DISC-03《FOR LOST ENDURANCE》

Track 001 GLAD TO MEET YOU



 自分のあえぎ声から生まれた曲なんぞ弾けるか、と、当初こそ抵抗を見せた章帆あきほだったが、喧嘩らしい喧嘩にも到らなかったというのは、ぼくが紙に書き起こした譜面を見せたのみで、出来映えからして、逃れようがないと観念したからだった。作曲家・一谷いちたに絢人あやとが憎い、とは、恨みがましく言っていたが。

 章帆は葛藤を引きずるではなく、今では、〈A's NYCアーサーズ〉に向かう四人組の先頭として、微風を触れる程度の向かい風として受けながら、今夜をこそ待ち望む陽光を浴び、喧騒けんそうへりにも掛からない通りを行く。そう何度も通ったわけではないはずが、この道がぼくの心身にとうに馴染む心持ちがするのは、道なりにどこか漂う一種のわびしさが、ぼくのような気質の持ち主にとって、心に棲みやすいからだろうか。

 くだんの曲は――単純シンプルに〈RINGING〉と名付けられたそれは、この曲は絶対にるべき、という八汐やしおのたっての希望もあって、ろくに時間の取れぬ中、どうにか今夜のライヴでる曲目に含めることができた。どうにか、というのは、滅法めっぽう騒々しかった四月がやっと終わったかというと、まだ日数を残しているからで、ぼくら〈略奪者たち〉が、性急な日取りで二度目のライヴを行うのを避けられなかったためだ。波乱は呼んだものの、八汐の登場とその演奏プレイは結局は良い意味で話題となったこと、ぼくらを売りたい糸原いとはらが好機とにらんだこと――メンバーの誰ひとり、デビューの志向はないと釘を刺すには刺したのだが、〈A's NYCアーサーズ〉がぼくらを、遠からず〈Tristan'sトリスタンズ Black Rayブラックレイ〉と並ぶ店の看板にできると見込んだこと、起こした問題とその減刑の都合で〈A's NYCアーサーズ〉に対しても糸原に対しても立場の弱いぼくたちは、つまりは、アタマからちゃんと四人そろえてやり直せ、と、そのように行き着く結論に逆らうに逆らえなかったというのだ。

 四人揃って〈A's NYCアーサーズ〉の入る建物の前まで来て、いざ狭い階段を順に下りようかというところ、先んじる章帆がぴたと足を止めたので、全員が進めなくなった。章帆の目は、階段手前に掛かった小さな黒板に確実に向き、微動だにしない。瞳を逸らさぬまま、逸らすことの敵わぬまま、それは、目に入るものが露聊つゆいささかも受け入れられないがためと。「嘘でしょ。冗談きっつい。〈Worstワースト Hurtsハーツ〉、いやいやあり得ねえですって。」章帆の目線の矛先ほこさきは分かるので、ぼくらは全員で黒板を見やることになる、そこには白のチョークで、今夜の出演バンドの名が列挙されており、当然、〈略奪者たち〉の名もあった。

 央歌おうかはなんとなく目を向けるのみで、黒板を上から下まできちんと確かめた八汐が、「んん、〈Worstワースト Hurtsハーツ〉って? それって何。」と、疑問を呈した。黒板のどこにも、そのように書かれてはいなかった。章帆は言われて、ようやく、自らの瞠目どうもくの方面から立ち返り、この場に戻って来た様子だった。「ああ、それ略称なんですよ。略称というか俗称。本人たちが略されるの嫌がるので。つまりこれです、これ。」章帆の指差す先は、バンド名の並びの一番上で、いやおうでも目立つのであるが、いっそ何を指すのか分かりかねるそれは、バンド名だったらしい。率先して、八汐は――辿々たどたどしい発音で、一応は読み上げるのであるが、「〈Our Songs Hurts Worse Than Anything You Could Bring Yourself To Do At World End〉、はい、私はもう放棄。ビートルズが好きだからって、英語の成績が良いとは限らない。」早々に、理解者となる意志は捨てたようだった。

 央歌は黒板の一番上の長い名を、指で弾いた。どうやら、央歌にも不評らしい。「名前で語るな。オトで語れよ。で、今夜の対バンの相手の一組ってことでしょ。何か問題でもあんの。生意気な連中だってこと以外に。」思うところの入り交じり、ほどいて分けられそうにない複雑な顔つきで、少なくとも全くちらとも嬉しそうではないのであるが、とにかくも、章帆は解説を務めた。「問題らしい問題はねえですけどね、脳が理解を拒むったらないです。この人たち、もうメジャーデビュー決まってんですよ。人気は無論、実力派とも評価され、先日出したシングルはインディーズながらチャート十六位にランクイン、そんなんですからね、キャパ二〇〇〇くらいの会場なら瞬殺ソールドアウトですよ。このように名前が長いので、裏ではみんな〈Worstワースト Hurtsハーツ〉って俗称で呼ぶんですけど、一応、公式には認めていないってことになってましてね。ファン、というか信者なら絶対にそうは呼びませんねぇ。いやつまり、何でプロ予備軍がこんなとこで草野球をしようとしてるんだ、と。意味不明なわけです。」章帆は肩を竦めた。情報は共有できても、結局は何もわからない。

 八汐は黒板から章帆へと瞳を移し、疑いとして、じっと覗き込んだ。「何か、めちゃくちゃ詳しくない。ちょっとさすがに。」これが女の勘というものなのか、どうか。八汐はさらに一段、章帆を深く覗くので、思わず章帆がたじろげば、答えが見えたのか。「章帆さん、昔、このバンドにいたりした? というより、メンバーに元カレか元カノ、いたりする?」何やら勝負あったらしい。章帆はすっかり敗北の様相になり、素直に白状するよりなく。「今カレの前でこの試され方、郁杏いあんちゃんの成長が怖い、そうです、はい。元カレのほうが。ええ。」ぼくとしては、色恋いろこい沙汰ざたで様々に転々としてきたならば、そりゃあこうしてかち合うこともあろう、という程度の気分にしかならないものの、章帆に一敗を食らわすならば十分か。

 どのみち面倒なことになるのだから下手に隠すよりはと、ぼくと章帆が付き合うということについては、早々にバンド内で知らせていた。あくまで知らせることを優先するのみ、との形であって、つまりぼくはいまだ央歌と暮らしているし、さらには八汐も、私はただのいちファンだからと、ぼくへの態度を変えない。どうあれ、何をどう揺り動かそうとするにも、ライヴの日程の都合で、間に合わせるのだけが精一杯だった。

 章帆の隣を央歌はすり抜けて、先に階段を降りつつ、「それなら、ここでる理由は、本人たちに聞きなよ。」と、確かにもっともなことを言った。八汐はそれに続き、下りの階段に歩を進め、背中を向けたままで、「一谷サン、今からでも遅くないですよぉ。」と、公然と思わせぶりなことを言った。ぼくの隣で、章帆はがっくりと肩を落とし、ないしは緊張から解放されたというふうで。「ですよねぇ。はりむしろで致し方ないことをしてますよねぇ。諸々もろもろ全部で、抜け駆けにも程がありましたし、刺されまくりますよねぇ。身に覚えありますよねぇ。」ぼくはぼくなりになごませようと、冗談口じょうだんぐちとして、「だったら、針を刺す側に回るか?」と言ってみれば、なごむどころか、「ぶん殴るぞ。」と、怒らせた。


 反省の態度を示すため、という程の話でもないのだが、あえて印象を悪くすることもなかろうと、ぼくらははっきりと、一番乗りを狙う時間に来た。にもかかわらず、五人組がそろって楽屋に待ち構えていたというのは、おそらく、本来は許されてはいない時刻に、さっさとここに入っていたものと。座るなり立つなりもたれるなり、それぞれに楽屋に居場所を確保していた男が五人いて、ライヴの衣装か、全員が、それぞれに系統タイプは異なりながらも、黒を基調とした服装をしていた、ただし四人まではあくまでグレースケール、つまりは白か黒、灰色の濃淡のみで組み合わされているのに対して、残るひとり――待ちかねるというように、楽屋の真ん中に立っていたひとり、彼にのみ、紅の使用が許されていた。そのひとりの頸元くびもとに覗く、タイとして使われている真紅のスカーフが特に印象的で、ぼくが見やっていたのに気付いたのか、気さくな限りで、求めてもいないところ、歌えば酷く艶のあるテノールになろうと思わされる声音で、「これな、若気の至りで巻いただけなんだけどなァ、その時からずっといまだに、物販で人気商品なもんで、今さら脱げねェのよ。」と、どうやら、今となっては本意ではないらしい。

 すぐ、その紅の男の目線は章帆に向いた。「お前、連絡ひとつよこさねえのな。高校の同級生に、メジャー行きおめでとうくらい、知らねェ仲でもあるまいによ。」いっそ百足むかでにでも出くわすか、あるいはそれ以上の嫌悪の顔つきで、章帆の口調は攻撃的になることをためらわなかった。「はいはい、知ってる。高校の同級生で、そののちの元カレで、そんでもって今は他人で、私の顔も見たくない声も聞きたくないリスト第一位に君臨してて、誰が祝ってやるか馬鹿野郎。」普段の敬語までかなぐり捨てて、酷い罵りようなのだ。

 散々に言われても、男のほうは、半ばまでは取り合わなかった。「嫌われてるのは否定しねェよ、今後の円滑な人間関係ってやつのために、われのない誤解を受けそうなのは勘弁な。客観的には喧嘩別れしただけだろ。で、俺から名乗るか、それともお仲間サンに紹介してくれるか。」自分の好悪に、相互のバンドをそうそう巻き込むわけにもいかないとなったのか、章帆は渋々ながら、ぼくらに紹介する方を選んだ。「さっき言ってたバンドのヴォーカルにして、中心人物です。名前は三條さんじょう燈一とういち。数字の三にしので三條。私との関係性は、さっきの会話で察してください。人倫と道徳の観点から補足しておきますと、気にさわたちはないでもないですが、私個人にこれでもかと嫌われているだけで、悪人ではありません。」あれだけ〈Worstワースト Hurtsハーツ〉なるバンドについてすらすらと語ることができる一方、その中心人物については顔も見たくないと、好悪のどちらに振り切れるかはあれど、並々ならぬ関心を抱く相手には違いないのだろうなと、などと思いつつ一般に嫉妬と呼ばれるような感傷がぼくに湧くではないので、章帆は危機を逃れたのか、それとも、嫉妬されてむしろ嬉しがることが望めずに追撃となるのか、後者のような気がする。

 空気はぴりとしても、章帆はいったんはほこを収める様子だった。「喧嘩を売るつもりはないから、あんたのとこのバンドって言わせてもらうけど、なんでわざわざ、ここでるって話になるのか、聞かせてほしいんだけど。」三條は、ひとまずは満足げにしていた。どうも、章帆が一方的に嫌っているだけで、逆の方向からも成立しているではないらしい。「けっこうだ。わざわざ言わせようとは思わねェけどよ、くだらねえ略され方なんぞすると、こっちも噛みつかなきゃいけなくなる。まァ、身に覚えねえか。前回、お前たちがやったことと同じだよ。無理言って、今日のライヴに割り込ませてもらったのよ。サカエサン経由で、糸原っち使って。」誰だか知らぬ名が出たが、章帆は知っているようで、どうも一部納得があった様子なのだ。「糸原サン、大学の憧れの先輩に弱すぎなの本当にやめてほしい。だからサカエ組から糸原とか呼ばれるってんですよ。」どうも、完璧に思える糸原の人脈にも、穴がないではないらしい。

 三條はからからと笑って、話を横道に逸らした。「いいじゃねェの。糸原っちが活動を待ちに待ってた秘蔵ひぞだろ、おまえたち。憧れの先輩にい顔できるようにしてやれよ。嬉しいだろ、それ、憧れてる程に。」あくまで合間の雑談と、三條は話を本筋に戻すと共に、椅子に座っていた〈Worstワースト Hurtsハーツ〉のメンバー、この楽屋に似合わず、文庫本――カバーがかけられていて中身は知れない一冊を熱心に読んでいたひとりの脚を蹴った。驚くほどのこともないのか、蹴られた方は、結局は何もなく、そのまま読書家であり続けた。「これ、こいつ、うちのギターふたりのうちの扱いが面倒くせえ方、うるせえったらねェんだ。つまりは、〈略奪者たち〉の演奏プレイがやべえって騒ぐわけよ。まァ、あくまで今のは意訳で、実際はもっととんでも面倒くせえ言語化をしてたが。」章帆は複雑な表情となり、「ごめん、これだけは同情させてほしい。解読お疲れ様。」と声をかけて、三條が、「たまんねェって。」と応じた。昔に在籍していたというなら、他のメンバーのことも見知っていてしかり、という話だが、章帆から同情まで引き出すというのは余程よほどの難儀と、さらには、いくら嫌っていようと、昔馴染みの馴れ合いというものも、ここにはあると。

 三條は自信ありげに、あるいはいかにも愉快とにやついた。「榮サンのほうの縁で、〈TBRトリスタン〉目当てでな、こいつだけ現場ハコにいて、聞いたんだわ、あんたらを。うちの作曲を全部任されてるやつが、そうもたたえる。なら全員で聞きに行くって話にしかならねェ、んだが、こっちも思惑ってものがあるし、何より、真っ向からやり合った方が楽しいじゃねェかって、ンな話になって、ま、〈略奪者たち〉が目当てで出るんだ、うちは。」そう聞いて、章帆の表情に嫌悪が浮かぶかというと、ならなかった。それどころではなく、大物に目を付けられたということ以上の、深刻の気配が窺えた。

 三條は気さくなままに、機嫌良く訊ねる。「なあ、〈略奪者たち〉サンの中で、喫煙者はいたりしねェか。共演者のよしみで教えてくれよ。」章帆は何やら考え込むふうで、視線を動かすではなかったが、央歌と八汐ははっきりとぼくに視線を向けたので、察するところの正しく、三條は嬉しげだった。「あぁ、いるんだな、そいつはいい。一服、付き合ってくれよ。ひとりでるのは味気あじけない。これもよしみだ。よしみ。」そう言って、三條は楽屋を出ようとする。フロアの灰皿を使うつもりか。「まあ、別に拒む理由もないから。」と、ぼくが応じようとすると、それを勢い良く、章帆が制した。

 声音は好悪を含まずに真剣であり、ぼくと三條の一服を邪魔しようというのではなかった。「三條、少し待て。一分、一分だけ待て。今カレは素直に送り出してやるから、ちょっとだけ廊下で待ってろ。」そう言われれば、三條のほうは特に何かを疑うでなく、そのままに廊下へ出た。足音が続くではなかったので、実際にそこで待っている。

 今カレ、なんぞと、今のぼくたちにとっては不穏極まりない単語ではあったが、誰も気にしなかった。章帆の様子から、バンドの、〈略奪者たち〉の、オンガクとぼくらの生きるすべに関わる重大なもののあることを読み取ったからだ。よって、全員が章帆の話に聞き入る。まず、章帆は糸原を知るぼくに問うた。「商魂が主成分の糸原サンが、先輩の頼みだからって、それだけで、こんなところまで話を通すと思いますか。」ぼくの知る糸原ならば、到底あり得ない。「いや、全く。これっぽっちも。」前提の確認を終えて、章帆は本題へと移った。「榮サンと糸原っち、って話が出たじゃないですか。あのふたり、レーベル、というか会社は違うんですが、なんだかんだ大変に仲がよろしくて、加えて悪巧わるだくみがとても好きでですね。〈TBRトリスタン〉と〈イノリの爪痕〉のライバル関係、なんぞありましたけど、あれ、自然発生じゃなくて、実では榮・糸原間での仕組みなんですね、対立の構図をつくって、人気の底上げを狙ったわけです。」まったく、糸原と、それと同種の先輩であればやりかねないというか、むしろそれが自然と。

 章帆の顔つきは、次第、苦みを噛むものとなっていった。本題の核心はこれからと。「〈TBRトリスタン〉と〈イノリ〉の組みだけでなく、そこらでしょっちゅう、榮・糸原の代理戦争は起きてましてね、だからサカエ組なんて言われたりもするわけですが。私はともかく、絢人クンとの関係の深さからして、イトハラ組なんでしょうね、私たち。つまり、つまりですよ、あろうことか――」

 苦みを噛み締めるのに飽きたか疲れたか、とうとうついに、章帆は諦めの多分に混じる、しかしそれでいて、紛れもないげんなりで、話を締めた。

「ぶつけるつもりなんです。〈略奪者たちわたしたち〉を〈Worstワースト Hurtsハーツ〉に。」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る