2. 蠢動――花園に咲き誇るは、四輪の花

2-01

 春の陽気はうららかで、思わず眠りを誘われます。


「……の君。……青薔薇の君!」

「は、はい!」


 窓際の暖かな席でうとうとしていたわたしは、あわてて顔を起こします。


「いい度胸ですわね……花園の君が一堂に会するこの四君よんのきみ会議で居眠りとは!」

「す、すみません……」


 険しい目つきで睨んでこられた白百合の君に、わたしは思わず謝ってしまいました。


「あはは! さすが青薔薇の君は大物だなあ」

「非公式とはいえ、わたしたちは生徒たちの代表者なのだ。締めるべき時には締めてもらわなければ困る」

「まあまあ、赤椿の君。急な話だったから、ちょうどお疲れの時に当たってしまったんだろう。どうせここには四人しかいないんだし、ゆっくりやればいいじゃないか」

「黄水仙の君、それでは困ります。わたくしはこれでも忙しい身の上なのです」

「それなら、青薔薇の君も起きたことだし、早速本題に入ろうよ」

「はぁ……まあ、そうですわね」


 おわかりでしょうか。

 今放課後の特別棟会議室で円卓を囲んでいるのは、この花園の象徴たる四人のきみ――白百合の君、赤椿の君、黄水仙の君……そして僭越ながらこのわたし、青薔薇の君なのです。


 そう。これは四君会議。

 われらがセント・フローリア女学園の生徒を代表する四人の「君」が集まって合議する、ある意味では花園の元老院のような場なのです。


 もちろん、花園にもオフィシャルな生徒会は存在するのですが、それは学校側の立てた生徒代表であって、実務的な決定権は有しているものの、生徒の総意を代表するものとは思われていません。


 それに対して四君は、厳密な意味では非公式な存在ではあるのですが、生徒たち自身の自由意思によって選ばれる生徒たちの代表です。

 四君は花園の生徒の精神的な支柱であり、恥ずかしながら、目指すべき模範ともされているのです。


「しかし、青薔薇の君。ずいぶんと眠そうだけど、今日は一体どうしたんだい?」


 気さくに話しかけてくださったのは、黄水仙の君こと馳庭礼さまです。

 水泳部所属のボーイッシュなお方で、生徒たちからは「王子様」とも呼ばれています。わたしと同じ二年生なので、青薔薇の君になってからは何かと相談に乗っていただく機会も多かったのですが、細かなことでも面倒くさがらずに教えてくださる、大変面倒見のよいお方です。

 と同時に、白百合の君肝いりの情報基盤整備計画の立役者でもあります。理数に強いのは、新興ITベンチャーの社長であるお父君のご影響なのでしょうか。


「それは……その、遅くまで映画を見てしまいまして……」


 わたしはとっさに嘘をつきました。だって、とても言うわけには参りません。弟から借りた触手モノのエッチなゲームに夢中になって、気がついたら朝になっていた、などとは。


「……青薔薇の君。あなたには少し、君としての自覚が足りないのではなくて? 君は生徒の模範とならねばならない存在なのです。寝不足でふらふらのまま授業を受けるだなんて、君の名が泣きますわ」

「……申し訳ありません」


 白百合の君の言葉にもう一度頭を下げます。


 ホワイトボードを背にして円卓の上座に座っていらっしゃるのが、白百合の君こと、聖華仙友梨亜様です。

 緩くウェーブする琥珀色の髪に縁取られたお顔は、女性らしいやわらかな曲線を描いています。普段はどちらかといえばおっとりとした印象を与えられる方なのですが、「君」として職務に当たられるときには、ごらんのようなご様子に変わられます。

 お厳しい方ではあるのですが、それは公私のけじめをきっちりとつけられようとするからで、自分自身に対してこそ最も厳しい態度をおとりになる、公正無私なお方でもあります。


 そう。まったく、公私のけじめをつけられていないわたしの方が至らないのです。

 天使側ルートは早々に攻略できたのですが、魔族側ルート(ヒロイン悪堕ちルート)への分岐がわからず、止め時を失ってしまったのです。

 結局、あの箇所の選択肢が原因なのだろうと見当はついたのですが、そのときにはもう登校の準備にとりかからなければならない時間になっていました。


「ははっ……まあ、今日の今日だったんだからしょうがないんじゃないかな。でも、逆に気になるね」

「何がですの?」

「青薔薇の君が寝るのも忘れて見入ってしまう映画だなんて、是非見てみたいじゃないか」

「ほう。確かにその通りだ。わたしも演劇部を率いるものとして、大いに興味がある。よろしければ教えてくれないか、青薔薇の君」


 黄水仙の君の言葉に食いつかれたのは、赤椿の君――エリス・奥宮・エーデルシュタット様です。

 ご自身でおっしゃられた通り、演劇部の部長をなさっていて、そのご容姿は豪奢の一言に尽きます。北欧系のクォーターなのだそうで、金髪碧眼の、類い希な美貌の持ち主です。スタイルもまことにご立派、見るからに舞台映えのしそうな、生まれついての美女でいらっしゃいます。

 エーデルシュタット家はヴァイキングの血を引く騎士の末裔だということで、馬術やフェンシングの腕前も抜群、中でもフェンシングはインターハイで上位入賞するほどの実力の持ち主です。

 そのせいかはわかりませんが、武張ったご性格をされていて、曲がったことはお赦しにならない、強い正義感の持ち主でもあります。


「そ、それは……」


 わたしは答えに窮します。まさか赤椿の君に『魔界天使リリーナ・アンジェリカ』をお薦めするわけにはいかないではないですか!


「いい加減になさってくださいませ! そのようなことは会議の後で個人的にお話しくださいな」


 白百合の君がつけつけとおっしゃいます。

 確かにおっしゃることはその通りなのですが、今日の白百合の君は少しご様子がおかしいようです。いつもの悠々たる落ち着きが揺らいでいらっしゃるように見受けられます。


「失礼致しました。どうぞ、お話を続けてくださいませ」

「……あなたのせいですわよ?」


 話を促すと、白百合の君にぎろりと睨まれてしまい、わたしは思わずすくみあがります。

 そういえば昨日、凛は「青×白」などと言っていましたが、とんでもありません。わたしなどに攻められるようなやわなお方では到底ないのです。もちろん、だからこそ啼かせてみたいということもあるのですが……って、わたしは何を考えているのですか!


「それで、そろそろ聞かせてくれないか。別に取り決めがあるわけではないが、四君は相互不干渉が原則だ。迂闊に接触するとファン同士の間でひと騒動持ち上がるからな。にもかかわらず、わたしたちを――それも四人全員をこんなに急いで集めたのには、相応の理由があるのだろう? それこそ、居眠りしている場合ではないような、切迫した理由が」


 ――ぐさり。赤椿の君の皮肉が胸に刺さります。

 四君の相互不干渉については赤椿の君のおっしゃられた通りです。また、「君」には自立した存在であってほしいという生徒たちからの期待があることも忘れてはならないでしょう。単に付和雷同するだけの「君」なら四人もいらないのです。

 わたしは気合いを入れ直して白百合の君のお言葉を待ちます。


「みなさん、――という生徒をご存じ?」


 白百合の君は、ある生徒の名前を挙げられました。

 わたしにも聞き覚えがあります。たしか、陸上部の方ではなかったでしょうか。


「ああ、陸上部の二年生だろう? 目立つ選手ではないけど、真摯に練習に取り組んでたから覚えてる」


 そう答えたのは黄水仙の君です。


「その生徒が、先週から学園をお休みしていることは?」

「そうなのかい? いや、初耳だよ」


 黄水仙の君はそうおっしゃると、赤椿の君とわたしに視線を投げかけてこられます。


「わたしはそもそも、その生徒に心当たりがないな」

「わたしも、名前に聞き覚えがある程度ですが……その生徒が、どうかなさったのですか?」


 白百合の君は、わたしたち三人の顔を探るように見比べてから、重々しく口を開かれました。


「……なのよ」


 白百合の君の言葉に、黄水仙の君が硬直しました。


「ん? なんと言ったんだ?」


 赤椿の君はその言葉を聞き取れなかったようです。あるいは、その言葉を理解することを、頭が拒まれたのでしょうか。


「薬物中毒なのよ」


 繰り返された言葉に、沈黙が下りました。


「……事実、なのか?」

「残念ながら、そのようですわ」


 白百合の君が険しい顔で答えます。白百合の君が余裕をなくされるわけです。事実だとすれば、清廉潔白をモットーとするセント・フローリア始まって以来の大不祥事だということになるのですから!


「彼女は先月末から家庭の事情で学校をお休みしていることになっているのですが……本当は聖華仙グループの経営する専門の病院に入院しているのです」

「そんな……馬鹿な!」


 そう叫んだのは黄水仙の君です。


「さして親しいわけでもないけど……僕の知るかぎりの彼女は、真摯に陸上に打ち込む真面目な生徒だった! 薬物なんかに関わる余地なんて……!」

「ですが、事実としてそうなのです。その方のご両親は身分のある方々ですので、警察沙汰にはなっていないのですが、間違いなく、薬物中毒の症状なのだそうです」


 白百合の君はうつろな表情で淡々と指摘されます。


「ま、待ってよ! 花園の生徒は基本的に寮暮らしだ。外出は自由だけど門限があるから、ドラッグなんて手に入れられるわけがないじゃないか!」


 黄水仙の君のおっしゃることはもっともです。

 セント・フローリアの生徒は全員学園の寮に住む規則です。寮は学園から徒歩五分の場所にありますが、校門や寮の出入りはIDカードでチェックされていますから、門限を破ればすぐにわかるはずです。

 もちろん、放課後の自由時間のあいだに薬物を入手することは不可能ではありませんが、日の沈む前の時間から堂々とドラッグの売買などをやっているものでしょうか。

 それにそもそも、外出時には制服の着用が義務づけられていますから、花園の生徒だということが一目でわかってしまうはずです。

 生徒にとっては時に不満の種ともなる厳しい規則ではありますが、花園の生徒が犯罪に巻き込まれるのを防ぐという意味では十分に機能していると言っていいでしょう。


「インターネット経由で購入したという可能性はないのか?」


 赤椿の君が質問します。


「それは……ないよ。学園と寮とは同じイントラネットに属していて、外部への接続は可能だけど、有害サイトへのアクセスはブロックされる。仮にブロックされない迂回路を見つけたとしても学園のサーバーにログが残る。彼女が僕の目を欺けるような凄腕のハッカーだとでも言うのなら、話は別だけどね。後で調べてはみるけど、期待はできないと思うよ」


 黄水仙の君こそ、花園の情報基盤整備の立役者なのです。わたし以外の君をごらんになればわかることなのですが、天はこれぞという方には惜しみなく何物でも与えられるようです。わたしの番が巡ってくる前に、天は持てるギフトを使い尽くしてしまわれたのでしょう。


「だが、携帯があるだろう?」

「携帯からなら注文自体は可能だろうけど、どうやって受け取るんだい? 寮宛てにブツを送らせるのかい? ドラッグを常用してるのなら、頻繁に荷物が届くことになるだろう? 寮母さんに怪しまれるよ……」


 わたしは当然、昨日の凛の話を思い出したのですが、この場で発言することは控えました。

 凛の得た情報は違法な手段によって得られたものですので、その情報を開示すれば凛の行為についても追求されてしまいます。後でこっそり、黄水仙の君にでも相談するのがよさそうです。


「だが、直接買えない以上はネット経由しかありえないではないか」

「だから、ネット経由でだってかなり無理があるんだってば。まだしも何か個人的なツテを使って手に入れたと考える方が現実的だと思うな」

「ツテだと? 花園の生徒に、ドラッグを手に入れるようなツテなどあるものか!」


 赤椿の君と黄水仙の君のご意見がぶつかります。

 わたしはお二人のやりとりをただじっとながめているだけです。


「みなさんのおっしゃいたいことは、よくわかりますわ」


 白百合の君が言いました。


「花園の生徒が街に出てドラッグを買おうとなどしようものなら、それ以外のトラブルにまで巻き込まれてしまいかねません。そうなれば早い時点で大事になっていたはずです。かといって、ネット経由で手に入れようとしたところで、困難なことに変わりはありません。警察の方々もその手の掲示板は監視されています。また、高校生にすぎない生徒に使用可能な決済手段は限られていますし、品物の受け渡しにも多くの障害があることでしょう」

「その通りだろうな」

「そうだよ、そんなこと、ありえないはずなんだ」

「でも、事実として薬物中毒者が出たのです……この花園から。だとすれば、こう考えるべきではないのかしら。ドラッグは、この花園の中で流通しているのではないか――と。誰か、確かな『仕入れ先』を持った密売人が、関係者の中にいるのではないか――と。そして事実、そのような噂があるのです」

「そんな――っ!」


 黄水仙の君の言葉はほとんど悲鳴に近いものでした。

 見れば、その隣で赤椿の君も口元に手を当てて絶句しています。


「それこそ、ありえないじゃないかッ! 僕たち四君の目の届くところでそんなことが行われてるだなんて!」

「……ええ、たしかにその通りですわ。わたくしたちの目は決して節穴ではありません。この花園の中でそのような不法な取引が行われているのだとしたら、大なり小なり、異変を感じ取っているはずですわね」

「たしかに、その通りだな。自分で言うのもなんだが、我々は花園の生徒たちに慕われている。我々の周りにいる生徒の様子におかしなところがあれば気づくはずだし、我々の周りにはいない生徒であっても、人づてに噂くらいは入ってくるはずだ」

「そうね。だから、噂にはこんな続きがあるのですわ。すなわち――四君の誰かが、ドラッグの密売に便宜を図っているのではないか――と」

「馬鹿なッ!!」


 文字通り跳び上がったのは赤椿の君です。


「そんな……そんなわけが……っ!」

「ない、と言い切れまして? 事実としてドラッグが花園の生徒の手に渡っていた以上、校内にドラッグの流通経路が存在する可能性は高く、流通経路が存在するのなら、花園の生徒の模範として校内に目を光らせているはずの四君が、それに気づかないはずがない――きわめて合理的な推測だと思いますわ」

「……そんな……」


 会議室に重い沈黙が下りました。

 その沈黙を破ったのは、赤椿の君です。


「……調べる」


 そう言って会議の席を立たれます。


「四君の誰かがドラッグの密売に関与しているだと!? そんなことがあろうはずがない! 学外からの流通経路があるに決まっている!」


 赤椿の君は吐き捨てるようにそう言うと会議室を出て行ってしまわれました。

 残された三人の「君」は目を見合わせましたが、三人とも発するべき言葉を見つけられず、視線を宙にさまよわせます。


「……わたくしも別に、四君の中に本当に犯人がいるだなんて、思っていませんわ」


 白百合の君の言葉が会議室にむなしく響きました。

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