八、中央桜花学院①
食事を終えると、いつきの正式な部屋に案内された。
「必要な荷物は運んでおいた」
「……家に、行ったのですか?」
「ああ。心配することはない」
本当は、裏で手を回した。なにしろ、実家に荷物を取りに行くと、いつきの継母が物凄い剣幕で火佐を責めた。
「いつきは私の本当の娘じゃないけど、いないと困るのよ」
「母親の情が残っているのか?」
「家の雑用を、だれがやるのよ」
面倒だわ、と継母が嘆いた。こんな家で、よくもあんなに優しい少女が育ったものだ。いつきはすでに十八歳、学生とはいえ成人を迎えている。
「いつきは、帰りたくないと言っています」
「帰る帰らないじゃないでしょ。親子なんだから、助け合って当たり前よ」
その割、妹の絵里の嫁入りは豪華に祝ったようで、リビングには食べ終えた皿が散乱していた。火佐はぎろりと継母を睨む。継母は一切引かなかった。
「いつきは俺の伴侶となる」
「ああ、そう。そうね、じゃあ」
継母の目の色が変わった。
「今まで育ててきた私に、謝礼金を払ったら考えるわ」
「どこまでも下衆な」
しかし、火佐は予見していたのか、付き人に合図をすると、車内からアタッシュケースを持ってこさせる。ガチャ、とそれを開けて、
「足りなければ、後日人を寄越す」
「……! こんなに」
五千万はあるだろうか。しかし継母は咳払いをし、
「この倍は必要よ」
「わかった。それでいつきから手を引くんだな?」
「手を引く引かないじゃないわ。私たちは親子なんだもの」
最後まで母親づらする継母に、火佐は侮蔑の目を向けていた。
そうやって、火佐は実家からいつきのものを全て運び出した。しかし、いつきの持ち物は本来少なく、火佐は必要になりそうなものを買い足していた。ドレッサーや、姿見鏡、ベッドは新品のキングサイズだ。
和室に似つかわしくない調度品に、いつきは笑いを漏らした。
「なにがおかしい?」
「いえ。揃えるの、大変だったでしょう?」
ふかふかのベッドに腰掛けてみる。スプリングがきしみすらしない、上等なのはそれだけでわかった。
タンスはふたつあって、ひとつは洋服用、もうひとつは和服用だった。
いつきは和服のタンスを開ける。しょうのうの匂いがした。
「綺麗……」
「ああ。着物は特に、学校に通う際に必要になる」
「学校?」
いつきは着物をひとなでしてから、火佐を振り返る。あんがい近くに顔があって、いつきは立ち上がって火佐から距離をとった。
「中央桜花学院。そこに、通ってもらうことになった」
「中央桜花……あの、エリート校の!?」
有名な話である。あそこには神々か、霊力の高い人間しか通えない。
いつきはせわしなく手を動かした。
「私なんかが……!」
「いや。魂の片割れなのだから、十分に資格はある」
火佐が着物の袖に手を入れる。そこから、キラリとした宝石を取り出した。赤色の宝石だ。
「これ……帯留め?」
「そうだ。魂の片割れは、帯留めをするのが学院のならわしだ」
「そんな……」
まるで自慢してるみたいで気が引けて、いつきがおろおろしり込みしている。火佐は帯留めをいつきに握らせて、
「これは、あやかし避けも兼ねているから。魂の片割れは、あやかしに狙われやすい。ゆえに、こうして護身の石を身につける」
「護身の石」
「そうだ。帯留めをしていれば、誰が魂の片割れであるかひとめでわかる。学院にあやかしが現れたら、みんながオマエを守ってくれる」
家にいるよりは安全だ。火佐が自嘲的に笑った。いつきはそれが気に入らない。
ふっと火佐の頬に手を当てて、にこりと笑む。
「火佐さんは、優しいかたですね」
「そう言ってくれるのは、いつきだけだ」
「この家にいるかたたちは、みんな火佐さんが好きですよ」
いつきの言葉には嘘偽りがない。だから火佐は、心からその言葉を信じられる。
本当に、あの家で育ってこんなにもまっすぐないつきがいとおしくてたまらなかった。
越してきて初日だというのに、いつきはその足で中央桜花学院への初登校に向かっている。
佐那に着付けを頼んだが、本来いつきは絵里の着付けをしてきたのであるから、そう時間がかからず自分で着付けられるようになるだろう。それはそれで佐那が寂しがりそうだが、ひとになにかをしてもらうのはどうしても心がざわめいてしまう。その時点で、まだあの家に縛られているのかもしれないが。
「井上いつきです」
三年A組、と書かれた教室に入り、いつきが挨拶をする。その声は小さい。
中央桜花学院には、いつきの妹の絵里も通っている。ここで八合わせたらどうしよう、と心配するあまり、いつきは気が気じゃなかった。案の定、
「井上……ってことは、絵里さまのお姉さん⁉」
クラスメイトのひとりが、いつきを見て言った。いつきの体がこわばる。絵里は霊力が高く、この学院でも有名らしい。対して、姉の無能も知られたことだった。ののしられるだろうか。
しかし、心配に反して誰もなにも言わない。心なしか視線は、いつきの顔のやや下にある気がする。
いつきはうつむく。自然と目に入ったのは、赤色の宝石の帯留めだった。
「絵里さまのお姉さんが火佐さまの魂の片割れだったって噂は本当なのか」
「ああ、俺の叔父があの宴会にいたんだけど、封の姫君らしい」
「封の⁉ じゃあ、次期当主は火佐さまなのか⁉」
席に歩く間、ひそひそと噂話をされて居心地が悪かった。いつきは、用意された自席に座る。隣の席の男の子が、にこりと笑いかけてきた。
「俺、明石ヒカル。ヒカルでいいよ」
「ヒカル……くん」
この人も神なのだろうか。黒い髪に黒い瞳、どう見ても人間だけれど。
「ひっかるー、浮気は許さないよ?」
元気な声とともに、女の子がヒカルの後ろから抱き着いた。ヒカルが体勢を崩しそうになるも、椅子に座り直す。ヒカルの羽織紐は、黄色の宝石だった。
「あ、の。浮気……?」
「ああ、私は木ノ神の一族の、紅葉。こっちのは私の魂の片割れ」
「え、え? 紅葉さんが神でヒカルくんが人間……?」
「あー、やっぱり知らないよね、人間は」
神は男しかいない。それは神話であるし、実際の神は男女ともにいる。しかし、それを人間が知らないのは、この学院での生活を他言してはならないからである。あの絵里すらも、この学院での生活を家で話したことがない。
「女の神っていうと、人間が不安になるから。いつからか神は男だけって知らしめるようになったんだって」
紅葉があっけらかんと説明した。
「じゃあ、女の神様は、五行の神の当主にはなれないんですか?」
「さあ。考えたこともなかった。女は嫁いで跡目――男児を生むのが役割だから」
なんだか気持ちが悪かった。それを普通だと思っている紅葉にも不信感がわく。そんなのおかしい。男だけが背負うせいで、そうだ、そのせいで火佐があんな目にあっている。
火佐は本当は、あやかし退治なんてしたくない。小料理屋を開くのが夢だったのに。
「やっぱり、人間的には、男のみが後継者、ってのは納得いかないか」
「やっぱり、ってことは。ほかの人も?」
「うん。ここに入学してきた人間は、結構な割合で最初にこの制度に疑問を持つみたい」
まるで昔の人間社会みたいなんだって。紅葉が首をかしげている。
クラスメイトは女子は着物で、男子は袴に羽織姿だ。おそらく、帯留めをしている女子と、羽織紐に宝石をあしらった男子が魂の片割れだ。魂の片割れは見たところ、いつきとこの、ヒカルだけのようだ。
「でも、いつきちゃん――いつきちゃんって呼んでいい?」
「あ、はい」
「うん。私は紅葉でいいよ。いつきちゃんは、魂の片割れのなかでも特別だよね。魂の武器を顕現できるのって、聞いたことないもん」
魂の武器、というのは、いつきに散る火花を引き抜いた刀のことだろうか。
「魂の武器……って、なにか特別なんですか?」
「特別って言うか……あれは、この世界を終わらせるものだから、太古の昔に封印された剣なの。だから、それが現代によみがえって、神々はいつきに興味津々」
紅葉がいつきを上から下まで見渡した。どうやら、いつきは特異中の特異らしい。
いつきは話題をそらす。
「ヒカルくんと紅葉ちゃんは、どこで出会ったの?」
「私? 私たちはね、幼馴染なの」
「幼馴染」
聞けば、ヒカルは紅葉の家に遣える側近の家の跡取りだったらしい。ずっと紅葉とは話し相手で、ヒカルに霊力が芽生えたのは、十三の時だったのだと聞く。
「ずっと、ヒカルが魂の片割れだったらいいなって思っていたから、すごくうれしかった」
「そうなんだ……神様って、魂の片割れ以外にも恋をするの?」
「そりゃあ、もちろん。あ、でも、恋はするけど、魂の片割れに会うとそっちの方が好きになるらしい。それくらい、魂の片割れはえにしが強いって言うか」
そういうものなのか、といつきは頷く。いつきもまた、確かに火佐にただならぬ縁を感じているのは確かだった。でなければ、会って二日で火佐の家に同居したり、言われるままにこの学院に通ったりしないだろう。
「わからないことあったら、ヒカルに聞いて。浮気は許さないけど」
「しないよ。俺だって。紅葉のこと大事なんだから」
「もう、うれしい!」
人目もはばからず、ヒカルと紅葉が唇を合わせた。いつきはささっと視線を逸らす。すごく積極的で情熱的だ。
「ふたりは……本当に仲が良いんだね」
「だって、魂の片割れだもん。いつきちゃんは衝動にかられないの?」
「衝動、って?」
つまり、人目もはばからずくっつきたい衝動のことだろうか。いつきはふるふるとかぶりを振った。
「私は……だって私なんか」
「ふうん。いつきちゃんって、自分を否定するタイプか」
「……?」
「たまにいるんだよね。自分に自信が持てなくて、魂の片割れへの信頼とかつながりとかまで否定しちゃう人間。火佐さまも大変だねえ」
つまり、火佐も本来は、ヒカルや紅葉のようなことをしたいということだろうか。
……断じてない。火佐は紳士で優しくて、いつきの嫌がることはしない。
だが、いつき自身が自己否定気味であることは認めざるを得なかった。
「私も、いつか火佐さんに見合う人間になりたい」
「お、いいね。いつきちゃんその調子」
紅葉とヒカル、ふたりの友人ができ、いつきの学院生活は、思ったよりもにぎやかになりそうだ。
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