初バトル、そして早くも仲間割れ?
目の前でうずくまっている誰かがいる。
泣き声は聞こえない。けれど、俺はなぜか理解している。そのひとが孤独で、不幸であることを。涙など、とっくに枯れてしまうほどに、傷だらけだということを。
俺はそのひとに、なにか、言葉をかける。けれど、思いついた励ましの言葉が、そのひとの心に届いていないことは、なんとなくわかっている。
無駄だ、むだだと、どこからか、嘲笑うような声がする。何度言ったって、意味がない。そんなことわかってる。
このひとのことを、助けたい。言葉を尽くしたい。真摯になりたい。なりたいのに。
昔から見る、この明晰夢。
またか──そう、うんざりするのは、毎回決まって無力な自分が嫌になるから。
♡
──アイドル。
かりそめの愛を届けるビジネスは崩壊し、代わりに「理想のカップルアイドル」なるものがメディアに姿を現した。
好きだった声優が同じく声優、それもとある百合アニメでカップル役を演じていた二人が、ラブシャワーの力でカップルアイドルになり、つい最近結婚までした──というニュースは、俺をこれまで味わったことのない驚きと少しの悲しみと、喜びでうちのめした。
……というのは余談であり、ピンク集団、幽たちが名乗る「アイドル」とはまた別である。
「電話応対、疲れますよねえ」
街中にあるオフィスビルの一角で、一本一時間ほどの惚気話を聞かされるのはかなり苦痛なものだ。みんな幸せなやつらばかりだからだろう、突然の電話に穏やかに対応してくれるのはいいけれど。
「でも、イライラしてると怖いですよお!ベビーフェイスでかわいいお顔が台無しですう」
「それ、褒めてる?」
「はあ、不機嫌だと幽困っちゃう。せっかく、駅前に新しく出来たドーナツ屋さん、とーっても並んだのに」
休憩室は、オフィスと同じくこざっぱりと簡素である。馬鹿みたいな額の給与だから、職場もものすごいとこだと思っていたが。しかし、狭い職場はわりと落ち着く。
「え、ごめん。それ、俺にくれるやつだとは知らなくて」
幽は、紙のボックスからチョコレートのかかったドーナツを取り出すと、大きな口で頬張った。
「え?あげるとは言ってねーですよ?」
「うざ……」
「わわっ!!そんなこと言っちゃっていいんです?このかわゆき美少女ちゃんが目の保養になってあげてるというのに!」
職について一カ月。俺と瀬戸はふたり、このオフィスで、市内の「家族リスト」に電話をかけては、悩み事や相談、困っていることはないかと聞いて回っている。幽は有名な「アイドル」らしく、彼女の名を出せばすぐ、ほとんどの相手が愛する人との暮らしにおける惚気とほんのちょっとの不満を語り出してくれた。
ホテルでの暮らしは終わったが、ホテルにいた頃、岸さんと会うことは一度もなかったし、今に至るまで、岸さんと、それから沢谷さんと一度も会っていない。彼女たちがどんな仕事をしているのか知らないし、幽は不定期にこのオフィスにやって来るから、彼女たちの所にも行っているんだろうが、聞いても何も教えてくれない。
「今の仕事、どうです?ギャップ感じてます?騙されたーって思ってますう?」ドーナツを頬張りながら、幽が尋ねる。
「別に。待遇に嘘はなかったし、俺と瀬戸くんだけだから気楽だし、いいよ」
「そうでふか。でも、そろそろ刺激がほしくないでふ?」
「なんだよ、刺激って」
幽は2個目のストロベリードーナツを見せびらかすと、頬張った。謎の訪問者に隠れて極秘任務だなんて、気が重いと思ったが、幽は呆れるほどマイペースでのほほんとしており、こっちの気が抜けてしまう。まあ、極秘任務遂行のためのあれそれは、何一つ進んではいないのだが。
「瀬戸さんふぁ話がうまいでふし、青柳さんは他人の気持ちに敏感な繊細さんでふから、ふぉのお仕事がぴったりだと思ったんでふ」
「いまディスったよな?」
「けど、みなさん特にご不安はなさそうですし、『同化』の兆しも電話越しだとわかりませんし。つきましては、別のことしてもらおっかなって思ってまして」
「岸さんや、沢谷さんがしてること、ですよ」沢谷さんの名の前に、謎の間があったのが怪しい。この謎のピンクツインテは、俺の気持ちまで知っているのかも。
『会いたくないですか?』と、広野さんか斉藤さんかが俺に言ったのもおそらく、その名を言えば俺が食いつくと聞いていたから?
しかし顔を合わせれば俺にだる絡みするこいつが、沢谷さんのことでいじってこないのは不思議だが。
「どんなことすんの?」
「うーむ、でも青柳さんにはできるかなあ。幽、ちょっぴり不安なのです。だって青柳さんって……」
「なんだよ」
幽は憎たらしく唇をへの字にしてみせると、「まあ、お手並み拝見というとこですね」と、やれやれと首を振った。
ちなみに、瀬戸との仕事はそれなりにいい感じだ。
中学時代、俺はクラスの中心にいるいじられキャラ──今となっては考えられないが──であり、一方で瀬戸は途中で転入してきた、おとなしいやつだった。小柄で髪はサラサラで、男として意識されない俺とは違い、女の子にけっこうモテていた。
もともと、ただのクラスメイトで、それ以外の接点もなかった俺たち。すっかり余裕のある大人の男になった瀬戸だが、雑談もそこそこ、仕事終わりに飲みに行ったりすることもなく、ビジネスライクな関係で落ち着いている。俺としては、職場の人間関係として最も理想的な形である。
「それじゃ、瀬戸さんにも聞いてみて、オッケーであれば今日の午後から、おふたりのとこに行ってみましょうか」
そうして昼過ぎの一番眠い時間、俺と瀬戸が幽に連れられ、向かったのは──。
「……映画館?」
市内で唯一、ニッチな映画を上映している小さなシネマ館。
昔、一度だけ一人で行ったことがある。けれど今は、壁にポスターは何も貼られていない。入り口に設置された、四角い機器の上へ、幽が首から下げた社員証を手に取り持っていくと、音がしてドアが開いた。
「おふたりも」
言われるがまま、社員証を当て、中に入る。カウンターには、美中年男性がいた。白髪にうっすらと、ピンク色の髪が混じっている。
「お会いしたかったです」
彼はカウンターから出てくると、長い身体を折って深く頭を下げた。
その目は幽と同じピンク色であり、奥に×マークが見えた。カラーコンタクトでもなんでもなく、別の世界からやってきたこのヒトたちの特徴なのかも。
「こちら、青柳さんに瀬戸さん。そしてこちらは、零さん。ワタシと同じ、『アイドル』です」
おずおずと頭を下げる。瀬戸はぐるりと周囲を見回し、「ここって、映画館じゃないんですか?」と尋ねた。
「かつてはそうでした。ついこのあいだ、あのお方がここを買われて、今は我々が、あなた方のご友人の仕事を見守るために使用させていただいております。もし何かあった際、すぐに駆けつけられるように」
「?それって、どういう……」
「観ていただいたほうが早いでしょう」
幽が割って入ると、俺と瀬戸に片目をつぶってみせた。
♡
真ん中のいい席で、幽を挟み、俺と瀬戸がスクリーンを見上げている。質問することを諦め、おとなしく何らかの映像が映り始めるのを待っているのが、自分のことながらおかしい。
やがて画面が明るくなる。
「……岸、さん?」
長い金髪とグリーンのインナーカラーが風でふくらみ、バス停の席で彼女が口を拭っている。口もとや赤いジャージには、何やら蛍光色の青いものがついている。やがて彼女は立ち上がり、中心街の道路のど真ん中を歩き始める。カメラは彼女の全身が映るよう、一定の距離をとって、切り替わりながら彼女を映す。
知っている街のはずなのに、人気はなく、車一台通っていない。岸さんは立ち止まると、何やら構えるようなポーズをした。スピーカーから突如、聞いたこともないような不思議な爆音が響く。
「ささ、岸さんの仕事、ちゃあんと観てあげましょう?」
彼女の背中の向こうに映る、青くドロドロした何か。それは人型を象っており、しかし顔はなく、境界はふにゃふにゃしていて今にも崩れてしまいそう。幼稚園児が書いた人間みたいなそいつは、また、あの謎の大声をあげると、岸さんに向かって突然、猛スピードで迫った。
「岸さん!!」
叫ぶ。もちろん彼女には届かない。岸さんはすんでのところで飛び上がってよけた。それはまるで、格闘ゲームのキャラクターのように、人間離れした跳躍力だった。そして宙に浮いたまま、青いそいつの顔のような部分を殴った。そいつはたちまち液状になり弾け飛ぶ。コンクリートの地面に飛び散った青い液はすぐに消え、しかし岸さんのジャージに増えた青染めはそのままだ。
「改革には、厄介なことも付きものです」幽が、スクリーンを見上げたまま言った。
「もともとパパの政治のやり方に反対する者が、こうして世界を跨いでやって来ようとするんです。平行世界のあいだに、レプリカという壁をつくって、『アイドル』たちで侵入を防いでいました。けれど『アイドル』とは……無償の愛を分け隔てなく与える者たち、戦いというものにまったく向いていないんです。パパは、新しい愛の世界のために大忙しだし……そこで、あなたたちの力を借りようと思いまして」
「あ、シュショーさんたちには内緒なんですよ」と、唇に人差し指を当て、俺たちを交互に見やる幽。
「『同化』に戸惑う人たちのサポート、もちろんそれもしていただきたいんですが、正直、そんなことたかが知れてるのですよ。だって人間ってわりとタフだし、怠慢だから、しょうがないことなんかなんだかんだ受け入れてくれる。厄介なのは、ワタシたちの世界の、人間のような人間じゃないヒトたちです。人間とは違って、ラブシャワーに適応はしませんし。いやに繊細で困るんですよ」
「ダイジョーブですっ、心配には及びません!」
俺の心を読んだかのように、幽が、スクリーンを指さす。画面の中で岸さんは、コンクリートの上であぐらをかいている。
「あそこはレプリカの世界。あなた方の身体も同じになります。たましいだけが行ける所。つまりあそこで肉体はない、傷を負うことはないのです。殴られても痛みを感じることもありません。ちなみにっ、痛み以外の感触はわかるのです。なんかえっちじゃないです?」
それはそう。だが今は、百合カプで妄想してる場合じゃない。
画面が変わる。今度はどこだろう。その独特な閉塞感のある部屋は、カラオケの店内だとわかった。沢谷さんが歩いている。上下セットアップのパンツスーツ姿だ。まっすぐと伸びた背で歩く姿が美しい。
