2.桃花の束の間(ヒナギ)

海辺の町は小さいとはいえ、港があり、大陸や地方から、人や物の行き来があった。そういう面では、都より開けているくらいだ。


イソラ様はその町で、とても心豊かに、美しく成長された。


十歳だったイソラ様が17になった年、俺は22だった。本来であれば、俺は嫁を取る年で、父もさりげなく打診してきたが、俺は全て断っていた。


イソラ様には縁談が無かった。王族は結婚が早いものだ。都を外れたとはいえ、イソラ様に、そういうお話が来ないはずはないのだが、ヒミカであるトヨカ様の婿選びが難航していて、それが決まるまでは、ということだったのだろう。


その年は、トヨカ様の婿がようやく決まり、来年、18になるイソラ様にも、そういうお話があるかも、と、ある日の夕飯の席で、テノの母が言った。アシノが昨年結婚し、彼は夕飯の時は、妻の待つ家に帰っていた。テノは恋人の家か両親の家で食べる事もあったが、その日は俺たちと食べた。テノの母が、よい魚が入った、と、作りに来てくれた。


「私、結婚はしないと思うわ。もう、今が、一番、幸せだもの。」


と、イソラ様が言った。テノの母は、そういう訳にはいきませんよ、いずれは然るべき方と、と言った。イソラ様は、急に俺を見て、


「じゃ、ヒナギも一緒に来てくれる?」


と答えた。俺は、


「お望みなら、どこにでもご一緒しますよ。」


とは答えたが、慣習で、嫁に行く時に侍女は連れていくが、男性の護衛は、嫁ぎ先で新しく用意するのが一般的だ。ヒミカの位を継ぐ場合は、嫁に出ていく訳ではないので、護衛はそのままとなるが。


「本当に?トヨカが反対しても、ずっと一緒にいてくれる?」


トヨカ様なら、俺が着いていくと、「ヒミカにでもなった積もりか」と文句を言うかもしれないが、それでも、俺は、イソラ様に着いていく。


「ヒミカ様は関係ありません。俺の主は、貴女です、イソラ様。」


すると、テノが大笑いして、


「あはは、止めてくださいよ、イソラ様とお揃いの衣裳着た、ヒナギを想像してしまいましたよ。」


と言ったので、俺達も笑った。


夜はテノが帰宅してしまうので、屋敷にはイソラ様と俺、数人の侍女が残る。


テノは母親を先に帰し、俺に話があるから、と、一緒に外に出た。


「お前、イソラ様の事、どう思ってるんだ?」


彼は唐突に言った。俺は、


「守るべき大切な主人だと思っている。」


と答えた。だが、テノが問いかけたのは、別の意味だった。俺は、それがわからない訳では無かった。俺の家は、豪族とはいえ、あくまでも中級、しかも、臣下の身だ。そんな希望は持っては居なかった。


それに、万が一、そういうことになれば、恐らく、イソラ様が結婚前から俺を引き入れていた、と言う者が出てくるだろう。それは、気高いイソラ様に相応しくない。


テノは、ため息をついて、


「お前の気持ちはわかった。だが、イソラ様のお気持ちも考えてやれよ。」


と、俺が反論を考えてる隙に、立ち去ってしまった。


俺に取って、イソラ様は、子供の頃からお守り申し上げてきた、大切な方だ。イソラ様に取っての俺も、多分、特別なものだったろう。だが、それは、家族に対する気持ちに近い筈だ。例えば兄のような。


兄、というところで、キラの顔が浮かんだ。そういえば、キラとイソラ様は、意外に雰囲気が似ている。キラは大人しい娘だが、自分の意見は、しっかり言うほうだ。だが、時々、妙に口ごもる所がある。陽気で思った事が全部口に出るミラとは、仲は良かったが、正反対だった。


そうして、キラの事を考えていると、


「お兄様!」


と彼女の声が聞こえた。振り向くと、馬に股がったキラがいた。


キラは馬術が得意で、よく遠乗りに出たが、これは男性的な趣味とみなされていた。


結婚してからは控えた、という話だったが、見事な乗りこなしだった。


イソラ様も、ただならぬ様子に、奥から飛び出してきた。馬が止まった勢いで、落ちそうになったキラを、素早く支えた。


キラは、朝から馬を飛ばしたらしく、目に見えて疲労していた。


奥に通して、イソラ様と俺と三人だけになると、キラは用件を言った。




ミナギが、トヨカ様を連れて、逃げた。東のアズラ氏の所に身を寄せている。


「桃花の宴」前の、ご祈祷の最中で、人払いをしてお籠りになっていたが、三日経過しても出てこない、差し入れた食事が減らない(ただし、トヨカ様は、ご祈祷の折りは、断食することもあった、という。)ので、側近が心配して、乗り込んだ。祈祷所は、もぬけの殻だった。


