよな。
ぼくにも分かったさ。おまえだけは、ぼくの
楽屋に戻るなり、ぼくは謝罪ひとつする間も与えてもらえず、央歌に壁際へと押しやられていた。狭苦しい楽屋だ、他の共演者が今ここにいないことは幸いと言えたか。〈略奪者たち〉の中で起きることとしては、つまりぼくが怒れる央歌に詰め寄られるのは、スタジオやらで同じ時を経ていくうちに、現状お馴染みの光景ではあって、章帆と八汐は気にも留めず、置かれた紙コップをそれぞれ取って、サービスとして提供されている
央歌の眼光は
央歌の返答は、ぼくにとって、
央歌の怒りは
「教えてあげようか。どうして絢人の
今ここで、本当のこと以外を、央歌が言うものか。
央歌が、ただ質問に答えないだけで、オンガクを、譲ると。
その意図が読めずにためらっていたところ、楽屋のドアが勢い良く開いて、〈
ここで
央歌が教えると言うからには、きっとそれは正しい。
ぼくは瞳の角度を上げて、睨み返し、抗することを選んだ。
「聞けよ。好きに聞け。このままじゃ、仮に央歌を騙せたとしても、ぼくがぼくを騙せない。」
こんな時に妙ではあるかもしれない。やはりぼくは取り戻してはいるのだなと、息を吹き返し、オンガクに
央歌は少なからずためらった。
ぼくも、央歌も、ただの弱さに過ぎないから。
違いなく央歌の声音でありながらも、そのありのままの、存在そのままの弱さだった。
「ここのところ、あたしとセックスしないね。そう、ちょうど二晩、帰ってこなかった時から。それはどうしてか、聞かせてもらっていい?」
意外な問いだと言えばそうだし、こんなことさえ、正面から撃ち合おうとするのだから、央歌らしいと言えば、そうでもあると。
「それは、わざわざ聞くまでもないことを聞いていると、そう解釈していいのか。」
央歌が何を得ようとしているか、まるで知れないよりは、気持ち程度だけであっても霧を晴らし、明瞭に近づけたかった。央歌は
「そうだね。そうなるね。」
一連の流れにあまりに
央歌はぼくより離れ、歩み寄る。力を
「一番の当事者が。まるで
圧力が一方を潰すことを、現実は認めなかった。人と人として相対し、拮抗することを選んだ。章帆の眼差しは、純粋な直線で、央歌に向く。
「ええ、そうですね。自覚が足りなかったというなら、それは認めます。でも、言わせてもらっていいですかね、くれてやる、とは、よく言えたものですね。誰より絢人クンに
央歌は眼光こそ揺るがさずとも、言葉に詰まった。ぼくがわからないばかりだったというのは、つまり、近すぎたということなのか。章帆は知ったのだ。ぼくを通して。
「結果的に、ですけどね、分かるんですよ。分かっていったんです。絢人クンと央歌ちゃんって、似たもの同士とか、馴れ合いとか、そういうの通り越して、半分くらい同じものというか、もう重なっちゃってるというか。長らく、都合の良すぎた結果でそうなったのか、わかりませんけど。」
ぼくの半分は央歌で、央歌の半分はぼくで、と、そのように言われているも同然で、しかし、どうしても、否定の心持ちが湧かない。
「このふたり、基本的にふたりだけで完結してて、私が言うのもどうかと思うんですが、
ぼくも央歌も、何も言うでなかった。返せる言葉など、ありようがなかった。
「絢人クンのことを知ると、央歌ちゃんのことも同時に分かるって、そんな具合ですからね。だから私は何も言ってません。何も。だって、ねえ、強いのは本当でも、けっこう弱虫だったり、するでしょう。人と向き合うのに、臆病で、怖がりで?」
央歌というものは、やはり央歌ではあった。それとはつまり、ぼくではない、残りの半分に
