Track 012 ANY BETWEEN TEARS AND TEARS



 きみはな、わかってるよ。

 呼ばれたから来たのだ、とは。

 どうだっていいさ。そんなことは。これから起きる五分弱で、悔恨と倦厭けんえんほとびるほどに浴びるか、それとも、心曲こころすべてしきるようにって今のついと果てるか、どうやって逡巡できようというか。

 次第次第、客の群れも、ざわつくことを忘れてきている節があった。尋常じんじょうでない、それはそうだ。ライヴの渦中、楽器の役目を、あろうことかフロアから見上げ、奪い取ろうとは。それもまた、あまりにもまっとうに、凄絶に、そしてきよ致誠まごころで、それを成そうとうのであるから。演奏は無論、照明も音響も、このままでは進めない。投光はまとを失い、その瞬きを忘れ、役を負うスタッフが現れて八汐やしおさらっていくのももはや時間の問題なのであれば、それについては、なにがしか、先を取らねばならなかった。マイクの前にいる央歌おうかが、真っ先に場を繋げて、おどけた調子はまるで嘘としても、ぼくの耳から声音の昂揚を隠せるものでなく、露命つゆのいのちで歌うのならばこそ、より確かな逆乱げきらんを感じたいと。そうであってこそだと。

「ああ、道理どうりで、何か足りないと思ったら。ずいぶん待たせるね。の中じゃ、一番のがきのくせして。おっと、精神年齢じゃ、後ろのドラムクンより、ちょっとはましかな。」

 とんだ茶番だとしても、ぼくはシンバルをひとつうるさく鳴らして、抗議の意を示した。内心では、大いに同意するところなのだが。もっとも、今この時、愚かしさで言えば、い勝負なのかもしれないな。いくらぼくだって、これが酷い悪事とわかるぞ。いいさ、もし出禁できんになるなら、八汐おまえだけじゃない、ぼくたちも巻き添えの、道連れだ。ぼくらというのは、そういう船だ。そうだろう、沈むなら諸共もろともだ。船というものの、何より確かなこと。遙か陸より離れ、頼るものもなく、ぼくらの何がどうたがえど、行く末は同じ。

 より一層、客は静まる。ただの迷惑行為でない、何かが起きている、起きようとしている、何か、何かが、思わされている。

 ここからはもう、いっそぼくたちらしい、奪い合いだというのだ。

 目の当たりにして、章帆あきほが、しかし項垂うなだれることはなく、責任を被る気負いで、いつしか央歌の隣に立ち、央歌のものだったはずのものを、スタンドから抜き取り、その独占を崩してマイクを奪った。まさかそんなこと、うちの央歌ヴォーカルにとって逆鱗であり禁忌と言う他はなく。逆らうまいよ、苦いところも、美味しいところも、どちらも艦長キャプテンが持っていくのが筋なのだろうしな、多少のわきまえはくれてやる。章帆の声は堂々と、そして、にこやかですらあって、ぼくの位置からではその背しか窺えないことが、口惜しく思われた。まったく、いところであるのに、ドラムというのは損だな。

「サプライズの演出だって言ったら、納得しますか。しませんよね。ではけっこう。私たちに、ライヴを続けさせてください。どうか。、です。うちのバンド、とっくに、このライヴの始まる前から、だった。今それを知った。今までは音楽の神さましか知らなかった。誰も欠けていないライヴを、残り一曲だけ。」

 言い終えるや、マイクを央歌に奪い返された後、章帆は一礼だけして、もとの位置に戻った。弾くつもりで、だ。一時いっときであれ声を奪われた央歌は、なかなかに我慢しかねるとマイクをスタンドにねじ込むも、そこから口先は大きく離し、その肉声をもって、えた。挑んだ。もはや彼方に離れて照らすだけでいるつもりのない、近く等しくあまねく焼き消そうというに向けて。

「欲しいか。なられよ。奪え、奪ってみせろ。あたしたちがなにものであるか、とっくにご存じなんだろ! ここに立つってことはさ、なら、なぜ――なぜ奪わないでいられる!」

