Track 009 SEARCHLIGHT FOR LOOTING



 弾くことに対しては非常に生真面目きまじめというべきか、今となっては章帆あきほの根の部分が真面目にできあがっていることは承知だが、そこにを足すかというと、足さない。章帆に渡した譜面は、その余白に、章帆によって非常に細かな、そして多様なメモが書き足され、比して余白が白いどころか、譜面を逐一ちくいち見返して確認しているわけでもないぼくと央歌おうかは、民族性の違いというものをみるのであるが、央歌は央歌で歌唱に対して禁欲的ストイックの見本のようなところもあり、夜食代わりに花林糖かりんとうつまんでからここに来たぼくとしては――譜面は見返すまでもなく全て厳密に頭の中にあり、なにせ花林糖は美味い、章帆のために次は余白を少々広げてやるかというところに妥協点を見出す。どうも、書き込むあまりに、空白スペースが足りないようなのだ。

 煩悶はんもんの挙げ句、ついに付箋ふせんを取り出して、メモ書きの上にメモ書きを重ねる形になった章帆は、それを致し方なしとしてから、ふと話を切り出した。

「どうも郁杏いあんちゃん、あのあたりの界隈かいわいでは、バンド破砕機クラッシャーなる言い回しで、ちょっと有名みたいなんですよねぇ。まあ半分は噂ですから、どこまでが真実かっていうとわかりませんけど、事実無根ってわけでもないようで。ああ、ちなみにヤシオイアンってこう書くそうです。」

 章帆は余分に出した付箋の一枚に、さらと、八汐やしお郁杏という姓名を書き、章帆のもとに寄ったぼくと央歌に向けた。その八汐との一件があってから翌日、時刻は零時を回っていたので、厳密には翌々日、央歌と章帆のバイトの時間がうまく噛み合わなかったため、ぼくたちは深夜に練習スタジオに入っていた。よって、今日は残念ながら――最上サンは夜十時に退勤しているために、ぼくはツインペダルを踏まざるを得ないのだが。今日からライヴの日まで、毎日スタジオに入ると決めていた。「あの辺でることの多い知人という名の元カレに情報を求めた次第なんですが、ああ、何もないですからね、私としては、絢人クンか央歌ちゃん、どちらか一筋の見込みなので。」それを一筋と言えるかは怪しいとして、情報というのは些少さしょう、気にはなった。

 これから話されるだろうことに興味を失ったらしい央歌は、何の断りも入れず、夜風にでもあたろうと思ったかどうか、スタジオの一室から真っ直ぐ出て行ったのだが、呑み込みの早い我らが章帆リーダーは、咎めることなく、むしろ留め置くにあたらずと、そのままに話を広げた。「四年ほど前、つまり当時の郁杏ちゃんは十二歳って話なんですが、実力は当時から本物であったそうで、その頃は何やら、単に神童って扱いだったらしいですけど、当然、同年代に仲間メンバーを見つけられるはずもなく、オトナに混じってバンド活動をするようになり、まあ、悪い方の伝説の幕開け、と。」一部、身に覚えがないとは言い切れない話で、いったん我が家の外に出てしまえば、ぼくはピアノ奏者として神童であったし、競う相手は必ず年上だった。そして必ず、年上の望むものを奪い取って帰った。だからとて、ぼくの胸奥にあるものはではなかった。おそらくは、八汐郁杏にとっても、そうだった。ビートルズの曲を、ひとりでることはできないから。

 章帆のため息はいつもの呆れの色合いではなく、ていに言えば、哀れと。「聞いたところによれば、彼女の加わったバンドの多くは、その後長く保たずに解散、最短三日だとか、あくまで噂の内容ですよ、これは。ないし彼女の脱退、脱退で済ませたバンドも、結局はその後長続きしない、と。破砕機クラッシャーで済むならまだしも、八汐の呪いだなんて言い回しまであったそうで。なんとも、まぁ。ギターですからね、それでもなお、欲しがられる、と。今は一切、彼女が拒んでいるんだそうで。」ぼくに同情がそそられるではない、ただ、それだけ執拗に惨事が繰り返されてきてしまったことは、純然な憧れの発露ゆえなのだろうと。きっと。ぬぐうには強すぎた、少女の胸奥に、あったかもしれない、が、ポール・マッカートニーの隣でギターを弾き、ポールの書いた――彼女の大好きな曲を、今まさに、この一瞬の連続で、舞台ステージの上で、本当のカタチにしていくことを、自分の目でしかと見る、そのきらめく景色が。