「レプリカの世界で、たましいだけが本物のあなたたちは、人間の普通を超越した力を発揮します。その発揮の仕方は様々のようですね。岸さんのようにフィジカルで化け物級になる場合もあれば──」
沢谷さんが個室のドアの一つを、コンコンとノックする。
『失礼します』
ドアの向こうにいたのは、頭に角を生やした、ドロドロの紫三人(人?)組。一人はマイクを持ち、歌っていたらしく、あとの二人はタンバリンを手にしている。沢谷さんは微笑み、申し訳なさそうに眉を下げると、
『ごめんなさい』
礼儀正しくそう言い、ふっくらした唇を大きく開けた。
次の瞬間、映像が歪み、紫のやつらの怒号とともに、三人の身体がねじれていく。やがて三人は渦を巻き、沢谷さんめかげて突っ込んでいく。
爆音におもわず耳を塞ぐ。やがて映像がクリアになり、個室の入り口で沢谷さんが一人、床に尻をついていた。口の周りは紫色のものがついている。沢谷さんは立ち上がり、テーブルにあった紙ナプキンで口もとを拭った。
『グレープ味だ……』
「沢谷さんのレプリカの肉体に吸い込まれたヒトたちは、もとの世界へとワープするのです。沢谷さんにとっては、食べている感覚と似ているらしいですが」
「とまあ、こんな感じのお仕事です。完全安心安全な防衛のお仕事!明晰夢として見る悪夢って感じですね。どうです?どうです?」
「楽しそうすね」瀬戸が言った。「近未来のゲームみたいで」
「前向きな感想嬉しいです。では、やっていただけるということでしょうか?」
「いいっすよ。青柳くんはどうする?」
瀬戸が幽の脇から俺を見、幽があとに続く。
「えーっと……」
言い淀む俺に、幽が目を三日月の形にした。
「やっぱりなのです。青柳さんには、こういうのは難しいのです」
「……は?」
幽は「ごめんなさいなのです」と両手を顔の前で合わせてみせた。言葉のわりに、声色は明らかにおちょくっている。
「青柳さんはヘタレさんだから、たぶんできないと思っていたのです。無理をしなくてダイジョーブですよ!もちろん、お給料はお約束通り出しますのでご安心を!頑張りにつきプラスアルファのボーナスは、別のお仕事でも評価いたしますし……」
「……誰が、ヘタレだって?」
ひくっと唇の端が引き攣る。
「やってやるよ」
「キャハハッ、マジです?わーっ、青柳さんカッコイイー!」
ゲラゲラ笑う幽の向こうで、瀬戸が呆れたような顔で俺を一瞥し、スクリーンに向き直った。岸さんが、白いドロドロの首(?)を涼しい顔で締めているところだった。
♡
翌日。
俺は、あの居酒屋の地下室にいた。
「ここから先は、ワタシは行けません。行ってもただの足手纏いになるだけですし。岸さんはメチャクソ強いのでご安心を。瀬戸さんはあとで沢谷さんと一緒に行ってもらいます」
ホワイトボードの後ろには扉があった。その中はやはりエレベーターの箱であり、自動的に、「侵入者」のいる所へ連れて行ってくれるらしい。
「今日はよろしくね」
ハスキーな声。岸さんは俺より少し背が高い。脚が長く、今日は白いジャージに短パンとスニーカーを合わせている。肉体がレプリカになる世界では、動きやすい服など必要なく、高いハイヒールでも全速力で走れるらしい。服を持っていない俺は、このあいだの沢谷さんに倣い、スーツを着てきた。その方が気を引き締められそうだし。
「迷惑かけないよう頑張るよ」
「アハハ。そんな気い張らなくて大丈夫よ。負けても給料は減らないし、死ぬこともないんだし」
岸さんは、どちらかというと瀬戸のように、目立たつことが苦手そうなクラスメイトだった。ただ、中学の頃から背は高く、頭はよく運動神経も抜群で、彼女の意思に反して目立ってしまっているような人だった。
口を開けば竹を割ったようなサッパリとした感じなのに、なにしろ群れないので、一匹狼のようだった印象がある。
『君たち、そういうの、やめなよ』
眼鏡の奥の凜とした、すべてを見透かすみたいな目。ふいに思い出し、振り切るために頭をブンブン振る。
「どうした?」
「……や、なんでも」訝しげな顔をする岸さん。慌ててヘラヘラ顔をつくる。
正直、俺は、岸さんのことが苦手だった。周りの目を気にする自分が馬鹿みたいに思えてくるから。勝手に、馬鹿にされてるんだろうと被害妄想までしていた。
しかし、大人になった今ならわかる。ただの憧れだったのだ。彼女のファッションや佇まいは純粋にカッコイイ。
「そろそろ、気をつけて」
突如、彼女の手が俺の背に伸び、気づけば抱き寄せられていた。あまりの急な出来事に、身体が硬直する。
柑橘系の香りに混じったタバコの匂い。女性にさわられたことなどあまりに遠い昔すぎて、頭がうまく回らない。耳もとで息がかかり、肩が跳ねた。
「ちょっと、ぐるぐるするよ」
瞬間、エレベーターの狭い箱が、がくんと下に下がった。一瞬、身体が確実に浮いた。地面に脚がついたかと思えば、次は背中に衝撃が走る。
「……悪い」
岸さんが覆い被さってき、ドキッとするのも束の間、今度は俺の身体が岸さんへと倒れる。
「あ、ごめ、」
そして謝罪するまもなく下へ下がる。俺は絶叫マシンが大嫌いなんだ。血の気が引いていく。ぐわんぐわんとゆっくり、大きく揺れる箱。耐えきれずうずくまる。
「大丈夫?じゃ、ないよね……。もうちょっとだよ」
「ごめん、岸さんほんとごめん、俺、も、吐きそ……」
「それは大丈夫。レプリカの身体は吐かないから」
岸さんが俺の背中を撫でた。あたたかい。
「それ、吐き気じゃなくて、吐きそうって勘違いしてるだけよ」
根性論みたいでヤバい台詞だが、しかし、今の状況だと本当にそうだった。揺れているあいだ、いつの間にやらレプリカの世界に入っていた俺たちの身体は、レプリカに変わっていたらしい。試しに頬をつねってみるも痛みはない。
箱に静寂が訪れる。ドアが開き、その先は、どこかの敷地内だった。目の前に大きな建物がそびえている。
「ここ、大学だよね」岸さんが言った。
外へ出る。振り返ると、エレベーターの小さな箱は宙に浮かび、そのまま上昇していく。呆気にとられていると、岸さんの「青柳くん」という声に我に返った。