 はじけるように、ほどかれたように、八汐は耐えかねることをやめ、自分のギターを慌てつつも大切に舞台上に置いて後、力任せに柵を乗り越えた。あまりに勢いが良すぎたものだから、舞台を転げるはめになり、客のどよめきを呼び、しかし絶対にこれだけはと、央歌のギターのジャックに差してあったプラグを勢い良く引き抜いたので、音量ボリュームはいじってはいないのだから、耳をろうする噪音ノイズを響き渡らせ、客たちは顔をしかめることにもなった。そうもなろうよ、品の良い略奪なんてあるものか。ぼくはバスドラムの痛打を繰り返し踏み、客にどう聞こえたものかは知れないが、伝わる者には伝わったろう。じっとしているのはいた。これ以上待ちかねてどうするってんだ。来た。あとは死ぬことだけだ。残ったのは。さっさと済ませてしまおう。残りわずか、せいぜい、やり切れるだろうよ。

 勇んで立たんとする八汐は、何もかも急ごしらえで、ろくにチューニングの余裕もないならあるいは弾きながら直すのだし、エフェクターも央歌からの借り物で満足に説明を受ける間もない、合わせたことも無論ない、それでも、、おまえだけなんだぜ、この曲SO LONG MAGGIEの本当のあるべきカタチを知っているのは。誰ひとり聞いたことがないものを、おまえの胸のうちでだけは、完成して、鳴っていた。聞いていた。おまえの胸のうちでだけは、。それを鳴らすつもりで、置き換えてやるつもりで、ここに立った。

 今夜はをくれてやるさ。そのが、旗を振れ。いずこなりとも。愚かしい航路へと導けよ。そして、ぼくらを、真に〈略奪者たち〉たらしめてくれ。ぼくさえも知らない、ぼくの楽曲オンガクの本当というものを、今ここにかき鳴らせ。たったそれだけのために哀哭あいこくにも甘んじようという、諦めてやろうという、そんな駄々だだが、激浪おおなみに向かうためにこそ、いかりを切り離せ。

 ベースはすでに、静かに刻む。変則的な曲の構成――であれど、本来よりずっと先駆けている。もともとの位置で、ぼくを迎えようというつもりはなく、あるいは曲を始めてしまうことで、舞台上の闖入者ちんにゅうしゃ一名を守ろうとしているか、それともただ、単に待ちきれなかったか、動因きっかけのどうあれ、今や音色は、すっかりと後者だ。つれないじゃないか、悪いな、央歌も、八汐も、打音ぼくはさっさとここに乗っかれるんだ。

 曲のアタマのドラムソロ、本来は四小節のそれを、ぼくの曲をぼくが編曲アレンジして何を悪いことがあるか、作曲家クリエイターを立てろって、少しばかり長くするだけ、実に巧妙に、そしてやかましく。ぼくは刻む低音に飛び入り、叩き、踏み、今までとまるで違う意力をそこに見る。

 。まったくもって。今、ぼくをき動かすのは恐怖で、これから成層の神性がそこにあるべくして鳴り、すれば、最初に壊すのはぼくだから、ぼくの臓腑ぞうふじかに潰すというのが、明々白々なのであるから。生きていると、今、ぼくは生きていると、そう思わないほうがおかしい、感じるのが道理、これから死ぬのだったら、間違いなくまだ生きているよ、そうでなきゃ、どうして怖いと思うか。ようこそ八汐。泣き叫ぶ覚悟なんて、きっとできていない、譲れないものが、どうしてもあっただけ。であればこそ、余程よほどに、折れない。涙といたみに溺れようとも、その六つの弦と両手がある限り、きみの神性は生命いのちへの征服をやめない。

 ふたりとも、そう睨むなよ、編曲アレンジは終わりだ。今、ここで、全員が知っている四小節、さようなら、マーガレットの序章はじまり、さあ、やってみせろよ、打音ドラムが鳴っていれば、ぼくはまだ生きているし、曲を終えるまで、叩くことをめるつもりもない。

 弾け。

 のぞみ通りに知らしめろ。

 聴衆オーディエンスは湧かなかった。その全員が、沈黙を貫くよりやりようがなかった。打ちのめされるよりなかった。知り染めているところだった。〈略奪者たち〉を。ヒトゴロシのサウンドを。