 行く宛ては、全く知れなかった。

 央歌が話の途中で出ていったまま戻る気配がなく、またロビーにいるでもなかったので、ぼくが央歌を探しに行くことを求められたのである。行く宛ては知れないには知れないのだが、見つからないという気もしなかった。央歌とはそろそろ浅くない付き合いなのであり、その月日以上に、どちらとも望んでそうしたのではないにせよ、互いに多くを触れ合わせてきた。それでいて、相手の個人そのものには、さしてこだわりがあるではないと、そのこともまた、無言のうちの相対尽あいたいづくとでもいおうか。惰性も馴れ合いも、都合の良さも、閾値いきちを超えれば、今となっては、深みは血縁より奥なのかもしれず、一方で、生き別れるのがいつになるか、あるいは今夜のうち、夜明けさえ待たないやもしれない。

 少なくとも、今夜、これから会えるだろうことは、確信として、そう扱って不足のないものとして、ぼくのうちにあった。

 出て行ったのは、話に興味がなかったのみではなくて、

 八汐郁杏というギタリストの存在が確たるものと意識されれば、

 おまえはめるよ。

 そうだろ。

 認めるわけがないものな。

 音の全てを従えるまで。舞台ステージの、ライヴの、愚かな喧騒の頂点に君臨しない自分など、末森すえもり央歌が自らに許すはずがない。

 だからぼくは、おまえがいい。

 八汐というような前例などあるはずがなく、よって央歌の行き場も前例がない。ぼくとしては珍しく、音よりも光を意識した。ビルを出てすぐの通り、散発的に行き過ぐ車のヘッドライト、深夜の宿り木のようなコンビニの煌々こうこう、光量に劣る街並みの靉靆あいたい、月がだいぶ満ちていて、必ずしも無視はできそうにない。そういうところはきっと、ぼくと似るはずだ。望むものを探すというよりは、欲していないものから遠のこうとする。空気と重力くらいがあれば、おおよそかまわないだろう?

 それでも、そこに自分は在る。それで足りる。探しものはそこにしかない。別に、誰かを信じてないだなんて、そんなことじゃないな。ぼくはおまえの歌唱うた傲慢プライドも信じているし、預けている。そしておまえは、それら全てを、ぼくの楽曲オンガクというものに委ねている。忠言だってたまには聞くさ。だからって、今ここに必要なのはそんな発展的なものじゃないから、何にしたって大概なぼくたちだ、生きることの答えだ何だだって、誰かに解かせてもいい、それでも、もっと原初はじまりの――

 熱。

 自分をきつける熱だけは、絶対に、他の何にも譲れない。

 何がどうなろうと。

 全て、自分だけのせいにする。

 自らの央々まなかを巡り集うものにこそ、必ず、熱の淵源みなもとを見つける。

 そうでなくば、ぼくらの思うところの激情ロックなんぞ、やってられるものかよ。

 半分は感覚で、もう半分は順序立てて行き着けば、ずいぶんと背の低い高架下で、上に架かるより幾分かは道が沈んでいるというていであれば、手前の雑木林は目線より高くにう。頭上の単線は、時刻からして、もはや列車のうるさく通るつもりもない。ちょうどその暗がりに、央歌は不動のまま、まがるところなく立つ、ぼくなら壁面に背を預けるところだ、まったく央歌らしい。些末さまつにはためらわれたが、そろそろ門限だ。

「ぼくは待つが、生憎あいにく、ライヴの日取りは待たない。スタジオを借りていられる時間も。」

 声をかけても央歌の不動は変わらないが、その声帯ノドは、口唇こうしんは、発せられる音速こえは動いた。

「とっくに。夜風が肌に気分かった。」

 多くを述べない央歌は、ぼくがわかっていると承知で、相手が八汐ならば少しは手こずるものかと思ったが、央歌の不遜はそれでたわむものでもないらしく、すっかりと、ならばもういくらか、見つけやすい場所に立っていてもらいたいものだが、ぼくがここに着けると確信を抱いていたというのは、ぼくにとっても、央歌にとっても、同じことだったのだろう。確かに風は具合が良く、涼やかにほらを抜けていくと、央歌の長くぐな髪、黒すぎるほどに黒い髪をかすかに散らしているのか、おそらくは、そこまで夜目が利くではない。

 何にせよ、撃攘げきじょうたまの込められて、もう夜気やきもとめることもない。


 残響のまだごくわずか残るうち、「水。」そう言って、央歌はスタジオの厚く重いドアを開け、ロビーに出た。本当に水なのであり、納得の様子だった。ドアのしっかと閉まるなり、たまらず口を開いたのが章帆だった。「いったい何なんです。戻るなり、あの歌は。鬼気迫るどころか殺気立ってる、あえて変な言い方をすれば、何度も殺されながら歌ってるといいますか。いやこっちが押し潰されるってんですよ。毎秒毎秒一拍一拍、ぜんっぜん気が抜けないので、軽い拷問ですかこれは。まさか今まで手抜きしてたなんてはずもなく。」拷問なんて物騒な言葉をつい出してしまいたくなる気持ちもわかる。もっともぼくとしては、いかにもこれが生来の央歌というふうで、笑みをこらえるほどだが。ぼくと初めて会った時も、央歌の内奥に巣くう生へのつまらなさが、一転、凶猛きょうもうに化けた。「浅くない付き合いのぼくとしては、あえて穏当な言い方を選ぼう。八汐のギターにされた。」それはそれで哀れと、章帆のため息はあった。「最大限に配慮した解釈をしますと、あれぐらいのが倒しがいあるわぁってことなんですね。わかりました。」なんとも、章帆もずいぶんと物わかりが良くなってしまったものだ。

 とどのつまり、であることが、央歌にとって歌うことだというのだ。「つくづく業の深い。こんな練習してたら、ライヴ前に壊れかねないですよ。〈〉って、死にながらでしか進めないバンドというか、どうしてこれで沈まないのかわからない難破船。」知っていない名らしきものが出た。「?」ぼくからは鸚鵡おうむ返しになった。「ああ、私の中では決まってたんですが、先方にもとうに連絡入れましたが、あなたたち、あまりにも興味なさそうだったので、うっかり忘れてましたねぇ。伝えるの。」なるほど、物わかりが良すぎるというのも考えものだ。

「〈略奪者たち〉。それが私たちのバンド名です。」

 これ以上に章帆の物わかりを進めてもいいことはなさそうで、ぼくはおとなしく、「それはどういう由来で?」と訊ねた。「昨日の絢人あやとクン、まさに略奪を体現してるようなとこ、ありましたけどね。」さすがに、それが真であるとは考えなかった。「なんだったか、音楽だけではだめで、それを示す命名があってこそなんだろう?」章帆はにまりとした。出来の悪い生徒の成長をみるというふうで。「ええ。もちろん。」どこか、贈り物の箱を開けるというような、躍る昂揚が章帆の声音にはあった。あるいは、とっておきの悪巧みをこれから成すのだと、そのような。

 章帆の視線が上向くのだが、そこに天井はあっても、照明はあっても、章帆はそれを目に入れてはいないだろう。

「私たちのサウンド、っていうか、特に絢人クンのドラムですね、ぼくを喰い物にしてくれよと、痛切に訴えかけてくるわけで、それで、今はまだいない、私たちのバンドを聞きに来てくれる聴衆オーディエンスのことを考えてみて――いつかの未来の話です。その人たちは、私たちの出す音をに来るなんて、お行儀の良いことはしないんです。私たちのサウンドを奪いに来る、貪りに来る、というより、それしかできない音を私たちは出している。聞けたもんじゃないですよ、まったくもって。聞いていたって救われない、んじゃなく、ための音。ための音。いつかどこか、もしかしたら、私たちはそんなサウンドを鳴らしている。」

 ぼくはと言えば、将来の理想像としてのそれを、このように分け与えられて、本来、明日をも知れぬ主義の、まるでがらにもないことながら、何ひとつ、不満を覚えるところはないのだ。

「オンガクなんて非生産的なものを、あろうことか、ですよ、今日を生きようというただそれだけのために、奪う。それだけでは飽き足らない。奪うということに、本当の満足なんて、あると思いますか。。そして、最初からそんなことは百も承知なんです。本当は。私たちだって。舞台ステージかフロアか、どちらに立つかの違いはあっても、結局、やってることは大差ない。奪い、奪われ、そして、今を感じるだけ。ライヴなんですし、ね。だから、私たちだけじゃない、そこにいる聴衆オーディエンスも含めて、その総称として、全体を指して、〈略奪者〉と名付けたい。そう思ったんです。」

 見事なまでに、無惨な船じゃないか。

 略奪者たち。

 章帆の求めた名を、ぼくは心中で反芻はんすうする。その定義によれば、ぼくたちも略奪者であり、そして、聴衆オーディエンスもまた略奪者となる。それはすなわち、演者プレイヤー聴衆オーディエンスも、等しく咎人とがにんであることを意味する。平等に罪科つみとがを共有し、それすらも、奪い合いのかてにしかならない。ぼくたちが毒劇物の音楽を生みだし喰らわせることは、すなわち奪うこと。自らの絶命をもって贖いながらも、飽き足ることを知らず、ぼくらの悖乱イノチのぞむのも、また奪うこと。誰ひとり救われない、誰ひとり、救うつもりなんてない、揺らがぬものがあるとしたら、そのことだけだ。

 涙が欲しいな。

 ぼくたちと罪を分かち合う聴衆オーディエンスには、まだ届かないから。

 他の何が壊れようとも弾く、そして実際に壊しながら弾く、惨禍さんかほどにひずむ、鳴り響く中で、満ちてなおあふれる涙は、どれほどの高さから降るというのか、それでも鳴り止まない鬼哭きこくの、欠くところのない玲瓏れいろうと成り果てた神性のギターが、その涙が、〈略奪者たち〉の中にあればいい。

 ちゃんと見やれば、章帆はぼくに向け、唇をとがらせていた。「何かよろしい反応のひとつふたつ、ないものですかね。」そこまでは、がらにないものごとの在庫というものもなく、「このぼくが、未来予想図なんてものにいちゃもんを付けなかったんだ。及第点にしてくれないか。」章帆は微笑んだが、どこか力なく映った。今ここで、ぼくに落第をくれてやろうというはらでそうなったのではなく――

「すでに十分なくらい、そして何度だって、嫌気は差しますねぇ。もしかしたら、私、このバンドが大嫌いになるかもしれません。世界で一番憎いものになるかもしれません。」

 ずいぶんなことを言っているはずが、章帆は、およそ他人事ひとごとと捉えて怯まないと、そのように、省みるところがなかった。答えは明確に在ったからだ。

「――けれど、呼ぶから。〈略奪者たち〉が、どんなに苦しくったっておまえの弾く場所はここだよって、そう呼ぶから。もう、手遅れですね。弾きますよ。このバンドは私が生かし続けますよ。よっぽどがらじゃないんですけどねぇ。ええ、決して、沈ませはしません。」

 ああ、ぼくたちのオンガクは、甘美とも言えやしない、無為にだくする不幸ばかりを、愚かにも望んでしまうな。ぼくは笑った。柄にないことも、たまには足される。「章帆も大概、不幸な部類の人種だな。」ほら、幸福シアワセを望む義務なんて、要らないというんだ、それを体現するしか、やりようがないというんだ。

 章帆が唐突ににこやかになったというのは、ぼくの笑みに応じたからではなかった。「沈ませませんけどもぉ、すでに、ひとつピンチは目前ですけどね。」自らそう言ってなお、章帆の嬉しそうな顔つきはにぶるところがない。「悪趣味ですからね、私、バンドが憎かろうが、個人は別で、好きなわけで。賭けますか。どちらか、ではなくて、、恋として本気マジになるか。絢人クンと央歌ちゃんって、一緒に暮らしてるんですよね。どちらに惚れたんだとしても、ですよ、その同居、許せるかどうか自信ないんですよねぇ。今のうちに言い訳を考えておいてください。」




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