2-02
結局、四君会議は明確な結論が得られないまま終了となりました。
会議室から白百合の君が去ったのに続いて、わたしも席を立ちました。
「待って」
そのわたしを、黄水仙の君――馳庭礼さまが呼び止めました。
「志摩さん、これから時間ある?」
わたしの呼び名が変わっているのは、会議が終わったからです。公式な場では四君は互いを君としての名で呼び合うのですが、普段からそんなことをしていてはよそよそしいですし、何より疲れます。
「ええ、ございますが……」
「よければ、僕と一緒に情報を集めてみないか?」
わたしは一瞬考えてから答えました。
というのは、この件について、ホンダさんの意見をうかがってみたかったからです。
しかし、それは一刻を争うようなものではないと思い直しました。
「ええ、もちろん」
わたしの方でも、礼さまに聞いてみたいことがあったのでした。
「助かるよ。まずは陸上部かな。一応これでも、運動部の面倒を見る立場にあるらしいからね」
四君にはそれぞれ「なわばり」のようなものがあります。
べつに君自身が囲い込みをしているわけではないのですが、生徒が君に相談事を持ちかけるような場合、基本的には立場の近い君のもとを訪ねます。
結果として、この分野であればあの君、という暗黙の了解ができてくるのです。
礼さまは水泳部に所属されているので、運動部関連のご相談は四君の中では礼さまの管轄ということになります。
他にも、花園の情報基盤整備に関わっていらっしゃる関係で、情報技術関連の相談事は礼さまという雰囲気になっていますし、実際、その関連の相談事は礼さまにしか捌けないでしょう。
同様にして、文化部の活動に関わることは白百合の君、芸能・武道に関わることは赤椿の君に相談することが、慣行となっているようです。
もちろん、他に信頼する君がいれば、そちらに相談しても問題はありません。
わたしこと青薔薇の君はどうかと言われれば、情けないことながら、他の君のなわばりからはみ出す事柄を持ち込まれることが多いですね。要は、「その他」扱いなのです。新米の君で、所属する部活動も、得意な分野もありませんので、しかたがないところでしょう。つぐみさんが嘆かれるわけですね。
わたしと礼さまは運動部の部室棟目指して並んで歩きます。
君の二人歩きはとても目立ちます。すれちがった生徒が一体何事かと振り向く気配を感じます。ひそひそ声の中に、「青×黄」という言葉が混じっているような気がしましたが、きっと気のせいでしょう。
「……やれやれ、これでは目立ってしょうがないね。どうせ運動部は活動中だろうし、先にあっちを片付けることにしようか」
「あっち?」
「サーバールーム」
サーバールームと言っても、花園の校内に限られたものですから、ごくささやかなものです。特別棟のコンピューター教室の隣の準備室を改装して各種機材を設置しただけのもので、君のために用意された庵の半分くらいの広さしかありません。
「さあ、そこに座って。今コーヒーを淹れるよ」
デスクトップの電源を入れると、礼さまは部屋の片隅にあるコーヒーサーバーでコーヒーを淹れてくださいました。そのご様子は私室にいるがごとしですが、実際このお部屋を改装されたのも礼さまなら、校内SNSの運営をされているのも礼さまなのです。
「ここしばらくは、自分の庵にいることより、こっちにいることの方が多いくらいだよ」
「お疲れさまです」
「いや、好きでやってることだけどね。もう少し利用率が伸びてくれるとなぁ」
言いながら礼さまはものすごいスピードでキーボードを叩いています。礼さまの目の前にある二つのディスプレイを、アルファベットやよくわからない記号が嵐のように流れていきます。
「……うーん。やっぱり、学園からも寮からも、不審なアクセスの痕跡は見当たらないよ」
そう言って肩をすくめられます。
わたしは礼さまに、裏サイトのことをお話ししました。
わたしは迂闊にも裏サイトのURLを凛から聞き忘れていたのですが、礼さまは何度かの検索の末にあっさりとサイトを特定し、パスワードも破ってしまわれました。
「たしかに、志摩さんの弟君の言う通りだ。セキュリティが甘いよ。ま、この手のサイトとしては、パスワードがかかってるだけマシかな」
礼さまは裏サイトにスレッドを立て「いえーい! みんな見てる? 黄水仙の君推参!」と書き込まれると、早速裏サイトの中の問題の部分――入り口とは別のパスワードでロックされた場所へと取りかかります。その間に先のスレッドには早くもレスがついています――「騙り乙」「いや、黄水仙の君なら本物かも」「本物なら証拠をお願いします」――この手の掲示板としては、比較的おとなしい反応かもしれませんね。
「今パスワード解析プログラムを走らせてる。それにしても、ずいぶん反応が早いね。けっこうな人数が見てるみたいだ。まったく、こんなところ使うくらいなら、僕のSNSを使ってほしいよ」
今のいたずらにはそんな意図があったようです。わたしはてっきり悪質な嫌がらせなのかと思っていました。
「……っと、うまくいったよ。しかし、志摩さんの弟君はなかなかやるね。こっちのパスワードはそれなりに慎重に設定されてるよ。相応のクラッキングの知識がないとやれないはずだ」
……後で凛にお説教をしなければならないようです。
礼さまは隠し部屋のスレッドにざっと目を通されます。スクロールが早すぎて、隣で見ているわたしは目が回りそうです。
「なるほどね……。白百合の君の言ってた噂というのも、案外嘘でもないみたいだ」
「嘘……だと思われていたのですか?」
「嘘とまでは言わないけど、白百合の君がそんな情報をどうやって得たんだろうと不思議に思ってたんだ。だから、あれは僕らの反応を見るためのブラフじゃないかと思った」
「ブラフ?」
「要はかまをかけたのさ。この花園で、僕らの目を盗んで薬物売買なりドラッグパーティなりをやるだなんて、ちょっと現実的じゃないもんな。四君の誰かの協力か、少なくともお目こぼしくらいは得てるんじゃないか――そう疑ったのは、わからないでもないよ」
「……わたしには同じくらいあり得ないことのように思えます」
「僕だってそうだよ。でも、可能性として考えられる以上、白百合の君は確かめておきたかったんだろう。いやぁ、想像以上に恐ろしい人だな……と、会議の席では思ったんだけど、こうして裏サイトが存在する以上、どこかから彼女の耳に噂が入ってきてたとしても、おかしくはないね」
わたしは、薬物中毒の生徒の名前を挙げられた後の、白百合の君の探るような目つきを思いだしました。
「あぁ、なるほど。噂が事実だったからといって、僕らの様子を探ってたことに変わりはなかったんだね。ひゃあ~、おっかない人だ!」
わたしは気になっていたことを尋ねてみることにしました。
「礼さまは、四君の中に協力者がいると思われますか?」
わたしがそう言うと、礼さまはすっと目を細められました。
「僕も三人のことは基本的に信じてるよ。だから、これから僕の言うことは、犯人が四君の中にいると仮定した上での話だ。……なんだかこういうの、推理小説みたいでわくわくするね」
礼さまはいたずらっぽくウインクされました。
「……そんな場合ではないと思うのですが……」
「志摩さんはマジメだね。でも、こういうときこそユーモアが必要なんだよ」
『ふむ……彼女の言うことにも一理はあるな。真面目さは君の美徳ではあろうが、思い詰めると周囲が見えなくなる傾向があるからな』
ホンダさんが出し抜けにおっしゃいます。
たしかにホンダさんのおっしゃることもわかります。実際、ホンダさんはわたしが事故に遭う場面に二度も出くわしているのですから、そう思われるのも当然でしょう。
思わず黙ってしまったわたしに、
「……あ、いや、そんなに深刻に取らないでよ」
礼さまは手をぱたぱたと振りました。
「僕はむしろ、志摩さんには天性のユーモアのセンスがあると思ってるんだ」
「そ、そうなんですか?」
「ああ。君と話しているとなんだか、世の中のことがみんなどうでもいいことのように思えてくる。君があんまり浮き世離れしてるからなんだろうね」
昨日凛にも同じようなことを言われました。
「じゃあ、僕の推理を聞いてもらおうかな」
わたしがうなずくと、礼さまは小さく咳払いをされてから、口を開かれました。
