Track 010 WISH SET ME ON THE BRINK



 章帆あきほはスタッフより渡された用紙にひと通り書き入れてから、当然それは事前に打ち合わせバンド内で了承されたものではあるのだが、改めてぼくたちに確認を取った。「一、〈UNDER DIFFER SUN TONIGHT〉、二、〈SEARCHLIGHT FOR LOOTING〉、三、〈RULER JUMPS OVER〉、四、〈MAYBE RIGHT MISTAKE〉、五、〈TIME TO TEAR FAIR SCORE〉、最後ラスト、〈SO LONG, MAGGIE〉、曲順セトリはこれでいいですね?」ぼくが突貫で書いた新曲五曲と、ぼくたちの始発点として合わせた一曲、八汐やしお郁杏いあんに渡したそれ――SO LONG,さようなら、 MAGGIEマーガレットを足して六曲、それが今夜、ぼくらがライブハウスでる曲目だった。練習漬けの毎日を送っていたら、日々など荒く記憶にしるすことも覚束おぼつかないほどの速度で流れ、まして生きるというより、死なないことに比重を感じるものだったのであれば、ぼくたちはすでに、広いとはとても言えない〈Arthur'sアーサーの NYCニューヨーク〉の楽屋にいた。無論、今宵こよいの出演者として、だ。

 対バンのうちの一組であるビジュアル系バンドの面子メンツが、数の少ない鏡の前、立ち替わりで化粧の最終調整に余念がなく、またある一組は、洋楽の雑誌を見ながら、ブラストビートを叩くなら、使うのは片足のみであるべきか、両足を用いるか、熱心に議論を交わしていた。この一部屋に出演者全員が入れるかというと入れない。出演者バックステージパスをどこかしらに貼って、どこなりと好ましい場所に散っているのだろう。

 ライヴ当日、リーダーは多少なりとせわしなく、「じゃあ、これ、スタッフさんに渡してきますから。もう曲順動かせませんからね。」曲順セットリストの書かれた用紙を手に、章帆は楽屋を出た。今はまだ眠るフロアをかすめ、スタッフルームへ行くのだと。照明なり何なりにこちらの要望を伝える必要などもあり、あとは、どうも追加料金でライヴの映像をビデオに残してくれるというのだが、ライヴなど一度限りのこと、そのような記録は望まないと、バンド内の三者で一致をみたにせよ、単に、ノーと伝えるだけのことも、誰かが口を使わなければならない。

 央歌おうかとふたり並んで丸椅子スツールに腰掛ける形になり、もたれるような背面もなく、もっとも央歌は背後に何があれ身を預けて座ろうとも思うまいが、本番当日だからと緊張を持て余すような神経はとうに枯れていて、ぼくの行動は行き場を余し、話す内容は何でもよかったのだとすれば違いないが、内心に、くものが、いずこかよりつたってしたたっていたと、それがぼくの話に引力を働かせてしまったというなら、そうで。「なあ央歌、これは雑談なんだけど、」言っても、央歌は視線を真っ直ぐなどこかに据えたままで、「あたし今、お腹空いてるから、苛々させようと思うならすぐだよ、どうぞ。」それは許可なのか拒絶なのか、どうあれぼくに愉快な話は期待していないと。胃に何かあると横隔膜おうかくまくが動くのに不自由すると、ライヴ当日、央歌は朝から何も食べない。それは今に始まったことではないので、ぼくは話をめなかった。

 ぼんやりと、薄く、気に留めなければそれで済む水たまりとしてあっても、つい、だ。「どこに行き着きたいんだろうな。」にわかに生じる薄氷うすらいを割ってやろうと。央歌は反応らしい反応を示さなかった。「何ソレ、武道館でりたいとか。それはそれでけっこう。」ぼくは現状、万単位の聴衆オーディエンスが欲しいとは思わず、バンドの初ライヴとしては褒められる程度にチケットはけたが、ぼくが渡せたのは、八汐郁杏に託した一枚きりだ。「もともと、三人のうち誰も、プロになりたいとさえ、満足に思うでもないのに。ではなく、そう、うちのバンドは難破船なんだそうだ。その難破船は、どこに行こうというのか、どこへ。ちょっと気になっただけだよ。そりゃあ、ろくなもんじゃないだろうよ、どこに着くにしても。ふっと考えて、それで、でも何もない。その先に、野垂れ死ぬ墓場があるでもない、沈みたいのかといえば、そうでもない。」そこまで辛抱強く聞いていた央歌だったが、ついに立ち上がると、直前まで自分が座っていた丸椅子スツールを乱暴に蹴り飛ばした。派手な音でころげ、壁に行き当たるまで止まろうとしなかった。楽屋にいた残りの一同は、瞠目どうもくすることしか、反応を選べなかった。

