六
破竹の勢いという言葉の方が王呂樂の登場を待っていたようだった。竹がとどめようもなく割れてゆくように、王呂樂が番付を駆け上がっていくのを他の力士達は誰も止められなかった。
序ノ口、序二段、三段目を全勝優勝し各1場所で通過、幕下も2場所連続で全勝優勝して通過、この時点で土付かずの35連勝で、前相撲を含めた所要6場所、わずか1年での十両昇進は史上最速(付け出しを除く)となった。
十両昇進16歳7ヶ月は、それまでの貴花田(後の横綱 貴乃花)の17歳2ヶ月を抜いて史上最年少だった。
荒田川部屋にとって王呂樂は久々の関取となった。関取になれば付け人がつき、部屋の雑事などからは解放される一方、後援会等との付き合いが増える。大部屋での生活から個室もしくは別居が可能となる。
しかし部屋の人手が足りない中で、王呂樂は関取となった後も引き続きちゃんこ番や掃除、洗濯を続けていた。
「関取すみません」
と兄弟子であり師匠の息子の力士が言うが、王呂樂は
「何を申される。弱輩のそれがしが雑事をこなすのは当然にござる」
とさっぱりした態度を保った。
付け人も兄弟子のみでは足りず、一門の他の部屋の力士も付いた。個室は長らく物置になっていたが片付けられて王呂樂関の部屋となった。
十両と幕内の力士は、取組前に化粧廻しをつけて土俵入りをする。
化粧廻しは後援会や企業、出身の自治体、母校などから贈られ、製作には100~150万円程度がかかる。博多織や西陣織が用いられ、刺繍や素材に拘ると価格は上昇し、過去には1.5億円という極めて高額な化粧廻しが存在したこともあった。デザインに制約はなく、企業であれば企業名やロゴマークが入ったり、自治体のキャラクター、母校の校章、力士本人のイメージやしこ名にちなんだものが多い。
王呂樂の化粧廻しは、オーロラがデザインされた。構造色を発色する特殊な糸が用いられ、黒に近い濃紺の空に、明るい青紫~黄緑のオーロラがかかる図案で、見る角度によって色が変化した。
「美しい。高度な手仕事とお見受け致す」
王呂樂は眉目秀麗といった顔貌ではなかったが、うっとりと刺繍を見つめて撫でる姿は艶やかだった。
元来物にこだわる性質ではなかったが、その化粧廻しをとても愛して生涯大事にした。
最年少で無敗のまま十両に昇進した王呂樂に、誰が土を付けるのかとメディアでも話題となったが、初日にあっさりと黒星を喫した。
立ち合いで正面からぶつかり当たり負けた後、突っ張りで上体を起こされ、引いたところを一気に押し出され、なすすべもなく負けた。
それまでの王呂樂の取り口は、正面から当たることを避け、千変万化の動きで相手を翻弄して勝つような、四つでも押しでもない相撲だった。解説や相撲ファンの中には、大きな体を活かした大きな相撲を将来のためにも覚えるべきといった苦言を呈するものもいた。
十両昇進時点での王呂樂の体重は109kgであり、入門当初の70kg弱から1年で40kgほどとかなり増量していたが、それでも十両の平均体重160kgに比してかなり軽量だった。身長も208cmまで伸びており、そっぷ(痩せ型の力士)だった。
どうしてもその体重では当たり負けてしまう。筋肉量も当時はそれほどではなかったから、怪力のみで解決するのも難しい。その中で勝つには「立ち合い」という取組みにおける最初の要素をいかにキャンセルするかを考えるしかない。相手を正面から組み止めることはできない。鋭い出足でまわしを取っても力では負ける。それなら立ち合いを当たらずに変化し、動きで相手を翻弄し、足を取ったり、体幹の強さを活かして反り技を見せたりと工夫を重ねるほかなかった。相手を徹底して研究して、相手の嫌がることが何かを愚直に実行した。
2日目からはそんな元の多彩な相撲に戻り、残りの14日を連勝して十両優勝を飾った。
初日の黒星は、正面から当たる相撲でどこまで今の自分が通用するのか試してみたのではないかと思われた。しかし穿った見方をすれば、正統派の相撲を取れだの、連勝をどれほど伸ばせるかだの、うるさい外野を一旦黙らせるためにあえて負けてみせたのかもしれない。当人は何も言わなかった。
王呂樂は16歳9ヶ月の史上最年少で新入幕を果たした。
新入幕の場所では、相手を翻弄する相撲で初日から連勝を続けた。途中で取りこぼしもあったが2敗でトップを走り、12日目には2敗同士の横綱との取組みが組まれた。土俵上を縦横無尽に動き回り、背は高いが細い王呂樂が横綱の膝のあたりを狙い続け、最後は足取りで初金星を上げた。残り3日間も全勝しそのまま優勝した。当然、幕内優勝の史上最年少記録となった。
優勝インタビューでは、
「それがしは最高の相撲を完成させたい。相撲道の極限を目指しまする」
と語った。顔に幼さを残した16歳の外国から来た少年がそう言い切る姿に、館内は沸きに沸いた。
前頭6枚目まで番付を上げて臨んだ次の場所は3勝12敗と大負けした。
先場所とは打って変わり、正面から受けて組む相撲に切り替えていた。あの新十両の初日で見せた相撲を全面的に展開したが、体の細さが幕内ではそのスタイルの相撲をまだ通用させなかった。王呂樂は体重を急激に上げることはせず、下半身の強化と連動するように徐々に増やしていった。
取り口を変えず、幕内力士たちの個々の取り口の研究も進み、体重と筋肉量も徐々に増えていった。変化もせずまっすぐに当たる王呂樂は、相手の変化についていけず落ちることも当初はあったが、徐々に足がついていくようになり、そうした取りこぼしも減っていった。
2年後の18歳時点では安定的に勝ち越し、三役に定着するようになった。「小兵力士のような相撲を取るな」と苦言を呈していた一部の相撲関係者やファンを満足させた。スケールの大きい相撲を覚えたというより、既に全ての相撲の型を「知って」いて、ただ自身の身体条件に合わせていただけのように見えた。
16歳で新入幕を果たし、18歳で三役に定着した王呂樂だが、大関・横綱昇進は最年少記録を更新しなかった。
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