「自分の手。見てみて」
「手?」
言われるがまま、手の甲を見る。岸さんがひっくり返すような仕草をした。手をパーにしてみれば、なんと手のひらには、まるで小さなポーチみたく、チャックが付いていたのだった。
「見ててね」
岸さんは自分の手のひらを俺の方へ掲げてみせた。俺と同じく、チャックがついている。躊躇いなくそれを横に引き、「応答せよ、応答せよ」と言った。
『やほやほ!こちら、最強ラブリーチャーミングなピンクの美少女、幽ですっ!!』
「ヒィッ!!」
チャックが口のように開閉し、真っ黒な向こう側を露わにしながら、あのアニメ声を出力する。腰を抜かす俺に、聞き慣れた憎きケラケラ声が降ってくる。
『そんなビビリさんでこれからダイジョーブなんです?これはね、人間でいうところの無線機みたいなものですよ。通称•おしゃべりちゃん。ここから、連絡をとることができます。ただ、どこに敵がいるだとか、そういうのは全然わかりませんので!レプリカを網羅するシネマ型監視モニターちゃんは、あなたたちのいる場所しか映せないんです。けど、エレベーターちゃんは、敵のいるところを感知して運んでくれますので、近くにいることはたしかなのです!だからおしゃべりちゃんは、何らかの非常事態、あるいは休憩や、敵を倒し切ったり見失ってしまったとき等に使ってくださいね!負けたっていいのです。一番の目的は、やつらをこちらの世界へ通さないこと。疲れさせて体力を奪うのも一つなのです!理解しましたです?』
「わかったけど。侵入って、もしかしてドアみたいなのがあるの?疲れさせるっていうか、そこからの侵入を防ぐ方がいいんじゃない?」
『ドアはありません』幽が答える。
『このレプリカを崩壊させることで、やつらは侵入を果たすのです。レプリカはパパのつくった傑作でして、ちょっとやそっとで壊れる代物ではありません。けれど万が一のことを考え、少しでも、危険性を摘むことが大事なのです。あなた方は気楽に、楽しく、けれど誇りをもってお仕事に励んでくださいな。わかったのです?』
「うん」
「た、ぶん」
岸さんと俺が頷く。幽はふむ、と呟くと、『ところで岸さん、青柳さんはどうです?』と尋ねた。
「どうって?」
『なんかやらかしてないです?ご迷惑おかけしてないです?』
「おい」
『ぐわんぐわんするエレベーターの中で、レプリカになったくせに、死んじゃうーって泣いちゃってたりとか。なんか想像できちゃうです』
「……ううん」
間が空いたが、岸さんが否定してくれた。恥ずかしさで今度は顔に熱が集まってくる。幽が『お察ししますです〜』と笑う。そういえば、今の姿はずっとどっかからか見られてるのか。
『それじゃあ岸さん、青柳くんをよろしくです!ちょうど沢谷さんと瀬戸さんとの約束の時間になりそうなので。適度に助けて、適度にガンガン見捨ててやってくださいねっ』
適度にガンガンってなんだよ。
「……青柳くんは任せて」
岸さんがチャックを閉じる。なんとも言えない顔で俺を見つめた。
「安心して。絶対見捨てないからね」
その力強い言葉に、俺はもうなんかちょっと泣きそうになってしまう。幽と落差がありすぎて余計に。これが巷でいう、胸キュンってやつなんだろうか。カッコよすぎる。
「幽さんて、謎に青柳くんに厳しいよね」
「そ、そうなんデスヨ……!」
「まあ、かわいがってる感じはあるけどね。お気に入りぽい」
……そうか?
「まずは、建物周辺を回ってみよっか。青柳くんの力ってどんなだろね」
親指を立て、くいっと動かしてみせる岸さん。いちいち仕草もカッコいい。俺は胸キュンを覚えつつも、彼女に従った。
岸さんが前を歩き、俺は、怯えながら後ろをついていく。花壇の前を通り過ぎ、外廊下の影に入る。
「ひぎゃ!!」
「……え」岸さんが振り返る。「どうした?」
「え、えと……あれ?」
今、上から、黒い粒がぼたぼた降ってきたような気がした。しかし上を見ても振り返っても、ただ日陰があるばかりだ。
「ごめん、勘違いだった……ハハハ!」
恥ずかしくて頭を掻く。
「しぃー」
岸さんが、唇に人差し指を当てる。俺は慌てて、ダサい誤魔化し笑いをしてた唇を閉じた。
周辺を回ったあと、中に入ることにする。レプリカなので、人気はなく、鍵はどこもかしこも開けっ放しだ。一階の講義室から順番に見ていく。気が遠くなりそうである。
「気配、しないね」
「そうだね……」
死ぬことはないし、負けてもいい。わかっていても、やはりこわい。アバターというガワが自分になっただけのゲームと同じようなもんなんだろうけど、俺はそもそもアクションゲーム自体あんまり得意じゃなかった。
「あーっ、コソコソしてンのめんどくなってきた」
岸さんが、絞っていた声量を通常に戻し、うーんと伸びをする。
今、聞きたいことを聞くチャンスかも。
「岸さんは、なんで自分の力がわかったの?幽に教えてもらえるわけじゃなさそうだし……」
声量を戻して、彼女に尋ねる。
「実践しなきゃわかんないぽい。私はアクションゲームのプレイヤーをイメージしたら自由に身体が動いて、それでわかった」
「じゃ、じゃあわかるまでは、ただ敵に向かってくしかないと……」
「そゆこと。武器とかあってもよさそうだけどさ、そういうのはやつらに効かないらしいよ。あくまで力でしか戦えない。だからたぶん、青柳くんがやつらを殴ったとしても、力が発揮されなければあんま効果ないんだと思う」
喋りながら、三階へあがる。岸さんは少しだけ声を落とした。
「人間はレプリカの中ですごい力を発揮する。なぜだかはわかんないけどね。ラブシャワーを浴びなかった私たちは、平行世界の影響を受けていない、本来の人間だ。だから、平行世界の人ならざるヒトたちに対抗できるって幽さんが言ってた」
「それって、」
言いかけて、口をつぐむ。今、俺たちはスクリーンで上映されてるんだ。幽は観ている。
ラブシャワーを浴びた人たちには、いったいどんな影響が及ぶのだろう。本来の人間じゃなくなるって?
そもそもラブシャワーてなんだよ。
「……俺たち、選ばれちゃったみたいじゃん?」
と、思いついた言葉で誤魔化す。岸さんは俺を、なんとも言えない顔で見た。恥ずかしい。ほんとは俺だって、そんな呑気なこと思ってない。
「……なにか、聞こえる」
「え?」
岸さんが唇に人差し指を当てて、「しー」と言った。慌てて口を閉じる。
岸さんは目を伏せ、神経を研ぎ澄ませているようだ。俺も耳を澄ます。静寂が訪れる。何も聞こえない。彼女の瞼の上は、夕焼けのグラデーションがキラキラしていてキレイ。
「……!」
ずっと向こうで、何かが擦れるような音。
岸さんが目を開ける。
「あっち」
♡
四階の廊下を忍び足で歩く。音の出どころは、たぶんこっち側だ。女の子の岸さんに前を歩かせるのが気が引けるが、背中は俺が守る、という気持ちで、集中する。
「……いなかったね」
一つ一つの講義室を回ったが、気配すらなかった。
にしても、歩き回っても息はあがらないし脚も疲れないが、精神的にはけっこう削られる。
「ちょっと休憩する?」
俺の気持ちを読み取ったように、岸さんがそう言った。
「いいね」
階段前に設けられた、ちょっとしたスペースでしばしの息抜きをする。岸さんはクッション素材のベンチに座り、俺は窓から外の景色を眺める。
ここのOBではないが、久しぶりに感じる大学の空気感は懐かしくてちょっといい。べつに、大学にいい思い出があるかと言われれば思いつかないんだけど。
「青柳くんて、ビックリ系苦手?」
振り返る。岸さんは脚を組み、後ろ手をついてリラックスしている。
「無理しなくていいんだよ」
ふつうにしてたつもりだったけど、内心こわがっているのが滲み出てたんだろうか。カッコつけを装おうとしたものの、そういえばエレベーターの段階で、みっともないところはじゅうぶん見せてしまっている。
「実は、ちょっと苦手で。ホラー映画とか、ビックリさせるやつ無理なんだよね」
「そっか」
「岸さんは得意?」
「うーん、映画あんま観ないからわかんなくて。じっとしてるの苦手なんだよね」
なんとなく、岸さんらしいなと思う。岸さんの何を知ってるんだって話だが。
「何するのが好き?趣味とか」
「買い物かな。服とか化粧品とか好きだから。あと、音楽聴くのも好きかな」
「へえ!何聴くの?」岸さんみたいなタイプの人ってどんなの聴くんだろう。洋楽とか?
「お×げたい×きくん」
「えっ」
予想外の答えに、何を返したらいいかわからない。
「どういうとこが好きなの?」
「なんだろ。不条理だからかな。助けたくなる?……あ」
岸さんの目が点になる。
視線が俺の少し上を捉え、俺は、振り返らずともそこに何がいるのか理解してしまう。
「岸さ、」
「振り返らないで。大丈夫」
音はしない。
しかしガラス一枚を隔てて、たしかに何かの気配が、ひた、ひたと、俺の首すじへ近づいてくる。
「青柳くんは目ぇ閉じてて」
岸さんがゆっくりと立ち上がる。
心臓のバクバクする音が聞こえないのは奇妙な感じだ。この身体は、レプリカだから。
「俺たち、いま死なないんだよね」
目を開けたまま、尋ねる。岸さんが頷く。
俺は窓から少し距離をとるようにして、勢いよく振り返った。
「うあ、」
窓の景色は、一面黄色だった。ドロドロと溶け出しそうな。そして息をする間もなく、耳を引っ掻くような鋭い音。飛び散るガラスの破片が宙をきらめく。
『ギヤアアアアア!!!』
不気味な声が鼓膜をブン殴る。黄色い触手のような何かが、俺めがけて飛んでくる。
「うわあっっっ!!」
目をつむる間際、岸さんが俺へ突進してくるのが見えた。次いでくる衝撃と、鼻をかすめるタバコと柑橘系の香り。俺の身体は、岸さんの腕の中、外へ放り出されていた。
──死ぬ。
と、反射的に思う。
『グゥゥゥウアアアア!!!』
岸さんが俺の背中を抱え、庇うように抱きながら、自身の身体をひねった。黄色く、そしてスクリーンで見たやつらとは比にならないほどでかいそいつの、人間でいえば腹らしき部分に蹴りをいれた。そいつがうめき声をあげ、黄色い飛沫が俺の背中と岸さんの顔面に飛ぶ。
蹴った反動を使い、岸さんは、地面へと軽やかに降りたった。俺は抱っこされた状態で、岸さんに下ろしてもらう。
「ありがと……」
恥ずかしいと思う暇もなく、黄色のそいつは俺たちに迫ってくる。振り落としてくる触手をすんでのところで避ける。想像していたより動きが俊敏だ。
「で、でかくない?」
「ここまでのは初めてかも」岸さんはそう言うと、やつに向かって真っ正面から走っていく。
「こっちだよー」
速い。触手への身の交わし方も、重力を感じさせない軽やかさだ。そして合間に入れる拳と蹴り。そのたびに触手がはじける。
