十二

 横綱 王呂樂は「セックスしないと出られない」に改名した。


 改名には番付編成会議に改名届を提出し承認を得る必要がある。編成会議は本場所の千秋楽から3日以内に招集され、審判部と副理事が出席する。

 荒田川部屋からの王呂樂改名の申請は、横綱の改名、しこ名らしくないしこ名、極めて長大なしこ名と全てが異例であり、審判部長は理事会に判断を仰いだ。理事会は横綱審議委員会(横審)へ諮問した。

 横審は1950年に設置された日本相撲協会の諮問機関であり、委員にはマスメディアの経営者、学者、政治家、実業家などが選ばれる。横審の設置以前は、江戸時代に「横綱」を考案した相撲の家元・吉田司家が代々横綱の免許を授けていた。1950年に吉田司家の当代が突如引退したことにより横審が急遽設置され、その後は横綱推薦の審議を担うようになった。

 横審は横綱推薦のほか「その他の横綱に関する諸種の案件」も審議の対象としており、「休場の多い場合」「横綱としての体面を汚す場合」「不成績によりその地位に堪えない場合」が取扱案件となる。「セックスしないと出られない」への改名は「横綱としての体面を汚す場合」に該当し得る可能性があった。


 横審の委員たちは困惑した。横綱の新たなしこ名に、ではなく、委員長が「このしこ名がいかに素晴らしいか」を熱弁したからだった。このしこ名には相撲三神、すなわち心を司る天照大神、気を司る住吉大神、体を司る戸隠大神が込められている、といった理論を委員長は展開したが、委員たちには理解できなかった。

 委員たちは全員、横綱 王呂樂から事前に別ルートから改名について聞かされていたから、改名そのものへの驚きはなかった。2時間ほど委員長が他の委員の発言を許さず一方的に話し続け、委員たちは疲れ果てた。

 横審は改名を承認した。


 理事会は王呂樂本人と師匠である荒田川親方の両名を呼んでヒアリングを実施した上で、番付編成会議へ下達し、「セックスしないと出られない」はしこ名として正式に承認された。




 セックスしないと出られないは、横綱という立場を超えて角界への貢献が大きかった。

 国内・海外へ広く張ったスカウト網で、自身の内弟子獲得だけでなく、一門を超えて他の部屋への斡旋もしていた。有力な子供を独り占めしなかった。全ての相撲部屋の育成方針や部屋の環境、財務状況から、部屋付き親方や若者頭、世話人、現役関取などのタイプ等々を把握し、新弟子候補の特性との相性を考慮して斡旋していた。

 身体能力の優れた子供は、相撲以外にも様々な競技の選択肢がある。セックスしないと出られないは自身が現役横綱として魅力的な相撲を見せながら、直に現地へ足を運び、相撲以外の競技指導者や保護者とも関係を築き、相撲界へ引き入れていった。


 横綱ともなれば、オーナー企業の経営者などがタニマチとなるケースも多い。セックスしないと出られないはそうした後援者を自身のためにのみ囲い込まず、懸賞金の出資者、相撲協会の維持員、トーナメントや地方場所での後援企業・協賛企業を増やすことに尽力し、協会の財政面を支えていた。

 積極的にメディアにも出演したが、全て協会の広報を通し勝手な動きは見せなかった。そうした場で共演した芸能人・著名人とも親交を深め、人脈を広げていた。

 本場所や巡業も含めた地方イベントにおいても、セックスしないと出られないは力士の代表として積極的に出向いていた。そこでも地方の有力者や行政の長と関係を築いていた。

 国会議員による超党派の議連「大相撲の発展を求める議員連盟」も、基本的に協会の理事長や広報部長がフロントとして対応するのが当然だが、議連総会にセックスしないと出られないが同席したことをきっかけとして、国政の政治家にも知遇を得ていた。


 横綱は角界の看板であり顔である。セックスしないと出られないは、その役割を超え、政財界・芸能界とのパイプ役をも担っていた。そして相撲界へ人や金をもたらしていた。既に排除が不可能な程に食い込んでいた。