「そう。そうだね。震えてた。絢人が二晩、帰ってこなかった時。思い知らされたんだ。あたしには絢人しかいないし、今となってはさ、生きることを預けすぎて、絢人が絢人でなくなったら、それでもう、だめなんだって。イヤだな、認めるしかないってのは。」
「面倒くさがりなんですよ。大概。ふたりとも。ひとりいて十分なら、それでいいやってなっちゃう。」
結果、弱音を央歌から引き出して、章帆は深く息を
「一応、繰り返しますけど、だから、私は何も言っていません。まあ現実問題、他に帰るところはないでしょうけど、帰れとも帰るなとも、帰ったとして、ああしろともこうするなとも、何も言ってませんよ。まあ、恋心じゃないと分かるからできることではありますけど、とにかく、
央歌も息は
「配慮には感謝しなくちゃいけないし、あたしが弱い立場なのも分かるんだけどね、絢人と同じく、やっぱり馬鹿なんだとも、承知のはずでしょ。それで、絢人の自由意志だって言いたいの。悪いね。そんなんで納得できるほど、どうでもいい存在じゃないんだ。ねえ、絢人、答えなよ。理由。いいんでしょ、取引、するんでしょ。」
そう。すると言った。自分が騙せないから。
オンガクで。
だから何だというのだろう。
それでも、ぼくは答えたのだ。
「ぼくが章帆を好きだからだ。他に理由はない。」
ぼたりと、即座に音がしたというのは、床にほとんどが零れ尽くしたというのは、章帆がその手に持っていた紙コップを、ほとんど全ての中身の残っていたそれを、力任せに握り潰したからだった。床が濡れ、広がりを見せる。章帆の顔つきから、何らの表情も窺えない。肌が、服が濡れて汚れようとも、気にもしない。何も、そこにありはしないかのように。何も。受け入れるなど、できなかった。知らなかったから。
結果、嫌な役回りを負うことになったのが八汐だった。「ひょっとして、だけど、一谷サン、章帆さんに対して、まともに好きだって言ったことないんじゃないの。だったらまあ、自覚がないのも納得というか。これ、さすがにやべぇ事態というか。」紛れもなくそれが事実なのであって、
本人のために、本人に向けて、言えずにいて、オンガクのためには言うから、始末に負えないと。あるいはそうでなくば、央歌のためと。ぼくがぼくを騙せない? それはそうだ。だからって、馬鹿を言うな。ぼくが章帆を騙していたんだろう。そこにあったのに、言わなかったんだろう。伝えなかったんだろう。とっくに、あったというのに。
央歌は約束を守る。
「絢人の
三條が、章帆の手にあるままの潰れた紙コップを受け取り、「しゃあねえ、床は拭いといてやる。」と伝え、章帆は端的に「ありがと。」と告げた。章帆の表情に
央歌は寂しくも諦めた顔を浮かべ、章帆へ声をかけた。
「ごめんね。馬鹿で。」
章帆は、唇だけを動かして応じた。
「ええ。本当に、ふたりとも。」
ぼくから逃れるように、そして章帆と央歌が今、互いに顔を合わせられるはずもなく、どちらからということもなく、ふたりともが楽屋を出て行った。いくらなんでも、追うだろう、こんなぼくだろうが、うまくいこうがいくまいが。追って、それで、どうするのか、それでも、弱さにあるままでも、生きていて、気持ちはあるのだから。なあ、ぼくがいなければ起こらなかった事から、逃げられないのではなく、逃げたくないのではなく、せめて、追いたいから。
それでもぼくはひとりしかいないので。
どちらかには
見かねる八汐に、また損な役回りを押しつけた。
「おばか! 素直に、大切だって思うほうを追わなきゃ、何の意味もないでしょ! もうひとりは、一応私が何とか、慰めてみる。だから早く。」
駆ける。
オンガクだけに生きられないなんて、そんなの、当たり前だった。
略奪者たち 香鳴裕人 @ayam4
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