五、五行の神々⑤

 火佐の運転でついたのは、だいぶ広い日本家屋だった。


「広い……」

「だが、人はほとんど住んでいないがな」

「……?」


 いつきにはその言葉の意味が分からなかった。首を右に傾けると、


「本来なら、遣いの者が配属されるが。俺の元で働きたがるものはいない」

「すみません……言いたくないことまで言わせてしまい……」

「いい。いつき、オマエがいれば」


 車から降り、ふたりは豪華な門扉をくぐった。その先に、ひとりの女性が出迎えた。


「お帰りなさいませ。火佐さま。そして」

「あ。あ、井上いつきです」

「伺っております。わたくしは、召使いの佐那と申します」


 いつきが火佐を見ると、火佐が柔らかに笑っていた。


「ひとりもいないとは言っていない」

「早く教えてください」

「すまない。少しからかいたくなった」


 玄関を抜けて中に入ると、火佐から聞いているより、ずいぶんと賑やかなようだった。


「お帰りなさいませ、火佐さま」

「ああ。これは俺の魂の片割れゆえに。早急に着物を誂え、風呂に通せ」

「はっ」


 先頭を取ったのは佐那である。佐那はだいぶ歳のいった女性で、ほんわりした雰囲気がある。

 いつきは風呂場に通されて、


「では、ごゆるりと」

「あ、あの」

「なんでしょう」

「着替え……持ってなくて」


 佐那がさがろうとするのを呼び止める。佐那がクスリと笑った。


「ご心配なく。浴衣を用意しております」

「浴衣!? 私、着付けなんてできないし」

「わたくしが着付けますよ」

「でも」

「ささ、疲れを流してくださいませ」


 佐那に言われ、いつきは観念したように服を脱いだ。



 檜の大きな浴槽と、大理石の洗い場。いつきは恐縮しながら体を洗い、広い湯船に体を沈めた。


「気持ちいい……」


 実家では、人がいない時間を見計らって、ものの数分で風呂に入らなければならないため、もちろん湯船なんてつかれない。フッと伸びをして、いつきは天井を仰いだ。


「いつきさま」

「わ。はい!」

「お夕飯に、召し上がりたいものはありますか?」

「え、っと。特には!」


 広い浴室にいつきの声がよく響く。いつきの答えに、佐那はまた笑いを漏らして、更衣室を出ていった。


 風呂から上がり、いつきは下着を身につける。用意された浴衣は、いつきだけでも着られそうだったが、タイミングよく佐那が現れて、あれよあれよと浴衣を着つけられた。


「ありがとうございます」

「お礼など! アナタさまは特別なのです」

「私が?」

「はい。火佐さまだって……この家の遣いのものは、火佐さまを尊敬しております」


 部屋に向かいながら、佐那が懐かしそうに目を細めた。


「火佐さまは、あやかしも、虫すら殺生を嫌う方で。弟の火之さまと比べられがちですが、わたくしは火佐さまこそが後継に相応しいと思っております」

「火佐さんって、優しい方なんですね」


 さらに聞けば、火佐のこの屋敷にいる召使いたちは、火之の屋敷に比べたら半分以下なのだそうだ。火佐のやり方を好かない人間が大多数で、つまり火佐は異端らしい。


「そして、召使いたちもまた、神なのですよ」

「えっ、そんな方々にお世話になるわけには……!」

「いえ。魂の片割れのお世話なんて、名誉なことです!」


 神々は男しかいないと聞いていたが、それはなにも知らない人間たちが作り出した神話なのだとか。

 佐那が襖を開ける。畳張りの部屋には、大きなテーブルが置いてある。

 テーブル脇の座布団に座り、いつきの髪を佐那が触った。


「乾かしてもよろしいでしょうか」

「や、自分で」

「とんでもない! わたくしがやりますので」


 佐那がドライヤーを持ってきて、いつきの髪を乾かし始める。まるで子供のように扱われて、申し訳ない反面、嬉しかった。親が子供にするように、佐那の手つきは優しいものだった。

 いつきがホロホロと涙を零す。


「いつきさま?」

「すみません。こんなに優しくされたの、初めてで」

「左様ですか」


 佐那はそれ以上はなにも言わなかった。


 髪を乾かし終えたころ、火佐が料理を片手に部屋に入ってくる。


「いつき、くつろげた――」


 料理をテーブルに置き、いつきを見た瞬間、火佐の目の色が変わった。


「泣いたのか!?」


 いつきの目が真っ赤に腫れている。


「や、あの。違うんです」

「佐那。なにがあった!?」


 火佐はいつきを抱き寄せて、さらさらの髪の毛を撫ですいた。佐那が笑う。


「火佐さん、違うんです。佐那さんが優しくしてくれて、嬉しくて」

「本当か? なにか不便はないか? あんな実家でも、出るのは嫌だったのか?」


 おろおろする火佐を、いつきは笑った。火佐は至って真剣に心配しているため、やや不服そうに口を結んだ。


「いつき?」

「いえ。私、あの家から出たこと、なんとも思ってないんです。不思議と」


 火佐さんがいるからかな、と笑うと、火佐がいつきを抱きしめた。


「良かった」

「火佐さん、恥ずかしいです」

「慣れてくれ。これでも遠慮しているんだ」

「そう、ですか」


 ふたりのやり取りを、佐那が微笑みながら見守っている。

 いつきは、自分でも意外なほどに、実家への執着がない。この火佐という人間とは出会ったばかりだが、惹かれているのは否定できない。きっとそれが、魂の片割れという存在なのだろうなと、いつきは思った。

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