華麗さにしばし見惚れてしまっていたが、やつの意識がこちらに向いていないあいだ、俺ができることも見つけたい。しかしどうすりゃいいんだ。
──実践しなければわからない。
俺は深呼吸をすると、逃げる言い訳を見つける前に、やつに向かって駆け出した。
やつは岸さんを相手するのに手一杯でいる。人間でいう腕や脇腹ら辺からは、長い触手が幾本も伸びている。やつの背後へ、地面に垂れた触手めがけて走る。そして、渾身の力を入れて蹴った。
「わっ!!」
脚に嫌な感触がし、しかし岸さんとは違い触手はびくともしない。上で、影がゆらりと動く。ごくりと喉が鳴る。ゆっくりと顔をあげれば、そいつが振り返って俺を見ていた。もっとも、目などないのだが。
『ア”ァ?』
目の前を影がさす。上から振り下ろされる触手。俺の身体は動かぬまま、あ、やばいと、まるで他人事のように思う。
衝撃はたしかにあった。しかし、不気味なことに、その後くるはずの痛みは襲ってこない。やっぱり、レプリカなんじゃん。驚くのも束の間、二度目の衝撃。反動で、黄色い液が飛び散ってくる。やつの身体はどろついているが、飛び散ったものは水っぽい。俺の身体は、痛みもなければなんの負傷もない。
何もできなくとも、疲れさせたらいい。
──疲れさせる?
「ねえ、私も構ってよ」
岸さんが飛び上がり、背後からそいつの胴体に蹴りを入れた。こちらへと倒れてくるのをよける。
俺たちはレプリカのここで、体力を消耗することはない。一方でこいつらはどうなんだろう。幽に聞くのを忘れていた。
体力を消耗しないとはいえ、俺は疲れていた。精神的な面で。それは、こいつらにも言えるんじゃないか。俺たちとは違い、身体が損傷するから、レプリカの身体ではないのかもしれない。わからないが、とにかく、こいつの精神を削ってやれば。
「おーい、デカブツ!」
両手を大きく振ってみせる。そいつが振り返り、俺に向けてまた触手を振り上げた。それをまたまっすぐ食らう。
「ヤレるもんならヤってみろよ!」
こいつに日本語がわかるのかと思ったが、通じたのかは定かではないものの、完全に俺に意識が向いたのは明らかだった。そいつが俺に向き直り、構えるポーズをとる。
「岸さん!俺にこいつ、任せてくれないかな?」
向こうで、岸さんが頷くのが見えた。俺は、やつを見たまま、走り出した。
「こっちだぜ、黄色野郎」
♡
「そんなもんか?この×××!!」
「身体がでけえだけかよ」
「思ったより雑魚だな」
「××(笑) ××××(笑笑)!!!」
『ギャアアアァァアァァアアア!!!!』
おもしろいくらいに煽りにブチ切れてくれる。頼む岸さん、俺を見ないでくれ。絶対、幽とか今頃めっちゃ笑ってるだろ。俺だって、岸さんみたいにカッコよく戦いたい。
(殺してやる!!!)
……って、絶対思ってるだろうなこいつ。
鬼気迫るそいつの触手をよけ、避けきれず身体に食らいながら思う。沢谷さんが食べたら、安易にバナナ味なんだろうか。平行世界に普通にぶどうとかバナナとかあるのか。そもそも平行世界ってなんだっつの。
「来いよー」
俺の身体に当たり損ね、そいつの触手が建物をぶっ壊した。やべえ。たしか壊しちゃいけないんだよね。
「こっちだ!」
急いで、周囲に何もないところへ走る。
触手を幾本も振り上げながら、ドカドカついてくるそいつ。岸さんや幽に見られていることを除けば、けっこう楽しい。
このまま沸点カンストして、自滅でもしてくれないかな。
「……あ?」
ふいにそいつの触手たちが浮かび上がったかと思うと、そいつ自身の身体に巻きついていく。
ゾッとするおたけびをあげながら、ドロドロの身体に飲み込まれるかのように、力がこもっていく。何してるんだこいつ。
『ガグゥアアアァァァアァァアア!!!』
人型を象っていた黄色の塊が突如、その形を崩した。ぶしゃ、と嫌な音とともに、弾け飛ぶ身体。俺の視界を真っ黄色に染める。
「……なんだ……?」
スーツの袖で顔を拭う。ついでにぺろりと舐めてみる。無味だ。
地面や建物に飛び散った黄色が、徐々に消えていく。
「自滅した?」
岸さんが近づいてきた。黄色まみれだ。俺も人の事言えないんだろうが。
「岸さん、なんかした?」
「いや。たぶん、青柳くんの力なんじゃないかな」
「え。何この力」
「……わからん」
頭上から影がさす。はっとして顔をあげると、宙に浮かぶ箱が、こちらへ降りてくるところだった。
「ターゲットの敵が消えたこと感知したら来てくれるの。すごいよね」岸さんが言う。
「帰ろっか。黄色いの、エレベーターの中で自然に消えるから大丈夫だよ」
「うん……」
俺、これからこんな戦い方しないといけないのか……?