さらに、キラは、ミナギがトヨカ様を拐った理由が、


「トヨカ様が、ミナギの子を身籠ったから。」


と言った。




俺もイソラ様も、しばらく口が利けなかった。


あいつは、トヨカ様を嫌っていたように見えた。キラに確認すると、予想外の答えが帰ってきた。


「あの子、好きな人には構って欲しくて、きつく当たるの。ミラお姉様の時も、ほんとは、そうだった。」


一層驚いたが、言われてみれば、思い当たる節はある。


トヨカ様は、事情を説明した手紙を残していた。そこに、すべて書いてあったそうだ。


キラは、


「イソラ様を連れて、すぐ一緒に都に来て。」


と言った。トヨカ様の婚約者の実家のタカマガ氏は、北に拠点のある有力豪族だが、アズラ氏とは、犬猿の仲だ。両種族の長は、シラハ様を非常に尊敬していたため、休戦していた、と言ってもよい。


タカマガ氏は、秩序を重んじる一族で、次女であるトヨカ様の即位には、最後まで難色を示していた。アズラ氏は支持していたが、長に婿に出せる年齢の息子がいなかったので、再恭順の意味も含めて、タカマガ氏から婿を、ということになった。


タカマガ氏は、兵を率いて都に登ってくる。本来は、「桃花の宴」で婚約披露をするため、それは予定していた行動だ。だが、陸路を来る一軍は、長本人が率いていて、婚約者は、水軍を率いて、この港を目指している、と情報が入った。「挟み撃ち」の「陣形」だ。


だから、イソラ様を連れて、都に引き上げてくれ、キラは強く薦めた。


ヤシロト様と父、キラの夫は、都で「準備」をしている。タカマガ氏と共にアズラ氏を討つ流れにしたいが、正直な所、半々だそうだ。


少し奇妙に思った。


タカマガ氏の長は、気性の荒い事で有名だが、「王家に弓を引く」までの理由になるだろうか。婚約の反故以外に、何か理由があるのではないか。


しかし、キラも夫から聞いた以上の事は知らなかった。


俺は、都も安全ではないが、ここに居るよりはましか、と思い、キラの言う通りにする積もりだった。


だが、イソラ様は、逃げなかった。そういうことであれば、ここで自分が、一行をお迎えするのが礼儀だ、と言った。


水軍を率いている、長の息子ハラノオは、血気盛んな長と比べ、大陸帰りで、賢い男性と聞いてはいた。が、婚約者を奪われて、冷静でいるだろうか。だが、反対しても、イソラ様は譲らなかった。


兵士が乱暴であれば、自分がいなければ、街が襲われる、とお考えだったのだろう。


俺は、


「わかりました。でも、もし、相手が聞く耳を持たないようであれば、お逃げください。俺が食い止めますから。」


と言った。イソラ様は、俺を置いては行かないだろうと思ったので、無理矢理約束させた。


キラは、都に報告に帰る、と、翌朝、馬を飛ばして帰って行った。


その日の昼前、水軍は到着した。住民は全員を避難させる余裕は無かったので、女子供だけ、隠し洞窟に移らせた。


だが、ハラノオは、非常に立派な男で、兵士達も統率がとれていた。都の部隊より、整然としていた。


イソラ様とも穏やかに対面し、彼女の勇気に感謝する、とまで言った。


俺が、ミナギの兄だと聞いた時には、少し驚いていたが、同席したテノが、気を利かせて、俺とは母親が違い、父もミナギの事は諦めている、と、誇張してまくし立て、イソラ様にたしなめられる、という一幕を演じた。ハラノオは、


「ああ、君のお姉さんが、亡くなったのも。たしか…」


と言いかけて、やめた。


姉の死にミナギが関わっているのは内密だった。だが、情報は漏れるものだ。辞めた使用人が、余所に移った時などだ。


そうして、俺とイソラ様、テノとアシノは、ハラノオと共に都に向かった。




都では、当然だが、大変なことになっていた。全部ではないが、地方の豪族が集まり、皆で力を合わせて、アズラ氏を討伐する、という方向になっていて、父も参上していた。


タカマガの長には、彼の次男と三男が付き添い、なんとかなだめ透かしていた。だが、「都を攻めたい」と思っているわけではなく、怒りの矛先は、トヨカ様と、アズラ氏だった。ミナギに関しては、何故か何も言わなかった。父やキラの夫に気を使っている訳ではなかった。


既に、ミナギの事は、国の眼中に無かったからだ。


だが、アズラ氏は、あくまでも逃亡先に選ばれただけで、反乱を起こした訳ではない。相手の出方を見てからでも良いのではないか。


俺は、思った事を、そのまま口にした。これでミナギは助からなくなるかも知れないが、罪もないアズラの人々を、彼の不始末で死なせるよりはましだ。


タカマガの長は、憤慨したが、俺がミナギの兄で、弟の責任に対して厳しい意見を言っているのだと分かると、軟化した。


ハラノオが、俺に口添えしてくれたのも効果的だった。


「私もそこが気になっていました。アズラ氏と私達には色々とありました。あったからこそ、分かるのですが、こういう陰謀を企むとは思えません。


やるとしたら、親しい豪族に根回しして、自分の息のかかった人物を使うでしょう。」


それで、まず、使者を立てることになり、立場と関係から、キラの夫のヤコウ氏が、翌朝一番に出る事になった。




その夜は、俺は自宅に帰った。イソラ様に着いていたかったが、イソラ様は、昨年より患いついている、母君の病室にお見舞いに行かれる。俺がお邪魔する訳にも行かないので、テノ、アシノと共に、父より一足先に、実家に向かった。


季節は春で、「桃花の宴」のため、華やかな支度がしてあったが、祝う者はいない。


父の側室は、一人増えていたが、子供は増えていなかった。


ミツネ様は、当然、疲れていらしたが、務めて気丈に振る舞っていた。


やがて父が戻ったが、何故か、ハラノオを連れていた。


「桃花の宴」は、もともとは、男性の客人を招き、料理と酒を振る舞う祭りだ。(秋は反対に、女性をもてなす、「紅葉の宴」がある。)


それから考えると、普段なら、不自然ではない。


ハラノオは、明るく、とはいかないが、穏やかに礼儀正しく振る舞った。テノとアシノも、最初は警戒していたが、直ぐに打ち解けた。


夜、就寝前に一人でいると、ハラノオに、呼び出されて、庭に出た。


彼は、庭を眺め、森への道を見つめていた。


「私は、あの時、身分を隠して、イナ姫の元でお世話になっていた。」


イナ姫、ミラが逃げようとしていた邸の主だ。彼女は、ミラの恋人については、知っていたようだが、言わなかった。婚約者の家ほどではないが、身分のある豪族であるとは聞いた。ミラが隠れて会っていた所をみると、格下の下級の豪族だろうと思っていた。


父は、結局は「身内の不始末」だからと、それ以上は追求しなかった。ミラの婚約者に、恋人がいたことは伏せておきたかったのだと思う。


「都の事を、身分に左右されずに、学ぶためだった。君のお姉さんとは、イナ様のお屋敷で出会った。」


彼の家は、婚約者の家と比べて、地方出身のため、家柄は劣るが、羽振りは格段に良い。ヒミカの婿に選ばれるくらいだ。


「婚約者の決まる前に、身分を明かしていれば…いや、それだと、お姉さんとは、会う機会が無かったな。」


彼は懐かしそうに言っていた。俺は、少年の頃は、姿の見えない恋人にも、ミナギに対するほどではないが、憎しみを向けていた。だが、今は、そんな気はなかった。


「だからと言うわけではないが、私は、ミナギ君のしたことを責めるつもりはない。子供が女なら、次期ヒミカの候補でもある。即位する時に、祭り上げる豪族達が、父親を処刑していた、では、後の災厄になるだけだ。


ただ、連れ戻しても、トヨカ様には、今までの責任を取って頂く事になると思う。」


俺は驚いた。こういう問題に対峙する当事者としては、彼の意見は冷静そのものだが、ミナギを責めないのであれば、ヒミカとしての、トヨカ様の責任の取り方とは、一つしかない。だが、それでは国がゆらぐ。


そんな事が可能なら、わざわざイソラ様を押し退ける必要はなかった。


だが、彼は、


「ヒミカとしての力に、『神通力』は関係ないと思う。」


と、さらに俺を驚かせた。


ヒミカ様の預言は、天災から豪族の結婚問題までと幅広いが、公の祭礼を除き、占われた当事者しか、その中身は知らない。他言すると運が逃げる、とされていた。


これはシャーマニズムで政治を行う場合の基礎だ。


だから、預言の精度については、噂に上る程度だが、確かに、シラハ様に比較し、精度が劣るという話は聞いていた。


ハラノオは、その「精度が劣る」理由に、トヨカ様の勉強不足を上げた。


自然災害や、生産高については、毎年、都の書記官がまとめている。突発的な事はともかく、きちんと目を通していれば、予測はたてられる。土地の特徴を把握したら、各豪族が、何を一番懸念しているかも分かる。


家中の問題や、個人的な事でも、よく話を聞いて、適切な助言をする力があれば、「霊」の声はなくても良い、とまで言った。


つまり、アズラ氏とタカマガ氏が、シラハ様の元では積年の恨みを棄てて、手を携えていたのは、そういう能力に長けた、シラハ様を尊敬していたからだ。


神通力の強さでも、予言の精度でも無かったのだ。


シラハ様は、例え予言の内容が悪くても、解決策を考え、的確な助言をする方だった。俺が物心ついた時は、シラハ様はご高齢のため、臥せっていた。だから、俺は次期ヒミカの護衛ではあっても、直接お目にかかった事はあまりない。予言のお力を目にする機会はなかった。


トヨカ様は、お力こそ強かったが、そういった面が皆無だった。即位された当時は幼かったが、ヤシロト様をはじめとする、周囲の者が補助しても、どうにも身に付かなかったようだ。


即位してしまえば、父親でも公には家臣、まして、預言の場ではヒミカに意見などは、誰も出来ない。まして、「一番」になれて有頂天の少女だ。



だが、ハラノオは、年齢のせいだけとは考えてはないようで、もしこの後で、トヨカ様が戻られても、「成長」を待つ者は少ない(いない、とは言わなかったが。)、と、その例をいくつか上げた。


アメヒ氏は、毎年、彼等の土地の名物にもなっている、火山の噴火についての預言を貰っていたが、昨年からは、大陸から招いた天文官を雇い、参上しなくなった。


ミカズチ氏の土地は、三年前、季節外れの雷雨で、甚大な被害を被った。長は都に上り、事後処理について、何度かご相談していたが、ある日、急に帰り、これまた、それ以降、参上しなくなった。


「彼等に比べれば、私事になってしまうが。」


と前置きし、彼は自分の従姉妹の話をした。


彼の従姉妹は、少女の頃に病気にかかり、一命はとりとめたが顔に痕が残った。田舎では一族の権勢があるから、誰も罵ったりしなかったが、頭の良い子だったので、自分が、他人からどう見られているか、わかっていた。


長は、早くよい婿を見つけたがったが、そういうことを権勢を便りに決めても、彼女が不幸になるだけだ。


それで、相談の結果、ヒミカ様にお伺いを立てる事になった。


ハラノオは、都でのヒミカ様の、良くない評判は聞いていたが、彼女は、従姉妹とは年齢も近い。女として、同情して、良いお言葉を頂けるかもしれない。それを期待して、参上させた。


だが、従姉妹は、都で自殺してしまった。従姉妹は読み書きは出来たが、下手だったので、遺書には「幸せになれないから死ぬ」」とだけあった。


「それ以来、父も参上しなくなった。叔父もだ。だから、祭礼のおりには、私が都に上った。だが、参上して預言を頂く事はしなかった。


父が来ない理由は、ヤシロト様は理解していた。私が婿に選ばれたのは、そういうわけだ。」


アズラ氏も似たようなものの筈だが、長はトヨカ様を強く指示した手前、何かあっても、参上しない、という態度はとれなかったろう。それで逃亡先に選ばれた。


俺は、ここまで話を聞いて、内容は納得したものの、こういう話は、一介の護衛に過ぎない俺に話すべき事か、疑問に思った。ミラの話から入ったので、つい聞き入ってしまった。


俺は、率直に理由を訊ねた。ミラの縁で口が軽くなっているだけとは思えなかったからだ。


「今までのやり方では、これから先は限界があると思う。大陸で学んできたが、いつまでも彼等と対等にやっていくには、ヒミカ様の力に頼るだけではだめだ。


トヨカ様がどうであれ、この件が治まったら、イソラ様の重みがましてくるだろう。君は、その時は、重要人物の一人として、イソラ様の側にいる人だ。」


これを聞いた時、俺は、イソラ様との仲を誤解されているのだと思った。イソラ様の不名誉になる、そう思い、反論しようとした。つまり、イソラ様に対しては、主以上の感情を持っていない、と。


だが、一瞬、ほんの一瞬だけ、ハラノオが、イソラ様の婿になり、イソラ様がヒミカになる未来を考えてしまった。


その途端、今まで押さえていたものが、堰を切って溢れだした。


イソラ様を、渡したくない。たとえ、どんな立派な男性でも。


「夜に話すには、少々、固いな話をしてしまったな。」


ハラノオは、俺の沈黙を、勘違いしたらしく、折よく庭に出てきたミツネ様に挨拶すると、家の中に入った。




その夜は、色々と、眠れなかった。




翌朝、アシノが、「あまり眠れなくて、早く目が覚めた。」と言った。テノは、しっかり眠れた、と言っていた。彼が、悩んでも仕方ない、腹は減るし、夜は眠い、と言うと、アシノが、


