Track 004 TIME TO TEAR FAIR SCORE



 狭い部屋での反響が嫌であったので、ましてこの面子メンツで音を濁す旨みもなく、貸しスタジオの一室は、三人しかいないというのに広い部屋を取った。ただし鏡の張られた部屋を避けた。鳴らす時に、余計なものを見たいとは思わない。現実的に言えば明らかに余るサイズなのであって、それはぼくの神経質ゆえに必要としたとも言えて、理解は得られるとしても、代金はいくらかぼくが多めに払うとした。池袋まで招いたというのは、地の利というより知った店の機材を使いたいというのが大きく、ドラムセットなどピアノの次くらいに容易には運べない楽器なのであるから、備え付けのものに応じるほかない。ここはスタッフのひとりにぼくと央歌おうかの高校の先輩がいて、何かと融通が利くのもある。思いのほか、その融通が通り過ぎてしまい、むしろ今は拍子抜けしていた。

最上もがみサン、仕事熱心にもほどがあるな。後輩に仕事を増やされて、喜んでツーバスに換装? ツインペダルをレンタルするのとは話が違うだろうに。」

 大変ありがたいのではあるが、央歌のひとつ上の先輩なのであって、ぼくとは直接の接点が多くなかった人である。ぼくが気に入られているというのでなく、誰に対しても気が良い人柄と評するのが正しい。事前に話を通しておいて、バスドラムをふたつ置いてもらったわけだが、普通、練習スタジオに望めるものではない。その御方おんかた天分ひととなりについては、央歌なら詳述できる。やはりというか、一家言いっかげんあるようだった。

玲司れいじクン、ヘヴィメタル大好きっ子ジャンキーだからさ、そりゃ張りきるに決まってんの。バスドラムは三つあっても四つあっても困らないと思ってるよ。そのうち、骨で地面を叩く原始の律動リズムに回帰するんじゃないの。」

 気だての良さのみならず、個人の思想が多分に混ざったということだが、平素より、バスドラムがひとつしか置けないことが口惜しいのだろう。そのようにメタルに棲むのなら。

 ベースの弦をはじく音が聞こえた。四つあるうちの二弦。愛機、章帆あきほいわくアンジー、そんな名を与えられた、有名なベーシストモデルのそれをチューニングしながら、章帆はちらちら、アンプの上に広げた楽譜に目を向けていた。時間のろくに取れない中で三日前に会って何をしたかといえば、その譜面を渡したのだ。

「いやはや、こんなにきっちり書き込まれた譜面スコア、初めて見ますよ。とりあえずコード進行とメロだけあるデモテープ渡されるとか、そういうの多いから。こういうの、プロの流儀ってやつですかぁ?」

 演奏記号、それも通常あまりお目にかかれないものまで往々にして書き入れているのだから、それはかつてぼくが受けた薫育くんいく賜物たまものというしかないのだが、いくつか、章帆は意味を調べることになっただろう。わからないで済ませる奏者プレイヤーではないはずだ。「単にぼくの好みの問題。何もかも全部、ぼくの裁量で書いてしまいたいだけだから。もっとも、何も脚色アレンジしてくれるなって意味じゃない。曲の意図が伝わるかどうかの問題。」覚えてくれるものなら、参加の見込みがあるなら、こちらの流儀に則って、スタジオでひとつ合わせをしようと、それが今日の趣旨だ。

 各自が準備をしている中、ぼくはといえば、ドラムセットの中央に座して、大概に手持ち無沙汰なのだ。よくもまあという限りなのだが、バスドラムをふたつ置くついで、ぼくに合わせた配置セッティングに整えてしまったようで、最上さんをスタジオに入れればこうなるのだと、それは昔からだ。軽音部の雑務担当マネージャーと思われたことも、一度ならずあった。

 次いで支度したくを調えたのは央歌だった。エフェクターをひとつ経由して、アンプにプラグが差され、ひとつふたつと鳴らし、ボリュームのつまみを調節すると、ぼくならば聞き取れるという声量で、「自信ないなァ。」と呟いた。

 瞬間、訪れる即興のギターソロ、かつてあるどの曲でもなく、央歌の天稟てんりんの一脈としてそこにあるもの。遊ぶような軽やかさの中に、確かな鳴りがあって、空白の静寂しじまでしかなかった一室を、音の共鳴を待つ震えを帯びたものとした。次第次第、その音律は、虹霓にじが重なり合いきらめくような、刹那の呼吸も待たない音符のとどまらぬ速弾はやびきとなって、まったく、ずいぶんと最上さんの胸に届きそうなソロだ。

