2.二つの月

ガディオスは、月を背にして、俺達に向かい合った。一度、グラスに映った月に目を向けてから、ゆっくり話し始めた。




   ※ ※ ※ ※ ※




クーデターがなければ、、ルーミは、祭典出席のため、王都より南東にある、イシアの古い神殿に向かう予定でいた。祭典は三年に一度行われるもので、普段は王族は出席しない。だが、その年は、十回毎の、つまり三十年に一度の「大式典」に当たっていた。さらに、前回の祭典は、イシア地方に集中した、豪雨による被害のため、直前に中止になっていた。


このため、ルーミは国王自らの出席を決めた。


クラリサッシャ姫も、主任神官の筆頭としての出席が決まっていた。ザンドナイス公は毎回出ていたし、復興担当であったため、先に向かっていた。レアディージナ姫は、公務は免除されていたが、イシア地方は、「教育費」として、神官以外の未婚の王女に捧げられた街なので、体調が良ければ出席したい、と希望していた。カオスト公とイスタサラビナ姫は、王都で留守を守る予定だったが、当時は領地にいたカオスト公は、現地でのトラブル対応の都合で、帰都が遅れていた。


クロイテスは、王女二人と、神殿から、イシアに向かうため、途中のトビアの宿場にいた。ガディオスは、カオスト公が到着したら、ルーミとイシアに向かう予定で、王宮にいた。アリョンシャは、グラナドが魔法院の試験中のため、魔法院にいた。


だが、カオスト公が予定より遅れたため、ルーミの一行は、先に出発しようとしていた。しかし、直前に、イスタサラビナ姫から、「息子の事で、相談したい事がある。」と書状が来て、半日、出発を送らせた。


イスタサラビナ姫は、息子の教育で、カオスト公と、何回かもめていた。一回、離婚寸前まで行った事があり、ルーミが中に入り、収めた。それ以来、表立ってもめる事はなかったが、当時はイスタサラビナ姫が息子にあまり構わなくなり、カオスト公はさりげなく、息子の「次の王位継承権」を主張し始めていた。


イスタサラビナ姫は、どうやら息子エクストロスの王位には反対のようで、相談はその事だろう、と思われた。


「姫は王族にしては風変わりな面がある方でしたからね。書状を送るよりは、いきなりやってくるタイプでしたが、陛下と入れ違いになるのをさけたのだろう、と、その時は、疑問には思いませんでした。」


ガディオスだけ、一足先に出た。そう多い人数ではなかったが、ザンドナイス公が途中のエステアまで、自ら迎えに来ているためだ。遅れると伝えて、直ぐに取って返す予定だった。後はモーザン大隊長に任せてきた。最初は、使いにモーザンを出し、ガディオスが残る予定だったが、ビトリオという若い騎士が、


「ザンドナイス公には、副団長の方が良いのでは。」


と進言した。カオスト公への催促の使いは、バルドン大隊長だったので、同等のモーザンが適任だと思ったが、今回は、ザンドナイス公から出向いてくれている。一理あるので、その意見を採用した。


だが、エステアの手前で、ザンドナイス公から、


「途中のシーマスで、イスタサラビナ姫に会った。出席の連絡は聞いていないが、そのままイシアに向かって頂いた。」


と連絡があった。イシアは、もともとイスタサラビナ姫に捧げられていて、彼女が結婚した時に、慣習により、レアディージナ姫に捧げられた。出席する事には問題はない。姫には気まぐれな面があったので、気が変わったのかと思った。しかし、国王との約束を無視するだろうか、と、不審に思った。そこで、彼は引き返す決心をした。


そして、予感は当たった。


王都に戻る道で、早馬に会った。ビトリオだった。彼は、テスパンの反乱を伝えにきた。彼は、努めて冷静に、王宮と魔法院が襲われて、陛下は自分が出た時は無事だったが、見た事のない術のせいで、魔法がほとんど通じない、と言った。彼は風魔法使いだが、転送魔法を使わず、馬で駆けてきたのは、そのためだった。


ガディオスはビトリオをザンドナイス公の元に、自らは王都に取って返した。部隊は連れていったが、道中、避難民でごった返していたため、一部を誘導に裂いた。


王都では、街のあちこちに仕掛けられた、改造型のシアン式連射装置と、どこから連れてきたのか、酷く狂暴な山犬が走り回り、惨憺たる有り様だった。だが、ビトリオが言うよりは、攻撃魔法は多少効き、魔法剣も使えた。しかし、部下の転送魔法や、ガディオスの探知魔法は、使えなかった。


なんとか王宮にたどり着いたが、大隊長本人の姿はなく、彼の部下が三人、王宮入り口付近で戦っていた。


敵は寄せ集めで、平常時なら、苦戦するほどの物ではないが、大隊長ともはぐれ、バラバラになってしまった若い騎士達は、回復の余裕なく、傷だらけだった。


だが、ガディオスの姿を見て、奮い立った。勢いで、入り口の敵を片付け、国王の執務室を目指した。


回廊には、剣で戦った跡が生々しく、切られた者がたくさんいた。息のある者を見つけ、


「王はテスパン伯と戦いながら、広間に向かった。」


と聞きだした。


「…広間に飛び込んで、真っ先に目にしたのは、倒れている陛下でした。別れた時は、薄いブルーのマントをお召しになっていましたが…。


剣を、胸に受けてた。マントは、真っ赤だった。」


ガディオスは、少し言葉を切った。グラナドが肩を震わせる。倒れてしまうかと思い、支えたが、


「大丈夫だ。」


と、短く答える。


「…テスパン伯と、奴が集めていた、ごろつきのガキが数人、怒鳴り合いになっていました。


『使えない』とか、『聞いてない』とか、『おしまいだ』とか。後からセレナイトに聞いた話と合わせると、『成り代わる』つもりだったのかもしれません。


だが、奴等の心づもりなんか、どうでもいい。


俺は、剣を振り回して、突っ込んだ。せめて、テスパンを道連れにしたかった。もう少し、と言うところで…。


なんと言うか、『弾き飛ばされた』、かな?


