Track 008 KEEP RINGING
ぼくを叶える奇跡。
もともとが長い曲ではなく、三分余りのもの、イントロなり間奏なりを
なぜぼくは立ち尽くしている。
なあ、ぼくは十二分に叶ったんだぞ、失い、どこにも向かうことのないぼくが、帰路を求め、帰ることを
章帆はベースのストラップを外す余裕もなく、そのままで、
たとえ、
舞台上で、
本人にそこまで気を回す余裕はなかろうが、それでも章帆のベースは、名前さえ与えられた愛機は、章帆にとって最も大切な物のひとつに違いあるまいと、ぼくはそのままでは忍びなく、ストラップを肩から外し、章帆の
ぼくはここにいる。受け取れたから、
ただ言葉らしい言葉を発することさえ、
ただ、伝えることのできる事実は、真実は、間違いなくあったのだ。
「それでも、ぼくは死んだままでも、受け取れたよ。伝わったよ。なあ、言わせてくれよ。」
報いてやりたい。そして、偽りを混ぜずに、ぼくは純にそれができる。
「帰りたい。」
章帆は
章帆の手が、見ないままにぼくの足を探って、
ささやかな笑い声さえ、章帆の口から漏れた。「たとえ
鳴るじゃないか。
章帆の背に、耳をあてる。
いくらだって。今、鳴ることを
生きているから。
「章帆、聞かせてくれないか。もっと。」
鳴る。すぐ隣にいるから。心臓が、吐息が。帰れた距離に在るから。脈拍のひとつずつが。章帆の音が鳴る。聞こえるじゃないか。音が。鳴るじゃないか。行き着いて、愛が何人分になってしまったものかしれないが、なあ、だからこそ、と思ってもいいんじゃないのか。この
「聞かせるって、打ち止めですけど。一曲しか用意してませんって。」
しまったな。気付いてしまったばかりに。ぼくはオンガクにも帰りたくなってしまったよ。
「そうじゃなくて、章帆自身の、恋人のさ、章帆から鳴る音を聞かせてくれよ。心臓の音が、呼吸の音が、聞こえる。いいんだ、なんだって、それが章帆であれば。歌じゃなくてただの声でも、
「ええ、どうぞ。どうぞこのまま。このままで。聞いていて。」
章帆の体温を淡く感じながら、聞こえる。それは実直に続く生命の
ぼくにぼくを宿し、
ぼくは強引に引き剥がされ、肩を掴まれ座ったまま向かい合わせにされ、さらに気付けば、章帆の腕はぼくの首の裏に回り、ずいぶんと、熱烈に唇を奪ってくる。ようやくのことでそれが離れれば、「何でもいいって言いましたね。私の
立ち上がり、隣に立たせるために章帆の手を掴めば、それだけで章帆はびくりと反応した。
「まったく、こんなにぼくのことを好きで、何かいいことあるのか。」
章帆はぼくの
「もしかしたら、絢人クンが生き返るかも。感謝してください。」
すっかりと
チェックアウトの時間が刻々と迫っていても、ぼくがルームウェアをいまだ着ていたのもそうで、せいぜいが
章帆はもぞもぞと枕元の時計を見て、ついに観念したらしい。「鞭打って動きたくねえです。いっそ延長お願いします。いやさすがに三泊はアレなので夜までには帰りますが、そっとしといていただけますか。いやもう、今、自分がいかに愚かの極みか、果てしなく実感してますね。」要望のほうは、全くかまわない、ずいぶんと世話になってしまって、
返答は
こいつはきっとだめだと、章帆は確信する顔つきながら、一応は確認してくれるのは、どうにも真面目だな。「それはですね、イヤイヤ言って泣きまくる私を見て興奮して抑えが利かなくなって愛欲に溺れたとか――ではないですよね。この流れは絶対に違いますよね。ちなみに愛欲の場合は許します。むしろ抱きついてキスしてあげます。」というなら結論としては、抱きついてのキスはない。「悪かったよ。すっかり生き返ったらしくて、それで曲がふと思いついてしまって、せっかくだからと、追加でおおよそ三時間程、その曲が形になるまで。」げんなりどころの話ではない、容赦のない勢いで枕が投げられて飛んできた。不幸にも狙いは逸れて、肩を少々
章帆はその身を
「これも責任問題のひとつか?」
不満を通り越して、ぼくの至らなさに対して、章帆は微笑む。
「ばぁーか。何を勘違いしてるか知りませんが、単に抱き締めろって意味です。これは。」
安く済むってんなら、そのほうがいいんだろうさ。きっと。人間なんて限界ばかりだ。だから安い分だけ、より多くのものをくれてやれるなら。
恋人を腕に抱き、すっかり体温を味わえば、世界が変わっていく。ぼくもずいぶんと安い。耳元で、ぼくは聞いた。
「オンガクに、私たちのバンドに、そして、未来のお嫁さんの私に――」
章帆の愛情の音を聞いた。
「おかえりなさい。」
ぼくの心臓も、鳴る。それさえ、今、確かなオンガクとして、
返す言葉はたったひとつきりで、惜しいな、一文字足りなくて、
「ただいま。」
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