あるいは、安酒に酔えたなら
不明夜
あるいは、安酒に酔えたなら
昼夜の概念が無い惑星に満ちた闇を、街灯が過剰な程に照らす。
百年前は更地だった地表の上に敷かれた白いタイルの上を、綺麗なスーツを着た退屈そうな人類達が往来する。
彼等群衆が見るのは、各々の視界に投影されているディスプレイのみであり、逃げる様に小走りで進むぼろぼろの作業着を着た男の事など眼中にも無いのだろう。
三歩歩くまでもなく忘却され、嫌悪感すら抱いては貰えない存在こそが、現在の俺なのだろうな。
世界は、ここ百年で大きく変化した。
人類は光速を超えて宇宙を旅する方法を発見し、自らの体を機械に置き換える術を入手し、未開の惑星へと入植する事によって生存圏を大きく拡大した。
料理とは作るものではなくフードプリンターで出力する物となり、娯楽とは体験する物ではなく亭受する物となったが、それでも我々は神に届かない。
人の愚かさが不変である以上、我々はいつまでも人の子なのだ。
とはいえ。
技術の革新も、世界の変化も、結局のところ俺には大して関係無い。
企業管轄の工業惑星に作られた、小綺麗な街の端の端。
安くて手軽で強力なドラッグが市場へ流通していると云うのに、それより何倍も高い安酒を求める人々ばかり集う場所こそが、今の俺に赦された居場所なのだから。
百年前から変わらぬ砂の上、お世辞にも安定しているとは言い難い地盤の上に建てられた、今では珍しいレンガ造りのパブ。
これまた現代では見る事の無い木製の扉を押し開け、薄暗い店内へ入る。
吊り下げられた小さなランプのみを明かりとした店内の光景は結局今日も様変わりする事なく、数名の常連客がちびちびとグラスを傾けては、壁際に置かれた古いスクリーンを興味なさげに眺めていた。
遠い遠い星で起こった爆破事故の犠牲者数なんて、どうせこの星に居る奴らにとっては酒の名前よりも興味が無い話題だろうに、よく毎日毎日繰り返し流せるよな。
俺がここに逃げてきてからずっと、他のニュースを見れた記憶が無い程だぞ?
定型化された店員の挨拶を程々に聞き流し、店の最奥にあるテーブルへ向かう。
故郷にあったこの手の店は大抵常連客の定席があったものだが、この店に関しては常連と呼べる客の数すら少ないからか、新入りだった俺が適当な席に座っても殴り掛かられる事は無かった。
他人と喧嘩する気力も無い奴らが、この星に多いだけなのかも知れないが。
そして、既にほぼ俺の定席と化した丸い木のテーブルの前まで来て、何なら普段の様に椅子へ腰掛けようとした直前になって、ようやく俺は異変に気付いた。
婆だ。
老婆がいる。
俺の座ろうと思った席の反対側で酒も頼まず、さりとてニュースを見るでも誰かと話すでもなく、ただ気配を消して座っているだけの老婆がいた。
「……あまり、人を凝視するな。気分が悪い。そんなしけた面では……尚更だ」
「は?なんだ婆さん、歳の割に血気盛んだな。見てたのは謝るが、そう悪し様に言われる筋合いはねえよ。それより、ここ座っていいか?」
「好きにしろ。が、アタシは何があろうと奢らん」
「婆さんの財布をアテにするほど落ちぶれちゃねえよ。おい店員、どうせ誰も使わんワイングラスを磨いてる暇があるならビールを寄越してくれ。一番安い奴な?」
雑なオーダーを済ませてしまい、残念ながら当分はやる事が無い。
普段なら見飽きたニュースを嫌々見続けるか、暗くて見えない天井のシミを見ようと努力するかを選択する自由があるのだが、困った事に今日は近くに知らない老婆が居る。
安楽死が一般化したからか、それとも体の部分的な機械化や整形技術が普遍的な物となった影響かは知らないしどうでも良いが、老人らしい老人はそれだけで物珍しい存在だ。
だが、物珍しいかどうかが問題なのではなく、人を凝視するなと行ってきた本人が絶賛俺の顔面を凝視している事が問題な訳で。
温んだビールを運んできた店員に円形の共通硬貨を握らせ、軽く喉を潤した後に目線のみで老婆へ抗議する。
酒を求めるのが一部の富豪とアルコールに飢えた貧民のみになり、結果としてこんなパブで飲める様な酒の質は低下し続けているのが、目下の悩みだな。
「……おい、若造。アタシの昔話を、聞いていかんか。拒否権はないぞ」
「そりゃあ命令だろう?提案じゃあ無い。俺としては別にいいが、ちゃんと酒の肴になる話なんだろうな?」
「さあね。死ぬ間際に、誰かへ話したかっただけだからな」
「何ともまあ、笑えん滑り出しだな」
死ぬ間際、とは老婆が言ったら冗談にもならんだろうに。
実際冗談では無いのだろうが、それなら尚更偶々パブで出会っただけの俺に話す道理も無かろう。
こういう物は道理でなく感情、より正確にはその場のノリとでも言うべき何かこそが、話すかどうかの決め手になるのだろうな。
そして偶然にも、今はその偶々を否定する気になれなかった。
