[3].月と猿

1.月が映る

酒宴は、味方全体で盛り上がった。「戦勝祝い」(ラスボスはまだだが、楽園城の件は、一段落した事になるため)も兼ねている。


ここでは、飲酒可能年齢は、人族は二十歳(法律があるのは、帝国領の中心地域だけだったが)、魔族は種族により平均寿命が違うため、独自の計算方法で定められていた。ジェイデア達のように、人族に近い種族は、概ね十五歳を基準にしていた。


ジェイデア達は問題ないが、俺達の場合、全員人族とすると、このワールドの基準に合わせたら、飲めるのは俺だけだった。


コーデラもラッシルも十五歳だったが、ここの基準に従い、シェード、ミルファ、グラナドはソーダ水とジュースを飲んでいた。


グラナドは、始まる前に、俺とシェードに、


「とにかく、ミルファには一滴も飲ませないようにな。」


と念を押した。


「ラールさんにきつく止められてるから、自分から飲みたがる事はないと思うが、魔族は、相手が人族でも、子供以外には、薦めてくる所があるから、一応な。」


これにシェードが、


「酒豪の娘、と言っていたから、ちょっとくらいなら。」


と言ったが、グラナドが極めて真面目な様子で、


「飲ませたいなら、騎士と魔法官を最低十人揃えて、周囲を囲んでからでないと、無理だ。」


と言ったため、


「そ、そうか。」


と答え、言うことを聞いた。


二人はミルファの両隣に陣取り、イシュマエルとトパジェンと飲んでいた。グラナド達に合わせたのか、彼等も最初の一杯だけしか、酒は飲まなかった。ただ、イシュマエルは病み上がり、トパジェンは、もともとあまり飲まないらしい。反対に、ジェイデア、グロリア、そしてセレナイトは、料理より杯を薦めていた。セレナイトは黙々と、ジェイデアは優雅にグラスを傾ける。グロリアは陽気に、二人のグラスが空になると、すかさず注いだりしていた。


料理は、食材が限られていて、量も宴席のわりには控え目だったが、調理方法に工夫がしてあり、とても美味しい物だった。ここは酒は名産らしく、水と同じくらい豊富だ、とサニディンが言っていた。


「まあ、お前とアリョンシャと、三人で飲めないのは、残念だがな。」


庭に拡大した宴席、催しの始まったストーンサークルの陰、サニディンと二人で飲んでいた。楽器の音が大きかったので、話し声が聞こえるレベルの所を探したら、サニディンがいた。だから、今は二人だ。


「そういや、いつだったか、月を見ながら飲んでて、アリョンシャが、『月と言えば兎だよね。』と言ってたな。模様が兎に見える、と言うんだが、賛同者は半分くらいだったな。ヘイヤントに来てから、そういう話は良く聞いていたが、ヘクトルだったか、『月と言えば、猿じゃないか?水面に映った月を取ろうとする絵があるし。』と言った。


いくら猿でも、そんな事はしないだろう、月に向かって木登りでもする方が自然じゃないか、と思ったが、猿には、月は水に映ってるだけで、実体は空にあるとは、分からなかったんだな。」


サニディンは、月を見上げて、また手酌で一杯飲んだ。


「本当にいいのか?」


俺は、改めて聞いてみた。ガディオスなら、むしろ勇者に選ばれてもおかしくない人物だ。だから、守護者に、というのはわかる。しかし、彼の家族の事は気になる。


「それは、もう、大丈夫だ。前に一度戻った時、実は確認した。妻と娘達、義母はウーズにいたから、皆、無事だった。姉はターカム、妹はシノイ、田舎住まいだから、これも無事だった。店は魔法院の近くだったから、従兄弟夫婦の無事は確認はしていないが…仕入れで留守、と聞いていたから、恐らく。」


彼はホプラスと同じ、複合体の戦災孤児だ。「店」は、妻の実家の飲食店の事だが、義父が亡くなり、義母が体の具合が悪くなったため、妻の従兄弟が継いだ。この事については、義母と妻、従兄弟との間でもめたそうだ。ガディオス一家は、王都の郊外に自宅を持っていて、店に住んでいた訳ではないが、妻にとっては「自分の実家」になる。だが、義父と彼の兄との間には、彼らの両親が亡くなった時に、相続でもめた経緯があり、さらに、その兄が亡くなった時も、田舎の農場の相続をどうするかでもめていた。結局、店は従兄弟に譲渡、隣接する家屋は貸家扱いにして、家賃を義母が受けとるようにした。


