十一

 2年が経ち、国本は幕下に上がっていた。しこ名は「視姦」に改められた。相手を舐め回すように見つめ、性的興奮を覚えることから視姦と名付けられた。

「おかしいだろ」

「なにが~?」

 国本改め視姦が瑠希奈に訴えるが、瑠希奈は気にも留めない。瑠希奈は序二段と三段目を行き来していた。まだ本名のまま取っていた。

「視姦はないだろ」

「それは国本が、相手を舐め回すように見つめ、性的興奮を覚える人間だから……」

「おかしいだろ、そんなしこ名。俺は名字が国本なんだから、ここまでの流れだとたぶん『セックスの国』だろ」

「あ~ん。それな~」

「いやいやセックスの国ってなんだ。行政がフリーセックスを推奨している国家かよ」

「ふえ~ん。何言ってんの視姦」

 多くの部屋では力士同士の普段の会話では本名やあだ名で呼ぶことが多い。セックスしないと出られない部屋では基本的にしこ名でお互い呼ぶように指導されていた。

「そもそもセックス系しこ名がおかしいんだよ」

「あやーん。師匠の現役時代のしこ名から貰って名前を付けるんだって、視姦が教えてくれたんじゃん」

「みんな麻痺してるんだ」

 例えばロックバンド「ポルノグラフィティ」や、アイドルグループ「Sexy Zone」は、当初その名前に違和感を持つ人も多かった。しかし次第に目や耳が慣れていき、口に出すことへの抵抗感も薄れていく。同様に「セックスしないと出られない」も、当初は大きな違和感をもって受け止められたはずだ。しかし人口に膾炙するうちに受け入れられていった、それは「麻痺」だと視姦は言う。

「生セックス、朝セックス、セックス猿、セックスの魔羅。おかしいよ。だってもう『セックス』と組み合わせる言葉のチョイスが完全にセックスに寄せてんじゃん。湘南のセックスって何。それはもうひと夏の体験のことでしょ。もう相撲のしこ名じゃなく、セックスだよ。あと駅弁、オラネコ、ガンボリ、キメセクもダメだよ。完全にセックス側じゃん。それで視姦。せめて『しこ名としての由来』を用意してくれ」


 視姦は入門から4年弱が経っていた。入門当初、いや入門前からおかしいとは思っていたのだった。だが誰もが当たり前に受け入れていたから、おかしいと思う自分がおかしいのだと言い聞かせていた。しかし自分が「視姦」と名付けられそのタガが外れた。視姦の熱弁は続く。

「っていうか『セックスしないと出られない部屋』がそもそもおかしいんだ」

「ふえ~ん。お相撲部屋でしょ」

「相撲部屋じゃなくて。瑠希奈は『セックスしないと出られない部屋』って知らないのか?」

「だからお相撲部屋でしょ」

「べや、じゃなくて、へやの方」

 2010年代前半から1次創作、2次創作を問わず同人漫画・小説で流行したネタが「セックスしないと出られない部屋」で、ネットミームにもなった。性行為をするような仲にない二人が突然「セックスしないと出られない部屋」に閉じ込められ、どう距離を詰めるのか詰めないのか、ヤるのかヤらないのかといったシチュエーションを描く。

「デスゲーム」と呼ばれる、ある空間に閉じ込められた複数人が殺し合い、生き残った者だけが外に出られるといったシチュエーションを描いた映画や小説が、1990年代後半あたりから流行したこととも関係するのかもしれない。

 視姦はそんな説明をしたが、瑠希奈は聞いているのかいないのかよく分からない顔をしていた。


「師匠は、全部、大相撲の全部を本当はバカにしてるんじゃないのか」

「大横綱だよ~」

 視姦の話は自分のしこ名への異議から、セックスしないと出られない部屋と親方への疑義へと移っていった。




 セックスしないと出られない部屋に新たな弟子が入門した。

 フィンランドのソダンキュラ出身、15歳の少年だった。

 兄弟子たちは一様に困惑した。少年は過剰に美しかった。肌は青白く磁器の人形のようで、青く透き通った目はガラス玉を思わせた。鼻筋は長くまっすぐ通っていたが、鼻先は軽く上向き愛らしさがあった。どこか傲岸で打ち解けない表情だが、顔は柔らかで明るい蜂蜜色の巻き毛が縁取り、桃色の唇にはあどけなさがあり、全体として贅沢でわがままな印象を与えていた。造形に時代を超越した彫刻作品のような形式の完璧さがあるのと同時に、歴史を通じて一回きりでしかない個の魅力も備えているような美の矛盾があった。現実に存在し、生きて動いているのが嘘のようだった。

 少年はセックス王というしこ名を与えられた。親方の最初のしこ名 王呂樂と、最後のしこ名 セックスしないと出られないの双方から名付けられた。


 親方と同郷の出身だが、親方とは異なり「謎の少年」ではなかった。来日した際は両親も同行していたし、経歴も謎ではなかった。横綱セックスしないと出られないの活躍により、母国フィンランドでも相撲への注目が高まった。セックス王は親方に憧れ、世界少年相撲大会にも出場経験があった。体は細かったが体幹は強く、大きな相手の横については足を取ったり、潜り込んだり縦横無尽に動く様は、セックスしないと出られないの序ノ口~幕下時代の相撲を思わせた。

