2-03
礼さまとの聞き込みは空振りに終わりました。
そもそも君が二人も揃っての聞き込みですから、注目度が違います。こんな状況でドラッグの噂などについて聞こうものなら、むしろ噂の拡散を助長してしまうでしょう。
それでも礼さまは巧みに例の生徒についての情報を集めていらっしゃったのですが、わたしの方はそれどころではありませんでした。
もちろん、先のホンダさんのお言葉のせいです。
『――我々ぐねぐねとしたアザミ色の触手は、その性質上、意識の集中・拡散については敏感でな。彼女らの意識は時折分裂していた』
言っていることと、思っていることが分裂していた、というのです。
『まあ、君の意識も分裂していたが』
例の深夜まで見ていた「映画」の件でしょうか。
「やれやれ……これは苦労しそうだね」
ぼやく礼さまのお顔を、わたしはじっと観察してみます。
「ど、どうしたんだい、志摩さん。
ははぁ、さては僕に惚れたね? いやぁ、僕もまだまだ捨てたものじゃないみたいだ」
「馬鹿を言わないでください」
今日一日過ごしてみてわかったのですが、礼さまはなんだか、凛に似たところがありますね。
「さっきの裏サイトでも、青×黄はけっこうな人気だったじゃないか。僕はたいてい攻めだって言われるんだけど、さすがに青薔薇の君にかかっては受けにまわらざるをえないようだね。ああ、でも攻められたことなんてないからドキドキするなぁ……青薔薇の君っ!」
「きゃあっ!」
言いながら礼さまはわたしに後ろから抱きついてこられたのです!
擦れちがった生徒が「きゃーっ!」と黄色い声を上げ、頬を染めてわたしたちを見ています。「まさかの黄攻めっ!?」などという声も聞こえた気がします。
と、礼さまが声を低くしてわたしの耳元でささやかれます。
「……本当のところ、志摩さんはどう見てるの?」
「どう……とは?」
「白百合の君と赤椿の君」
「……どちらも少しご様子は変でしたね」
本音を言えば礼さまも。
そう考えると、ホンダさんのおっしゃったことは驚くべきことではなかったのかもしれません。
「疑ってはないの?」
「疑ってはいません。エリス様は、どうも何かお心当たりがあったのではないかとお見受けしました。友梨亜様は、きっとまだ伏せておられる情報がありますね」
「へぇ~……随分と踏み込むね」
礼さまがすっと目を細められます。
「少々の勘と、それぞれのご性格を考えた上での憶測です」
「なんだか、志摩さんも実は恐ろしい人のような気がしてきたよ」
「そんなことはないです」
「ひょっとして、僕についても何か?」
「そうですね……わたしは礼さまを信用しています、とだけ」
「……くくっ」
礼さまは喉の奥で笑われると、わたしの耳をぺろりと舐められました。
「きゃあっ!」
わたしは跳ね上がります。
「「きゃああああ――っ!!」」
廊下を黄色い悲鳴が席巻します。
「な、何をなさるのですかっ!」
「さあ、こっちだ! 僕のお姫様っ!」
礼さまは芝居がかった調子でそう言うと、わたしの手を引いて駆け出します。
礼さまは特別棟の人気のない一角まで走ると、ようやく足を止めてくださいました。
それにしても、礼さまの足の速いこと!