 それはギターか、霹靂かみときか、あるいは落泪らくるいであるのか。

 八汐は弾いた。彼女の持つ慈母じぼ夜叉やしゃすべてで。

 まるで半分でない、人を生かそうとする意思を尊く認めながらも、その一方で、何を壊すともいと欠片かけらもなく、ただ一曲の全能に懸けて、それだけのために。ドラムで良かったか、どうか。泣き顔は見ないで済む。泣哭きゅうこくに甘んじて、〈略奪者たち〉を未踏みとうに導き、ただ祈るばかり、音が音であれ。この曲が真にこの曲であれ。どうだ、ぼくはこれに付き合うぞ、いっそ沈んでしまえるなら、どんなにからくだろうな。

 八汐は弾いた。絶え間なく涙に陥ろうとも、その音色から何ひとつ捨てることがなかった。

 かなしいね。

 鳴る音と私のこころの、どっちも嘘じゃないけど。

 弾きたいね。

 痛くてたまらないよ。

 壊したくなんてない、傷つけたいわけじゃない、でも壊すんだ、傷つけるんだ、そうしたいんだ。絶対に、絶対にそうしたいんだ。

 聞いてしまったから。

 私が弾かなければ死んでしまうオトがあるから。

 許さない。

 このオトを見殺しにしてしまう私なんて許さない!

 こんなに本当に泣いてしまって、そのうち慣れよう、みっともないから。それでもこころのうちでは、いつまでも注ぐのだって、ねえ、お客さんはどうしているのかな。ぼやけて、よく見えない。生かされているのかな、殺されているのかな、。私がイノチを宿せているのなら、きっと、そうなっているよ。それが、このオトの正解なんだから。

 わがままだよ。

 鳴って。

 壊して、治して、生かして、殺して、そして、

 私だけの音色で、このオトを、たったこれだけを――

 死なせないよ。

 はらまれていた引金トリガーは、いずこともしれず、暴発を連鎖させて、いつしか聴衆オーディエンスは吼えた。それは、音を歓声ではないというのだ。知った。理解した。十全に満ちる音のうずにあって、何らねがいの欠けぬここにあって、それが彼我ひがべつなく等しく罪を求めていることを、救われようとしないことが残された唯一であるということを、〈略奪者たち〉とは、貪り食わねばならぬものであるということを。狂瀾きょうらんを成すことだけがみちとなり、さあ、今だけをここに求めろ。


  きみが誰か知りたいか

  うつくしい弱さのすべて

  Please say goodbye to yourself, right?


  Smash every silence even if you are gone

  きみが言うなら賛成だよ

  So long, farewell, and goodbye Margaret



 どうやって舞台上から退いたか、それもおぼろげであって、少なくともSO LONG, MAGGIEの最後の小節を終えるまで叩ききったことは、手応えとして確かにあるのだが。気づけば薄暗い便所の個室でうずくまっている。もはや這うように、だ。おのれの領分をわきまえぬ行いを省みないでいて、末路なぞ、こんなものだろうよ。床のタイルが頬に触れて、その冷たさはいくらか気が利いているな。そう、たまたま和式であったことも、ずいぶん手軽だ。吐き気をこらえて体を起こさなくても、嘔吐へどを撒く口は近くでいい。何度も、胃の中のものはとっくに全部ぶちまけても、神性に砕かれた数の分、まだまだ余していると、臓腑は喚くのをやめない。馬鹿だな。さすがにぼくだって、馬鹿と思うさ。わかりきっていたろう。かつて神域より鳴らすということを父に刻みつけられ、傷塗きずまみれで、そして何ら打ち克つことなく、ぼくは逃げ出したんじゃないか。まったく、どのつらで八汐を迎えようというんだ。


 ぼくらの起こした問題は、後日に改めてA's NYCアーサーズと協議という形になり、とはいえ先方から出禁できんは言い渡されず、おおよそは念書と違約金、細かいところは章帆の交渉と糸原からの減刑嘆願の有無によると、そのようにあらかた決したうえで、すっかり誰もが帰路に着いてより後、やっと地下一階から上れば、ぼくと央歌と章帆が狭い階段から順々に外気に触れたところ、ライヴハウスの熱の届かぬ、あるいは地下にいた誰かがその熱の冷めゆくことを知る地点で、申し訳程度にわびしく歩道に沿う街路樹の隣、転々と連なる燈火とうかのひとつを見上げ、なにしろ問題の張本人として、外に出てそこで待つと自ら申し出たらしく、であればずっと、ギターケースを背負うままに、八汐はそこにいたのだろう。そして、殊勝な態度は本当でも、問題のどう転ぶかなど、いっそどうでもよかったろう。ぼくらを見つけ、もろく笑んで、八汐は言いたかった。聞きたかった。

「どうとも思ってません。本当は。〈略奪者たち〉のこと。そしてそこにいる自分は、憎くて、いやだな、うん、いやです。ひとりでいるより、もっともっと、壊してしまう、それができちゃうのも、そうだし。自覚とか、そういうのないです。取っていいって言うから取ったけど、そんな自分勝手でいて、もしかして、正しいのかもしれないけど。ここでは。でも、そうなりたかったわけじゃないですし。」

 涼風は、少しばかり強さに委ねて過ぎる。各々の髪を、それぞれ、その長さの揺らしやすさの分だけ揺らしていく。ぼくを含めなければ、八汐の髪がどれより揺れない、ただひたすらに、一途いちずであることだけが、八汐に残った。

「聞いてしまったから。」

 本当に、それを真情しんじょうとしてはばからぬと、八汐はもはや顔を綻ばせ、暗がりでまるで知れずとも、陰で頬を染めていたって、そのほうが自然と思えるほど。

「私は、一谷いちたにサンの書いた曲を聞いてしまった。そしてそれを、どうしても好きになってしまった。何と引き換えであっても、譲れないくらいに。今日、どれだけ私がみなさんに呼ばれていたか、ずっと感じていましたよ。でも、私はただ怒りに震えていました。初めて聞く、一谷サンの曲が、次々に死んでいく。とても耐えられなかった。。私が救われたのは、演奏じゃない、ただ、知っている曲名が告げられたからです。」

 知れたことではある。自らで掴んだ結果ではないと。その結果の点が悔しげだというのは、ずいまで演者プレイヤーであるゆえか、章帆だった。「これ敗北ですねえ。あれだけやって、私たち〈略奪者たち〉が、作曲家・一谷絢人あやとに負けたって構図で。しょうもないったらないですねぇ。ねていいですか。」章帆は不満を表し、ぼくのシャツの胸ポケットにある煙草の箱から一本抜き出し、ついと視線を背けて、どこぞへと歩むのだが、煙草には火をつける物が必要と知らないとみえる。

「ありますか。」

 八汐は問う。視線はぼくにこそ向く。どうせ自分に目は向かないと、章帆はそれも承知で場を投げたのだろうか。

「ただひたすらに、一谷サンの曲を死なせたくない、譲りたくない、バンドなんて分かち合うことのできない、私を憎む、私がいやな私、それでかまいませんか。そんな私がギターを弾ける場所は、このバンドの中に、〈略奪者たち〉の中に、?」

 ぼくが煙草を一本出すとともに、きちんとライターもズボンのポケットから出したので、あるいはこれ以上付き合わせるのも忍びないところ、央歌は煙を避けて、先立って帰路を行った。逆の方向では、「いいですよどうせ。私なんて負け犬は火のいていない煙草をくわえるのがお似合いなんです。あのですね、敬語はキャラが被るので、できれば控えてもらえませんかね!」と、章帆がわめいているのであれば、もう風情も何もない。ぼくはそれを後目しりめに、悠々と煙草に火をともす。煙を吐くついで、言うのでかまわないと、それだけのことでしかない。

「野暮を言うなよ。」

 興味がないってなら、仕方ない、少しばかり、うちの流儀ってものをくことになったって、そのくらいの面倒は買って出るよ。

「きみはもう奪ったんだ、それを。きみののぞむ居場所を。奪ったんだったら、もうきみのものだ。好きにしろよ。」

 認められて、理解して、そして八汐はうずうずしている様子で、それこそえかねて、年相応の少女の素振りで、「あの、その、大変恐縮なんですが、ああ、敬語なしで、えっと、その、一谷サン、あのお願い、サインちょうだい。」口調としてもまるで友人に向けるようになり、風情のないどころか、まるで間抜けな始末だ。

 どんな美しさで飾り立てたって、難破船の出航には不似合いだろうよ。

 不幸になれ。

 なんていう夜。まるで最高の夜。




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