クーデターの二ヶ月前、上の娘から、


「夫の実家の出資で、新しい保養施設が出来る。優先的に入れて貰えるが、どうか。」


と打診があった。このため、下見もかねて、ガディオス以外の家族は、上の娘の嫁ぎ先のウーズに、揃って滞在していた。


「長期滞在になるから、と、殆ど引っ越しみたいな乗りだったな。交代で俺の面倒は見に来てくれた。あの週は、俺も王都を開ける事になるし、戻ったら直接ウーズに行くから、と、一人で過ごした。ちと寂しかったが、それが幸いした。


妻は、下の娘のリナに、婿を取って、店を継がせたかったんだが、あの子は、上のミナと違って、物凄く内気で。料理は得意なんだが、店向きじゃない。何より、本人にその気がないのに、無理に婿を取らせるのは、駄目だろ。その事では、ミナも俺と同意件だった。


ミナの夫は、茶園の跡取りだ。結婚する時に、義父母は、『婿に来れない、店を告げない』と言うことで、最初は反対していた。彼が当主の実の子供じゃなく、養子だったのも引っ掛かっていたらしい。親戚ではあるんだがな。


妻は反対はしなかったが、気乗りはしなかったみたいだ。当主は女性で、独身のため、身内の子を養子にしていたんだが、どうも、未婚で、子供がいない、というのが、気になったらしい。俺にはその辺の理屈はわからんが。


彼女は、ガディナ様やシスカーシアさんの昔馴染みで、俺は大体の人柄は聞いて知ってたんだが、妻は知らなかったからな。おっとりした、穏やかな人だよ。シスカーシアさんが、うちまで、わざわざ話に来てくれた。


普通、娘が嫁に行くときは、父親が反対するもんだが、最初、賛成していたのは俺だけだった。まあ、実際、義母も妻も、ウーズの風土は気に入っていた。俺の故郷に、少し似てるかな。よく覚えてないが。


ウーズより先に、陛下をラズーパーリにお送りして、帰路にある、姉と妹の家に、先に寄った。遠くから見ただけだったが。忙しそうに、避難民の世話をしていたよ。


ウーズに行ったのはそれからだ。ヘイヤントに反テスパンが集まっていると噂だったから。最終的にそこに行く予定だった。姿も変わっているし、これも遠くから確認するだけのつもりだった。


だが、どうしても直接会いたくなった。しかし、上流の婦人の家に、いきなり見知らぬ男が尋ねて行き、会わせてくれ、と言っても、通らないだろ。セレナイトが返してくれた品の中から、結婚の時に、妻からもらった、指輪を使った。手紙を添えて、


『情報収集に雇われていた者です。他の品もお渡ししたい。』


と伝言したら、すぐに会えた。義母は具合が悪いらしく、薬で眠っている、と聞いた。ミナの夫は、あちこち休む間もなく動いていて、その日はいなかった。妻と娘の他、当主の婦人と、魔法官の男性が、二人立ち会った。親子の魔法官で、息子は宮廷魔術師になったばかりの若い男だ。父親の方は宮廷魔術師では無かったが、ウーズで事業をしていて、王都には頻繁に来ていた。エスカーより二期上に当たるらしい。仕事が茶園関係だったとは知らなかったがウーズで事業、というと、お茶だろうしな。店には、二人揃って、何度か来ていた。


俺は踏ん切りを付けるつもりで、お前の形見の鞘と、陛下から頂いたコンパスを渡した。妻は、鞘は覚えておらず、指輪も『よく似ているが、違う。』と言いはっていた。忘れたわけではもちろんなく、認めたくなかったんだろう。そういう所があった。だが、コンパスまで見ると、流石に気丈には振る舞えず、取り乱して、一瞬、そのまま倒れて死んでしまうかと思った。


俺は自分の状況も忘れて、妻を落ち着かせたが、奥に連れていこうとしたら、


「後はこちらで。」と、親父の魔法官に止められた。結局、奥に連れていったのは、彼らだった。


リナは泣きじゃくり、当主の婦人が支えていた。ミナが、母の『非礼』を謝り、礼を言ってから、


『でも、最後は、はっきりとは、わからないのですね。』


と言った。『死』を伝えに来たのだが、俺は、つい、そうです、と言ってしまった。


ミナとは、しばらく話したが、おそらく、今後の憂いは無さそうだった。別れ際に、


『ペンダントが見付かったら、貴方が持っていて下さい。』


と言われたよ。


あの子は、妙に勘の良い所があった。妻は自分に似たと言ってたが、どっちかというと、俺の母方の叔母に似たかな。故人だし、殆ど覚えてないが。アリョンシャは、俺に似た、と言っていた。


結婚の時に、妻が、店をつがないなら、せめて騎士と、と言ったんだが、


『お父様の事は大好き。尊敬してるけど、騎士の奥さんにはなれない、と思うわ。』


…まあ、俺も、部下や後輩には会わせないようにしてたしな。大変なのはわかってるから。」


ガディオスは、一息つくと、少し寂しそうに、だが、暖かく笑った。


「あ、だが、お前は別な。実は、今だから言うが、俺の妹は、お前の事を好きだったみたいだ。」


意外な話題転換に、グラスを滑らせそうになった。


「まだまだお子様だったころだよ。任命式で会ってるだろ。『お前の容姿じゃ、勝負にならんから、諦めろ。』と言ったら、しばらく口を聞いて貰えなかった。冗談の積もりだったが、思春期にこれは、冗談ではなく暴言だった、と、後から気付いて、許してくれるまで謝り続けた。姉にも絞られた。



後で妻達にその話をしたら、妻と娘達にも絞られた。義父でさえ、『幾つになっても、女にそれは禁句だよ。』だったなあ。」


確かに、言われても、ホプラスは困るだけだったろう。だが、容姿の問題ではない。


「容姿の、問題じゃないもんな。」


俺の思考を、ガディオスが口に出した。


「俺とお前では、意味が違うが、良い方に廻り合い、共に過ごせたのは、『類い稀なる幸福』というやつだったな。これから先、もし何百年生きる事が出来ても、もう、二度とない。それくらい、得難い廻り合わせだった。」


ガディオスは、月を見上げていた。今の彼の目は、月の満ち欠けを、儚く映し、柔らかく輝いている。


今まで担当した中には、月が七つあるワールドがあった。ここと向こうは、月は一つだ。最初は寂しい空だと思ったが、今は違う。


グラスの琥珀色に、月が映っていた。俺は、飲まずに、脇に置いた。


俺もホプラスも、水に映った月は、望まなかった。


「なんだ、苦手なのか、麦酒。」


神妙に月を見ていたはずだが、思いがけない問いに、「えっ」と声を上げた。


「ここのは、あまり癖がないから、いけるかと思ったんだが。」


さっき取ったばかりのグラスで、飲んでないが、色の濃いワインだと思っていた。改めて見ると、琥珀色なのはガラスで、中の酒は透明なようだ。清酒みたいだが、元が麦なら、蒸留酒だろうか。


月にかざしてみる。はっきりしないので、食堂の方を向き、灯りに透かして見た。丸い照明が月より月らしく見える。


「『グラスを満月に翳すと、運命が見える』って、諺があるらしい。トパジェンから聞いたよ。」


グラスの向こう、琥珀色を透かして、人影が現れた。グラスを避け、直接見る。


グラナドだった。一人だ。


「ああ、探してたんだ。」


と、彼は言った。


「俺を?」


「そうだが…。そんなに意外か?」


彼は、俺の驚きに、不思議そうに尋ねた。続いて、


「二人一緒か。丁度良かった。」


と言った。ああ、ガディオスにもか。急に緊張が溶けた俺は、グラスを一気に半分開けた。魔法耐性で酔いにくいため、普段から殆ど飲まないが、ガディオスの言った通り、癖のない麦酒だった。少しだけ、ベリーか何かの甘い香りがしたが、味に甘味はない。


「邪魔して悪いが、どうしても、一緒に、聞いておきたい事があるんだ。」


グラナドは、俺の側により、ガディオスを見つめた。ガディオスは、ああ、そうですよね、と、言ってから、座り直した。


「陛下の事ですね。」


傍らで、グラナドが、小さく、だが、はっきりと、頷いていた。



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