日頃運動不足のわたしは情けなくもぜえぜえと息を荒げてしまいます。
「で、ですから――っ、どうしてこのような……っ!」
「いやあ、だって、こうでもしないとまずいだろう?」
「何が……です?」
「僕たちが聞き回ったことは、きっとすぐに話題になる。そうなれば、陸上部の彼女に連絡を取ろうとするものも出てくるだろうね」
「それは……」
「僕は一応配慮して聞いたつもりだけど、赤椿の君あたりはもっと単刀直入だろう。四君がそろいも揃って一人の生徒の消息を気にする――ちょっとしたスキャンダルになる」
「たしかに。……って、まさか!」
はっとしたわたしに、礼さまは不敵な笑みを返されます。
「そう。黄水仙の君が青薔薇の君を口説いて人気のないところに連れ去った――こんな魅力的な話題があるというのに、目立たない陸上部の生徒の消息なんて、誰も気にしたりはしないだろう?」
「なるほど……」
いえ、それはそれで困ったことになりそうなのですけれど。
「それに、さっきの裏サイトはなんだい! 青薔薇の君が攻めで僕が受け――!? それも悪くはないけど、ガン攻めを自認する僕としては、ちょっと悔しいじゃないか!」
「わ、わたしは攻めでも受けでもありません!」
「なるほど両刀というわけか……さすがは魔王とまで呼ばれるだけはあるね」
「だから――!」
「――おっと、あれはエリス様じゃないか?」
抗議の声を上げかけたわたしを制して、礼さまがわたしの後ろに視線を向けます。
「おーい、エリス様! そっちのご首尾はいかがでしたかぁ~!?」
「ちょっと、お声が大きいですよ!」
「大丈夫、誰もいないって」
噂が広まらないように細やかな配慮をなさっていたのが嘘のようなご態度です。たしかにこのあたりには生徒はあまりやってこないのですけれど。
と、おかしなことに気づきます。生徒がほとんどやってこないこんな場所に、エリス様は一体何のご用でしょう?
「エリス様? エリス様~?」
礼さまのお声がけにもエリス様は反応なさいません。わたしは振り返り――
「……?」
エリス様は、丈の長いいつもの制服――エリス様はわたしと同じくセパレートタイプを好まれます――の上に、演劇の衣装のような緋色のマントを羽織られています。腰にはレイピア。演劇部のご衣装でしょうか。
「ちょっと……どうなさったんですか?」
礼さまが心配そうなご様子でエリス様に駆け寄ります。
エリス様はもともと色白な方ですが、それにしても青みがかって見えるほど蒼白なたちではなかったはずです。目つきもこころなしかぼんやりしているように見受けられます。
エリス様は、駆け寄った礼さまには目もくれず、
「アオ……バラ……」
不気味につぶやきながら、わたしの方へと向かってこられます!
「……ちょ……一体、どうしたんです!」
礼さまがエリス様の前に割り込み、肩を揺さぶります。
その時のことです。
『――志摩! その女生徒はぶよぶよとした褐色のゲルに取り込まれているぞ!』
ホンダさんが突然そう叫ばれたのです!
そして、その言葉の意味がまだわたしの頭に染み入らないうちに――
「アァァァァ――ッ!」
エリス様がいきなり、裂帛の雄叫びを上げられたのです!
「志摩さん!」
短く叫んだ礼さまが、とっさにエリス様を突き飛ばします。
わたしの喉を狙って鋭く突き込まれたエリス様の指先は、割り込んだ礼さまの腕をかすめました。
「
礼さまが苦悶の声を上げられます。礼さまの腕がぱっくりと裂け、血が噴き出しているではありませんか!
「礼さまっ!」
「ド……ケェ――ッ!」
よろめく礼さまを押しのけ、エリス様はわたしに向かって手刀を振り下ろして来られます! その手には、薄暗く褐色に輝くゲルのような何かがまとわりついています……!
『緊急展開ッ!』
ホンダさんの鋭い声とともに、わたしの腕がひとりでに持ち上がり、エリス様目がけて凄まじい速度で伸びていきます! もちろん、わたしの腕は一瞬にしてぐねぐねとしたアザミ色の触手へと変貌しています!
「グォ……ッ!」
ホンダさんの放った触手は、エリス様のみぞおちを捉えていました。
が、そこから返ってきたのは奇妙に弾力のある感触です。
そう――まさに、ぶよぶよとしたゲルのような。
身近なものに喩えるなら、特大の蒟蒻を思いきり殴ったような感覚――とでも言いましょうか。
触手の先から跳ね返ってきた力に、わたしは一瞬バランスを崩してしまいます。
しかし、エリス様の方もそれなりの衝撃は受けていたようです。
エリス様は大きく飛び退くと、腰に吊したレイピアを抜き放ち、その切っ先をわたしへと向けられました。
静かに呼吸を整えながら、次の攻撃に向けて力を蓄えておられるようです。
その隙にわたしは礼さまの前へと飛び出し、礼さまをかばう形でエリス様と対峙します。
『来るぞ!』
ホンダさんの声と同時に、エリス様がわたしへと襲いかかってこられます。
わたしはまず、腰の後ろから触手を伸ばして、礼さまを後ろへと突き飛ばします。
「うわぁっ!」
もちろん、礼さまの安全のためです。
後顧の憂いを断ったわたしは万全の態勢でエリス様を迎え撃ちます。
「クラエ――ッ!」
エリス様の鋭い声!