♡
「罵詈雑言で勝つって、ネット弁慶の本領発揮です?」
「お前……」
返す言葉のない俺に、腹を抱えて笑う幽。岸さんこっち見ないで。幽は黙ってくれ。
にしても、俺ってそういう感じに見えるんだろうか。がっつりダメージを食らう。
「なんなんだよこの力」
「そんなのワタシにもわからないのです。でもでも、いいじゃないですかあ?ワタシ、ラブシャワー前のここの世界のことあんまり詳しくないですけどっ、インターネットって格闘場みたいな役割もしてたんでしょう?今はフワフワお惚気であふれてるけど、やっと発散できるじゃないですか!」
お前は俺のなにを知ってるんだ。いや正しくは、なんで俺のこと知ってるんだ。
自分では、社交として、爽やかで余裕のある、大人の男をやってるつもりなんだけど。もちろん、インターネットで喧嘩してストレス発散なんかしないような。
ていうか詳しくないって嘘だろ。
(ネット弁慶の本領発揮……)
反芻してまたしっかり傷つく。岸さんは俺たちに構わず、会議室の椅子に座り、おにぎりを食べている。
「そういや、青柳くんはなんであの戦法にしたの?」岸さんが尋ねる。
「ええと……」
先ほど考えたことを説明すると、また幽が笑い出した。幽はめちゃくちゃゲラだ。決して俺が馬鹿だからではない。
「ごめんなさい、ちゃんと説明してなかったですね。レプリカにいる平行世界のヒトたちの身体は、レプリカではないのです、あなたたちにとっては、レプリカの身体にたましいが入っている状態。一方で平行世界の住民たちなら、レプリカ内にいる間、本物の肉体でないのはたしかなのですが、かといって自分と完全に切り離されたものでもないというか。ただ、たとえ液状になって消えてしまっても、死ぬわけではないですがね。死ぬ、という概念がないと言ったほうが正しいかもです。侵入者も、それからワタシたちも。だからって、永久不滅というわけでもないですが」
概念がない……。
「お前って何者なの?」
「ワタシは、パパのつくった世界から、愛の足りないあなた方を救いにやって来た天使ですん!……あら、そういえばあなたたちはご加護を受けませんでしたね」幽がぱっと両手で口もとを押さえ、気まずそうな顔をした。
「なんで俺ら、そのラブシャワー……とかいうやつを浴びなかったんだろ」
「幽にはわからないのです」幽が眉を下げた。
「シャワーにワタシはあんまり関わりがなかったですし。関わりがあった人とはその、色々ありましてね」幽が言葉を濁す。
「まあでも、指示を出したのはパパですが。ワタシには、高尚なパパの計画など、教えてもらえるもの以上は聞けないのです」
「……ふうん」
なんか、お前もいろいろ大変そうだな。
「ともかく、青柳さんの力がなんなのかはわかりませんが、罵詈雑言によって勝利したっていうのは明らかなのです。ここは今はなき、古き良きインターネットとでも思って、ストレス発散に役立ててくださいっ」
「うるせえ」
……さっきちょっと同情した俺が馬鹿だった。岸さんこっち見ないで。
♡
完全個室の居酒屋。
俺と沢谷さん、岸さんと瀬戸は、連絡を取り合い集まった。
目的は、「作戦会議」のためである。
「広野さんと斉藤さんにも、来訪者たちへの秘密があって、その逆もある。嘘や隠し事を、守らなきゃいけないって大変だね」
岸さんがビールをちびちび飲み、枝豆をつまみながら言う。
「幽さんたちは、どうしてレプリカのこと秘密にしてるんだろう。あのお二人にもだけど、公にしてないのは、みんなに心配させたくないからかな」
沢谷さんは、色のかわいい割に度数の高いリキュールをかなりのハイペースで飲んでいる。涼しそうな顔を保っており、お酒は相当強いみたいだ。
「そんなかわいいものだといいけどね」
瀬戸は烏龍茶を飲み、がっつり飯を食っている。
「こうなるとなんか、どっち側につくかっていうことばっか考えちゃうんだけど、みんなはそうじゃない?」
そして俺はというと、見栄で酒を頼んだくせに、本当は弱いから、水と交互に飲んでいる。なかなか減らないし別においしくもない。
「秘密」の仕事の次の日、俺はまた岸さんとペアを組んで助けてもらいつつ、二回目の新しい仕事を終えた。そして三人を飲みに誘い出した。思考はかんたんに煮詰まる。自分でもんもんと考えるよりは、みんなと話し合いたかった。
それに──俺たちは、広野さんと斉藤さんから秘密の任務を託された、仲間みたいなもんだ。飲み会なんか好きじゃないけど、そんなこと言ってる場合じゃない。話し合いが必要だ。
何かのきっかけで、ハイスイッチ、みたいなのが入るときがある。いつもはこういうやつは馬鹿にしてるんだけど……こないだ観た映画の影響かもしれないし、沢谷さんがいるからかもしれないが。それとも酒のせい?
