蒼天の荒鷲

1.八語り(八人目)

遠い明かりが、儚く揺らめいていた。


光が、ある。底無しの暗闇の先に。


“来るか?”


“来ないか?”


“来ないなら、消しましょう…”


行くな。消えないでくれ。今、ここには、闇と、光と、俺しかいない。俺は、闇のものにはならない。だから、光は、俺の物だ。


夢中で「手」を伸ばした。いや、伸ばそうとしたものが、手なのかどうかもわからない。とにかく、触れたかった。


温かい物に。




「誰だ?!」


男性の声がした。松明か、カンテラか、炎と明かりが、辺りを照らした。


広い部屋に、少年が七人いた。子供、という年ではない。十七、八くらいか。それぞれカンテラを持っている。だが、彼らの明かりは消えていた。


唯一、灯った明かりを持っていたのは、場に入ってきた、彼等より年長の男性だ。もう一人、同じ年代の男性がいた。剣を抜いている。二人とも、少年達とは、数年程度の差のように見える。彼らのすぐ後ろに、年配の男性の姿がある。


「あ、ヒュプト師長!」


少年の一人が言った。


ヒュプト、ああ、シュクシンの将軍の名だ。「眠る龍」と呼ばれていた。引退して教官にでもなったのか。戦った事はない。そもそも大変な高齢で…。


目の前のヒュプトは、三人の中では、一番年上だが、高齢にはほど遠い。師長は、シュクシンでは、地位の高い役職だが、元帥、将軍よりは下だ。


降格はともかく、若返る事はない。


「何だ、君たちか。」


明かりの青年が、カンテラを俺に向ける。だが、彼の目は、俺を見ていない。


剣の青年が、


「とにかく、明かりを点けろ。こう暗くちゃ。」


と、光を受けて鈍く光る剣を、鞘に納めた。


明かりが、一斉に灯る。


寺か道場か、石のモザイクの床に、彫刻のある壁、天井は丸い。


彼等は、シュクシンの軍人だ。装備で判る。だが、正規の軍服とは、少し違う物を着ていた。傭兵の物にしては、正規軍に近すぎて紛らわしい。


「何をしていたんだ。説明しなさい。」


ヒュプトが、静かに言った。さっきの少年が、一歩前に進み、姿勢を正して畏まる。


「はい、八語り、をしていました。」


明かりの青年は、「この季節に?」と言った。剣の青年が、「何だ?」と言った。ヒュプトは、少年達に呆れながらも、説明をする。。


「ハイドロスはキナン、セパーシはラマツだったな。じゃあ無理もないか。


七人で集まって、怪談を一つずつして、明かりを消していく。


『来るか?』


『来ないか?』


『来ないなら、消しましょか。』


で、最後の明かりが消えた時に、あの世から、『八人目』が出てくる。


ハノンでは、夏の道楽だが、ここらでは、春だ。もともと、夏じゃなく、春に先祖の魂が帰る、と言われていてな。ソウエン式に。


十年前、国王陛下が、トンカから東の暦を改訂する前は、都の納霊祭も、春先にやってた。


…まあ、本当に『八人目』が出た、なんて話は、春でも夏でも、聞かないが。」


それからヒュプトは、少年達に、君達は明日帰るだけで、確かに何もないが、羽目は外さないように、と言い、彼等を部屋から出した。そして、俺を無視して、部下の二人に、


「気持ちはわかるがな。こちら側には、拍子抜けするほど、何も無かった。密輸団は向こう側でラエタが押さえた。今回、我々の一番大変な仕事は、押収品の目録作りだ。」


と言った。これには、明かりの青年が、


「ですが、どうも引っ掛かります。農具も古いし、肝心の食料も少ない。密輸の儲けを、何に使ったのでしょう。凶作の補填、とは言っていますが、ここは安定していたはずです。」


と答えた。剣の青年は、


「考え過ぎだよ、ハイドロス。」


と、相手をたしなめた。ハイドロス、水、コーデラの古代語だ。人名であまり聞かないが、コーデラ系か。そう言えば、髪の色と目の色が薄い。


「大方、納霊祭に、踊り子でも呼んで、ぱっと使っちまったんだろ。それか、あれだ、密輸団がほとんど、だまくらかして、巻き上げたのかもしれん。だから、村の連中は協力的だったんだろ。」