間合いの外としか思えない地点から、エリス様は鋭い突きを放ってこられます。
ホンダさんが弾いてくださらなければ、間違いなく食らっていました。
エリス様は初撃が防がれたことを見てとると、素早く手首を返し、今度は目にもとまらぬ連続攻撃をしかけてこられます。
わたしは両腕を触手に変え、エリス様の凄まじい連撃を凌ごうとしますが――
「くっ……!?」
エリス様の華麗な剣捌きに、両腕の触手をもってしても致命傷を避けるので精一杯です。
触手のあちこちが切り裂かれ、あたりにアザミ色の体液がしぶきます。
『ぐっ……、ぬ……っ、おぉ……!』
ホンダさんも苦しげですが、わたしの方も限界です。
日頃の運動不足がたたって、あっという間に息が上がってしまったのです。
わたしはスカートの中から触手を噴き出させ、その反動を使って大きく跳び退きます。
エリス様はわたしを追っては来ず、その場で悠然とレイピアを構えていらっしゃいます。
『接近戦は不利のようだな』
「エリス様はもともとフェンシングの達人ですから」
武道の嗜みのないわたしとは地力が違います。
『ならば……、――ッ!』
距離を取り、対抗策を模索しようと思ったのですが、そこは武道の達人であるエリス様です。そんな余裕は与えじとばかりに攻めかかってこられます。
恐ろしい速度で踏み込んでくるエリス様に対し、わたしは再び触手を使って距離を取ります。
が、取っただけの距離をエリス様は一瞬で詰めてこられてしまいます。
わたしの背後にはまだ動けないでいる礼さまがいらっしゃいます。
下がれるスペースはあと少し――そのスペースを使い切ってしまう前に、対抗策を編み出さなければなりません!
わたしは試しに、両腕の触手を素早く伸ばし、エリス様にパンチを繰り出してみます。
が、エリス様は秒間数発の速度で襲い来るパンチの嵐をあっさりと躱されます。
フェンシングのインターハイ選手であるエリス様の技倆と、ぶよぶよとした褐色のゲルの力と。エリス様の中でその二つが分かちがたく融合して、エリス様は今、恐るべき戦闘機械としてわたしの前に立ちはだかっているのです!
『……くっ……よりにもよって、厄介な相手を取り込んでくれたものだな』
まったく同感ですが、まだあきらめるには早すぎます。
直線的な攻撃が躱されてしまうというのなら、こういう攻撃はいかがでしょう――!?
「はぁ――ッ!」
わたしは両腕の触手を細かく分割しながら、腕を横に払う動作をしました。
触手は放射状に広がり――扇状に広がりながら、廊下を水平に切り裂く形でエリス様へと襲いかかります!
しかし――
「アマイゾッ!」
エリス様は鋭く声を上げると、その場に足を止め、手にしたレイピアを水平に振るいました。
『ぐぉっ!』
「ホンダさんっ!?」
エリス様の振るったレイピアは、わたしが扇状に放った触手を真っ向から迎え撃ち、まるでチーズでも裂くように容易く切り裂いてしまいました!
『大丈夫だ、ダメージは軽い!』
わたしたちが動揺している間に、エリス様は再び間合いを詰めてこられます。
わたしは先ほどの扇を上に下に、的を絞られないよう気をつけながら放ち、エリス様の足を止めようとします。
そして事実、エリス様は足を止めざるを得なくなりました。先ほどの鮮やかな撫で切りも、扇を上下に揺さぶることで食らわずに済んでいます。
しかし、均衡状態は長くは続きませんでした。
エリス様は足を止められたまま、わたしの攻撃をじっと観察されています。
獲物を狙う猛禽のようなその眼光に、わたしは一瞬、心を乱されてしまいました。
甘く放ってしまった扇状攻撃に、エリス様がぴくりと反応されます。
エリス様の瞳がかっと見開かれたかと思うと、エリス様は向かい来る触手へ向かって強く踏み込み、次の瞬間、陸上の背面跳びのような要領で触手を跳び越えてしまいました!
いえ、それだけではありません。エリス様の身体が宙でふわりと浮き上がったかと思うと、何もない空間を踏みしめ、わたしへ向かって突っ込んでこられたのです!
エリス様の構えたレイピアには、いずこからともなく現れたぶよぶよとした褐色のゲルがまとわりつき、急速に硬化しつつあります。その形状はまさしく、映画で見た中世騎士の突撃槍そのものです。
突撃槍とともに突っ込んでくるエリス様の速度は凄まじいもので、一瞬にして音速を突破し、ソニックブームすらともないながらわたしに迫ってきます。
明らかに一瞬の出来事なのですが、きっとホンダさんの仕業なのでしょう、わたしにはほとんど時が止まって見えます。
攻撃を躱されたときはゾッとしましたが――そうです、わたしは一人で戦っているわけではないのです!
『対空邀撃ィ――ッ!』
ホンダさんの声とともに、わたしのスカートがぼこりと膨らみます。
「きっ……きゃああああっ!」
わたしの悲鳴とともに、スカートの中から大量の触手が噴き出しました。触手の奔流は床で跳ね返るようにして方向を変え、宙から迫るエリス様目がけて殺到します。
あわててブレーキを(空中でブレーキをかけられる原理は謎ですが)かけようとなさるエリス様ですが、とても間に合うタイミングではありません。
わたしのスカートから伸びた大量の触手は、エリス様のレイピアを、まとわりついたゲルごと弾き飛ばし、そのままの勢いで、空中で姿勢を崩したエリス様を拘束します。
「コノ……ッ!」
エリス様は力の限り暴れますが、わたしのスカートから伸びた卑猥な触手はびくともしません。
その姿に――
(……なんだかぐっときますね)
などという感想を抱いてしまったのは秘密です。
『……際どかったな』
「はい……。でも結局、ホンダさんに助けられてしまいました」
『そんなことはない。君が彼女の足を止めていなかったら、あれの準備は間に合わなかった。我々コンビの勝利だ』
「それならよかったのですが。……コンビ?」
わたしが言う間にも、ホンダさんは触手を蠢かして、エリス様の状態を探っています。
『幸いこの女生徒はまだ寄生されて間もないようだ。問題なく分離できる』
わたしはほっと胸を撫で下ろしました。
「どうすればいいのです?」
『こうすればいい』
ホンダさんの言葉とともに、わたしの指の数本がうねうねと伸び、エリス様の耳と鼻の穴にずぷりと侵入していきます。
「ち、ちょっと……!」
わたしは思わず悲鳴を上げますが、もっと派手な反応をなさった方もいました。
「ひ、ひいぃぃぃぃっ!」
他でもない、黄水仙の君――礼さまです。そういえばこの場にいらっしゃったのでしたね。すっかり忘れていました。
「だ、大丈夫ですから……たぶん」
そんな言葉をかけますが、エリス様の耳と鼻に触手と化した指を突っ込んだままでは、説得力は限りなくゼロに近いと思います。
わたしの指は、ごぽごぽと見ているものを不安にさせる音を立てながら蠢動し、
『……これだな』
ぎゅぽっ……と、嫌な水音とともに引き抜かれました。
引き抜かれた触手の先には――
「これが……」
『そう。ぶよぶよとした褐色のゲル、だ』
それは確かに、昨日つぐみさんが轢かれそうになった事故で、トラックの運転手の口から零れていたものとそっくりの代物でした。
事実、ぶよぶよとした褐色のゲル、とでも呼ぶほかない形状をしています。さきほどエリス様のレイピアを突撃槍に変化させたゲルは、これに比べればもっと薄く、グロテスクな印象でも何段か劣るような気がします。
「そ、それは一体……?」
礼さまが恐る恐るといったご様子で聞いてきます。
わたしにはもう、答えの準備がありました。
「――どうやらこれが、花園に出回っているドラッグの正体のようです」
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