ともかく今の俺は、みんなで同じ方向を向きたい。
「どっち側か。言われてみればそうだなあ」沢谷さんが苦しそうに言った。
「私たち、板挟み状態だもんね」
広野さんと斉藤さんは、来訪者たちの思い描く未来像の実現を阻止し、新しい世界をつくってほしいと願う。一方で来訪者たちは、同胞たちによる反逆を、二人には知られたくない。
「幽たち側は、お二人の思惑に、何かしら勘づいているのかもね。だから知られたくない。たぶん、それが弱みになるからかな」
言いながら、なんか変な気持ちになる。腹の探り合いなんて、彼女の後ろにいるやつはともかく、幽がやってるなんて考えられないけど。
「二人に言う?そういう報告は直接会ってしてって言ってたよね。明日暇か聞いてみる?」沢谷さんが言う。お二人は、二人で一つのアカウントを使っている。同化し、どちらがどちらかの判別がつかないとはいえ、元首相のLINEアカウントを持ってるなんて変な感じだ。
「てか皆んな、お二人とやりとりしてる?」
「してないな」
「よろしくお願いしますって送ってそれきり。あのバトルの仕事のこと、話していいか迷っちゃって」
「私も」
「うん。やっぱり、話すべきだよ」沢谷さんを見て、力強く言う。
「共有する必要あるかな?」と、言ったのは瀬戸だった。
「だめ、かな……?」
沢谷さんはグラスを両手で包み、不安そうな顔だ。
「だめっていうか、要るのかなって」
俺は慌てて、気まずい空気をふっ飛ばすために「どうしたどうした」と瀬戸の肘を小突く。
「俺らはピンクのやつらに雇われの身だけど、二人にだって任務を依頼されてる。仕事は報連相が大事だろ?」
瀬戸は俺に目をやり、薄く笑った。なんだその笑いは。
「それにだよ、同化なんて馬鹿げてる。別々の人間二人が同じ顔になって、自分がどっちなのかわからなくなるとか怖すぎだろ。そもそも、ラブシャワーからヘンなんだけどさ。俺たち、やっぱりこの世界をどうにかすべきだよ。二人も、救えるのは俺たちだけって言ってたじゃん?」
みょうに声に力が入る。沢谷さんが目の前で聞いているからかもしれないし、酒の力かもしれない。
でも喋りながら、本当にそうだと心の底から思う。ラブシャワーを浴びなかった俺たち。これはたぶん、使命なんだ。スパイなんか気が引けるけど、きっと、策が見つかる。ピンクのやつらは、愛というものの根本から間違っているんだと思う。俺は、勝手な力で、好きでもない人を好きにさせられるのなんか絶対嫌だし、好きな人と同じになりたいとも思わない。
俺たちにしかできない、使命。それってまるで、映画の中のヒーローだ。複数人いるヒーローには、決まってリーダーがいる。ゴタゴタするチームをまとめて、一つにして、勝利に導くリーダーが。
「俺は、二人のほうが正しいと思う。つうか絶対そうだろ?」
沢谷さんと目が合う。彼女は「……私も、そう思う」と力強く頷いた。まっすぐでキラキラした目に見つめられ、なんかヘンな気合いが入る。
「沢谷さん、ありがとう。……曖昧なのは、よくないと思う。なんで要らないと思うのか、瀬戸の気持ちをちゃんと聞かせてほしい。ちゃんと、話してくれよ」
沢谷さんに見つめられているのを感じながら、瀬戸と距離を縮める。「なあ、頼むよ。俺たち、仲間なんだからさ」
「いいだろ?……な?」
瀬戸の背中にふれ、その顔を覗き込む。
瀬戸は目を伏せて箸を置くと、ため息とも呼吸ともいえないような息を吐き出した。そして「俺」とテーブルに言葉を落とす。「嫌いなんだよ」
「嫌い?って、何が」
「広野サンが」
ぱち、とまばたきする。
「え、広野さんが?なんで?」
「なんでって、政治のやり方とかだよ。今は恋愛してフワフワになってるみたいだけど、前やってたこと全然忘れられないし」
予想外の言葉に、あっけにとられてしまう。広野さんってそんなひどいことしてたっけ?がんばってたじゃん?
ていうか、好きとか嫌いとかいう感情すらなかった。
「お前、思想強いな〜っ」
と、微妙な空気を修復するために笑ってみせる。バシバシッと背中を叩いてやる。
「こういう集まりで、あんまりそういうこと言うのは避けろよなー」
沢谷さんと岸さんの表情はかたまったまま俺を見た。これ以上どう盛り上げろというんだ。
「……お前が言えって言ったんだろ」
「え」
今まで聞いたことのない、瀬戸の低い声に硬直する。瀬戸は俯いたまま立ち上がると、席を立ち、外へ出ていく。ドアの閉め方に怒りは感じさせず、けれどその手は震えているように見えた。
「……青柳くん」
岸さんがまっすぐに俺を見ている。
「今の、よくなかったんじゃないかな」
……え?
「俺?」
「ちゃんと聞かせて、仲間だって言ったから、瀬戸くんはそれに応えたんじゃないのかな?」
「え、だって、でも……」
政治のことなんかわかんないし、咄嗟に何も出なかった。別にあの返しも、ネットだとよくあるやつだ。傷つけるつもりなんかなかったし。
おもわず、沢谷さんを見る。けれど彼女の困ったような表情には、明らかに、俺への非難があった。
「私、さっきの青柳くんの言葉には賛成だったよ。あのお二人が言う通り、同化なんかヘン。でも、瀬戸くんに言ったことは賛成できない」
……なんで。
だって、俺は。ただ、言われたことに何か、返さなきゃと思ったから。
そんなこと言うなら、何を言えばよかった?なら、黙ってたあんたらが──。
岸さんが立ち上がる。
「どうしたの?」
「瀬戸くん追いかけてくる」
俺は、心の中でたった今叫びかけていた言葉を握りつぶし、自分をボコボコにしたくなった。
顔に、酒のせいではない熱がのぼる。
「瀬戸くんのは立て替えとくね」岸さんが財布を取り出し、テーブルの上にお札を数えて整え、置く。
「私も──」
立ち上がりかけた沢谷さんと、目が合う。縋るような気持ちが、視線に乗ってしまっていたのだろうか。彼女は困ったように眉を下げて、椅子に座り直した。
結局、話は弾まず、二人は戻らず、予約時間になるまで、ひたすら食べてもとをとるのに努めた。
かつて好きだった人と二人きりなのに、地獄みたいな長い長い時間だった。
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