二人きりのトレーニングルームで、仰向けの瑠希奈は鬼セックスに胸を揉みしだかれていた。

「んっ、あのっ、これ本当にマッサージなんですか?」

「みんなやってるから」

「そうなんですか~」

 瑠希奈はちゃんこ番の際に着用している布面積極小下着のみを着用していた。鬼セックスの手が、瑠希奈の脇腹から、脚の付け根をなぞり、太ももへと伸び、撫でさする。

 鬼セックスは皆がいる中でも瑠希奈を膝の間に座らせて後ろから抱きしめたり、すれ違いざまに胸や股間を揉んできたりする。瑠希奈にだけそうしたスキンシップを取っていた。瑠希奈は嫌がる素振りも見せずヘラヘラ笑っていたから、他の力士たちもあまり気に留めなかった。「ウザくないか? 嫌なら相談しろよ」と若セックスが声を掛けたが瑠希奈は「はぁ~い」と返事をするだけだった。


 鬼セックスがスマホの画面を瑠希奈の眼の前にかざすと、瑠希奈の目から生気が失われる。

「おい、アヘ顔ダブルピースしろ」

 鬼セックスの命令に抵抗なく従った瑠希奈が、両手でピースサインを作り、舌をだらしなく突き出し、三白眼になった。

「ははっ、催眠アプリって本当にあるんだな!」

 ない。そんなものはないが、瑠希奈がそのふざけに付き合っていただけだった。

 時間停止アプリの真似をしたり、メスガキ、サキュバス、性処理委員の真似をしたり、だいしゅきホールドをしたり、感覚遮断穴に落ちた真似をしたり、「イェーイ兄弟子クン見てるゥ~?」と寝取られの真似をしたり、エロ漫画ネタがくどかった。

 瑠希奈がツッパリを受けるASMR音声もあった。リズミカルにパンパンパンパンと肉が打ち付けられる音と、瑠希奈の「あんっ」「やんっ」という声が、臨場感たっぷりに迫ってきた。


「そういうのマジでつまんないから。いい加減にしろ」

 キメセクは、若い衆では最も古参で年長の力士だが、弟弟子相手にも普段は非常に物腰柔らかだった。そのキメセクが強めに叱ったから場が張り詰めた。鬼セックスもショックを受けたような顔をして小さな声で「すみません」と謝ってその場は収まったこともあった。

 部屋には公式のSNSアカウントがあったが、力士個人にはSNSが禁止されていた。キメセクは鬼セックスの様子を見るたびに禁止されていて良かったと思わずにはいられなかった。

 しかししばらく経つと、またネットミームやエロネタを安直に繰り返して鬼セックスは周囲をうんざりさせた。飽きずに付き合っていたのが瑠希奈だった。


 国本も見かねて苦言を呈した。

「瑠希奈さあ、もう子供じゃないんだからそういうことすんなよ。兄弟子に言われたからって、ちゃんと嫌がったり断ったりしないとダメだろ」

 瑠希奈は分かったような分かっていないような顔で国本を見つめた。

「ボクらまだ子供だよぉ」

 唇を尖らせて拗ねたように言った。ほとんど答えになっていなかった。


 大セックス、鬼セックス、瑠希奈、国本の4名は居室が同じで、この並びで就寝していた。

 鬼セックスは瑠希奈の布団に入り込み、背後から抱きしめ、胸と股間を揉んだ。瑠希奈の眠りは深く目覚めないが、声が甘くなっていった。力士は体型のためかいびきの大きな者も多く、多少の物音もかき消された。

 手が下着の中へ入りかけた時、それを阻止するように瑠希奈の手が鬼セックスの手首を強く掴んだ。相撲の取組において前褌を掴む相手の手を強引に剥がすように、手首を掴んで極めて強い力で股間から引き剥がした。鬼セックスも負けじと侵入を試みるが押し返せない。鬼セックスは力が強い方だと自負していたが瑠希奈の手はびくともしなかった。

 鬼セックスが自身の陰茎を瑠希奈の尻に押し付けるとズゴゴゴゴと深く底の見えない排水溝の奥から響くような音がした。驚いて鬼セックスが腰を引くと音も止んだ。もう一度押し付けると再びズゴゴゴゴと音がする。一体瑠希奈のどこから鳴っている音なのか分からなかった。

「鬼セックスさんってボクのこと好きなんですか?」

 それまで瑠希奈が目を覚ましているのかどうかも分からなかったが、急に振り向いて小声で尋ねられて、鬼セックスは何も答えられなかった。

 隣で国本は耳をそばだてていた。




 翌日の夜、荒セックスは付け人である瑠希奈を連れて外食した。平幕力士は2~3名の付け人を付ける。荒セックスには他に邑楽猫(おらねこ)もいたが、この日は瑠希奈とサシだった。

 荒セックスはネパール国籍の外国出身力士だった。

 ネパール人は隣国インドで制限なく就労可能であり、働きに出る者も多い。荒セックスの父もまた、若い頃にインドのレストランで働いていた。そこで日本でコックにならないかと誘われて来日した。ネパール人の妻を呼び寄せ、妻はホテル清掃のパートで家計を支えた。

 二人には男の子が生まれたが共働きで養育が難しく、母国の祖父母のもとに送られた。

 両親は親戚への仕送りで思うように金が貯まらなかったが、それでも長年かけて金を貯め、自分の店を持った。子供も11歳の時に呼び寄せた。既に自然に言語を習得できる時期を過ぎていた。日本の小中学校では、外国人児童をサポートするリソースが不十分なこともあり、授業について行けず学校教育から離れていってしまう児童も多い。しかしそのネパールから来た少年は強い意志で順応した。

 少年は、日本の整備された道路や橋や建築物に衝撃を受けた。映像では知っていても自分がその中にいると、それまで育った村とのあまりの差に、同じ時間の中にある世界なのかと目眩がした。自分はここで生きていくのだと強く決意した。少年は意志の強さと努力する才能だけでなく、適切に周囲の大人に頼るという稀有な能力があった。

 少年は体格に恵まれていた。小学6年生時にたまたま誘われた相撲大会で準優勝した。そこに横綱 王呂樂が来ていた。さして大きくもない子供の大会を現役の大横綱が視察したことに会場は驚いた。

「お主は良い力士になれるだろう。困ることがあれば来なさい」

 大横綱は少年に連絡先を渡した。社交辞令とも思えた。だがこの外国から来て頂点に立つ男の大きな手に肩を握られて憧れを抱いた。また相撲界では大金が得られるとも知り、経済的に苦しみ働き詰めの両親を思うと目指してみたいという気持ちも抱いた。だがこの時はまだ漠然とした願いだった。

 父のカレー屋は少年が14歳の時に経営に行き詰まり人手に渡った。父はコックとしての才能はあったが、経営面の知識は乏しく、安易な値引きの他に客を寄せる術を知らず、多忙なばかりで儲けを生まなかった。失職により父の在留資格が取り消され、家族滞在ビザの妻子も日本にはいられなくなった。地道に築いてきた日本での生活を全て捨てて一家全員が帰国せざるを得なくなった。日本を去る直前に少年は大横綱に電話した。何かを強く期待したわけでもなかったが、少年は留学ビザを取得し日本の高校に通えるようになった。相撲部で汗を流し、その間に両親も改めて日本のカレー屋で雇われて働き始めた。

 高校卒業後、横綱のいる荒田川部屋へ内弟子として入門し興行ビザへ切り替えた。荒セックスと名付けられ、ネパール出身初の関取となった。


 荒セックスはセックス部屋の初期メンバーでもあり、親方への恩義も大きなものがあった。既に結婚し子供もいたため部屋に居住してはいなかったが、部屋の様子、とりわけ若い衆の状況には人一倍気遣っていた。

 とりとめのない雑談の中で、瑠希奈が鬼セックスから夜這いをかけられたり、トレーニングルームで「マッサージ」されたりする話を聞いた。それを自分が望んでいるのか、嫌だと感じているのかと聞くと、望んでいないし、嫌だという。

「それはおかしいよ瑠希奈」

「ですよね~。やっぱマッサージじゃなかった~」




 翌朝の稽古に鬼セックスの姿はなかった。昼ちゃんこにも姿を現さなかった。

 鬼セックスは空いていた個室にいた。稽古の裏で女将が話を聞くと、鬼セックスは激しく狼狽し「そんなことしていない」「ふざけていただけ」「瑠希奈も面白がっていた」と話した。その行為はセクシュアルハラスメントで、相手と同意なく性行為に及ぼうとするのは許されないことだと女将が諭すように言うと、今度は「引退します」「迷惑かけて本当にすみません」と泣きじゃくった。

 昼ちゃんこの時間に関取を含め全員を集め、師匠が状況を説明した。その後のセックス研は休み、師匠が瑠希奈を含めた弟子一人ずつからヒアリングをした。


 女将は鬼セックスに付き添っていた。非常に動揺しており目を離すのは危険と判断したのだった。

 ちょうどその日は、後援会へ配布する番付表を折って封筒に入れる作業があったから、女将と鬼セックスの二人で黙々とその作業をこなした。単純作業で手を動かしていると心が落ち着いてくるのだった。

 鬼セックスはぽつぽつと内省的なことを語った。子供の頃から下ネタやネットミームで友人とふざけたりしていたこと、大人になってもそんなノリが抜けずに止めないといけないのが分からなかったこと、瑠希奈だけが嫌がらない様子で付き合ってくれたからエスカレートしてしまったのかもしれない、でもそれとセクハラは関係ない、瑠希奈に迫って拒否されたのに自分を止められなかったという。

 女将はもちろん実母ではないが擬似的な母親のようでもあり、他人と身内の間のような距離感がかえって話しやすかったのかもしれない。女将のマリアも「そうですわね」「ええ」と鬼セックスを否定も遮りもせず話させていた。


 セックス親方は当日中に日本相撲協会の理事長と危機管理部長兼コンプライアンス部長に報告した。過去に弟子同士のセクハラによる処分の事例がなく、明確なガイドラインもなかったこともあり、協会は契約している弁護士と、外部理事で元高検検事長にも意見を仰いだ。

「本人の同意のない性的な行為は性暴力である」という原則を確認した上で、被害者側に処罰感情も公表の希望も無く、相手への引退を望んでいないことから、加害者には現時点で即座の引退は求めない、被害者には専門家による心的ケアを一定期間受ける、部屋での対応に一旦任せることとされた。

 セックス親方と女将は、部屋のメンバーと本人にそれぞれ状況を説明し、鬼セックスはしばらく実家に戻ることとなった。親方と女将は鬼セックスの実家を尋ね、両親にも直接経緯を伝え、今後どうしたいか検討してほしいと伝えた。

 一週間後、鬼セックスから引退を希望する旨の連絡があった。両親とも相談した上で決めたという。鬼セックスは改めて部屋へ挨拶をし、瑠希奈へも謝罪した上で部屋を去った。若い衆でも部屋で断髪式を開く場合もあるが、本人の希望もあり静かに引退した。力士・鬼セックスではなく、栃木県在住の篠崎宏太21歳となった。




 相撲部屋では新たに入る力士もいれば、出ていく力士もいる。絶えず出入りを繰り返しながら続いていく。

 国本は瑠希奈が「自分のせいで兄弟子が辞めた」と気にしているだろうかと二人きりの時にそれとなく鬼セックスの話題を振った。さりげなく見つめると瑠希奈は、最初から国本の視線を受け止める準備ができていたかのように、もう国本を見つめていた。

「『セックスしないと出られない部屋』なのに、『セックスしそうになったら出てっちゃう部屋』だな~って」

 瑠希奈が一体どういう感情で言っているのか国本は測りかねた。瑠希奈は笑ってもいなかった。冗談を言っている風でもなかった。空を見上げてどうして青いんだろう、雲を見つめてどうしてあんな形なんだろうと一人で不思議がる子供みたいな顔をしていた。

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