十三

 1年後、9月場所の土俵上でセックス王は瑠希奈と「セックス以上にセックスな相撲」を取る気でいるという。そう瑠希奈から聞かされた視姦は、脳が焼き切れそうに怒った。

「宣戦布告だろ瑠希奈、これ」

 視姦自身、何に腹を立てているのか分からなかった。

「おい瑠希奈、1年。これから1年、俺の言う事を聞け。セックスの王が何だってんだよ。何がセックス以上にセックスな相撲だ。知らねえよ。あんなガキ捻り潰してやろうぜ。徹底的に鍛えるから」

 瑠希奈は笑っていた。


 入門当初に師匠から「右四つで行け」と言われて以来、瑠希奈は右四つ、左上手を自分の型として相撲を取ってきた。腰が高く胸が合うと伸びてしまったり、上手を深く取って半身になったりする癖があった。また離れて取る相撲、突き押しは不得手で、自分の形にたまたまなれば勝てるが、そうでなければあっさり負けてしまうといった不安定な相撲を取っていた。

 視姦は15歳の同い年で同時に入門した瑠希奈を初めて見た時に、きっとこいつは上に行くと確信した。何かそんな説得力を持つような体をしていたのだった。しかし実際には4年が経った19歳の今も、序二段と三段目を行き来している。

 セックスしないと出られない部屋は、稽古の量も指導の質も角界で随一の部屋だと視姦は贔屓目ではなくそう思う。たとえ本人が望んでも入門できるとは限らない。

 相撲部屋の中には、相撲に向いていないと分かっていても入門させれば部屋の収入になる(力士が増えると部屋維持費・稽古場維持費・力士養成費などの協会からの支給費用が増加する)上、部屋の労働力にもなるため、誰でも入門させるような部屋もある。しかしセックスしないと出られない部屋は、師匠の眼鏡にかなう者でなければ入れない。

 部屋の力士たちはその意識を持っている。

 怪我で思うように相撲が取れなくなって去る者もいる。瑠希奈は大きな怪我もしていない。

 ただ怠惰なのだ。必死さも真剣味も足りないのだ。よく日本人力士が外国出身力士と比較して「絶対にこの道で生きる」という覚悟が足りない傾向にあるともよく指摘される。現役でいさえすれば衣食住は保証される。仲間もいる。部屋の仕事をしていればそれなりに存在意義も感じられる。だが相撲取りは、お相撲さんは、相撲を取って、観客を魅せなければならない。

 それができるはずの人間が、それをしない姿を入門から4年、間近で見続けてきた悔しさや歯がゆさが、視姦の胸からふいに溢れた。

 生セックスが瑠希奈へ厳しく指導していたのも、視姦がそう頼んでいたからだ。荒セックスが瑠希奈からセクハラの話を聞いて親方・女将へ報告したのも、視姦が荒セックスに瑠希奈の様子を聞いてほしいと頼んだからだ。毎朝視姦が瑠希奈を起こしているのも、瑠希奈がこの部屋で力士をやめずに続けてほしいからだった。

「なんで視姦が泣いてるの?」

「1年。いいか。頼むから1年、俺の言う事を聞いてくれ。お前を最高にしてやるからさあ、頼むよ」

 視姦の目から涙が溢れた。ひたすら空虚な人間。このひたすら空虚な者を、力士にする。

「いいよぉ~」




 瑠希奈の間の抜けた「いいよぉ~」は嘘ではなかった。

「オラァ瑠希奈ッ、しっかり腰落とせ!」

「あぁんっ、どもごっちゃんですぅ~」

 生セックスは以前も厳しかったが一層瑠希奈を厳しく指導した。

 視姦は部屋の若い衆や関取衆に「瑠希奈を本気で鍛えてやってほしい」と頭を下げて回った。皆事情はわからなかったが視姦の本気を感じ取り、それに応えた。

「押せ押せ押せ押せ」

「あぁぁぁあんっ」

 ぶつかり稽古も以前より回数が増えた。限界に至る回数が徐々に伸びていった。すり足も徹底した。腰が下がっていない、膝が外に開いていないとくどいほどに指摘され、愚直に守った。

 低く当たってもはたきや突き落としで落ちることがなくなり、横から攻められても容易に崩れなくなってきた。

 三段目に定着し、さらに三段目上位で取れるようになった。


 関取では駅弁が四つ相撲で、かつ瑠希奈と同じ右四つだった。瑠希奈は相四つの相手を苦手としていたが、駅弁に稽古をつけてもらう中で十分に取れるようになっていった。

 右四つになるための突き押しの技術はセックスの里から、相手の十分にさせないためのおっつけの技術は荒セックスから指導を受けた。

 幕下に上がった。

 小麦色の瑠希奈が、汗と土にまみれ、体力の限界を超えてあえぐ姿を、視姦は見つめていた。




 1年が経ち、両国国技館での9月場所を迎えた。

 セックス王も幕下に上がっていた。師匠であるセックスしないと出られないほどではないが、スピード出世だった。まだ体は小さかったが、まともに組まず、動き回って相手に食らいつく相撲に磨きがかかっていた。

「俺がセックス猿なら、お前は子猿だな」

 部屋の関取セックス猿は敏捷さと多彩な技が持ち味の力士で、自分と同タイプのセックス王によく稽古をつけていた。セックス王もそれをよく吸収していった。


 大相撲本場所は15日間開催されるが、幕下以下は毎日相撲を取るわけではない。15日間のうち7日間、7番のみ対戦が組まれる。

 対戦の組合せはスイス式トーナメントによる。星の数(勝数)が同じ者同士を組み合わせる方式で、定員120名の幕下では6番相撲までで6連勝の力士が2名残り、7番相撲でその両者が対戦し、その勝者が7戦全勝で優勝となる。5戦全勝力士の6番相撲は11日目に、6戦全勝力士の7番相撲は13日目に固定されている。

「6連勝同士の対戦が13日目に組まれ7連勝の優勝者が決まる」仕組みであったが、番付が大きく隔たった者や、同部屋、兄弟・親戚の対戦は組めないといった制約により、7番相撲の終了時点で最多勝者が複数存在するケースも生じ得る。その場合は、くじ引きでのトーナメントにより、千秋楽の中入り前に優勝決定戦を実施し、優勝者を決める。


 同部屋である瑠希奈とセックス王が本場所の土俵上で対戦するには、優勝決定戦での対決しかない。

 対戦の仕組みと同部屋対決が組まれない話を説明すると、瑠希奈は、

「へ~そうなんだあ~」

 と感心し、視姦を唖然とさせた。入門から5年が経っている。こいつは何も知らずに取っていたのか?




 瑠希奈とセックス王はこの9月場所で共に6連勝した。幕下での全勝はこの2人のみとなった。

 その日取組のない者は部屋で、国技館では支度部屋のモニターで、部屋の力士達が二人の相撲を見守っていた。

 瑠希奈の相撲は分かりやすい。左上手を取れば強い。左上手さえ取れればほとんど負けることはなかった。左の上手を浅く取り、頭をつける。上手を取るとすうっと腰が下がって安定していく。


 場所の中でも相撲を進歩させていた。3番相撲では今まで見せたことのないがぶり寄りを見せた。稽古をつけてくれた駅弁の得意技だった。

「アヒ ンホ アヒ アヒ ンホ ンホ ンホ アヒ アヒ アヒ ンホ アヒーーーッ」

 がぶり寄りは、組んで土俵際まで相手を押し込んだところで、腹を大きく上下に揺すりながら相手の上体を徐々に起こし、寄り切る技である。大声でアヒアヒンホンホ言いながら寄り切って勝った。

 瑠希奈の喘ぎがうるさいのはいつものことだが、この時は視聴者がネット上で「モールス符号ではないか」と指摘した。短点(・/トン)がアヒ、長点(-/ツー)がンホだと解釈すると、瑠希奈のがぶり寄りの喘ぎは「LOVE」の4字を表していた。

 瑠希奈はそれを指摘され、

「ほえ~~~ん。おもしろ~い」

 と言った。ネットでは「アクメ符号」「アクメ寄り」などと呼ばれた。




 6戦全勝のため、瑠希奈とセックス王の二人の7番相撲は9月場所の13日目に組まれた。しかし同部屋のため直接対決はない。

 先に土俵に上がったのは瑠希奈だった。同日に取組のある視姦は支度部屋のモニターで取組を見た。立合いまでの所作の中で、いつになく体が固いように見えた。瑠希奈でさえ連勝に緊張しているのか? と訝った。

 果たして立合いの瞬間(低すぎる!)と視姦ほか皆が感じたその瞬間、相手力士が変化、瑠希奈をはたき落とした。一瞬の勝負。6勝1敗。

 セックス部屋の皆が瑠希奈の敗北に嘆息する暇はなかった。突然、瑠希奈が泣き出したからだった。

「あーーーーーーーーん。ああーーーーーーん」

 赤ちゃんみたいな泣き方だった。

 大勝負で悔しさをあらわにする力士はいる。涙ぐむ力士もあり得る。しかし大声で泣く者はいない。土俵上ではたき落とされた四つん這いの姿勢のまま泣いていた。対戦相手の力士も、行司も、驚愕していた。

 泣きながら立ち上り、礼をして土俵を降り、大泣きしながら下がっていった。呼び出しも、勝負審判も、観客も、実況解説も、唖然として見送った。

 勝負への執着による涙というより、ただ赤ん坊がびっくりして泣き出すような泣き方だった。


 瑠希奈が一敗に後退したことで、セックス王が勝てばそのまま幕下優勝が決まる。

 だがセックス王も負けた。

 小兵力士はがっぷり四つに組まれると苦しい。そうさせないように工夫を重ねて戦っているから、デビューからわずか1年で幕下まで上がってきている。しかしまだ抜けきれない癖や隙はあった。視姦は他の部屋の、番付的にセックス王とあたりそうで体の大きく強い四つ相撲の力士を見定めて、そんな弱点を場所前に伝えていた。

 同じ部屋の仲間を売るような行為に眉を顰めたり、訝る者もいたが、視姦は「セックス王がもっと強くなるには、しっかり弱点を本場所の取組で突かれて、悔しい思いをしないといけないからだ」と説明した。その気持ち自体は嘘ではなかったが、瑠希奈を勝たせるために弟弟子を負かそうとしている罪悪感を、そんな理屈で糊塗しようとしているだけなのか、視姦自身にも分からなかった。

 そうして仕込んでいた罠の一つに、セックス王がかかった形で負けた。

 負けたセックス王は終始不機嫌そうに下がっていった。少年の無垢な感情が、美しい顔に現れて、いっそう魅力を増していた。




 全勝だった瑠希奈とセックス王が共に破れたことで、幕下から全勝力士が消えた。

 14日目と千秋楽は残っているが、残りは全て2敗以上の力士の取組が組まれているため、13日目の終了時点で6勝1敗の力士が確定、8名が千秋楽の優勝決定戦へと進むこととなった。

 この8名には、視姦も含まれていた。

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