Track 005 WHAT A GOOD MELODY



 ひとつ、わからされたというのは。

 なにものでもない曲で、この天外てんがいの理不尽はできない。

 ぼくが書いたものであるから。

 天性の曲であるからこそ、この暴威と暴虐は成り立つ。当たり前じゃないか、壊せるものが多ければ多いほど、その余地があればあるほど、血屑ちくず充塞じゅうそく氾濫はんらんのうえに氾濫はんらんを重ね、すれば、一谷いちたに史真しまは、禍神まがかみに限りなく等しく迫るというのだ。死屍ししがこれほどに積み上がるというのは、それだけ、ほふるにあたいするものが生きていたということじゃないか。

 まったく、余計なところで思い知るじゃないか。こうして壊敗かいはいの乱れ散る程に、父がぼくの曲を欲しがるというのが、装う空言そらごとの混じるものでないというのがわかるとは。作曲の天才だなんて法螺ほらも、あながち的外れでない。だとして、一谷史真がそれで手を焼くものかよ。

 生温なまぬるくなど、ない。

 やいばで斬りかかるなど、ない。失血死など待つ気はない。

 血を求めるなら、心臓を潰せばいいだろう。

 いくつ心臓があれば足りるか、わからないな。これでは。

 明らかな破壊、才の多寡たからず、自らが、相手が、いかなる何ものであれ、それを問わぬ戦塵せんじんの場で、ただ潰し尽くすことが何より追い求めることと、困るな、それをあんたにやられちゃ、何が残るか。

 ぼくの曲であることを失わぬままに、父は真に単純シンプル力量ちからそのもので、花を手折たおることのいかに容易たやすいことか、拈華ねんげ編曲アレンジを加え、命限いのちかぎりを変容させる、さらにはただその指でいかに紡ぐかをもってして、おりとして生まれ出でたはずのものが光輝こうきの脈動に成り代わる。神域より絶命を迫られるというなら、塵芥ちりあくたとしてすら、形を残すものがひとつでもあるか。

 淀むことあたわず弾かれる旋律は、酷薄の極みにある光芒の絶え間なき放射、ぼくの望んだ通りの、ヒトゴロシのサウンドのはずだ、そのはずだ、しかし帯びてまない神性が、何もかもを輝き尽くし、理法りほうしたたかにげ、降り注ぐことを選ぶ、神の響きになる。降ってくるわけがないだろう、天上うえから、ぼくはそこにいない。

 ぼくの曲から、ぼくが消える。

 裁きにも似ているな。

 愚かなぼくが待ちわびたはずの。

 だ。これは。

 今まさに、消されている。

 もっと奥。

 命を直接に潰す。

 オトから絢人ぼくが死ぬ。存在の否定、消失。虫螻むしけらとして踏まれるなら、まだまし。

 

 ぼくは嘔気おうきを抱くことも忘れ、そのたったのわずかの間ですら、自己の終焉を、死を、繰り返し聞いた。ぼくは何を望んだか。こうであって当たり前だろう。肉体じゃない、精神でもない、魂だってない、殺されるのはぼく。そうと言うしかないもの。。鳴りまぬ、音の残酷で。なあ、痛みを感じるなら、体があるんだ、つらさを感じるなら、心があるんだ、誇りをけがされるなら、魂があるんだ、それら全て、残っているはずで、けれどぼくはいない、何も、何もなくなるじゃないか。今、痛いか。今、つらいか。今、けがれたか。何も。

 こうか。

 こうだろう。

 おまえの願いとは、こうだろう。

 この俺に願ってしまったんだろう。

 戦え、と。

 本気で、と。

 痛いと思わせてやれたらよかったな。

 苦しいと思わせてやれたらよかったな。

 なあ、俺は手を抜いてはやらない。

 いいのか。

 痛ければ刃向かえたか。

 苦しければ抵抗したか。

 このままでいいのか。

 お前の願いは、そうなのか。

 そうさ、おまえは最初から、不幸なやり方しか知らない。

 おまえが望んだから、弾いてるんだ。

 俺のピアノを、無為むいしてくれるな。

 立ち向かうことのできないというか。

 本当か。

 本当に、おまえはそうか。

 ぼくが消える。空漠くうばくの何もないほどの濁りに繋がらない痛覚でみち行方ゆくえなきところに立ち尽くし、そぞあめとしての血潮も浴びることなく、千足ちたるまでの至悪しあくであれ千度ちたびに行き渡る致誠ちせいであれ、いずこにもそこに映る色を問うものではなく、命期めいごのうちにいまだあるとも、八百重やおえの果てにまで、結ぶものなく、是非のない。ない。それでも――