セパーシは、兵士、という意味だ。確か南方の言葉だった。彼自身はソウエン系のようだが。


彼等は、それから、今後の方針について、少し雑談をした。


これでさすがに、俺にも解った。彼らに、俺は見えていない。話しかけたとしても、気づかないだろう。


ハイドロスが、明かりを持ったまま、部屋を出る。俺は、闇からただ抜け出したくて、彼の明かりを、まだ掴もうとした。


一瞬、暗くなり、またすぐに、明るくなった。再び明かりを得て安心する。


火を囲んでいた。ハイドロス、セパーシがいる。ヒュプトはいないが、若い兵士が七人いた。


彼等は、いきなり食事をしていた。具の多いスープ、木の実の煮物、香辛料入りの赤い茶。


「母親がチューヤ人、父親はラッシル系と言ってた。」


ハイドロスは、火のせいか、顔を赤くしていた。


「へえ、それで色白で黒髪か。」


「美人なだけじゃなく、巫女舞いと謡いが得意で、声が綺麗で、刺繍が上手い、だったな。」


「先代の元帥夫人とマハール王女様、ディバ・パコッタが、束に成ってもかなわない、だよな?」


「なんで、そんな事まで。」


「この前、カラッソ の店で、酔っぱらって、言ってただろ。」


ハイドロスは、辛うじて、「さすがに、謡いは、ディバ・パコッタには、負ける。」と答えるに留まった。


巫女舞いは、一般的なシュクシンの舞踊だ。名前に反して宗教とは関係ない。跳躍する姿が「御使い蝶」(これは神話の「鳥」で、魂を運ぶ、とされている。)に似ているから、そういう名がついた。謡いは、音楽に合わせた「語り」が本来だが、楽器の弾き語りを指す場合もある。刺繍も、機織りと並んで、シュクシンの伝統工芸だ。


「でも、お前、キナンだよな。せっかく昇進なのに、除隊か?」


「いや、家は出たから。こっちに来てもらう。」


「ひょっとして、反対されて出たのか?」


「ああ、それでか。お前、女に興味ないわけじゃ、なかったんだな。」


「まあ、待っててくれる女なんて、今時、貴重だ。俺のかみさんなんて、せいぜい三日程度の任務なのに、帰っても、しばらく口きいて貰えなかったよ。謝り倒したけどさ。」


「いや、あれはさ、そもそも前の晩に言ったお前が悪いだろ。かみさん、支度に、てんてこ舞いだったじゃんか。うちにも寝がけに、借り物に来たし。だいたい、予定分かってたんだから…。」


「いや、俺の事はどうでもいいんだよ。とにかく、おめでとう、ハイドロス。幸せになれよ。」


ハイドロスは、照れながらも、


「ありがとう。」


と、笑った。


こういう笑顔は、何年も見ていない。


《本当に?トヨカが反対しても、ずっと一緒にいてくれる?》


返事をした時の、イソラ様の笑顔。


《ファンレイ、貴方だけでも、生きててくれて、本当に良かった。》


妻のミィディエに、「初めて」会った時の、涙混じりの笑顔。


辛さを乗り越え、幸せになろうとする者の、特別な笑顔だ。


若い兵士達は、赤い茶を酒に見立てて、乾杯した。生きている者の喧騒。




俺は、なぜ、ここにいる?




娘のフーロンを探し当てた。大きな町の、立派な寺院の病院にいた。衰弱していた。


看護師の役割をしていた尼が、ついこの前、トウニとの戦いに勝った時に、敵の首領と一緒に捕まった女性だ、と言った。


身なりは良く、首領は自分の女だと言い張ったが、逃げ出せないように、足に重りを付けられていたし、喋れなくなっていた。喉も舌も無事だから、薬だと思う。だから、敵からの解放奴隷として扱い、ここに入れられた。来た時は、妊娠していて、なんとか男の子を生んだが、父親らしき首領は死刑になっていた。母親も、産後に高熱を出し、どんどん具合が悪くなった。だから、素性がばれないようにして、子供は養子に出した。行き先は、自分達にもわからない。


俺は、最後まで、娘の側にいてやることしか、出来なかった。息子スイシュンは救えなかった。だから、フーロンだけでも助けたかったのに。


それから、子供を、探して旅をした。それから、山道で、何かの発作で、倒れた。それから、それから、…。




火が燃えていた。


《じいさん、馬鹿な真似はよせ、あんたも、逃げろ。》


俺は、充分、生きた。二度までも。あの化け物を、止められるのは、俺しかいない。


《将軍、お止めください、私が。》


昔の部下がいた。偶然再会した。俺を探していた、と言った。


世話なった村、良くしてくれた人々。俺は、二度目の最後を選んだ。




「…最初は、神妙に、お参りしてたらしいよ。『武闘神』を奉ってると聞いて。蒼い鷲の神様だとか。」


「へえ、農耕神じゃ、ないんだ。農村に、珍しいな。」


「しかしなあ、新米とは言え、傭兵が任地で八語りってのは。」


「度胸試しじゃないか?俺も、新人の頃に…。」


火が、弾けていた。弾ける火を見つめるたびに、「眠く」なって行った。


これは、俺の最後の夢。最後に、思い出す事を許された。一瞬の光、前後に広がる、暗闇。


気持ちの上で、目を閉じた。




だが、これでは終わらなかった。




盛大な爆発音と共に、再び意識が戻った時、俺は、いつぞや考えた事を、苦味と共に噛み締めていた。




「死」を分かっていなかった、と思った事を。




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