四
後の大横綱セックスしないと出られないは、15歳で単身来日し、何の約束もないまま相撲部屋の門を叩いた。
「フィンランドはソダンキュラから参り申した。入門を平にお許し願いたい」
荒田川部屋という弱小部屋であった。師匠である荒田川親方は、深く事情を尋ねることもなしに少年を受け入れた。
フィンランドは南北に長い国土を持つ。最北にあるラッピ県のさらに北部に位置するソダンキュラという、人口8千人ほどの町の出身だった。
出身以外は一切が不明だった。スポーツの経験があったのか、なぜ相撲を志したのか、少年は何も語らなかった。欧州の相撲大会への出場経験もなかった。
少年は15歳で既に身長は190cmほどあったが、体重は70kg弱だった。アスリートとしては細かった。民族的にはフィン人(スオミ人)であり、金髪碧眼の白人だった。
ソダンキュラは北極圏に位置し、オーロラが統計的に最もよく観察される地磁気緯度65-70度の地帯、オーロラベルトに含まれる。少年は王呂樂(おうろら)というしこ名を与えられた。
過去に大露羅(おおろら)というロシア出身で最高位幕下、290kg超の巨漢力士がいた。荒田川親方はそのしこ名を覚えてはいたが、読みは一字違い漢字も違うため構わないだろうと思った。あまり深く考えずに、他にフィンランドないしソダンキュラのことも知らなかったため、安易に名付けられた。
荒田川部屋の所属力士は、王呂樂と、荒田川親方の息子の三段目力士、怪我でほとんど引退を控え序ノ口まで番付を下げていた高齢力士のわずか3名と、極めて小規模な相撲部屋だった。
部屋の施設も古く、先代荒田川親方が独立し1960年代に建てられた建物をそのまま使っていた。
先代の荒田川親方の病没に伴い、元小結の部屋付き親方が年寄荒田川を襲名し部屋を継承していた。それも15年前のことで、荒田川親方は51歳を迎えていた。親方は協会内の仕事には熱心で、理事に名を連ねていた一方で、新たな弟子の発掘・獲得には消極的だった。部屋での稽古も、部屋付きの親方の指導に任せていた。先代の時代にはそれなりに力士の数もあり関取が輩出していたが、それもめっきり絶えていた。
身許も定かでない王呂樂は、他の部屋であれば入門を断られていたかもしれない。王呂樂が他の部屋へ接触せず、荒田川部屋の門を叩いたのは、そんな部屋の内情を調べた上でのことか、たまたま来日して目にしただけだったのかは不明だった。
外国出身力士の中には日本の食生活に馴染めず、体づくりに苦労する者も少なくない。特に白米を主食とすることに苦手意識を持つ欧州出身者も多かった。しかし王呂樂はよく食べ、すぐに体が大きくなった。
言語習得に関して、力士は相撲部屋という日本語が必須の空間で生活する中で、一般的な外国人と比較しても早く身につけられるケースが多い。だがこの王呂樂は、入門時点で日本語が堪能で、漢字を含めた読み書きにも不自由しなかった。
あるスポーツ記者が当初、「サンタの町から来た力士」として小さく記事に取り上げた。ラッピ県の県庁所在地であるロヴァニエミはサンタクロースの町として著名だったことから、謎のフィンランド人少年をどう形容したものか、苦肉の策での形容だった。
まげを結うには肩ほどまでの髪の長さが必要で、新弟子は入門から1年ほどは長さが足りずに結えないことが多い。王呂樂は既に必要な長さまで髪を伸ばした上で入門していた。
金髪の朴訥とした白人の少年が、ちょんまげを頭に乗せて浴衣姿で歩いていたから町ではよく目立った。親方の息子の兄弟子は、王呂樂を嬉しそうに連れ歩いた。子供の頃からずっと相撲部屋で育ったこの22歳の兄弟子は、地域の商店街でも顔なじみだった。
「王呂樂って言うんです。フィンランドから来たやつで、うちの新弟子ですよ」
「どうぞご贔屓のほど、ひとえに願い奉ります」
妙な喋り方の少年を、町の人々も面白がって可愛がった。町の中華料理屋、焼肉屋、焼き鳥屋、お好み焼き屋といった個人経営の飲食店に行けば、店の者は若い相撲取りだからと腹一杯に食べさせた。王呂樂も好き嫌いせずによく食べた。
部屋での暮らし、稽古、若い衆としての仕事、巡業や地方場所での移動、後援会との付き合い、礼儀作法など、相撲の技術以外の力士として必要な、あるいは日本での生活に必要な知識をこの兄弟子は外国から来た弟弟子に丁寧に教えていった。王呂樂は素直に感謝しながら吸収していった。
新弟子検査を合格すると、次の場所では前相撲に出場する。
高卒・大卒の学生相撲出身者に比べると、中卒の者はやはり腰高で相撲の型が身についていない者が多い。
王呂樂は痩せて背ばかり高く、まだ顔には幼さも残していたが、土俵での形はまるで幕内力士のようだったから、他の15、16歳の少年たちとは際立って見えた。土俵下で勝負を見つめていた勝負審判の親方たちは一様に目を見張った。
腰は低く、すり足で移動しても重心は上下せず、足の親指でしっかり土俵を噛んでコントロールできている。上体は丸く腕は緊張せず自然体で土俵の反発力を真っ直ぐに相手へと伝達できている。
「腰を低く下ろし膝を外に開いた状態で動く」という極めて不自然な、しかし相撲という競技においては極めて不可欠な動作は、長く修練を積む中で徐々に身に着いていく。この北欧から来た少年は、入門時点でこれを既に完成させていた。
王呂樂は難なく相手を土俵外へ押し出した。
「サンタの町から来た力士」という二つ名もすぐに忘れ去られた。余計な説明は無用で、ただ王呂樂の相撲そのものが注目を浴びていった。兄弟子が少し歳の離れた実の弟のように可愛がる時期は、わずか1年で終わりを迎えた。関取となった弟弟子の付け人となり、「王呂樂関」と敬称をつけ敬語で話すようになった。
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