七、五行の神々⑦

 夕食を終えて、いつきは火佐の用意した布団に横になっている。傍には火佐、佐那、医者が座っていて、いつきは消えてしまいたくなった。


「すみません、すみません」

「なぜいつきが謝る?」

「私……ただの胃もたれでこんな騒ぎになるなんて」


 いつきは普段、ろくに物を食べさせてもらえない。ゆえに、いきなり火佐の料理を一人前平らげて、胃がびっくりしたようだった。きりきりと痛む胃袋に、いつきは倒れてしまったのだ。


「だが、そうか。俺も配慮が足りなかった。いつき。実家ではどういう扱いを……?」

「それは……」


 言いたくなくて、いつきは口をつぐんだ。火佐の目の色が変わる。傍にいた佐那に目で合図を送ると、佐那は人知れず部屋を出ていった。

 二人きりになって、火佐は医者に聞く。


「いつきの症状は、大丈夫なのだろうな⁉」

「はい、胃もたれのお薬を処方しましたので。今後は食事の量は少量から始められるとよろしいかと」

「わかった。ほかには?」

「ご心配なく。一週間もすれば、胃も落ち着きます」


 火ノ神の御用達の医者は、人間だ。神は病気になんてならないから、火佐はいつきのつらさを分かち合えないことが苦しくて仕方がない。

 火佐がいつきの手を握る。医者は部屋を後にし、部屋には二人きりだった。


「いつき、胃は苦しくないか?」

「はい、お薬が効いてきました」

「すまない……明日からは、少しずつ食事を増やしていこう」

「すみません。でも、火佐さんの料理が、本当においしくて」


 いつきが笑う。火佐はほっとしたようにいつきの頭を撫でた。サラサラの髪の毛だ。


「今日は疲れただろう。もうおやすみ」

「はい。……火佐さん、見られていては、眠れません」

「俺はいつきが寝るのを見届けるまで、ここにいる」

「ええ、それじゃ私、いつまでも……眠れな……」


 かく、と眠りに落ちるいつきを見て、火佐がふっと息を吐き出すように笑った。

 かわいい、大事な魂の片割れ。じきに婚姻の儀も上げる予定だ。

 しかし、今はそれよりも。


「いつき、オマエは実家でどんな扱いを受けてきたんだ?」


 それは、佐那に調べさせている。結果次第では、二度と実家になんて帰らせないつもりだ。

 いくらいつきの親だからと言って、いつきを害するものを、火佐は許さない。


 いつきが眠ってしばらくして、深夜に佐那が火佐に報告書を渡す。


「なるほど、……佐那」

「は、なんでしょう」

「今後、いつきが実家に寄り付かぬよう、世話をしてくれ。実家の方も、いつきに近づかぬように、しっかりと見張りを」

「しかし、あそこの家の次女の絵里さまも、魂の片割れでした。そのように見張りなどつければ争いのもとに」

「いいや。いつきを守るためなら、やむをえまい」


 火佐は譲らない。佐那は逡巡して、


「かしこまりました。では、見つからぬように細心の注意を払います」

「そうしてくれ」


 火佐は目頭を揉んで資料に目を通す。いつきの扱いのひどさに目をそらしたくなるが、いつきのことを知っておかなければとも思う。大事な片割れのすべてを受け入れてこそ、伴侶となれる。大事な大事な姫君。自分だけの、魂の片割れ。


 翌朝、火佐はお粥を炊いた。


「いつき、味気ないかもしれないが、粥から始めよう」

「はい……あ、卵がゆなんですね」

「卵がゆは嫌いだったか?」

「いいえ、逆です。卵がゆ、大好きなんです」


 今朝は起きるなり、佐那に着付けを施された。胃が弱いのはわかっていたし、食べていないとなれば体もそれほど丈夫ではないとわかってはいるのだが、何分『魂の片割れ』としての威厳を保つ必要がある。

 佐那は、一晩であつらえた上等の着物を、いつきに着せた。


「着物って、こんなにあたたかいんですね」

「はい、冬などは特に」


 肌襦袢、長じゅばんを着たら、長着。長着のおはしょりを整えたら、帯を巻く。後ろで帯を結んだら、帯締めと帯揚げ。いつもは絵里に着せるだけだったからわからなかったが、着物はだいぶあたたかく、また、佐那の着付けは全く苦しくなかった。程よい締め付けが安心するほどだ。


「さ、御髪はどうしましょうか」

「あ、自分で……」

「いいえ。着物では動きづらいでしょう? そうですね、シニヨンでいかがでしょう」


 髪の毛を軽くまとめ上げ、佐那は、鏡に映るいつきの姿を見る。いつもと違う自分に、いつきは鏡から目をそらした。


「いつきさま?」

「私になんて、似合いません」


 自己卑下する癖は抜けていない。そう簡単に、割り切れるはずがない。ずっと、役立たずと言われて育ってきた、その呪いの言葉から、抜け出すには時間がかかりそうだ。


「それでは、簡単にまとめていきますね」


 佐那は、いつきの境遇を知っているため、それ以上はなにも言わなかった。


 着物姿のいつきを見て、火佐は大げさに感嘆の声を上げた。


「いつき、美しい」

「や、火佐さんまで」

「本当だ。嘘は言わない」


 火佐はさも当たり前のようにいつきを抱き寄せて、その額にキスをする。おどろき、いつきが火佐をどんと突き押す。


「わ、わたし」

「す、すまない。いやだったか?」


 ふるふると頸を横に振る。いやだったわけではない、ただ、びっくりしただけなのだ。


「火佐さん、私、魂の片割れとして、まだ会って二日目ですし」

「そうだな、ゆっくり進めていくとしよう」


 ふっと笑って、火佐は一度台所に戻っていく。

 次に持ってきたのは卵がゆと、白身魚のホイル焼きだった。


「美味しい。お粥ってこんなにおいしいんですね」

「ああ、うちのは土鍋で炊くし」


 火佐がいつきの口にレンゲを運んでいる。最初はいつきも抵抗したのだが、どうしても火佐はいつきを甘やかしたいらしく、押しに負けた。

 火佐がレンゲを土鍋に置く。

 そして、手のひらをうえにむけて霊力を込めて、ぼっと火佐のてのひらから炎が起こった。


「この火で料理するから、美味いらしい」

「この炎……霊力だから?」

「ああ、いつきは呑み込みが早いな。火ノ神の炎は生命の炎だ。この炎は万物に命を吹き込むし、そして同時に、命を燃やすこともできる」


 火佐がやや自嘲気味に口にする。あやかしを鎮めることを思い出しているのだろうか。火佐はあやかしを殺せない。ならば、火佐の炎は、命を吹き込むことしかできない。


「私、火佐さんの炎、好きです」

「いつき?」

「言ったじゃないですか。次期当主になるには、あやかしを『鎮めれば』いいって。それなら、これまでもこれからも、火佐さんが嫌なことはしなくていいです」


 しないからこそ、火佐なのだ。優しすぎるほどやさしい火佐に、いつきは惹かれつつあるのだから。


「いつきにそう言われると、救われるな」

「救われたのは私の方です。火佐さん、ありがとうございます」


 お粥を食べながら、ふたりで笑いあう。

 いつきはかりそめの安寧をかみしめた。どうかこの幸せがずっと続きますようにと、祈らずにはいられなかった。

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