六、五行の神々⑥

 いつきの赤く腫れた目を一撫でして、火佐が料理を運んでくる。


「火佐さま、わたくしがやりますのに」

「いい。最後まで俺がやる」


 最後まで、という言葉が引っかかるが、いつきは黙ってテーブルの前に座っている。いい匂いがして、思わずお腹の虫が鳴いた。


「ご、ごめんなさい」

「いい。そんなに腹が減っているのか?」

「や……はい……」


 実家ではろくにご飯なんて食べてこなかった。いつきは、目の前に広がる料理に釘付けだった。

 キンメダイの煮物、舩盛りの刺身、肉じゃが、筑前煮、具沢山の味噌汁、ほかほかの白米。漬物もついている。


「さあ、冷める前に食べろ」

「い、いただきます!」


 箸を手に取り、手を合わせる。まずは味噌汁を一口飲んだ。


「あったかい……おいしい」


 甘くておいしい。具は大根に人参、ネギの豚肉、サツマイモだ。

 具材の一つ一つを味わう様に咀嚼して、次は炊き立てのご飯を口に運ぶ。

 甘く、粘りがある。噛めば噛むほど香りが立ち、粒の一粒一粒が主張する。


「こんなにおいしいんだ、ご飯って」


 なにも、普段冷めたご飯を食べているからではない。このご飯が、特別においしいのだ。

 刺身をひと切れ挟んで、わさびとしょうゆをつけて口に入れる。マグロの赤身だ。

 上品な油と、しょうゆのうまみ。しょっぱいだけではない、上品な甘みのある醤油はマグロの油を中和させる。わさびもそうだ。マグロに合わせることでお互いを引き立てている。


「あ、!」


 つーん、とわさびが鼻に来て、いつきは顔をゆがませた。


「はは、つんとしたか」

「はい。このわさび、もしかして本物をすりおろしてます?」

「わかるのか?」

「あ、なんとなく、でした」


 火佐の反応を見るに、本物のわさびをわざわざすりおろしたようだった。


「わさびは、静岡から取り寄せて、鮫皮のおろし金で丁寧におろした」

「え、火佐さんが作ったんですか?」

「意外か?」


 火佐がいつきの真ん前に腰かける。そうして、両手を広げて、


「ここにあるものは、全部俺が作った。オマエに食べさせるのだから、俺が直々に作らねば気が済まない」

「ええ! すごい! 火佐さんって、料理の才能まであるんですね!」


 キラキラした目を向けるいつきに、火佐はぼっと顔を赤くした。


「火佐さん?」

「いや……いつきが笑うと、俺もうれしい」

「私が、笑う……?」


 自分でも気づかなかった。どうやら自分は笑っていたらしい。うまく笑えていただろうか。笑うことなんて久しくしていなかった。


「火佐さん、私」

「ああ」

「私今、幸せです」


 また、いつきがふわりと笑って、今度は肉じゃがに箸をつけた。


「この肉じゃがも、甘辛くておいしいです」

「そうか……実は、調味料も、できるだけ手作りしている」

「調味料も⁉ 味噌とか、しょうゆとか、みりんですか?」

「ああ。俺は本当は、火ノ神なんかじゃなく、人間相手の小料理屋をやりたかった」


 『かった』と過去形なのは、火佐のあきらめの表れだ。いつきはなんだか悲しくなって、しかし笑みを崩さぬままに、


「じゃあ、小料理屋『も』やりましょう」

「いつき……?」

「神様と小料理屋。両方やってはいけないという決まりはないのでしょう?」

「ないが……前代未聞だ」

「ならば、火佐さんが一号になればいいんです。この後の神さまたちが、好きな生き方を選べるように」


 そうはいっても、火佐が異端であることはいつきにもわかった。火佐は神にしては優しすぎるのだ。


「いつきには救われるな」

「いいえ! 救われたのは私の方です!」


 いつきは照れ隠しに味噌汁を喉に流し込む。甘くておいしい。

 二人のやり取りを、佐那がほほえましく見守っている。


「佐那。なにを笑っている」

「いいえ。火佐さま。ようやく理解者が現れて、笑っているのは火佐さまのほうです」

「俺は笑ってなど」


 パクパクと、自分の料理をおいしそうに平らげるいつきを見て、火佐もまた、ほほえみを湛える。この娘は純粋で裏表がなく、無自覚だろうが人を勇気づける。


「いつきが魂の片割れでよかったよ」

「火佐さん?」

「いや、なんでもない」


 火佐も料理を口に運んだ。われながら、よくできていると口元が緩んだ。

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