「俺とヒナギは繊細なんだよ。」


と言い返していた。俺の寝不足も、顔に出ていたようだ。




ハラノオ、父を加え、五人で宮廷に参上すると、イソラ様が、俺を迎えに、走って来た。


俺の姿を見て、真っ直ぐに。


だが、父は、


「何かあったのですか。」


と、おかしな質問をした。イソラ様は、


「ごめんなさい。朝から、みんなの姿が見えないと、落ち着かなくて。」


と、返事をした。だが、もう、俺には、わかってしまった。父の質問を、おかしく思うほどに、はっきりと。


イソラ様は、とても華やかな服を着ていた。よくお似合いだったが、こういう時にしては、派手だ。


「桃花の宴の衣装ですよ。」


と、一緒にいた、年嵩の女性が言った。父は、「メドリ殿」と呼んで、丁寧な挨拶をした。幼少期のイソラ様の世話係だった女性だ。


「桃花の宴、ですか?」


父は、目を丸くした。


「ヒミカ様は、『ご病気』なので、イソラ様に『桃花姫』を舞って頂く事になりました。」


メドリは、淡々と言った。


「確かに、ここまで、豪族が集まったらな。そういうことにしないとな。」


と、アシノが小声で言った。元々は婚約披露でもあった。



「そう、それで大変なの。すぐ練習しなくちゃ。ヒナギも。」


イソラ様が言った。俺は、思わず「え?!」と言った。


「桃花姫の夫役がいるでしょう。私とトヨカ様が踊るはずでしたが、彼女が『ご病気』な以上、私がやる訳には、行きませんし。」


と、ハラノオが言った。俺がなお呆けているので、父が、


「最後に進み出て、花と杯を渡すだけだから、出来るだろう。忘れたのか?」


と声をかけた。


イソラ様は、とにかく、早く、と俺を引っ張って行った。


布地の散乱する部屋には、キラがいた。他に、どうやら俺を知っている女性が一人いて、


「ああ良かった。ヒナギさんなら、衣装、ほぼ直さなくてもいけるわ。」


と、キラに衣装を渡し、そっちはお願い、と言った。


イソラ様は、別の女性たちと、舞いのおさらいを始めていた。


衣装をつけて、袖と丈の具合を見ていたキラが、腕を上げてみて、と言った。同じ台詞を二回言われても、俺は、黙りこくっていた。展開についていけなかったからだ。


「夫なんて、とても名誉な役だから、しっかりね。」


とキラに言われ、我に返る。そして冷静になる。俺の一族は、「不名誉」を被ったばかりだ。それがこのような役、他の豪族は納得するだろうか。


「イソラ様が、お兄様と一緒なら、って。…子供のころ、習っただけだから、自信がないって仰って。」


イソラ様が、と言われて、俺はびくりと動いた。袖の飾りがとれかけていることに気づいたキラが、着たまま直そうとしていたが、俺が僅かに動いたので、危うく針を指す所だった。


キラは、


「お兄様、この役、初めてじゃないんですから、そんなに緊張しなくても。」


と、針を持ち直しながら言った。それは記憶にない。イソラ様にお仕えした時は十歳、覚えていない筈はない。


「私が4つの時よ。舞いのお稽古に、付き合ってくれたでしょう。」


それで思い出した。「桃花姫」だと気づかなかったが、花を受け取り、右に一回転してから、さらに杯を受け取る所作で、キラは、綺麗に一回、なかなかぴったりと回れなかった。


「やっぱり、忘れてたのねえ。」


一応は思い出したので、その旨を告げたが、キラは、なぜか寂しそうに笑った。




その後は慌ただしく、イソラ様と合わせる機会もないまま、気がついたら、舞台袖にいた。


イソラ様の舞い姿は、何度も拝見していた。が、華やかな席で、相応しい装いで踊る姿は、都を離れて以来だった。


曲の終わりに、進み出て、花と杯をお渡しする。キラと踊ったものと異なり、杯に浮かべた花を、一回で渡す振りになっていた。


杯を、誓いのように掲げて、飲む、イソラ様のお姿。本物の春の女神のように、お美しかった。




その夜は、イソラ様から、話があるから、夕食後に、と、言われていた。俺もイソラ様にお話があった。


恐らく、同じお話だったろう。


だが、その年の、都の春は、夕食前に終わった。


失われた、聞く機会も、話す機会も。






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