 入門時からいきなり日本語が堪能だった親方とは異なり、セックス王はまだ不自由だった。子供の頃から日本の大相撲を目指し、言葉の勉強をしていたため多少話すことはできた。

「私は、相撲目指して、日本に来ました。強くしたいです。頑張ります。ごっちゃんです」


 所属力士全員が集められ、セックス王が紹介された。セックス部屋の兄弟子たちは新弟子にフレンドリーに接して早く部屋に馴染めるように良い雰囲気を保っていたが、この時は様子が違った。

 関取になった生セックスは、年齢を少し重ねたせいか性格もやや丸くなったが、この時はかつて不良少年だった時の敵意むき出しの表情でセックス王を見据えていた。

 怪我で十両に陥落していた荒セックスは、いつもなら自分の部屋の者であってもなくても外国出身力士に対して、自身が大相撲に救われたという思いもあって、とても親切に接していた。しかしセックス王とは目を合わさず足元のあたりを見つめていた。

 幕下付け出しでデビュー後、順調に出世し幕内に定着していた朝セックスは、見てはいけないものをそれでも見てしまうような、苦痛に満ちた表情で視線を外せずにいた。


 セックス王の指導係を若セックスが担当するよう言い渡されると、若セックスは動揺した。若い衆で最年長だったキメセクが引退したため、現在の最年長は若セックスであり、部屋の生活や仕事全般を知悉し、弟弟子の指導を命じられるのは自然なことだった。

 ところが若セックスは、ずっと目を伏せて授業で当てられないように願う生徒のような顔をしていた。セックス王の指導係を命じられて、悲壮な顔で弱々しく「はい」と答えたのだった。


 反応は千差万別だったが、いずれの力士たちもセックス王の登場に困惑ないし動揺していた。この瞬間にそれを言語化して理解している者はいなかったし、感情の動揺が生じていると自覚している者でさえ少なかった。

 限度を超越した美を目の前にして、その現実を身体が拒絶しているようだった。


 セックス王は瑠希奈を注視していた。あからさまに視線を向けているわけではないが、ここに現れてからずっと瑠希奈の存在に意識を向けていた。それに気付いたのは視姦のみだった。

 視姦は瑠希奈を見る。すぐに目が合うと瑠希奈は、

「美少年~。すご~い」

 と言った。テーマパークでキャラクターの着ぐるみを見つけてはしゃぐ幼児のような無邪気さで感想を述べただけだった。この空間でセックス王の美に動揺を覚えない者は、セックスしないと出られない親方と、瑠希奈のみだった。




 新たに入門した力士は相撲教習所と呼ばれる教育施設に通う。両国国技館の敷地内にあり、平日の午前中に実技と座学の授業が行われる。実技では四股、鉄砲、股割り、すり足などの基本動作と、実力によりクラス分けされぶつかり稽古などの実戦的な稽古が行われる。座学では相撲の歴史、所作や儀式の意味、書道、相撲甚句といった相撲の教養にまつわるものや、運動医学やスポーツ生理学などアスリートとしての知識、それから社会学など一般教養が講義される。本場所中とその前後の期間には開催されない。

 半年間在籍するが、外国出身力士はその倍の1年間在籍し日本語もここで学習する。フィンランド出身のセックス王も1年間通う必要があった。

 なお教習所在籍中に関取になった場合は、受講義務が免除される。ただし本人や親方の意向でその特権を行使せず通う者も多かった。セックスしないと出られない部屋でも、幕下付け出しでデビューし半年以内に十両昇進した者も過去にいたが、全て教習所は卒業まで通っていた。


 多くの相撲部屋では、7月開催の名古屋場所後、8月に入ると全国各地で夏合宿が実施される。親方の出身地でゆかりのある地など、部屋ごとに毎年決まった地域へ出向く。その地元の後援会が支援し、宿舎も持つ。

 教習所へ通う必要のあるセックス王と、その監督・サポート役として瑠希奈が部屋に残った。2週間二人きりだった。

 二人でちゃんこを用意していた。瑠希奈はいつも通り布面積極小下着に裸エプロンだったが、セックス王は普通に全裸だった。

 セックス王はよく喋った。日本語を流暢に話せはしなかったが、とにかく喋った。相撲のことでも生活のことでも疑問はすぐに周囲へ気兼ねなく尋ねた。入門初日は奇妙な態度を取った兄弟子たちも既に打ち解けていた。語学の習得も早そうだった。

「seksin kuningas」

「なに~?」

「セクシン・クニンガス。フィンランド語。ザ・キング・オブ・セックス。セックスの王様」

「へえ~。セックス王ってそう言うんだ」

「瑠希奈さん。私、本物のセクシン・クニンガス、なりますよ」

「ほえ~ん」

 セックス王は瑠希奈の柔らかでむき出しの両尻たぶを突然ガッと両手で掴んだ。

「ねえ瑠希奈さん。1年後。本場所。国技館。土俵の上。瑠希奈サンとセクシン・クニンガス。二人」

 尻たぶを左右リズミカルに激しくゆすり上げる。

「セックス以上にセックスな相撲、ヤりましょう」

「は~い」

 二人はこのやり取りを合宿の2週間、毎日繰り返していたのだった。

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