 それでも――

 認めるんじゃない。

 

 この一方的な鏖戦おうせんを赦すな。

 そこから何が消えようとも、成り代わろうとも、光り輝くことにさえなろうとも、これがぼくの曲であるならば、、ただ殺掠さつりゃくされるだけのものであろうはずがない。裁かれるだけの者がいていいはずがない。喰らわれるのなら、喰らえ。喰らい合えよ。咎を、罪を、それらを何ら負わぬままにめいするという枉逆おうぎゃくを、自らに赦すな。ここにただ今、座するだけの者を赦すな。

 選べよ。

 撃て。

 違うはずだ。そうだろう。スティックで、キックで、示せよ。そうと言うしかないのなら、そうなんだ。。乱逆で、潰乱かいらんで、喧狂けんきょうで、抗戦と呼べるものか、そんなわけもない、ただ撃て、どれだけの深度で殺されようと、それはいい。。違うだろう。これがぼくの曲であるために、侵奪しんだつを望め。殺されるままにあるな。

 掴めよ。この時にある凶弾たまを、込めろよ。

 ぼくもまた、譜面通りには叩かない。足りない。惜しむな。届かないと知るたまを撃って何になるか、畜類ちくるいに類するとも、放つべきなのは、ここで願うべきは、さだめるべきなのは、それが致死であるということだ。叩き落とせ、を。はるか成層圏、神域に棲まうあの絶対の存在を、ちっぽけな徒弾あだだましか持ち得ずとも、やれよ、撃ちとせよ。今さら何をどう思うことがあるか、とせ。

 叩く。踏む。

 そのひとつずつが脈動の意志。

 一谷史真おまえのピアノなんて。

 絶対に殺してやる。

 さあ、命をげようか。死にぞくそうか。撃ちながらも。

 父のピアノは、揺らぐことがあろうか。どんな戦場に立つとも、傷つくことがあろうか。何を成そうとするのであれ、その実現の叶わぬことがあるだろうか。そんなことがもしあり得るのなら、それは一谷史真と呼べるものだろうか。

 あるはずが、ない。

 出し惜しむものもなく、無理を通すこともなく、ただそのあるべき姿のあるがままに、絶対的な自然のままに、ぼくの打音ドラムごと、ぼくを、その自己オンガクを、純に、無垢に、その一小節さえ、その光明のことごとくの満ちるまま、殺すという悪業あくごうさえも、劃然かくぜんと神としてやってのける。血の一滴なら残るか、一谷史真に残すつもりがないなら、残滓ざんしすら消え失せるはずだ。そうだろう。

 ぼくの打音ドラムは放たれ続けるとも、その全て、ぼくがぼくを見殺しにするていに相違なく、やめるな、殺されることの、そのすべてが果てるまで、スティックを手放すな、踏む力の込めることを失うのを、わずかたりとも認めるな。神域において鳴るピアノの侵伐しんばつと支配にとっては、蹴散らすまでもないこととしても、だ。撃てよ。とせよ。続けろよ。殺意を手放すな。何をもっても傷つかぬ絶対によって消し飛ばされていく自分を見つめるまま、人なら人を、神なら神を、音なら音を、ただそこにあるものを撃て。

 ああ、死んでいくな。オンガクしか持たぬぼくにとっての、音楽そこに在る、なけなしの絢人ぼくが、その価値と意義が、こうまでも見事に否定されてしまうか。消し去られてしまうか。余さず命脈を絶たれ、代わりに光のちるというか。一曲ずつ、それは確かな結実としかならずに、なあ、ぼくはつまらない人間だよ、すがるものなくして立つことのない、けれどありふれた、弱さの集合体あつまりに過ぎないよ、だから、音楽ぼくが、ぼくの、生きるということが、ただ打ちのめされるばかりで、のみか光束こうそく収斂しゅうれんの中に消え去っていくよ。届かず、及ばず、生きていくのはピアノの旋律ばかり、どこまでも正しく、どこまでも峻厳しゅんげんに、あくどくもうつくしく、命を打ち鳴らし、ぼくを殺し、ぼくの生きてきた昨日を否定し、戦おうとする今を失わせ、ぼくがオンガクを続けるという明日を喰らい尽くす。ぼくはつまらない人間だよ、ありふれた、弱さの集合体あつまりに過ぎないよ。

 生きられない。

 じゃないか。

 それは生きるということ。

 オンガク。

 弱いぼくが命を続けるためにすがる、ぎの頼りないいかだ

 なくなってしまうな。

 どれだけ不幸であろうと、ぼくにとっての唯一。

 今日しか知れぬぼくのための明日。

 なくなる。

 ああ。

 

 響くことを知るのは、ただピアノばかりだ。だめだなあ。

 やっぱり、父さんには敵わないや。

 ちっとも、だめだなあ。

 なあ、

 本気で弾いてくれているね。

 ぼくの知っている通りの、違いのない、一谷史真の音だよ。

 笑っちまうなあ、

 こんなピアノ、弾きたくなかったんだろう。

 それでも、父さんは弾けてしまうから。

 どんなにか、くるしいだろうね。

 こんな惨劇を行えてしまえてさ。

 ごめん。

 殺させてごめん。

 ぼくはやっぱり、不幸なやり方しか知らないんだ。

 こうすることでしか、決着を掴み取れないよ。

 さあ、手を強く握れ、止めるな、足を踏み込め。命を撃て。

 ぼくの抱く殺意を止めるな。たった今、行き着く先が何処いずこであるかを問うな。

 

 ぼくが戦わずして、それはいったい何のために鳴るというのか。

 撃ち尽くせよ。ぼくは今、できるだろう。

 どれだけいびつであっても、それがぼくの求めたことで、叶うさ。間違いなく。

 ありがとう。

 こんなやり方、父さんじゃなければできないよ。

 もっとくれよ。

 戦うから。

 まだ残ってる。叩けてる。潰しにこいよ。何も終わってはいない。

 父さんのピアノなんて。

 壊してやるから。


 父がぼくから奪った譜面、その全てはかなで尽くされて、やがてリビングは、闃寂げきせきの広く満ちるのみとなった。父は音の一粒さえも、ついに、手を抜くことはなかった。全てはぼくのために、つまよりふちまで、四望しぼうくまなく、本気の一谷史真だった。結局は、そのことが全てを物語る。ぼくは最後までやったさ。殺意を失うこともなく――今、それも途切れた。ぼくの絢人オンガクは、微少の脈動さえもはやなく、事切れたのだと。

 空白ブランク

 思えないな。

 

 耐えかねたのでもなかろうが、このままの沈黙でほうったとて、ぼくがいように転ぶこともないと、明白に過ぎるだろうので、観念するかのように、ピアノの蓋を閉じながら、父は尋ねる。「どうだ、気分は。」ぼくは表情ひとつ、うまく作れなかった。陰鬱いんうつに陥るでもない、ただ空漠くうばくの余すところなく、内奥ないおうに行き渡る。悔いることすら、できないというのだ。こんなにも尽くして、切らして、消えて。「その質問、つまらない冗談だなって、思うしかないね。ぼくのリクエストだからって、身に覚えのある、実行犯だろ。死んだよ。殺されきって、すっかり死体なんだから、死体に向かって気分どうのこうのなんて、本当、たちが悪いったら。」父は肩をすくめ、そして。苦みを含むところなく、純然な晴れやかさで、それは顔に表れていた。「俺は悪くない気分だよ。自分の息子を自分であやめて、こんな無様ぶざまなコンサート、まるで初めてだ。無力を知るってのは、まるで酒だな。悪くない、最悪な酒だが、悪くはない。粗悪酒カストリ一九九九。それが俺に似合いだ、わきまえろということさ。お前が俺の指を折ることはないとな。」そう、ぼくは折らない。心配するなよ、あんたに手間をかけさせた分のただ働き、忘れちゃいないから。ただ、死体になっただけだよ。それだけだよ。「立派な父親を立てて、あんたのために、いくらか、与太話よたばなしに付き合ってやりたくもあるけどね。果たして、死体のやることかな、それは。」ぼくは呼吸をしていた、それはわかっても、やっぱり、ないな。

 生きてないな。

 ここでするべきことはもはややり尽くしたと、それをお互いがわかりすぎるほどにわかっているのであれば、黙るだけの時もそう長くは続かない。ただ、ぼくが動くのを寸時すんじ億劫おっくうに思った分だけ出遅れて、父が先にリビングを出る間際、自分の鞄を示した。

「鞄に財布があるから、適当に抜いて、タクシー代にでも使え。酒の払いだよ。なんと言ったか、俺は。そう、粗悪酒カストリ一九九九の、すっかり飲み干した。伝票には好きな額を書け。」

 そうだな。

 あんたは父で、ぼくは息子で。

 どちらも、逃げなかった。

 今さら目は背けないから。

 もらっていくよ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る