Track 011 TONIGHT IS TONIGHT



 お前が先鋒だろうと、暗黙の合意が見て取れて、ぼくを立ててくれているのか、中堅や大将に比して信頼に欠けるということか、ぼくが先んじて逆光を浴びる舞台ステージに出れば、なるほど、フロアにぼくを歓迎す手合いは誰もいない。少なくとも見かけのうえでは。渡したチケットが一枚きり――それも望まれて譲ったのではない、となれば、いくらぼくでも、人気なり集客なり何なりに、いくらか気を遣ったほうがいいように思われてくる。望むギタリストが得られたなら、では真面目に考えるようになるかと言えば、間違いなく、余程よほど、もっとどうでもよくなるのだろうが。

 ぼくを立てるのでも信頼でもなく、単に個人の人気順のようで、次いで出てきたのが央歌おうかだった。フロアに一瞥いちべつもくれない、ぐにただ、スタンドマイクの元まで歩み、正面に客入りの海を控えさせてなお、その誠心せいしんによって媚びるところのない。立ち振る舞いは自然で、波立たない湖面としてあっても、ほのおは覗ける。ただただ、果てるつもりの、その一度きりにのぞむ顔つきをして、さあ、何を見ているのやら、だ。そしてそんな央歌のことをり、その玉座を棄てぬつもりの更々さらさらないさまに、憧憬と歓迎を――ないしはひざまずく心持ちさえ、あふれさせる者たちがいる。

 ていに言うなら、央歌は高校の軽音部における活動のすべてで、我慢を続けた。央歌の獰悪どうあくを真に呼び込めるとしたら一年遅れて入ったぼくだが、組まなかった。央歌は裏切らなかった。それまでの一年間で築き上げた全てを。そして、それがかわいいばかりの砂の城であると承知でも、いっそ不幸なほど、自分の誇りを譲りはしなかった。立ち続けた。頂点に。完膚なきまでに、必ず。そして今でも来る。央歌が君臨するところをまた見届けたいと、そのように央歌を信ずる者たちが。その人数よりは、歓声は控えめだった。馴染みだ、ひと声かけてそれまで、そして央歌は、彼らの信じる天穹おおぞらは、それすら望んでいないと明白であるので。

 どこまでが計算尽くであったものか、日程が決まった時点でおよそ見えていたことなのか、イノリの客を奪えば角が立つとは言っていたが、あまりにもなコントラストで、章帆あきほが出るなり、フロアが沸き返った。フロアの大半を占めるのは〈TBRトリスタン〉の熟客ファンなのであり、所縁ゆかりの深い〈イノリの爪痕〉のサウンドをかつて支配していたベーシストは、大きな期待と熱望に満ちて迎えられた。「あっちゃん、今まで我慢してた分、やっちまえ!」とフロア後方よりげきが飛んだ。女の声だが、愛称で呼ぶことといい、〈TBRトリスタン〉絡みの誰かだろうか、わかる人にはわかりきっていただろう、以前の章帆がどれだけ、不自由の中でベースを弾いていたのか、そのことは。ぼくは一回で腹に据えかねた。何度も目の当たりにしていたなら、それはげきのひとつで済むとも思えない、待ちかねている。解放こそ目の当たりにしたくて。

 章帆は愛想良く、愛嬌の大安売りで、手を振ってみたり、飛び跳ねてみたりと、それを役目としてやっているというのでなく、章帆とは誰よりも根深い演者プレイヤーなのだから、いくらだってくつろぎたくもなるだろうさ、舞台ステージの上こそが、彼女の本当の居場所ホーム、世界を流離さすらうことでは、決して辿り着くことのない場所。

 ぼくはドラムセットの中心に陣取り、その調整をしていく中で、今を考える。

 

 

 欲しい涙がある。

 人の渦の中、どこに立つものかは知れずとも、いればいい。今ここにのなら、ただそれだけでいい。いつかの未来はここにない。あることを許されない。知れない。望まない。ぼくは今夜ここで、まもなく、死ぬのだそうだ。だったら――

 呼びたい。

 ただ、今、その存在を、涙を、求め続けるということを、ぼくはしたいよ。

 場の空気はもはや、にわかに、甘い痛みを伴い始めている。打ち合わせにはなかったのだが、章帆が一定のテンポで低音ベースを刻み始めた。強さではない、砂時計クロックだ。フロアの熱情が思いのほかいのであるから、煽りたくもなったのだろう。たまらずに、客の期待がこうじる。呼応してか、珍しく、央歌も煽りたくなったらしい。あるいは、章帆の代弁というところも。マイクは舞台ステージの中央にひとつきり、声は央歌が独占しているために。

「こんなバンドのライヴにうっかり来てしまって、運が悪いんだね。諦めてくれるかな。かわいそうな皆さん。悪いけど、手加減なんてしてやらないよ。」

 仮初かりそめであるところなど、微塵みじんにもない、声の響きだけで示す、示せる、その無欠の傲慢プライド

「残念だね。それが〈略奪者たち〉というものだから。全力で潰しにいく。必死に抵抗して生き延びて、せいぜい盛り上がれるなら、やってみろよ。」

 応ずる。〈TBRトリスタン〉の熟客ファンも。肌で、育てた音への感受で、痛みのありかに気づき始めた。眼前にあるのはなにものたちか。〈イノリの爪痕〉の芦崎あしざき章帆はここになく、全く別種の、〈略奪者たち〉たる誰かとなっていること。知りたがっている。答えを。

 冷酷なバスドラムをひとつ叩き、ぼくは砂時計クロックを止めた。そうだよ、それが最後の砂の一粒だった。からになっちまったら、やるしかないよな、ライヴを。もともと、舞台ステージにいてぼくからカウントを取るつもりはなかった。愚直に練習を続け、あれだけ皆して死にかかっておいて、足並みが揃わぬこともない。不幸までの秒読みであれば、なおのこと要らない。

 好きにするさ。

 紊乱びんらんというものをあらたにるものとしてやるから、今を惜しむな。

 叩くか、踏むのか。違うな。不羈ふきの岩盤を貫こうというんだ、砕いてやろうというんだ。露ほどの水も抜けぬそれを、がらくたにしてやろうというんだ。わかっているさ、飛び跳ねるくらいでは済まないことを。当然だ。演者プレイヤー演者プレイヤーであるというのは、ここからだ。

 本当の暴威がある。いまだ見ぬ猛爆がある。

 その低音ベースは、正しい居場所ところで鳴ればこそ、と言わんばかりに。

 撃ち尽くせ。

 何ひとつ、ここに残すことあたわず。

 章帆による低音の支配は、遙か雲にかかるまでにそびえる重嶺ちょうらん雪崩なだれれるが如くに崩れ落とし、莫大ばくだいいわお海抜かいばつなきところまでめり込ませれば、それをそのまま、征野たたかいの地盤にせんとすると。ここにきて、軍場いくさば成してやろうというのだ。跳ねればこそに、落ちるじゃないか、底の底まで、重きいしずえで。なるほど、ずいぶんな不意打ちで、これこそまさに、壅塞ふさがりなき奔放であるのだ。

 滲む。

 今や害意さえも。

 ああ、ねえ、私はかまわないんです。

 今ここで、この瞬間、本当に壊してしまっても。

 

 今ここに。ここだけに。

 ぼくが棘路おどろのみちを踏むことに余念がないというなら、ならば、天地も何もあるものかよ、六極せかいの全ては、どのみち、逆心ぎゃくしんまとにしかならないだろうよ。撃て。どこに向かうかを問うな。ほふることにきたなくあれ。

 央歌のギターは何ら抵抗を果たすことなく落命し、サウンドがまさに破壊されようというところ、ぼくの持つスティックは、あるいは両足りょうそくは、その戦意によってのみ命脈めいみゃくを繋ぎ、奸賊かんぞくとしてあればこそ打音ドラム狂瀾きょうらんを力尽くでもぎ取り、サウンドの重心において戦場を成立させる。撃つ。数限りなく全てが凶弾たま跳梁ちょうりょう跳梁ちょうりょうひしぐ。このサウンドの基盤ベースを守るくちはそれしかないと。拮抗きっこうとは言い難い。弾が無尽むじんを思わせれば盤岩いわおは雨の如くであり、ならば血を噴かぬ者がいなくなる、それだけだ。央歌うたごえとて、かつてない猛進もうしんを得たこの騒乱において、血を流さぬこともないはずだ。それでも、立つだろう。その無比の歌は、仮に肉体のうちから流れ出る血が一滴すら絶えて尽きようとも、自らのからだを貫いたはずの戦塵せんじんなどひくくある音泣ねなきにもかずと、ただただそこに、央歌として立つだろう。

 立つなら、示せよ。

 異域いいきの太陽さえも睨み潰すそのにくしみで。

 暴乱しか知らずにいるこの舞台ステージに、それができてしまえるのはおまえだけだ。

 ひらけ。ここに。

 おまえしか通らない、一条ひとすじみちを。

 ついに震わせる、その声帯ノドを。そうだ。かまうな。サウンドの血塗ちまぶれのどうあるかなど、取るに足らぬこと。おまえにとって、宇内せかいいただくべきなのはその歌声だけだ。黙坐もくざゆるさず、燎原りょうげんを踏み、央歌であれ、たとえ天涯そらたかくから涯際さいはて血髄けつずいで満ちるとも、そこに立つものであれ。瑕瑾キズとしてのノイズを含み、それを生命の力強くあるしるしと先立てて、その歌唱うたで、今この一瞬を刹那せつなごとに繰り返して、ひたすらにこの夜を裂け。


  忘れて ここにいたこと

  流すなみだの一滴もなかったなんて

  I don't wanna sing 思わない、違う太陽の下で under differ sun歌いたいなんてさ,

  but just tonightでも、今夜だけは

  太陽が落ちれば 少しは笑い話だね


 熱量は増していく。舞台ステージも、フロアも。時というものが勤勉に進むことをめないなら、一曲、また一曲と、たった今としての役を終えて果てる。当初より期待を抱いていた〈TBRトリスタン〉の熟客ファンのみならず、さらに他のバンドを目当てに来ていた聴衆オーディエンスをも、今や熱していると言ってよく、舞台ステージにも余地はないはずが、けれど違うな、ぼくの中で違和感は増していくばかりで、満足感など、どうして、どのように得られるか。

 

 呑気のんきに湧いてんじゃねえよ。

 なあ、本当なら、そんなはずはないんだぜ、今この場のどこに罪人がいるというんだ。とががあるというんだ。そうさ、喰らいようがないよな、

 好きにする。

 そのくだらない歓声は、二度と、あともう一秒ですら、聞きたくない。

 ならば?

