王呂樂は大関を間近にして、平幕と三役を往復していた。

 相手の得意に合わせた相撲で負けが込み、スランプにも見えたが「わざと相手十分にして勝つ」という縛りプレイの結果であった。当人はその縛りプレイについては誰にも明かさなかった。

 次第にそれでも勝つ相撲が増え、再び安定して三役に定着、「直近3場所で合計33勝」の基準を満たし大関に昇進した。20歳7ヶ月だった。


 新大関、新横綱が誕生する際には「昇進伝達式」が行われる。理事と審判委員の親方2名が当該力士の所属部屋へ出向き、昇進を伝える。これに対し部屋の側は力士本人と親方、女将の3名が使者を出迎える。部屋には赤い絨毯と金屏風が設置される。伝達式はマスコミを招いてその様子が報道される。

 使者である理事が、

「理事会において満場一致で大関(横綱)に推挙したことをご報告致します。誠におめでとうございます」

 と伝えると、力士は、

「謹んでお受け致します。大関の地位をけがさぬよう、稽古に精進します。本日は誠にありがとうございます」

 などと答える。「お受け致します」と「ありがとうございます」はほとんど定型だが、その間のコメントは力士により異なり、報道ではここが注目される。かつて若貴兄弟が大関昇進時にそれぞれ不撓不屈、一意専心という言葉を入れて以降、四字熟語が流行したこともあった。


 王呂樂は大関昇進の伝達式で

「独り上る。意、悠悠たり(ひとりのぼる。い、ゆうゆうたり)」

 と一言述べただけで黙ってしまった。

 理事は当惑した。まだ続くのか、これで終わったのかが分からなかった。師匠の荒田川親方も、事前に「口上は大丈夫か」と尋ねていたが「お任せ下され」との王呂樂の答えに安心して任せていたため、何を言うか把握していなかった。記者たちも何だかよく分からなかった。

 中国唐代中期の文学者・政治家であった柳宗元(りゅう そうげん)の漢詩「登柳州蛾山(柳州の蛾山に登る)」の一節だった。政治家として僻地へ左遷された作者が、荒れた山に登り故郷を思う詩で、「獨上意悠悠」は「ただ一人でこの山に登ると、様々な思いがこみ上げてくる」といった意味だった。

 直後の記者会見で口上に込めた思いを聞かれた王呂樂は、ただ「率直な気持ちを込め申した」としか答えなかった。

 大関という高みに登り、遠い故郷フィンランドを想っているのだろうかと解釈された。




 大関となった王呂樂は、ひどく詰まらなさそうに相撲を取るようになった。

 安定して勝ってはいるが、ほとんど無気力相撲とさえ言い得るような負け方もした。毎場所優勝争いには加わり、実際に優勝する場所もあったが、横綱昇進基準の2場所連続優勝は果たさなかった。相変わらず相手の得意の取り口に合わせて取って、なお勝っていた。

 一人横綱が引退し横綱空位となっていた。現役幕内力士で優勝回数最多は王呂樂であり、次期横綱、角界を引っ張っていく看板として期待される立場にあったが、優勝した翌場所では昇進を拒否するかのように優勝を逃した。角界の関係者や報道関係者、ファンからも、覇気の感じられず、自身の強さを弄ぶような王呂樂の態度は理解されず嫌悪された。


 並ぶ者のない強さには一方で同情を寄せる声もあった。大関昇進時の「獨上意悠悠」も望郷ではなく、誰もいない高みへ登ってしまう憂鬱を語ったのではなかったか。

 大関在位6場所目で平幕から数えて5度目の優勝を飾った際の優勝力士インタビューでは、NHKのアナウンサーから、

「16歳で初優勝を飾った時に、インタビューで『最高の相撲を完成させたい。相撲道の極限を目指す』と大関は仰いましたね。どうですか。『最高の相撲』、『相撲道の極限』には近付いていますか?」

 と質問された王呂樂は、ぼんやりと土俵の上あたりの何も無い空間を見つめてしばらく無言だった。言葉を探している様子もなく、ただ虚ろな様子だった。

「相撲は、」

 そこで言葉を切ると、大関の次の言葉を待ち、インタビュアーも館内の客も静かだった。

「二人おらねば、取れぬ」

 王呂樂がそうぽつりと呟くと、その発言をどう解釈すべきかインタビュアーも困惑した。

 当の王呂樂は、自分で自分の発言に驚いたような表情を見せた。一瞬花道の奥を振り返り、付け人で兄弟子の姿を探して目が合うと軽くうなづくような素振りを見せた。兄弟子は王呂樂の真意は解りかねたが思わずうなづき返した。それからみるみるうちに頬と胸のあたりが紅潮した。肌が白いため誰の目にも明らかに染まった。

 気を取り直したインタビュアーが、

「次は綱取りの場所となります。意気込みを聞かせて下さい」

 と水を向けると、王呂樂はインタビュアーを見つめた後、客席を見回してから、きっぱりと言い切った。

「優勝し、横綱になり申す。お待たせ致したこと、申し訳も立ちませぬ。最高の相撲、相撲道の極限を目指しまする」


 翌場所は言葉通り、圧倒的な力で誰も寄せ付けず全勝優勝した。先場所のつまらなそうな様子とは打って変わって生気に満ち溢れていた。場所前には一門を超えて精力的に出稽古に出向き、関取のみならず若い衆へも稽古をつけてやり、様々なアドバイスを与えていた。合同稽古でも積極的に胸を出した。

 王呂樂は横綱となった。21歳9ヶ月、新入幕から5年が経っていたが、精神、肉体、技量の全てが充実していた。

 横綱昇進の伝達式では、

「謹んでお受け致します。……秋が来たとて逢うときゃ夏さ 汗と汗とのあつい仲。……誠にありがとうございます」

 と返答した。今回は「お受け致します」「ありがとうございます」があり、始まりと終わりが明確で周囲は安心したが、決意表明パートが都々逸のみで、まるで作品発表みたいな言い方だった。

 明治生れの植松みどりの作で、性行為を暗示させる情歌ないしバレ句であった。秋場所で綱取りを決めたことと掛けている、裸でぶつかり合う相撲と掛けているのだろうと解釈された。




 横綱 王呂樂は、両国国技館の土俵上で安室奈美恵の「WANT ME, WANT ME」を歌い踊っていた。

 大相撲ファン感謝祭や、勧進大相撲では「大相撲のど自慢」という催しがある。歌唱に自信のある力士や親方が土俵上でカラオケを披露する。それまで一度も出たことがなかった王呂樂の登場に観客は最初は沸いたが、館内がオーロラ色に光り輝き、尻の下から響いてくるような強力な低音サウンド、さらに早いBPMで歌い踊る横綱に、驚きが勝って戸惑った。国技館の音響・照明設備は横綱の手配で強化されたという。

「ヴォアー」

 横綱による低いデスヴォイス(グラウル)の第一声が国技館に響き渡り、観客は騒然とした。

 曲にはメタルアレンジが加えられていた。1980年代以降、北欧はヘヴィメタルの一大発信地となり、フィンランド出身の横綱もメタルへの造詣が深い。力士ののど自慢でデスメタルを聞かされるとは誰も思っていなかった。

 浴衣姿で完璧に安室奈美恵のダンスを踊りこなしていた。腰を低く落とし、土俵の全域をまるく使う様は、さすが横綱の技量が感じられた。圧巻のステージパフォーマンスだった。


  Want me, want me, はじけ飛ぶ

  胸のボタン 焦りすぎて

  Wait a minute, ちょっと待った

  落ち着いて手取り足取り

  手こずる二人は like a virgin


 サビの歌詞から明らかなように、「WANT ME, WANT ME」は二人の人物の性交渉を暗示する内容となっている。


  スミカラスミマデ ウラカラオモテマデ ドコモカシコモ

  Baby, let me taste it, taste it

  言葉の無い会話

  Up and down, in and out

  こうやって bounce with me


 お互いを余す所なく味わい尽くし、性行為を「言葉の無い会話」と表現する内容となっていた。

 横綱の汗に濡れた顔が、暗い館内でライトを浴びて輝いていた。21歳の北欧の青年が恍惚の表情で歌い踊る。一種の神々しさがあった。


 伝達式での都々逸、のど自慢での選曲から、王呂樂は横綱に昇進したあたりから「セックス」のメタファーへの意識があったと考えられている。


 王呂樂の黄金時代が始まった。

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