「まずは、赤椿の君こと、エリス・奥宮・エーデルシュタット様。演劇部の部長である彼女ならば、白百合の君の追求を受けたところで、しらばっくれることは可能だろうね。僕や志摩さんにはできそうにないことだ。
母親が有名な女優だから、芸能界にはびこる薬物ネットワーク――まあ、そんなものがあるとして――から、ドラッグを入手できる可能性はあるのかもしれない。ま、週刊誌じみた妄想になるけれどね」
「でも、正義感の強いエリス様が、そんなことをなさるでしょうか?」
「それを言い出すと、四君の誰もがそうだよ。っていうか、その線で行くなら、わりあいに快楽主義者の黄水仙の君だとか、ミステリアスな青薔薇の君だとかが怪しいという話になってしまうね」
「……そ、そうなのですか……」
「あくまでも相対的にはって意味だよ。もちろん、ごく普通の意味において、やんごとなき黄の君、青の君にそんなことをする動機なんてありはしないさ」
礼さまはそう言って肩をすくめます。
「さて、次は白百合の君――聖華仙友梨亜様だね。大企業グループ総帥のご令嬢である彼女ならば、ドラッグの入手は可能かもしれない。それこそ、売り捌くくらいの量を手に入れることだってできるかもね。
でも、大企業グループの令嬢がそんな小遣い稼ぎをする理由が見当たらない。物理的な可能性を云々する以前に、動機がないんだよ。これが推理小説なら、トリックさえ成り立てばそれでいいんだろうけど、現実には動機のない犯罪なんてありえないからね」
「お金に関しては、わたしも礼さまも、不自由はしていないはずですね」
「そうだね。エリス様の懐事情は知らないけど、困窮してるなんてことはないと思う」
「だとすれば、お金に関しても動機から除外してよさそうですね」
「うん。ごく単純に、ドラッグのもたらす快楽が目的なんだろうか? それもピンとは来ないけれど」
「白百合の君、赤椿の君、そして黄水仙の君。それぞれ得意分野をお持ちの方々で、そのような退廃とは無縁のように思います」
「いやあ、そう言ってくれると嬉しいな」
礼さまが照れたように鼻をこすります。そんな少年のような動作がよく似合うお方です。
わたしは少し、意地悪な質問をしてみます。
「礼さまの見るところでは、黄水仙の君に怪しいところはありませんか?」
「僕? アハハッ、それを僕自身に聞くんだ。やっぱり貴女は面白いや、青薔薇の君。そうだね、僕を疑うとしたら関係性だろうか」
「関係性?」
「うん。その、薬物中毒になったという二年生は、陸上部の選手でね。記録が伸び悩んでいることについて相談に乗ったことがあるんだ。とはいえ、彼女は僕の個人的なシンパではないようだったよ。僕の所に来たのは、単に四君の中で運動部を担当しているのが僕だからだろう」
「その方は、他の君のことを慕っていたのですか?」
「たぶんね。とはいえ、僕を前にして他の君の名前を挙げるようなことはもちろんしなかった。寡黙で友達も少なかったらしくて、彼女の人となりについては正直わからないところが多い」
それでは、彼女の交友関係から犯人を捜すのは難しそうですね。
そう思っていると、今度は礼さまが意地悪な笑みを浮かべられます。
「せっかくだから、最後の一人についても検討してみようか」
「最後の一人?」
「そう。神秘の麗人、ザ・ミステリアス――青薔薇の君こと深堂院志摩さんのことさ」
「は、はあ……」
そんな渾名は初めて聞きました。
「青薔薇の君は、他の三人の君に比べると、わかりやすい特徴に欠けていると言うものもいるけど、それは大間違いだ。こんなに変わった人はなかなかいない。事実、青薔薇の君と接点を持った生徒の中には、その独特の空気感にあてられて熱烈なファンになるものも多い。ほら、君のファンクラブを作った一年生がいただろう?」
「ファ、ファンクラブ……ですか!?」
「おや、知らなかったのかい? それじゃがんばってる彼女がかわいそうじゃないか。彼女、僕の作ったSNSのヘビーユーザーでもあってね。青薔薇の君のコミュニティを立ち上げて管理人をやってるのも彼女なんだよ?」
「まさか……いえ、いいです……」
わたしの脳裏に一人の女生徒の姿が浮かんだのですが、なんとなく怖くなって確かめるのはやめました。
「ともあれ、そのようにカリスマ的人気を誇る貴女なら、関係者の口止めは可能だろう。これだけの事件にもかかわらず、関係者がまったく浮かび上がってこないことも、一応は説明できるね。
でも、僕は個人的に貴女のことを買ってるんだ。四人の中ではもっともありえないと思ってる。それに、聖華仙ほどではないにせよ、深堂院だって歴史のある旧家だし、金銭面の動機がないのは同じさ」
「では……」
「そう。結局、四人ともありえないように思えるんだよね。となると、最初の仮定に無理があったということだよ。四君の中に薬物を流すような人物はいない。それが僕の結論だよ。
そもそも、まだ高校生にすぎない僕たち四君が、大それた犯罪に荷担していると考えるのが無理なのさ。それならまだしも、僕らの目が花園全体を見守るには不十分だったのだと考える方が自然なんじゃないかな」
「それは……その通りですね」
礼さまの結論は、肩すかしではありますが、至極順当なものではあります。
「推理というのは常識的な方へと考えていくものさ。九割の確率で正しい凡庸な理論と一割の確率で正しい奇抜な理論とだったら、僕は凡庸な方を取る。大事なのはおもしろさじゃなくて正しさなんだからね」
『ふむ。合理的なものの見方だな』
「ホンダさんに言われましても……」
ぐねぐねとしたアザミ色の触手だの、ぶよぶよとした褐色のゲルだの、およそ正しい確率なんて一厘もなさそうなお話です。
「え? 何か言ったかい?」
「いえ、何も」
たしかに礼さまの推理は合理的です。わたしたち四君は自分たちの力を過大評価しているのかもしれません。また、ドラッグが花園に流通しているというのは、あくまでも噂に過ぎません。閉鎖的な乙女の園であるこの花園では、噂話の拡散はとても早く、これでもかとばかりに尾ひれがつくのです。
それに、陸上部の生徒が薬物中毒となったのは、花園の問題というよりは彼女個人の問題なのかもしれません。入手経路は不明ですが、隠れて街で買うなり、携帯で注文するなり、大変ではあるにせよまったく不可能なわけではないのでしょうから。
凡庸ですが、それだけにいかにもありそうな話です。
ですが――
「なんだか、もやもやしますね」
「たしかにね。僕だってこれだけで済ませていい問題じゃないとは思ってるよ。だからこそ、こうして調べてる。奇抜な方の理論が当たってることだってあるからね。でも、ここでこれ以上考えててもしょうがない。そろそろ部室棟へ行ってみようか」
「……そうですね」
礼さまにうながされて席を立ちます。礼さまはコンピューターの電源を落とし、サーバールームの鍵をかけます。
礼さまは、先ほどのご自分の推理を信じていらっしゃるようです。
ですが、わたしには礼さまのご存じない有力な情報があります。
他でもない、ぶよぶよとした褐色のゲルのことです。ホンダさんによれば、ぶよぶよとした褐色のゲルの気配はこのセント・フローリアを中心とする半径数キロの範囲内にあるということでした。そして、それと前後するように起きた前代未聞の薬物中毒事件――。偶然としてはできすぎではないでしょうか?
わたしの脳裏に浮かぶのはひとつの顔です。昨日、あと少しでつぐみさんを轢くところだったあのトラックの運転手は、青ざめ強ばった顔をしていました。それこそ、危険な薬物の禁断症状に苦しんでいるようなお顔です。
先に歩き出した礼さまにわざと遅れつつ、わたしは小声でつぶやきます。
「ホンダさん」
『何だ?』
「ぶよぶよとした褐色のゲルの気配は見つけられましたか?」
『まだだ。多少範囲を絞れたが、正確な場所を特定するにはまだ時間がかかる』
「……薬物の件、どう思いますか?」
『何とも言えない。だが、これだけは言える』
「何ですか?」
『白百合の君に赤椿の君、それに黄水仙の君、だったな』
「はい。それが……?」
ホンダさんは、いつも通りの唐突さで、大変なことをおっしゃいました。
『――彼女らは三人とも、何らかの嘘をついている』
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