…後は、セレナイトに助けられるまで、ほとんど記憶がない。


その後の話は、彼女から聞きました。」


語り終えたガディオスは、グラスを手に取ったが、飲まずに一瞥し、また脇に置いた。グラナドは、柱の台座に腰を降ろしていた。最初は立っていたが、先程の下りの時に、座らせた。俺は脇に立っていた。


三人とも、しばらく無言だった。


「ありがとう、ガディオス。」


グラナドが言った。


「…私が戻った時は、陛下は火葬にされていました。私は、運んだだけです。それしかできなかった。」


「火葬は、もともと陛下の、父様の希望だった。火魔法使いだったから、と思っていたが、今考えてみると、ラズーパーリに、一部でも、納めて欲しかったからなんだと思う。


お前は、父様の望んだ形で、然るべき場所に連れていってくれたよ。」


「殿下…。」


ガディオスの目には、涙が浮かんでいた。


《勇者ルミナトゥス・セレニス。彼の意思により、生まれ育った土地に、総てを分かち合った、幼馴染みと共に眠る。》


ルーミの墓碑銘が過る。


ラズーパーリの教会の跡地、ホプラスと共に過ごした、想い出の丘。埋葬しても、彼等は、そこに眠り続ける訳ではない。だが、自由な意思で最期の場所を選ぶのは、自分の人生を全うした者の権利だ。


ルーミが本当はどうしたかったのか、確認する手段はない。だが、俺は「確信」していた。


月の見守る中、俺達は、ただ静かにお互いを見ていた。


やがて、ガディオスは、杯をゆっくり、月に向かって、差し上げた。運命が見える、先程聞いた諺を思い出した。


遠くに、男女混じった陽気な笑い声が聞こえる。拍手が響き、その中から、女性が一人近づいてきて、


「夜光酒が出ますよ。お好きでしょう、サニディンさん。」


と、声をかけてきた。


「そりゃ、いただかなきゃ。」


ガディオスは、サニディンに戻り、


「二人も、是非。」


と一言残し、半ば女性に引っ張られつつも、後について行った。


「俺は今日は飲めないんだが。」


とグラナドが小声で言った。


「ちょっとくらいなら、いいんじゃないか?君、割りと好きだろ。ミルファに聞いたよ。子供の頃、厨房からワインを持ち出して、一緒に飲んだんだって?」


「…あれは、俺の人生で、最大の選択ミスの一つだ。」


それから、少し、他愛もない会話を続けていた。今しがた聞いたばかりの話から、グラナドに改めて確認したい事はあるが、何とは無しに、別の話題を選んでいた。


ふと、会話が途切れる。余興で歌が始まり、拍手の音で会話が聞きづらくなり、「え、今、なんて?」と聞き返したのが始まりだった。




《愛しい愛しい貴女の瞳…》




余興の歌声、伸びの良い高い男声が、妙に響いている。もう騒がしくは無かったが、話しやすいように、お互いの距離を詰めた。




《僕の愛した貴女の瞳…》




間近になった、グラナドの顔、さっきまで飲んでいた酒のような、琥珀色の瞳。月と俺を映している。


「ラズーリ…?」




《僕の名を呟く貴女の唇…》




瞳は閉じ、お互い、どちらともなく、微かに触れた瞬間。




《愛しい愛しい貴女の唇


愛しい愛しい貴女の瞳




僕の愛した、緑の瞳。》




冷たい歌詞に、急に頭が冷える。歌い手が最高音を響かせ、




《冷たく閉じられ


もう僕を映さない…》




と悲壮なクライマックスを歌い終え、歌は終わり、拍手喝采が始まった時には、グラナドは、俺の腕をすり抜けていた。


ためらいか驚きか、大きく見開いた、琥珀の瞳。月ではなく、俺を映している。


自然、俺の手は、彼に伸びた。


手を伸ばして、それから、どうする。そんな考えが浮かんだにも関わらず。


「おおい、大変だ!ミルファが…。」


シェードが叫びながら、走ってきた。


「飲んじまった。夜光酒をジュースと間違って。」


グロリアもいて、


「一杯だけだから、そう慌てなくても。」


と口添えた。グラナドは、


「一杯が二杯、二杯が三杯になる前に、止めるんだ。」


と言いながら、戻る。


「夜光酒ってのはどんな酒なんだ?」


「なんか、きらきらして、綺麗な酒だよ。花が添えてあって…」


「強いかどうかだ。」


「夜光華の実で作ったお酒よ。そのままだと強いけど、ミルファが飲んだのは、八割はソーダのやつだから…。」


三人は、口々に小走りだ。


俺は、グラナドの背中を追った。




途中に振り返った月は、高く静かに照り映えていた。


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