「若造。もし、宇宙船の中で死体を片付けねばならんくなったら……どうする」
「待て待て待て、もしもの話にしては突飛すぎる」
「……死因は失血死で、実弾拳銃を使用した自殺だ。宇宙港に着くまでに、そいつの存在した痕跡を全て消して隠さなければ、法に基づき全員が懲役を受ける」
「そりゃ知ってるさ、二十年前まであった宇宙船内での殺人に対する特例だ。犯人が分からなければ、例え状況的に自殺でも乗員全員裁かれるイカれた法!ただその場に居たからって、何の罪も犯していない人間が捕まって良い訳があるか!」
テーブルに拳を突き立て、勢いのまま立ち上がって語気を強める。
最悪の気分だ、こんな所で世界で一番嫌いな法の話が出るとは。
怒りのまま温いビールを飲み干して、舌打ちしてから着席した。
俺の荒れ様を見ても尚老婆の表情は動かず、座った事を確認すると何事も無かったかの様に話の続きを始めた。
「で、どうする」
「……知るかよ。隠す方は専門外なんだ。適当に船外に投げ捨てりゃ良いだろ?」
「光速を超えて、宙を飛びながらか?残念なのは、顔だけじゃあ無い様だな」
「ちょっと黙ってろ婆さん!船内で火を使うのは論外、隠そうにも宇宙港の生体スキャンでどうせバレる……いや、そもそも乗員データが残ってたら意味が無いだろ」
「いいや、当時の船は脆弱だ。データを消すのは容易いさ。若造には、分からんか。答えを教えてやろう。アタシの、二つ目の罪をね」
もしもと云う予防線も消し去って、老婆はゆっくりと口を動かす。
「……皆で、食べたのさ。死体を。食料に変えてな」
その言葉は、紛れもなく真実だった。
そういえば旧式のフードプリンターには安全装置が付いておらず、本当にどんな物でも料理に変えてしまうのだったな、などと雑学を思い出すまでもなく俺の脳は老婆の言葉を真実としてカテゴライズした。
「それ、反対する奴は居なかったのか」
「居たさ。だが、断れば次に食われるのは自分だと、皆が理解していた」
「……そもそも、本当に自殺だったのか?何か見落としがあるとは、誰も考えたりはしなかったのかよ!?」
「若造、真面目だな。正解だよ。アタシが殺したのだから、あれは他殺だ」
ただただ、絶句した。
俺は、この老婆が怖かった。
今更殺人に忌避感を持てる過去でも無いが、それでも底知れぬ恐怖を覚えた。
「……どうして、殺しと露見しなかったんだ」
「全員が共犯の、狭い宇宙船。違和感を指摘する探偵なんて、何処にも居やしない。トリックを練る必要なんて、あの時には何処にもなかったんだよ」
「……そう、か。何とも、笑えない話だったな」
「言っただろう?死ぬ間際に、誰かへ話したかっただけだと」
また、気まずい沈黙が訪れる。
殺人の動機を聞く気にはなれなかった。
これ以上話して貰いたい事は無いし、きっと向こうも話す気は無いだろう。
「……俺も。あんたが死ぬ前に、聞いて欲しい話がある」
「ふん。冥土の土産になる話、なんだろうな」
「知らねえよ。俺はただ、聞いて欲しいだけだからな」
古いスクリーンに映し出された、遠い星で起こった爆破事故のニュース。
それを眺めながら、噛み締めながら、俺は口を開いた。
「あれ、実は事故じゃ無いんだよ。企業の本社を狙った立派なテロだ。犯人は俺」
「……そうか」
「動機は……復讐、になるんだろうな。その会社では、ある時宇宙船に乗っていた筈の社長が跡形も無く失踪したらしい。犯人がいないってのも都合が悪かったのか、俺の両親は濡れ衣を着せられ犯人として捕まったよ。俺の母星は福祉が充実していなくてな、結局俺はガキの頃からスラム育ちだ」
これでも一応、お涙頂戴のつもりだったのだが。
それでも一切、老婆の表情が動く事は無かった。
「伝聞と伝聞を繋ぎ合わせ、帰ってこない両親に何があったのかを探った。そして、何とか両親が勤めていた会社の名前を知ってからは、復習の為に生きてきたって訳だ。その会社に入る為、スラムに居ながら必死で勉強したさ……聞いてるか?」
返事は返って来ない。
俺の事を凝視していた瞳も、もう閉じている。
「……今死ぬかよ、いい所だったのに」
全く、笑えない話を話すだけ話して、こっちの話は聞かずに逝きやがった。
店員に座っていた婆さんが死亡した旨を伝えて、逃げる様に店から飛び出す。
酔いを醒まさないとならない程飲めもしなかったが、今は気分だけでも夜風に当たりたかった。
ここが故郷とは違う、復讐の為に十年間も居た遠い遠い星とも違う、昼夜の概念が無い惑星である以上は、夜風と表現するのも違うかも知れないな。
あるいは、安酒に酔えたなら。
今日の事を、愉快な笑い話に出来るのだろうか。
あるいは、安酒に酔えたなら 不明夜 @fumeiyo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます