2話「大きく昂ぶる思い」
うるさく鳴る目覚ましの音。いつも通りに目が覚める午前6時。
顔を洗い、歯を磨くいつも通りの行動を取る。そして、同じ時間に家を出る。
いつもの道を歩き駅に向かうのは、毎日続く同じことの繰り返し。
楽しみは無く、空いている時間にするのはスマホゲーム。それもマンネリ化してただの作業になっているだけ。
繰り返しの様に続く一日一日は、少しも刺激のない、只の日常だ。
◇◇
いつも通りの時間に電車を待っている。今日も昨日も一昨日も毎日毎日仕事。土曜日も日曜日も出社。これからする出社を含めたら二週間連続出勤、三週間目突入だ。もちろん振替休日とかはない。
週休二日と聞いて入社したのに日曜日も休みがない。時間外労働ばかりで、サービス残業なんて毎日だ。世間で言ういわゆるブラック企業というやつだろう。
入ったばかりでは辞めることもできないし、もちろん俺にはそんな根性もない。何もできないと言われている俺は給料泥棒らしい。上司は毎日のように俺の耳元でそう呟く。
先輩も先輩で自分の仕事に忙しいのだろう、入社してからの接触はほぼない。しっかり話したのは初日の飲み会で最後だった気がする。あの時思えば入社してかわいそうだなという目をしていた感じがする。
はあ、疲れた。
朝起きてここに来るだけで疲れる。というか、何かする事自体が疲れる。なんなんだろなこれは。
今も目の前は少しぼやけている。毎日の睡眠は少ないし、体力的にも限界を迎えていると思う。体はふらつくし、このままじゃ線路に落ちて死ぬのだろう。だけど死ぬのは怖いと思っている。
『電車が6両編成で参ります。黄色い線までお下がりください』
あ、少し後ろに下がろう。
あれ?
なぜか体重が前にかかる。体が思った通りに動かない。そのまま前に倒れそうになる。
掴むものもない。横に伸ばした手は空を切る。
景色がゆっくり動いている。
「あっ……」
倒れ込んだ体に大きな衝撃が走る。階段から落ちた時と同じ様な衝撃。感覚が麻痺してるのか、思ったより痛みは無い。
顔を上に向ける。多くの人の顔が目に映る。驚きている顔。大きく口をあけ叫んでいる顔。
なんでだろう、立つ気力がない。このまま寝ているほうが楽だ。
大きく警笛を鳴らしながら電車が来るのがわかる。電車のライトが眩しいほど光っている。
はは、そうか……
今日で俺の日常は終わりなのだろう。死が近づいているのがわかる。
あれ、でも思ったよりも怖さはない。
目をつぶり、最後を思う。
「ああ、人生って……」
直後に衝撃が俺を包む。
いや、衝撃でなく、何かに持ち上げられるような感覚だ。
一向に来ない死の世界。何の痛みも感じない。
また小さな衝撃。
下に降ろされるような感覚。
周りから聞こえる声。恐怖というよりは歓声に近い声。
「スゲー、まじか! 助け出したよ!」
「かっこいい!」
「動画撮っておけばよかった」
「インスタにあげないと」
「え……」
自分から溢れた声が耳に伝わる。
恐る恐る目を開けてみる。
そこはホームの中心。俺を囲む人々。
そして、俺を少し覆う様に座っている男性。
「大丈夫ですか?」
疑問符が浮かんでいる。
でも、1つわかる事は、
俺は助けられたようだ。
◇◇
「お、おお……まじか……」
今、目の前でありえない光景を見た。
いつも通りに電車を待っていただけなのだが。
線路に落ちた男性。急ブレーキをかける電車。あと数秒で人身事故が起こるだろうと思われたところ、線路内に飛び込む青年。
そのまま青年は落ちた男性を拾い上げ飛び上がる。その間2秒ほど。ありえないスピードで解決された出来事は人身事故ではなく、ただの未遂となり、僕に大きな衝撃を与えた。
『ただいま線路内に異常があり運行が遅れております。大変ご迷惑をおかけしております。』
歓喜を上げている観衆の中に僕も混ざる。
囲まれている中心には助け出されたサラリーマンと青年が座っている。
見てみるとその青年は何もガタイが良いわけでもなく、細身の好青年と言う感じだ。サッカーかバスケか何かしてそうな雰囲気ではあるが特別何かあるとは思えない。
この青年がどうやって助けたのかはっきりわからないのだが、助け出した事実だけがその場に残っている。
観衆はただ単に助けた出した結果しか見ていなく、何も考えずに騒ぎ立てているだけだろう。僕は注意深く観察する。
久しぶりに大きな刺激に出会えた。
この出来事はとても僕の心を揺さぶる。
僕の知る限りでは行うことができないと考えられる行動。それをこの青年は行ってみせた。
自分の中の常識を変えるような。
夢を与えてくれるような。
今まで隠されていた思いが沸々と蘇る。
子供の頃に見たヒーローになる夢。別にヒーローになる事が夢ではない。現在だったらラノベの主人公。現実ではありえないモノになりたい。厳密には夢ではないし、別に憧れと言うわけではない。上手くは言えないがなんというか、現実的ではないありえない事をしたい。そんな願望が蘇る光景。それに僕はかなり心を打たれていた。
その光景に思うことが巡り出す。
この青年は何なのか。
そしてどうやって力を得たのか。
騒がしい状態の中、僕だけがおかしなことを考えているのだろうか。
このタイミングで気持ちが蘇ってきたとか、たぶんそれは違う。
常に想像、妄想はしていた。
こんな事が現実に起こればいいのにと。
蘇って来たのではない、そのタイミングに出会った。
この衝撃はあのニュース以来、久しぶりの感覚だ。
人々が驚愕したあのニュース。
その延長線でこの出来事は起きたのだろう。
少しだが検討はつく。
それが正しければ本当に今から価値観が変わりそうだ。というか、変わっていた価値観を思い出しそうだというのが正しいか。
その確証を得るために何もかもほったらかして、この青年の後を付いて行こうと思う。
◇
その後を付いていった結果。
簡潔に言うと、
青年が向かった先はダンジョンだった。
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