 奪い取らねばならない。

 欠いているピースがどうしても欲しくて、それだけを欲して、欲する程に、ぼくのドラムは醜悪しゅうあくさえ想起させるイキモノと成り果て、呼びかける。少し付き合えよ、なあ、いいだろう。殴りたければ殴れ、殴りたいから殴る、ねがいを通すために。央歌も、章帆も、もっとくれよ。もっとだ。八汐やしお郁杏いあん清心こころ八千代やちよの果てまでも刺し貫き、命ある未練を両断してしまうほどに、千切ちぎれたそれを抱け、泣き叫ぶ場所はだと示すため。足りるか。ぼくはそうは思わない。もっとだよ、もっとだ。溢流いつりゅうの限度を知らず、サウンドは壊れることを指向して顧みず、しかし瓦解の水際みぎわで崩れ去らぬ調和は、その不条理は、〈略奪者たち〉という確かさとしてあっても、おい、喰らい合えるか、これで、ぼくはできない。できると思うか、なあ、思わないなら、

 泣けばいいだろう。

 それもまた命であるのなら。

 今、きみを呼ぶ。

 そして今が終われば――

 また次の今に、きみを呼ぶ。

 ぼくはゆるさなかった。認めなかった。壊乱かいらん至境しきょうだけが呼ぶことであると、たとえ今夜の演目ライヴが半ばで死に絶えるとも、、際限をなくしていく今だけを、不乱に求め続けた。それでも、ぼくたちは、確かに〈略奪者たち〉に違いなかった。それがおのれの精神こころを細切れにすることと同義でも、章帆は地盤の沛雨おおあめを降り増して、ぼくのねがいの専横せんおうを認めず、ぼくよりも先駆けを尽くす央歌の息はもはや乱れていても、芯は失われず、その暴慢によってこそ、武威ぶいさえも神威しんいさえも示そうという。

 残り一曲と――

 きみを呼べなくなるくらいなら、いっそ朽ちるさ。

 呼吸は荒い、それでも、央歌は挑み続ける。「ミナサン、生き延びてしまったね。ねえ、もう諦めたとでも思った。全員、ゼンイン、潰してやるから。次が最後の一曲。」聴衆オーディエンスから終わりを惜しむ声が湧いた。そうだろうさ。こんなぬるいお遊戯、いつまでだってやっていたいよな。「最後ラスト、〈SO LONG, MAGGIE〉――」央歌が曲名を告げ、そして、舞台ステージが止まった。

 えた。

 ついに。それは、フロアの後方から。

「待って! お願い、その曲を殺さないで!」

 演奏ライヴの空間は、いたましさの切望によって停止させられた。聴衆オーディエンスがなにごとかとざわつく中で、「ごめんなさい、ごめんなさい! すみません、前に行かせてください、前へ!」必死そのものの、波濤はとうを素手で掻き分けようとするかのような、客の敷き詰められたフロアを割り、来るのだ。そのあまりの真剣に、周りも道をつくってやるしかないというのだ。

 間違いなく、彼女だった。

 満員のフロアに在らぬはずの道を成させてまで、最前、舞台ステージとを隔てる柵の前まで辿り着いたのは、違いなく、八汐郁杏だった。その背に負うのは、ギターケース。「ごめんなさい。どうしても、私、許せなくて、許せなくて!」ライヴが中断する形になり、いくらでも、注目は八汐に集まる。八汐の体は細く震えを帯びる、単に、場を乱したことに怯えているのではないだろう。むしろ――

 こらえがたき怒り。

「私、その曲が好きです。今から、あなたたちがやろうとしているその曲が。大好きなんです、どうしようもなく、本当に、本当に。」

 真の祈りとしてあるのは、ここから。

 八汐の体は震えを御せない。

「でも違う。違う。違う。」

 意思でこそ叩きつける。諦めの理由わけ

! そうじゃない。そうじゃ、なくて。全然。ちっとも。〈SO LONG, MAGGIE〉まで死ぬんですか。殺すんですか。耐えられなくて、私、もう、後ろで聞いていられなくて、帰ろうと思って。でも、でも、間に合う、一曲だけ! 殺さないで、もうこれ以上。違うギターでらないで。もう。助けたくて、私、ここまで来ました。」

 声は央歌のものだ、ゆえに、素っ気なく問うた。

「だから?」

 それは八汐郁杏というギタリストの、本能の咆哮。全てを断ち切り、進ませる渇望。

「私をそこに立たせてください。死なせない。その曲だけは、絶対に。」




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