三
朝の稽古は、幕下以下の力士から始まる。幕下以下の力士を「若い衆」「取的(とりてき)」と呼び、セックス部屋には14名が所属している。
※セックスしないと出られない部屋は名称が長いため一般に「セックス部屋」と呼ばれ、師匠も「セックス親方」と略される。
瑠希奈たちが四股を踏む。
「い~ち」
「あんっ」
腰を上下させないように体重を移動させ、片足を上げ、やや静止した後、地面に下ろす。
「に~い」
「うぅんっ」
悩ましい声が稽古場に響く。
四股の回数は1日に2~300回程度を踏むのが一般的だが、セックス部屋ではおよそ500回ほどを力士に踏ませる。筋力の増大という観点ではウェイトトレーニングは有効だが、スポーツ競技にとって一部の筋肉を鍛えてバランスを欠くより、有機的・複合的に競技にあった形で体作りを目指すファンクショナルトレーニングがより有効という考え方がある。四股を多く踏ませているのも、この一種と言えた。汗が土俵に滴り落ちる。
「瑠希奈ァッ、しっかり腰ィ落とせ!」
「あぁんっ、どうもごっちゃんですぅ」
四股の形がおろそかになっていると生セックスが指摘する。師匠や上位者などからアドバイスを受けた際は「ごっちゃんです」と礼を言うのが角界でのしきたりとなっている。
生セックスは普段の生活では他の力士たちと変わりなく瑠希奈と接しているが、稽古中は特に瑠希奈に厳しかった。国本は、生セックスから厳しく指導されている瑠希奈の表情を盗み見た。瑠希奈は目が「><」みたいになっていた。
生セックスは東幕下20枚目の力士で、若い衆では西幕下5枚目の若セックスに次いで番付が高い。
本名は生田といい、入門前まで相撲経験はなかった。地元では「やんちゃ」で中学校にはあまり登校せず、金髪にピアス、デカい図体で高校生にも突っかかっていくような少年だった。ただ小学生の頃から柔道場には休まず通っていた。
中学卒業後は父親の知り合いの工務店に働きに出るようになった。しばらくして同僚と諍いを起こし会社を飛び出した。父親は「そうか」の一言だけで息子を咎めなかった。小学6年生の時に両親が離婚して以来、父と二人暮らしだった。父は昼はガソリンスタンド、夜は清掃のアルバイトで子供を育てた。自分を責めることもなく、ただ疲れた顔をした父を見て、息子はひどくショックを受けた。
生田は早朝から140kmの距離を自転車で9時間かけて東京へ向かった。相撲に興味はなくても唯一横綱セックスしないと出られないの名前は知っていた。その名前の相撲部屋をネットで調べてアポイントメントもなしに訪ねた。幸い親方は部屋にいた。
「相撲って稼げるんスか?」
「稼げる。強ければ、の話だが」
「俺、強いッス」
突然親方の腕が伸び、胸ぐらを掴まれた。生田はそれまで大人相手でも感じたことのない恐怖を覚えた。強い力で掴まれ上体を前後に揺らされた。親方の青い目には何の感情も認められなかった。ふいに手が離れた。
「何の競技をしておったのだ」
「柔道」
今のは体幹か何かを確かめたのだろうか。二人は稽古場の土俵の脇にある板の間のスペースにいた。親方が立ち上がり、好きに組んで技をかけてみるよう生田を促した。親方は腰を低くどっしりと構えたが上半身はほとんど脱力していた。生田が親方の襟と袖口を掴んで組むが、親方はなすがままだった。しかし生田が技をかけるがことごとく外される。ただ僅かな足の動きや重心の移動、上半身の振りのみでかけ続ける技が全て無効化されていく。どういうわけか自分が掴んだだけなのに体全体を押し倒されたような感覚がして、気付いたら尻もちをついていた。親方は腰を落とし、股を割り、膝を外側に向けた相撲の基本姿勢を取っていたが、何か古武術のような動きだと思った。生田は「マジの強さ」だと思った。「やべえ」と思った。
翌日も生田はセックスしないと出られない部屋にやってきた。長髪の金髪を丸刈り黒染めにし、ピアスも外していた。
「父親の暮らしを楽にしてやりたい」
床に額を擦り付けて入門を希望した。
しこ名はしばらく本名の生田で取っていたが、三段目への昇段を期に生セックスに改名した。
日本相撲協会には、約600名の現役力士が在籍する。
番付と呼ばれる力士の順位表があり、6つの階級が存在する。
・幕内:定員42名。横綱・三役(大関・関脇・小結)・前頭からなる
・十両:定員28名
・幕下:定員120名
・三段目:定員180名
・序二段:定員なし約200名
・序ノ口:定員なし約40名
各階級の中で東西に分かれ、それぞれ◯枚目とランク付けがなされる。数字は小さいほうが上位、最上位は1枚目ではなく筆頭と呼ばれる。
本場所での戦績によって力士の番付は上下する。本場所は隔月で年に6回開催される相撲の興行である。
十両以上は関取と呼ばれ、付け人がつく、部屋の雑事をしないなど若い衆と待遇が大きく異なり、収入面でも幕下以下は年収100万円弱に対して、十両は1300万円超と極めて大きな格差がある。「正式な力士は関取」とされ、幕下以下は正式には「力士養成員」と呼ばれる。
瑠希奈と国本は中学卒業後に同時に入門し、序二段にいる。まずは三段目を目標に稽古を積んでいた。
朝6時半から7時半の1時間は若い衆の基礎的な稽古の時間だった。四股のほか全員で連なってすり足を繰り返し、足腰を徹底して鍛えていく。
「アッフ、ンッフ、オッオッオッオッ」
生セックスは元不良少年でもあり、口調や雰囲気に威圧感や乱暴さは時折見られたが、稽古に厳しく弟弟子の面倒見は良かった。
朝セックスが稽古場の一遇で、関取衆のためのスポーツドリンクづくりをしていた。瑠希奈も稽古を一時的に離れ、作業を手伝う。スポーツドリンクや栄養補助の粉末を水と混ぜてつくる。関取によって種類が違う。
朝セックスは、入門は瑠希奈や国本よりもあとだが、年齢も番付も二人より上だった。大卒で、また「付け出し」という制度によって序ノ口ではなく幕下からプロのキャリアをスタートさせていたためだった。アマチュア時代に指定された相撲大会で好成績を残した者は、実力を認められ三段目や幕下の最下位から出発できる制度だった。
しかし朝セックスは年齢も地位も下の瑠希奈や国本に偉ぶるようなことは全くなかった。
朝セックスと瑠希奈は黙々とドリンクをつくっていく。セックス部屋には4名の関取が所属していた。
7時半が近づくと、関取衆が稽古場に現れた。
セックスの里(十両5枚目)が最初に入ると、幕下以下の力士たちは一斉に挨拶をして、もともと弛緩してはいなかった稽古場の空気が一層引き締まった。
セックス猿(小結)、荒セックス(西前頭11枚目)はほぼ同時に稽古場に入ってきた。ややあとに駅弁(十両筆頭)が現れた。全員7時半になる前には稽古場に降りていた。
幕下以下は黒の稽古まわしだが、関取は白であり、地位の格差は一目にして瞭然である。
セックスしないと出られない部屋が、若い彼らの肌と肌の激しいぶつかり合い、汗のしたたりによって、次第に熱を帯びてゆく。
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