Track 008 I'M YOUR SWEETEST TRAGEDY
ぼくはこれから、教室へのドアをノックする。引き返せるわけがないのだから。その前に言うべき事はあり、ギターの鳴りにかき消されなくなったため、潜める声を求められた。「ふたりとも、離れているか、帰るか、同席してくれなくてかまわない。不審者として突き出されてもつまらないだろう。」聞いて、もう
「今さら。バンド単位でここまで来てしまって、すっかり聞いてしまって、知らぬ存ぜぬであれと。球場のビジターとホームで別行動するのと、何やら同じに考えてませんか。いいですよ、
やはりHとTの野球帽は思い入れゆえのものらしく、ぼくも
央歌はひとつ、「
「ここにきて一番びびってんのは誰だってハナシ。」
誰に聞かれてもかまうところはないと、威風ある声音をぼくに向けて、央歌は教室への戸をノックする、強く、二回、はっきりと。わずかの間の後、「はい。どなたでしょうか。」との返事が室内よりあった。女の声だ。ここからはあたしじゃない、行きたいのはおまえだろ、と、央歌は
央歌の隣を過ぎ、小細工なしに戸を開けるが、とはいえ、ここは今、弾くための空間として閉鎖されていたのであって、楽器の練習の時間を邪魔するというのは――相手が彼女だからということではなく、ぼくにとって不審のどうだというより、よっぽど、
彼女のショートボブの髪は
「軽音部の見学に来た新入生、には見えませんし、たぶん、OBでもないですよね。誰ですか。でも、ヘンなの。どこの誰かが問題なのに、そんな真剣なカオして、練習の邪魔かどうかって。うん、ヘンです。」
どうも、すぐに教師なり何なりを呼ばれるふうではないようだった。すぐ後ろ、ちらと見ればすっかり帽子を脱いだ章帆が、「変、で済めばどんなによかったか。」と
「いいかな。かまいませんよ。すぐに次は弾かないんです。ギターの弦を張り替えるつもりだったから。お店のひとに勧めてもらったものを試したくて。でも安くないから、気に入りたくないなあ。弦の交換の片手間で話を聞けばいいんですよね。きっと。」
少女は教室の端に寄せたうちから、机と椅子をひと揃い中央のほうに動かし、そこに自らの
余計な話をする猶予は感じないが、名乗りくらいはせめてしてくべきと、「ぼくは
省略を認められ、さらには
「足りないな。そう、きみにぼくたちのバンドに加わってほしいってことだよ。ここでひとりで弾いて、気分はどうだ。ここにいる限り、きみのギターは足りない。ちっとも半端で、半分にしか満たない。今はぼくにとって他人事でも、これを
彼女は、ヤシオイアンは、ギターにすでに張られている弦を
「今まで散々、好き勝手、と言えば聞こえは悪いけど、私の弾くギターは、そりゃあもう色々なことを言われてきましたよ。でも、初めてじゃないかな。足りないって言われたのは。無責任に褒められるのはもうたくさんって思ってましたけど、あーあ、けっこう
重ねられてきた彼女への賛辞を嘘とするつもりはない。褒める
もはや、彼女のギターの弦が交換されようという気配はなかった。静止した指先は、ひどく中途半端な形のまま、強張るのみで。「バンドに入ってほしい、と。」丁寧に確認するように、さもなくば
「大嫌いです。バンドなんて、ね。」
清い声音であればあるほどに、
「あー、もしかしたら幼稚な保身かなあ。あは、実に面倒くさい。私はいいなって思いますよ。バンド。ポールの書く曲は、やっぱり、ビートルズで鳴ってこそだって、そう思いますしね。嫌いなのは、憎いのは、私がいるバンドです。」
そうだろう。
光が降り注ぎ、絶え間ない祝福としてそれがあっても、それを求めて、浴びて、無傷でいられると思う方がどうかしている。
成層の彼方、そこから発されるというのなら、なおさらに。
称えられ、求められ、その輝きを増すほどに、彼女の量刑は際限をなくしていく。
浴びせかける。
それもまた、ヒトゴロシには違いない。
「私は私のギターを弾く以外、何をどうしようもないんだから、困っちゃいますね。バンド、組んだことだってあります。何回も。一回、二回で懲りればよかったのに。迎えてくれた人、共にやりたいと思った人、大切な人を、気づけば私は、私のギターで壊している。傷つけて、苦悩させ、ともすれば、それはオンガクからの追放になって。最初は違っても、最後には罵られる、それももっともだなとは思いますけどね。私だって、ポールの隣で作曲したくなんてない。それがわかるまで、ずいぶんな時間を食ってしまって、とっくのとう、もう、憎くてしょうがない。」
人々がもてはやす才能というもののいずれもが、密やかに撒く毒劇物は、誰が望まずとも絶えない。成層に辿り着くことで
だとして、ぼくは慰めてやりに来たのではない。
欲しかっただけ。
願っただけだ。
鳴ってくれと。
「勘弁だな。絵空事をくれてやろうというんじゃない。きみがきみを憎まずにいられるバンドだなんて、ぼくは言っていない。憎め。泣き喚けよ。そうでなくば、きみのギターが本当の価値で鳴ることがないというなら、そうしろ。ぼくは足りないと言ったはずだ。ぼくは何も知らない。知ったことか。それでも、わかりきってるじゃないか。きみがきみのギターを弾く限り、何も壊さないなんてことが、本当にあるのか。」
表情を失い、彼女は黙した。気づいた、と。ぼくは黙らなかった。
たとえどんなに生かそうとしても。
芽吹き、生きゆくのだとしても。それを
「きみは壊す。自分を憎み、泣き喚く。人を救うだけで済むわけがないだろう! 自分のギターをわかっていないのはきみだ。それを弾かないのもきみだ。ぼくはただ、弾けと言っているだけだ。そしてその場所を、ぼくたちにしてくれ、と。」
願いをありのままに伝えれば、察せられたものはあるというのだ。
彼女の顔に、生彩は戻らない。
なんとなれば、喪失に他ならないから。
ぼくは今、彼女のうちに生きていたサンタクロースを殺した。
埋め合わせになるとはちらとさえ思わずとも、渡したいとは思った。それはある種、言い募った分だけの誠意なのであるし、それが愚かしさを固めただけの舟なのだとしても、
距離は次第に詰まり、ぼくはついに、MDとチケットを彼女に差し出した。ためらいと
「いいんですか。」
彼女は言う。もはや嘆きに似る。彼女は断頭台に差し出して委ねる側にはなれない、執行する側の、そこにしか立ちようがなく、それを安寧と思えずとも、誰に責められることでもない。
「あなたたちのことはわかりませんよ、
彼女は聡明だった。そうとしか言いようがなかった。喪う中でさえ。
「泣き喚くのは、私だけ?」
返答する必要も、余地も、何らないと思った。知れたこと。それに、ぼくは言葉を知らず、何かしら累犯になろうとも思わず、であればもう、鳴らすものでしか。ぼくの信ずるオンガクでしか。もはや去ればいい、それだけ。それでも去り際、ぼくはどうにか言い足した。年長者ぶるつもりもなく、糸原のような世話もできやしないとして、
「きみの欲しがるシアワセは、そのカタチは、きみの自由だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます