[2].月の輪

1.月の輪の魚

俺とミルファ、シェードの三人は、グラナドと共に、「サヅレウスを追ってきた、元部下」という設定で、「会いに行く」事になっていた。


グラナドの「地元の恋人」は、グロリアではなく、ミルファがやる。グロリアは、この前、ハイコーネの役所に、偶然、神殿時代の知人がいる事が分かったので、そちらを「利用」させて貰うことにした。


グロリアが楽園城にまで来ていたなら、サヅレウスには別人と気づかれるのでは、と思ったが、対面したのは一回だけ、マントを着て、腰を低く目を伏せていたから、「色白の黒髪」「人族の若い女性」程度の認識しかない、とグラナドは断言した。


「マヅダオスの方が残ってたら、解ったかもしれないがな。サヅレウスは、医者の割りに、注意力散漫な奴だった。ややぼうっとした所があった。」


だから、俺が追ってきたとしても、疑うことはないだろう、と続けた。


作戦会議は、出発の前日に、慌ただしいが、きちんと行われた。


「お前達はそれでいいとして、俺達は?駆け落ちに護衛を雇いました、なら、一人で充分だろ。急に雇ったということにするなら、二人もいたら、怪しまれるかもしれないぞ。」


シェードは、不思議そうに言った。


「お前らも、駆け落ちの恋人同士って事にしろ。」


グラナドの言葉に、シェードは絶叫し、


「俺が女装するのかよ!冗談じゃねえ!」


と言ったが、


「したいなら止めないが。戦闘になったら不利だろ。」


と、あっさりかわされた。続いてジェイデアが、「説得」を始めた。


「帝国は、男色は禁止しているが、セントニオスの代に、富国強兵政策の一環として制定された法律による。まあ、禁止だ何だと言っても、あくまでも表向き、でね。身分の高い連中は、不倫と同様、『たしなみ』にしていた。


それでも、異民族間は駄目、とか、身分差があるから駄目、とか、実は男女より厳しい慣習がある。


ラズーリさんは魔法剣があるから、『貴族で、魔族とのハーフの庶子』で無理矢理通せる。シェード君は、『屋敷に仕える、人族の護衛兵』あたりで。


政略結婚させられそうになったから逃げた、魔族に味方するのも釈然としないから、で、なんとかなると思う。サヅレウスがシェード君に見覚えがあったとしてもね。


それに、珍しい存在があれば、ミルファさんとグロリアの、目の色の違いに、注目されなくて済む。


悪いけど、頼むよ。」


止めの笑顔に、シェードは、抗議を引っ込めた。女装よりはましだ、ということか。


俺は微妙だが、断るわけにも行かず、


「…宜しく。」


とだけ、中途半端な笑顔で、シェードに言った。彼は、「お、おう。」と答えた。


ジェイデア本人も、ハイコーネを訪問する。セレナイト、サニディン(ガディオスだが、彼が俺をラズーリと呼ぶため、俺もサニディンと呼んだ。)が付き添う。リアルガーに顔を知られている事を利用し、彼を誘いだし、サヅレウスと引き離す。俺達はサヅレウスを、セレナイトがリアルガーをとらえる。


リアルガーが、いくらジェイデアに吊られるとはいえ、セレナイトのいる所に出てくるかわからないが、団体の首領に、サヅレウス引き渡しを交渉するために、ハイコーネに、強引に呼び出す算段だ。付き添いの彼は来ざるを得ないだろう。


そうジェイデアが説明した時だ。


「なら、俺も行く。」


の声と共に、打ち合わせの場に、イシュマエルが現れた。左右に、トパジェンと、サニディンが付き添っている。グロリアは、彼を見て、


「休まなくちゃ。」


と言ったが、イシュマエルは、


「必要ない。大丈夫だ。」


とだけ答える。グロリアは、表情を変え、何かいいかけたが、トパジェンが、


「傷口は、回復はしてるの。体力的には、着いていく分には、問題ないと思うけど、やっぱり、大事をとって、休んでもらいたいわ。」


と言った。だが、イシュマエルは、ジェイデアに向かい、


「お前が行くなら、俺も行く。護衛官なんだから。」


と言った。


「リアルガーも、いるんだろう。」


と添えて。


グロリアが、サニディンに、


「リアルガーの話、したの?」


と言った。サニディンが、ばつな悪そうな笑顔で、「つい。」と言った。イシュマエルは、グロリアを、


「黙っている積もりだったのか。」


と、睨んだ。


「仕方ないでしょ。言ったら、絶対に行くと言うだろうし。あんたは、休ませることにしたし。」


「勝手に決めるなよ。もう、治った。」


「なに、その言い方。だいたい、あんたは…。」


「わかった。参加してくれ。」


ジェイデアが、遮った。グロリアは抗議したが、ジェイデアは、笑顔で続けた。


「ただし、お前がいると、リアルガーが誘きだせないかもしれないから、グラナド君達と行ってくれ。もともと、グラナド君とは旅仲間、という設定だから、不自然ではないだろう。」


これも、待機に比べたらましだということで、イシュマエルはしぶしぶ承知した。


もともと、このワールドの者を一人も入れずに、サヅレウスと対決するのはどうか、とも考えていたので、丁度良かった、と言える。




俺達は、ジェイデア達より一日早く、しかし同時に着くように出発した。




イシュマエルは、リアルガーと対決したがったので、不満は持っていたようだが、俺達には、努めて穏やかにしていた。グラナドにはやや別のようだったが、これは、彼とは接する機会が多く、慣れがあるのだろう。


「たぶん、サニディンは、わざと教えたな。」


とグラナドは言った。船で二人だけで話す機会があり、聞いてみたら、こう答えが返ってきた。


「リアルガーは、露骨に言い寄ってたらしいから。イシュマエルは腹に据えかねる物があったんだろ。」


「しかし、それなら、リアルガーは、ジェイデア自身に危害は加えないだろ。護衛官って立場が、ラッシルでの皇族のガードだとしても…。」


と言うと、彼は笑いだし、


「ああ、やっぱり、お前だな。」


と呆れたように言った。


「お前はともかく、シェードやミルファがあれ、だ。子供の頃から、ずっと一緒だった、イシュマエルが、何とも思わないわけ、ないだろう。」


子供の頃から、という話は、聞いたような聞かないような。だが、それなら、家族みたいなものだから、恋愛対象にならないケースも少なくない。まして、子供の頃は男性同士だったんだろう、と言いかけたが、俺がこの口で言っても、説得力がない。


グラナドは、ざっと背景を説明し出した。


イシュマエルは、ジェイデアの性別を変えた、同じ魔術師に、『魔力の大半を、肉体強化と武力に変える』術を受けていた。ジェイデアは、帝国に人質に出されていた時期があって、イシュマエルも同行したがったが、帝国側の付けた同行者の条件が、『魔力の低い者』だった。帝国にはオリガライトがあるのだから、魔力の高さが驚異になるのか疑問だが、「人族に能力が近い」という意味だろう。


ただ、魔族である以上、魔力の低い者、は少ない。帝国には低い、ということにし、上手く隠蔽できる者を中心に、同行者を選出した。イシュマエルは、まだ少年だった事もあるが、彼は「強すぎて」駄目だった。


帝国でクーデターが起きた時、ジェイデアは、オリガライトで強化された、宮殿の牢に捕らえられた。反乱の首謀者達は、魔族と敵対する積もりはなく、とりあえず監禁しただけだが、当時は、逃亡してきた側近が、「皇帝が贔屓をしていた者は、殺された。ジェイデア様も処刑されてしまう。」と口々に言った。贔屓かどうかはわからなかったが、待遇が良かったのは事実だった。


魔族は軍を出したが、オリガライト対策に手間取り、都への到達は遅れた。


ジェイデアは、それより前に、イシュマエルが、助け出した。最強の魔導師候補だった彼は、魔力の大半と引き換えに、肉体の成長と強化を得て、混乱に乗じて乗り込み、ジェイデアを助けに行ったのだ。


「その魔術師が死んで、ジェイデアもイシュマエルも、本来の姿に戻ったわけだ。ジェイデアは、男に戻りたくないようだが、イシュマエルは、力を取り戻したがっている。あいつの力なら、今の状態が、一番役立つと思うんだが、同じペースで成長出来ないのが、気になるんだろう。」


ジェイデアは、男性に戻りたがっている、と、セレナイトからは聞いていた。グラナドの今の説明とは、反対になる。


俺は、それをグラナドに伝えた。


「ああ、口では、そう言うけどな。…ま、あれだ。イシュマエルの立場は、リンスクでのシェードみたいなもんだから、複雑な心境ってやつだ。」


と言った。シェードは、複数の女性に好意を持たれていたが、本人はレイーラ一筋のため、気づかなかった。レイーラは、シェードの気持ちには気づいていなかった。


しかし、ジェイデアとイシュマエルは、お互いの気持ちには、気づいていないのだろうか。イシュマエルは鈍そうだが、ジェイデアは鋭そうなのだが。


細々と話していると、俺達から、少し離れた所で、水面を見ながら騒いでいた三人から、ミルファ一人が、こっちにやって来た。


「水中に、凄くきらきらした魚がいるわ。珍しいんですって。」


と俺達を誘ったので、彼らのいる所に行った。


「はしゃいで、落ちるなよ。」


と、グラナドが言った。ミルファは、


「もう、そんなわけ、ないでしょ。」


と可愛らしく膨れて言った。俺は、


「大丈夫、落ちる前に、助けるよ。」


と言った。グラナドが言うまで待てば良かったか、と少し後悔した。


しかし、落ちそうなのは、シェードとイシュマエルだった。シェードは船に慣れているため、落ちそうに見えて、しっかりバランスを取っていたが、イシュマエルは、かなり危なっかしく見えた。


水面に、金色のラインが見える。魚というよりは、大きな鰻のようだ。


「『ツキノワウオ』というんだ。雄が尻尾を加えて、輪っかのようになって、雌に求愛するから、そう呼ばれている。」


イシュマエルが、シェードに説明しているのが聞こえた。


「お前も、見たこと、ないのか。」


とグラナドがシェードに言った。シェードは海育ち、ここは湖、しかも異世界だ。見たことはなくて、自然だろう。


「似たようなのはいるけど、あんなに長いのはないな。普通の魚には。」


シェードは、魚の流れから、目を離し、俺達を見て言った。


「食べられるの?」


と聞いたのは、ミルファだった。グラナドは、「お前なあ…」


と言いかけたが、イシュマエルが、


「何度か出たろ。一応、名物の郷土料理だからな。」


と答えた。


「普通は湖に入る河口に、仕掛けをして採るんだ。湖に入ってしまうと、急に成長して、捕まえにくくなる。身も固くなるけど、食感は好みによるな。成魚の鱗は細工物の材料になる。…黒髪だから、似合うんじゃないか?」


さりげない一言に、ミルファが少し焦り、


「そ、そういえば、トパジェン先生が、髪を纏めるのに、そういう感じのを使ってたわね。」


と、シェードを振り向いた。シェードは、「ああ、あの花模様のやつか。」と言った。


「前に使ってたのが、金属製の重いやつでね。普通にしてても、よくずれてた。街を出てからは紐で縛るようになったが、紐だけだと、手間がかかる。


こっちにきた時に、丁度良いのがあったから、1つ買ってみた。調子、いいらしい。」


イシュマエルはさりげなく言ったが、つまりは、髪飾りをプレゼントした事になる。


話題は、その細工(『象眼』と同じ技術のようだ。)の話になっていたが、グラナドだけは、俺を見て、


「天然でね、『真の女性担当』は。」


と小声で言った。


その時、急に船が揺れた。何かが、ぶつかった。


ミルファが落ちかけるが、グラナドが風魔法で咄嗟に浮かし、助けた。イシュマエルも落ちかかったが、シェードが手を引き、シェードの手は、俺が引いた。


甲板には他にも人がいたが、皆、奥まった食事の席にいたので、転びはしたが、落ちはしなかった。


何があったのか、と問い掛ける前に、空中に、金色の輪が出現した。


ツキノワウオの輪、とは、これのことか。空中で回転している。繁殖期の踊りのはずだが、愛とは程遠く、鱗をカッターのように飛ばしてきた。


魔法が使える者は、盾を出した。イシュマエルだけは、盾の隙間から、火の玉を出した。水属性で、体が濡れている相手にはどうか、と思ったが、彼の炎は、一瞬にして、月の輪を日の輪に変えた。


燃えつき、水面に散る。食用の魚だけあって、香ばしい香りが当たりを包んだ。


しかし、輪はさらに7つほど現れた。さっきのに比べ、小さいが、鱗のスピードが、格段に速い。イシュマエルは再び火の玉を放ったが、速すぎて避けられる。当たった物は火が着いたまましばらく飛ぶ。グラナドは盾を強化し、俺は魔法剣を使った。


ミルファが、イシュマエルに、


「火縄にして。」


と言った。彼は、火縄を何本も、蜘蛛の巣のようにして、鱗を遮った。近付いた鱗は、糸にに絡み取られ、逃げられずに燃える。能動的な火の盾というわけだ。


ミルファは、銃で、素早く回転する本体の、目とおぼしき場所を狙った。グラナドは鱗が飛んで来なくなったため、拘束魔法に切り替え、回転を鈍らせた。


俺はシェードと二人で、氷霧を作り、一般の乗客に被害が及ばないように、広範囲を防御した。イシュマエルが改めて、鈍った本体を焼いた。


七体を倒してしまうと、治まった。ツキノワウオはまだ周囲を泳いでいたが、浮き上がって襲ってくる気配はない。


「よくあるのか?」


と、いち早く冷静さを取り戻したグラナドが言った。イシュマエルは、それに答え、


「初めてだ。海岸地帯で蛸が凶暴化したのには、遭遇した事はあるが。だいたい、求愛の踊りは、水面近くで、横倒しでやる。そもそも、奴等は魚なんだから、あんなに派手に水面から出るのも変だ。」


と言った。


一般客の一人が、湖は安全だと思ったのに、と言ったのが聞こえた。


「全部焼かずに、少し残せば良かったな。動きが組織的過ぎた気がする。鱗が飛んでしまうと、中は柔らかいから、ウィンドカッターで行けたかもしれない。」


イシュマエルは、少しばかり、しまった、という雰囲気を漂わせて言った。


とたんに、グラナドが、イシュマエルの手を引っ張り、「船長の所に。」と、彼を連れていった。俺も追いかけようとしたが、ミルファの叫び声に、甲板を振り向いた。


シェードが、飛び込んだ。船は衝撃で止まって、巻き込まれる心配はないが、ツキノワウオはまだ周囲にいる。危ない。


だが、シェードは、魚ではなく、人と戦っていた。戦うと言っても、シェードが圧倒的に有利で、あっという間に相手の動きを封じる。俺は緊急用の梯子を下ろした。


相手は、気絶していた。ミルファが、マントを持って、近づく。


「大丈夫?!その人、いきなり、どうしたの。」


マントは、気絶した男性の物のようだ。飛び込む前に脱いだのだろう。


「医者と、船長、呼んでくれ。たぶん、こいつ、一枚噛んでる。」


シェードは、足と腕に怪我をしていた。ナイフのようだ。回復は俺が行い、ミルファは、船長室に向かった。


何隻か、近くの小型船が、救助がいると判断したらしく、近づいて来た。一隻だけ、凄いスピードで岸に向かっていた。他の船と形が違い、漁船ではないようだ。単に巻き込まれたくないだけかもしれないが、シェードは、沖を見ながら、逃げられたな、と言った。


「パニック起こして飛び込んだのかも知れないと思ったが、助けようとしたら、切りつけられた。結構、慣れてたみたいだ。…意外だったから油断したけど…海賊が、嘗められてたまるか。」


こんな時だが、その様子には、思わず微笑ましくなった。


遠ざかる船は、水面に白線を描いていた。横切るように、金線が動く。


行く手には、戦闘後と思えないほど、清々しい水景色が広がっていた。




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