 章帆はいっそ唖然としたふうで、自分の力量を棚に上げ、「え、うま。」と漏らしていた。「これ、央歌ちゃんがギタボの三人編成スリーピースでも余裕でいけますよね。」普通、そう考えてしかりだろう。残念ながら、今ここで、普通のことは何も起こらない。央歌はそのことをよく承知しているし、もとより無難な結果を求めるような性根ではない。「実際、高校三年間は、ギターとヴォーカル兼任だったけど。そりゃ、できるよ。やるかやらないかは別。それより、もう敬語要らないんじゃない?」央歌には褒められた実感はなく、話は逸れた。「これくせみたいなものなので、遠慮じゃないんですよ。どうぞ気にせず。」何か情動を溜めるかのように、章帆はアンプにつないだベースの弦をゆるくはじいていた。そして、持っていたピックをアンプの上に転がした。それを使っていたはずだ、そういう音色がしていた、ライヴでは。

 無言のうちに説明を求められたというところ。「央歌のギターじゃ、ぼくのドラムで死ぬから。それだけだよ。そもそも央歌は根底がギタリストじゃないんだよ。鳴ればそれで満足するギターなんて要らないよ。央歌の本質は歌うことにしかなくて、歌で自己を削ることにしか本当は興味がないから、央歌にギターを弾かれたって、ぼくは邪魔としか思わないな。」章帆は早くもげんなりした様子で、「絢人クンって病んでますね。理想主義って身を滅ぼしますよ。」臆面もなく言った。きっと好きだと章帆の直感は告げたそうなのだから、ぼくにも央歌にも、これしきで愛想は尽かすまい。

「現実的に言えば、ぼくの欲しいギタリストはいないわけだから、三人編成スリーピースでやるけど、央歌のギターは鳴っていればそれでいいものとして、踏みにじるまでもないと、捨て置いてくれというのが章帆への注文。央歌のギターは尊重するなと、そういうことだけど。」

 章帆はといえば、それで、さっそく自分に被害が及んだと、苦い顔を隠さなかった。「ベース屋さんに、無茶な注文してくれますねぇ。知ってますか。ベースってのはですね、バンドサウンドを支えるのが仕事なんですよ。」とはいえ、すげなくねつけるというつもりでもないようだった。横から口を挟んだのは央歌だ。「あのね。邪魔とか捨て置けとか、こっちは無理やり奮い起こしたやる気でギター持ってきてんだから、聞こえないとこでやって。」はなはだ心外というものだった。「違うだろ。央歌が真性のヴォーカリストで、その点では、音楽に対して誰より業の深い女で、歌えばこそ、ぼくを潰しにくる物騒なやつと褒めてるんだろ。」央歌は取り合わなかった。「サンタがいない現場スタジオって不幸。」そう言って、もくしてそっぽを向くのではあるが、ギターを手放す素振りがあるでなく、むしろ、スタンドマイクのもとまで歩むというのだ。

 もう着火を待つばかりだ。

 三者三様、鳴ることのなしに、ここで何を得られるというのか。

 ぼくはカウントを取る。

 BPMテンポ128。

 SO LONG, MAGGIEさようなら、マーガレット――

 それはもともと、ぼくと央歌が同じ高校に通い、軽音部に同じく籍を置いていた頃、当時のぼくが実験的試みで書いた曲で、当時三人編成スリーピースでバンドを率いていた央歌に、戯れに、それらしく編曲アレンジしたうえで提供してやった曲で、去年のぼくが、バイトを首になった鬱憤晴らしのために――奏者の技量の一切を考慮せず、三人編成スリーピースという前提は変えぬままに、編曲アレンジし直したものだった。まさかこんな形で役立つのだとは思わず。

 揺籃ゆりかご

 ベースは八分で静かに打つだけ――

 変則的な曲の構成――

 ああ、都合がいいじゃないか。

 ドラムが胎動を告げる、四小節、たったそこに、ぼくというものがあるのなら――

 気づけ。何が始まろうというのか。ドラムソロからくというのだから。

 ――ぼくは気づいている。

 ベースの音色は、兵戈へいかにすっかり

 ――たったひとつを聞いただけでもわかるよ。なあ、本当は、指で弾くほうが好きなんだろう。今ここでほうったピックは、むしろきみでなく、同じ舞台ステージに立つメンバーのための盾だったんだろう?

 さあ、くなら――

 誅戮ちゅうりくから。

 撃てるだろう。今。ぼくは。調和など捨ててしまえよ。キックひとつ、ストロークひとつで罪を被れよ。ただの乱打なら要らない。ただの重力なら要らない。重く打ったドラムを、そのひとつずつが命終みょうじゅうのものであればこそ、二度くたばれ、底から跳ねさせて、重いだけでは終わらせず、軽やかに陸離りくりとして放たれることを免れず、ぼくは優しくない、なればこそ、そこに救いを見ろ。一条ひとすじの蜘蛛の糸のように逃げ場のない救いを。

 ねがう。

 もはやどことも、だれともしれない。

 知れよ。正しくなくとも求めると知れよ。ぼくを殺すとも、ぼくに殺されるとも、それを求めると罪代つぐないのないほどの乖乱かいらん泥濘ぬかりの底まで落ちて、そしてそれだけだ。知れてるだろう、作法は。のぞめよ、略奪者たち、ぼくの羽撃はうつ音が聞こえるというのなら、食い散らかすしかないはずだろう。自明、喰らえば死ぬさ、こんなものは。そのはらでいるんだろう、だから死んでくれ、毎分128回の拍数で死んでくれよ。罪にいざない、いざなわれ、ぼくはおまえたちを殲ぼすころしつくすというのに、かばねのままにくことをよしとできるのか、死ぬ一秒前にあればこそ欲しいものがあるはずだろう、。それをこそよしとして、等しく罪人になってくれよ。叩いてやるから、喰らわなきゃいられない音をあやして、あめかせ、ぼくであることのぐさで、打ち鳴らしてやるから。

 ぼくはぼくの意識なり全霊なりというものを、全て自らの演奏プレイに注ぎ込んでいたはずが、その端のさらに一端で、章帆が大きくため息を吐く仕草をしたのを確かに目に入れた。

 

 ぼくにはそのように映った。喰らうか、それだけでは飽き足りないか、そうだろう、このバンドに和などあるものかよ、ぼくののぞむ誅戮をそのまま呑んで、支えようとなど、もはやできるわけがないだろう、そして発露となるのは自己エゴか、内奥こころ奥底おうていからさらけ出す願いを、そうと呼ぶのならそうなんだろう。これから章帆の抱く自由を思えば思うほどに、ぼくの握るスティックは生身イキモノとなり、ドラムセットと渾然こんぜんとなって、ヒトゴロシのサウンドをうたうものとなる。

 ドラムソロが終わり、手数が増え、ドラムが濁乱だくらんを示していくと同時、そこに央歌のギターが乗る、そして、動きに富む章帆のベースが侵襲しんしゅうする。

 違う。

 隔絶かくぜつに在るじゃないか、先日のベースとは。

 章帆は認めた。

 叶わぬはずのねがいに、今、触れていると。

 その大地は人を育むことあたわず、こころの弾むほどに、人を崩落に呑み、灼熱に溺れさせ、なお深層に馳せる、奈落にむくめく低音の爆撃機で――章帆は違いなく諦めた。大切な玩具を大事に守ることを諦めた。

 ぼくがねがう略奪と殺戮の現場に立ち、応戦を選んでいた。

 わかるか、簡単に一歩を歩ませてもらえると思ったか。ただ壊れないだけでいてくれると思ったか。生憎あいにくだ。きみの新しい玩具は、そんなにかわいらしいものじゃないらしい。そして、ぼくがきみを殺そうと真に願うほどに、きみはぼくを、そんな生意気で愛らしい玩具を、壊してやりたくてたまらなくなる。

 今やサウンドの重心は、音と音を撃ち合い、傷を穿うがちながら、互いを凌駕しようとする、より高みから圧砕しようとする、純然たる戦場と成り果てたというのだ。無瑕むきずではいられぬほどに、腥風血の匂いが吹き満ちるほどに、今、この瞬間のことしかわからなくなる。

 章帆の低音は、ぼくが譜面の上で望んだものなど唾棄だきするかのごとく、譜面通りには違いなくとも、そこにはまったく別種ののぞみと、そして、埒外らちがいの殺伐と激情、唯一のものとしてひたすらに向かう琳瑯たましい瞬刻しゅんこくのうちにも瓦解に達しそうなサウンドの重心のうちで、激しく巡り、優雅ですらある返り血に微笑み、目指すのはぼく、サンタクロースを否定し、手招いてくれた、優しくない玩具。ピックを捨て、おのれの指のみを頼りとして、四本の弦を弾いて、血汐ちしおさえありのままと、ぼくを真っ向から壊しにくる、それをと表すほか、ぼくは知らない。

 今や、手招かれているのはぼくというのだ。

 ねえ、これがいいんでしょう。

 これがお望みだというのでしょう。違いありませんか。あるはずがないですよね。お怪我はありませんか。ないはずがないですよね。そのように弾いています、そしてあなたも。そんなに食い散らかされたいのなら、付き合ってあげますよ、もっと叩いてください、もっと叩いてくださいよ。あなたのもっと大切なものを懸けて、叩いて。私は大切な大切な大切なものを、私が弾くベース、自らの手で、壊したくてたまらないんですから。叩いて、もっと。明白に、迷うことなく、愛を裏返し、私が壊してしまうものを。

 かわいそうですねぇ。

 私があなたを壊してしまえば、この甘美な牢獄バンドは終わってしまうのでしょう、そんなぎりぎりの淵でお互いに生き延びて、音楽に懸けて、それを続けていきたいんでしょう。それを、愚かとはいわないのですか。私から見るあなたは、とてもかわいそうだ。

 ねえ、付き合ってあげますから。

 章帆のベースは今、天資てんしの自由を、血染めのサウンドの中、高らかに響かせる。ぼくの殺戮さつりくは止まない、いびつな融和の中、膨れ上がった致死の地熱は、その上にこそ、イノチのある央歌の歌声を呼び込んだ。ノイズを飽和しながらも、それは、その声帯のどからの放射は、力そのものだ。無理尽むりずくではない、自然に、あるがままであればこそ、そのうたは力と同質となる。そしてその力とは、君臨する者のそれだ。

 どこまでも孤独だ。

 そのうたは、隣に立つ者を認めない。

 音の混濁の渦中にありながら、違いなく致死の水面みなもに立ちながら、央歌は自らの棲む高度に、たったひとりきりでいることができて、ぼくと章帆が撒き散らす戦場を、まるで児戯じぎ見做みなすかのごとくに、ひとり、たったひとりで、孤高に歌い上げる。内奥に宿すひたすらな傲慢プライド。弾が貫けど、血が吹くとも、決して、決して、自らの五体いずこにも、傷を創るな。そんなもの、歌うのに要らない。触れさせるな、届かせるな。遙かにあるその不遜の高度から、馴れ合いなどありようもなく、機微きびなく戦場を俯瞰ふかんして、何もかもを見下してこそ、央歌は歌う。

 ベースがさらなる狂騒に踏み入る。ギアが上がる。壊したい玩具がここに増えた、なんてやりがいがあるだろう。そんなふうに。ぼくも呼応を余儀なくされる。何もかまうなよ、もう、あるもの全てを撃ち落とせばそれで済む。落ちたなら潰せ。すべてをだ。

 だとして、戦場がいかにどうあろうとも、決して、央歌は媚びない。

 馬鹿だね。

 あたしなんかを選んでしまって。

 信じてないんだ。あたしなんて業の深いヴォーカルは、自分の声以外信じてないんだよ。馬鹿だね、きみたちが必死に築き上げるサウンドなんて、声帯ひとつで踏み台にしてしまうよ。きみたちが殺戮のショウの主役になったつもりでいるなら、どうしてあたしはここにいるの。どこまでもひとりで歌唱うたえているの。きみたちが騒々しくしていてくれればこそ、その成層うえで、なにものもない天穹そらで、ひとりきり、あたしはただひとつだけのねがいを叶える。ひとつだけだ。

 歌う。それだけ。

 擾乱じょうらんつる中、死を見る。生を見る。死んだ一秒後にのぞむものを見る。朽ちた五年後に探すものを見る。生まれ落ちた一秒後に無くすものを見る。生まれ落ちる一秒前に欲したものを見る。それすら、撃つものには違いない。落として潰すものに違いない。結局は塵芥ちりあくたにまみれるばかりだ。それでいい。五分後にも残っている奇跡なんて、必要としていない。この場の誰も。

 灰燼かいじんが舞い散る雪のようにさえ思えるなら、これでいい。

 ああ、きっとぼくたちは、幸せな夢なんて見られないな。

 サンタクロースなんて、死んでも信じられないだろう?

 来るなよ。間違っても来てくれるな。なあ、サンタクロース、おまえが求めている雪はこれじゃない。どれだけ降り積もろうとも。




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