 その人間が、理事長を始め各所に、

「それがしの相撲人生ただ一度きりの我儘。どうかお許しいただきたい」

 と頭を下げて回っていた。


 異常なしこ名は、世間でも驚きを持って受け入れられた。しかし新聞、テレビのワイドショー、週刊誌、著名人の動画配信等々、一様に疑義を呈さず淡々と、あるいは好意的に受け入れる扱いはさらに異常だった。横綱が様々なスポンサーのCMに出演していたり、有力者と昵懇にしていたためではないかとネットでは噂されたりもした。

 実際には「弱みを握られていた」ないし「コネがあった」というより、「この人物が頭を下げる以上、何か深い考えや意味があってのことだろう」と一旦信じられていたというのが実情に近かった。


 13文字のしこ名は史上最長である。それまでの最長は5文字で「千代の富士」がその最初の例だった。

 しこ名は一般に名字の部分だけを指すと思われがちだが、正式には下の名も含む。

 セックスしないと出られないは下の名を「なんて言わないよ絶対」としていた。フルネームでは「セックスしないと出られないなんて言わないよ絶対」である。23文字。

 番付表はフルネームで表記される。行司の手書きで毎場所作成される。横綱は最も大きなスペースを取ってあるが、それでも23文字にとってはあまりに狭い。2行に分ける案も検討されたが伝統になく断念された。相撲字と呼ばれる線間の隙間を小さく取る書体で番付表は書かれるが、ほとんど判読不能なほどに縦に圧縮されて書かれた。電光掲示板のプレートや、板番付も同様だった。


 改名が報道された直後に日本国籍の取得が公表された。

 戸籍名も「セックスしないと出られないなんて言わないよ絶対」であった。妻は「セックスしないと出られないマリア」となった。

 日本国籍の申請から取得までは1年程度を要する。つまり横綱はしこ名の改名をずっと前から見越していたことになる。あるいは国籍取得の申請が通るタイミングでしこ名を変更したとも言える。




 改名直前の場所でのセックスしないと出られないの成績は9勝6敗だった。横綱昇進後はじめて2桁勝利を逃した。この1年は優勝も6場所中2回と、連続優勝記録を打ち立てていた頃に比べると全盛期を過ぎた感があった。

 相変わらず相手を指導するような、相手の絶対有利な形に導いた上で、そこから相手の弱点や手落ちを咎めていくような取り口を続けていた。部屋の中でも出稽古でも、自身の稽古というより相手への教育の様相を呈していた。複数優勝を重ねて次の横綱を狙う大関も現れていた。既に横綱昇進から10年が経過していた。


 新たなしこ名で臨んだ場所で、横綱はまるで違う取組を見せた。

 相手の立合いを受け止めるまでは従来と変わりなかったが、一切相手の形には持っていかせず、相手が何をしようと構わず長身を活かしてほとんど肩越しに上手を取ると、一気に土俵際まで寄りそのまま吊り気味に俵の外へと寄り切る。横綱初期に見せた取り口を、さらに洗練させたような相撲だった。

 15日間そんな相撲を取り切り、セックスしないと出られないは全勝優勝を果たした。「あれが『大相撲』そのものだった」と相撲史のオールタイムベストに挙げる者も多くいた。


 千秋楽での優勝力士インタビューで、セックスしないと出られないは引退を表明した。聞き役のアナウンサーは狼狽した。

「え、横綱、今、引退……引退されると、おっしゃいましたか?」

「左様」

 館内は騒然とした。まだ31歳で大きな怪我もなく、これからの長い活躍を期待されていた。

「しかし横綱、今場所は全勝優勝ですよ。どうして、引退を口にされるのですか」

「それがしは弱くなり申した。横綱としてこれ以上の相撲は見せられませぬゆえ」

 アナウンサーはなおも納得しかねる様子だったが、あまりに横綱がきっぱりと言い切るから話題を変えた。

「横綱。横綱は以前、『最高の相撲、相撲道の極限を目指す』と仰いました。今場所はその相撲が見せられたと言って良いでしょうか」

「いや。相撲は二人が取らねばならぬ。力士にあらずとも、それがしは、最高の相撲、相撲道の極限を目指すことに変わりはない」


 一代年寄セックスしないと出られないが承認され、横綱はセックスしないと出られない親方となった。

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2024年9月20日 18:00
2024年9月21日 18:00

元祖セッ部屋 オジョンボンX/八潮久道 @OjohmbonX

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