 央歌は怒りを抑えず――本番当日に、空腹で自分をりっせないなど、央歌に限ってあろうはずもなく、それは赤誠せきせいとしての痛憤つうふんなのであって、ぼくの胸ぐらを掴んだのも、シャツのボタンがひとつ千切れ飛ぶだけで済んだのも、十全に律した結果なのだと。「そういうのは、楽屋ここに来る前に捨てておけよ。くそがき。」殴りかかられるとの心配はしなかった。むしろ、どれほど殴ってやりたいことだろうと。拳をえているのだろうと。「何。絢人あやとの望む答えがあったとして、それでオンガクやれんの。あたしたち、後先なんて考えてライヴできるっていうの。明日の心配をしながら今日を生きる余裕なんてあるのかよ。一谷いちたに絢人はそれで生きていけるの。違う。全てのライヴはたった一度きりで、あたしに必要なのはその一度だけなんだ。そんなあたしを置き去りにしてドラムを叩こうっての。冗談じゃないんだよ。違うだろ。理屈も理由も要らないものを、そんなん捨て去らなきゃやってられないオンガクを、バンドを、絢人自身が望んだんだろうが! 明日を求める音なんてあるな。あたしたちはライブをするたびに死ぬんだ。叩いて死ねよ。今しか見ないでくたばれよ。」そこでふと、シャツの布地を掴む央歌の手の力はゆるんだ。「そういうバンドをあたしたちはやっていて、そうじゃなかったら要らないから帰って。」まったくもって、ぼくは央歌に好かれていると、気に入られているというのが正しいか。皆が皆、がらにもないことをするじゃないか。央歌が、子供に説教をくれてやるなんて。

 央歌のほうが明確に、正しく、〈略奪者たち〉というものを認識していた。理解していた。シャツの胸ポケットから吹き飛んだ煙草を拾い、灰皿は楽屋に置かれていても、央歌ヴォーカルの隣で煙草を吸うのは許されてはいなくて、「頭を冷やしてくる。」そう言って、すっかり賑わいのしんと絶えてしまった楽屋を出た。ドアを開けて通路に出たところ、戻ってきた章帆とかち合った。ぼくの居場所を把握しておこうと思ったかどうか、「いずこへ。」と訊ねるので、「ちょっと煙草。今、それは全部ぼくのせいなんだけど、央歌が完全に怒ってるから、戻ってもいいことないぞ。」章帆はわずかな苦笑いで済ませるものの、それさえも体裁だけという気がして。「どれくらい怒ってますか。標高で言うと。」なれば余裕のある、曲がった聞き方をするのだ。「さすがにエベレストってほどじゃないけど、キリマンジャロくらいはね。」それとて、アフリカ大陸の最高峰ではあるのだが。

 確かめて、章帆はあっけらかんとするのみなのだ。「地球上なら大丈夫じゃないですか。火星の山とかじゃなければ。高さ二万メートルとか余裕で超えるんでしたっけ、あれ。」超える。ついでに言えば火山だ、それは。まったく、ふたりとも、〈略奪者たちぼくら〉というものを、正しく認識するじゃないか。「今回は絢人クンが悪いそうなので、絢人クンの味方はしてあげません。ひとりで煙草吸ってきてください。」章帆はそう裁定して、臆せずに楽屋に入っていく。確かに、地球の山なんぞたかが知れてるよな。本番前だろうが、仲裁に入るなら無粋だ。そうだな、煙草をむついで、ぼくとしては、ケルマデック海溝ほどには、浅く反省しておくとしようか。水深はたった一万メートルほどだ、素潜りだってできそうだ。


 楽屋にいても、他のバンドの演奏はくぐもりながらも聞こえるのであるし、ましてぼくの聴力みみなら、その全貌はおおよそ把握できるのであって、それらの演奏プレイは、場末のライブハウスハコとはとても思えぬほどに良く、あふれるほどの客も大いに湧いているようで、と評すれば失礼な言いようではあるのだが。そのからくりの一画として、どうも糸原が噛んでいるらしい。まったくどこにでも存在を匂わせる男で、商魂に生きる執念だか篤実とくじつのありようはさすがで、やり口は単純シンプルだ、糸原が気にかけているバンドであればあるほどに、何らかの便宜や理由で、A's NYCアーサーズを紹介する。ただそれだけで、ここは糸原の仕組む虎の穴になるわけだ。実力派が揃うとなれば糸原に絡まない形でも望む者たちが現れる。ここで最後トリを任されるというのは、玄人筋にとってかなりのものという。今夜のぼくたちは六組中の四番目、しょぱなとして異例の評価の高さではあろうが、二つ先、つまり最後トリである〈Tristan'sトリスタンズ Black Rayブラックレイ〉というところは、あの〈イノリの爪痕〉の好敵手ライバル、ないしは格上とみられているだとかで――〈TBR〉は糸原が噛んでいるではないらしいが、当時のイノリにはまだ章帆がいたのだから、なかなか、駆け上がれるかといえば、糸原の商魂は、そう容易たやすくもなかろうと。

 よって、〈TBRトリスタン〉のメンバーと章帆は顔見知りであるので、なにせ章帆と組むのはぼくと央歌であるから、わさわざ引き合わせることがなかっただけで、そのよしを伝えて後、章帆は知った連中と共にフロアでライヴを楽しんでいる。央歌はといえば、あえてぼくと顔を合わせまいとしたではなかろう、単に煙草の煙を嫌って、楽屋を出ていずこかへ行った。ぼくが避けても、灰皿はそこにあるのであるし。

 手持ち無沙汰のまま、後日の宿題、つまりは泉井いずみい宇月うつきの仕事がまた来ているという話だが、央歌にあれだけ言われた後にそこに考えを巡らすのもどうかしていて、今日だけを生きるというのも、存外、面倒なものだと思い至ったところで、楽屋のドアが開き、そこから顔を見せた章帆が手招きをしたので、どうやらぼくは、出番が近くなっているという直近の未来までも、考えるのをやめていたらしい。

 楽屋の入り口そば、通路で、章帆がいずこかからきちんと回収してきた央歌も交え、立ち話となった。章帆は表情をひそめるということを、堂々とやってのけた。「朗報と言いますか、私的にはかわいそうの極みだなぁの限りなんですけど、来てましたよ。郁杏ちゃん。消防法とか大丈夫かってくらいの客入りなので今日は、主に〈TBRトリスタン〉のせいですけど、そんななので、近づくには至らず。」くすぶっていただけの火に原油がぶちまけられたような巡り方で、焼ける、心中がぜる。ぜてなお、収まるところもない。ああ、そうさ、仲間メンバー切々せつせつを尊重してやりたくたって、どうせぼくはわがままにしか生きられない、今日のライヴが、八汐郁杏の眼に、耳に入らずして、何の意味を持つというのか。

 好きにしてくれよ。ぼくは好きにする。拒むとは言っていない。それを望んでもいない。ああ、いいさ、おのれのねがいを通すために、ぼくを殴ることになってもかまわない。いくら傷つけてくれても、

 ぼくは今の〈略奪者たち〉を、結局のところでは、粗末な不完全品としか思っておらず、欠けたピースを埋めるためにこそ、今夜の演奏プレイはあって、八汐郁杏というギタリストを奪い取る罪にだけ意味があって、ぼくは好きにする、なんだろうが、いくらだって道連れにしてやる。

 結末は、ひとつだけで、確かで、そうなるんだ。

 落涙のギターを絶え間なく呼ぶ、惨痛さんつうの喚きを、ちる罪へ、それを成し遂げるため、棄てさせる引力を、奏でる。ぼくたちは。

 何を言っても余計なのであれ、たかぶりは暴れた。「オンガクをやろう。〈略奪者たち〉にあるものはたったそれだけだから。」ここにいても、舞台ステージに立っても、ぼくらが繋がることなんてない。あるはずがない。それでもきっとぼくたちは、同じ船に乗りたい。天候を問わず、そして、行く末も問わず。ぼくの言葉に、章帆はげんなりとしていた。これでもかと嫌気の差した顔だった。「そういう、皆を引き締めるセリフ、リーダーが言うんですよ。私は雑用係なのではなく。いったん殴られないとわからないですか。」さっそくこれなのであるから、前途は多難だ。「殴ってもいいけど、章帆がもっと締まることを言ってくれた方が早い。」ぼくが促すと、章帆は表情を引き締めた。難破しに行くためのものに乗り、そこで艦長キャプテンとしての帽章しるしかぶることを、いとわぬどころか。

「私たち、もう根本的に、オンガクに愛されてないですよ。そりゃもう。。でも、だったら何だってんですか、りましょうよ。私たちだけのサウンドがあるなら、それをりましょうよ。れますね?」

 ぼくと央歌は、ひたすらにぼくたちだけの音に飢えて、静かに頷いた。




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