1-02

 わたしこと深堂院志摩は、セント・フローリア女学園において、「青薔薇の君」と呼ばれています。本当に面映ゆいことです。


 青薔薇の君というのは、セント・フローリア女学園――通称「花園」の生徒を代表する非公式の役職「四君よんのきみ」の一人です。現在の四君は、白百合の君、赤椿の君、黄水仙の君、そして青薔薇の君。そのうち白百合の君と赤椿の君が三年生、黄水仙の君はわたしと同じく二年生ですが、「きみ」となられたのはわたしよりも先ですので、つまるところ四君の中ではわたしがいちばんのひよっこです。

 とはいえ、四君の中に序列はありませんので、新任の君であるわたしも、他の君たちと同じ扱いを受けています。


 そのおかげで、学園の敷地内に、こんなに素敵ないおりを持つこともできているのです。


 そう。ここは〈青薔薇の君の庵〉。代々の青薔薇の君が大事に大事に使われてきた、小さな西洋風の建物です。


 あの後わたしは学園に辿り着き、午前の授業をきちんと受けて、昼休みになるやいなや、こうしてわたしの私室として使わせてもらっている〈青薔薇の君の庵〉へとやってきたのです。

 ちなみに、スカートから噴き出した例の触手は、学園に着くまでの間に何事もなかったかのように引っ込んでいました。


『まったく……授業など受けている場合ではなかろうに』


 確かにそのとおりなのですが、お父様曰く、困ったときほど普段通りを心がけよとのことでしたので、そのようにしてみたのです。結局授業には身が入らなかったのですが、いくばくか心を落ち着かせることはできたようです。


『私はホンダ・イチロウという。見ての通りの生物だ』

「見ての通り、ですか?」

『触手』

「なるほど」


 いえ、なるほど、ではありません。何もわかってないではないですか!

 わたしは首をふりながら、他の質問を考えます。


「ホンダ・イチロウ……さん、というのは、ご本名ですか?」


 ちょっと不躾な質問だったかもしれませんが、ホンダさんは気を悪くした様子もなくおっしゃいました。


『ふむ……地球人の一般的な名前を選んだつもりだったのだが』

「一般的すぎる名前は偽名ではないかと疑われます。とくにこのような場合には」

『気をつけよう』

「それで……あなたは、一体? 地球人ではないようなお口ぶりでしたが」

『ずいぶん冷静に聞くんだな』

「慌てています。慌てることも忘れるほどに」

『ではもうしばらく、慌てていてもらった方がいいかもしれない』


 ホンダさんの言葉とともに、わたしの右腕が勝手に持ち上がりました。

 いえ、そればかりではありません!


「きゃっ!」


 わたしの右腕がぐねぐねと脈打ったかと思うと、見覚えのある触手へと変貌してしまったのです! 太さはわたしの腕よりひとまわり太い程度。長さは元の腕の二倍近くあります。

 色は……アザミ色、というのでしょうか。ピンクと紫の中間のような色をしています。形は、かさが張っていて……その、なんというか、とても卑猥です。

 ぐねぐねとしたアザミ色の触手、とでも呼ぶしかないようなものが、そこにはありました。


 わたしは頬を染め、すっと目をそらしてしまいます。


『しかたがないではないか。こういう生き物なんだから』

「そ、それはそうでしょうけど……」

『私は『ぐねぐねとしたアザミ色の触手テンタクル』と呼ばれる宇宙生物の分離体だ』

「そのまますぎます!」

『この星の、この地域の言語で我々を言い表すとしたら、この表現がもっとも適切なのだ』


 簡潔でわかりやすくはあるのですが、もう少し色気を出してもよかったのではないでしょうか。


『――我々は、宇宙の遙か彼方で生まれた』

「……えっと?」


 突然、遠い目をして――目なんてありませんが、そんな雰囲気なのです――語り始めたホンダさんの話を、わたしはただ呆然と聞きます。


 ホンダさんによれば、わたしたちの住む地球から何万光年か離れた場所に、ホンダさんの母星があるのだそうです。


 その惑星はそれ自体、歪つな形をした岩塊にすぎないものでした。ただ、その惑星が他の惑星とちがったのは、岩塊の中に生物を産む海となる要素を含んでいたことです。ホンダさんのご先祖さまは、アリの巣のような地中の洞窟をすみかとするミミズのような生物だったのだそうです。その生物は長い歳月の末に地球人類を遙かに凌駕するほどの知性を獲得します。


 しかし、彼らの生物としての形態は、地球人類とは恐ろしく異なるものでした。彼らは「個」という概念を持たない、一種の群体生物だったのです。限りなく肥大した彼ら――ぐねぐねとしたアザミ色の触手テンタクルは、母星となった岩塊を縦横無尽に絡め取ってしまいます。彼らの母星は、自らの産んだ生物に取り込まれ、そのはらわたとされてしまったのです。


 わたしはなんとなく、大量のミミズにたかられた大きなミートボールを想像してしまいました。ホンダさんには申し訳ないですけど、「おぞましい」としか言いようのない光景ですね……。


『母星を核に巨大な触手ネットワークを作り上げた我々は、そのネットワークを一種の演算装置として利用することで、宇宙に冠たる知的生命体へと進化することができた』


 彼らぐねぐねとしたアザミ色の触手の目的は進化の可能性の探究であり、そのために彼らは、宇宙に存在する他の知的生命体やそれらの生み出した文明を観察するのだそうです。

 と同時に、彼らは害意ある侵略者の手から、それらの文明を守ります。それにはもちろん、観察対象を壊されたくないという事情もあるのですが、成長し、進化する生命体に対する限りない共感の念こそが、その最たる動機なのだそうです。


『我々は宇宙の善なる意志であり、生ける良心なのだ。面映ゆいことではあるが、時として『ぐねぐねとしたアザミ色の賢人』と呼ばれることもある』

「……嫌な賢人もいたものですね」


 ホンダさんの話を信じるならば、彼らぐねぐねとしたアザミ色の触手は、そのおぞましい見た目にもかかわらず、基本的にはいい人(?)であり、正義の味方なのだということになります。


「それにしてもなぜ、あなたはわたしの中にいたのですか?」

『君は、幼い頃に事故に遭ったことがあるだろう?』

「え、ええ……」


 確かにわたしは子どもの頃に自動車事故に遭い、生死の境をさまよったことがあります。


『私はあのときその場に居合わせたのだ』

「……えっ!」

『断言していいが、あのとき君をそのまま放っておけば間違いなく死んでいた。君の命を救うために私は君と融合することにした。有限の命を持つ生命体を保護することこそ、我らの使命にして本能なのだ』

「そ、そんな……」


 だとしたら、ホンダさんはわたしの命の恩人だということになるのです!


「なんとお礼を申し上げたらいいか……」

『気にするな。君を救おうとしたのは私の勝手だ。あるいは得体の知れない宇宙生物などと融合させられて、かえって迷惑だったかもしれん。しかし、あのときは君の意思を確認するだけの余裕がなかったのだ。その点については許してほしい』

「そんな……とんでもないです。命があっただけでも物種です」

『そう言ってくれると助かる』

「でも……だとすれば……」


 あの場にホンダさんが居合わせたのだとしたら、わたしの十年来の疑問の答えを知っているかもしれません!


「ホンダさんは……お兄様のことはご存じなのでしょうか?」

『お兄様……?』

「はい。事故に遭ったわたしを励まし、救急車を呼んでくださった殿方がいらっしゃったはずなのです……! ホンダさんはその方をご存じなのではないですかっ!?」


 意気込むわたしに、ホンダさんは一瞬迷う様子を見せてから答えてくださいました。


『……ああ。そんな青年がいたな。彼は君を励ましながら、君の携帯電話を使って救急車を呼び、救急隊員が到着するのを見届けると、名乗りもせずに姿を消した』

「そ、その方のお名前……いえ、お顔やご容姿でもかまいません! なにか手がかりになることは――」

『……私も君と融合するのに手一杯だったからな。外界の情報はほとんど収集できなかった』

「……そうですか……」


 わたしはがっくりと肩を落としました。


 気を取りなおし、わたしは質問を続けます。


「ホンダさんはどうしてこの星に?」

『奴らを追って』

「奴ら……?」

『我らの宿敵――有害宇宙生物・ぶよぶよとした褐色のゲル……だ』

「ぶよぶよとした……褐色の……ゲル?」

『――自己を念入りにクローニングし、知的産物を星間ネットワーク上に分散バックアップできる我々にとって、滅びとはもはや我が身には訪れない事態であり、しかるがゆえに永遠の憧れの対象なのだ。

 そこまでは、我々ぐねぐねとしたアザミ色の触手も、奴らぶよぶよとした褐色のゲルも同じだ』

「……はあ」


 ホンダさんの話はいつも唐突で、ついていくのが大変です。さすがは「宇宙に冠たる知的生命体」ということなのでしょうか。


『が、そこからが大きく異なる。我々ぐねぐねとしたアザミ色の触手は、滅びを知らぬからこそ、滅びの定めから逃れられぬ他種族を保護し、その文明的成長を見守ることを使命としている。

 一方、奴らぶよぶよとした褐色のゲルはといえば、他の種族の生命を弄ぶことで、滅びなき永遠の懈怠を慰めようとしているのだ……!』


 ホンダさんの言葉には、抑えきれない怒りが滲んでいます。


「ええっと……つまり、永遠の命をもつ点ではどちらも同じだけれど、あなた方触手は他種族を守る立場にあるのに対し、彼らゲルは他種族をいじめることに生き甲斐を見いだしている……と?」

『おおよそその通りだが、我々のことは『ぐねぐねとしたアザミ色の触手』と、奴らのことは『ぶよぶよとした褐色のゲル』と呼んでほしい。我々以外にも触手種はいるし、奴らの他にもゲル種はいる。触手種の中にも有害生物がいれば、ゲル種の中にも立派に文明化された種族も存在するのだからな』

「は、はあ……」


 わたしにはわかりかねますが、宇宙生物なりの政治的適切さのようなものがあるのかもしれません。


「それで、そのぶよぶよとした褐色のゲルが、どうして話に関わってくるのです?」

『わからないか?』


 ……頭のいい人は、これだから困ります。

 わたしはいささかむっとしながら、考えてみました。


「つまり、ホンダさんの天敵であるところのぶよぶよとした……えっと、褐色のゲル? が、この星にやってきている、と?」

『そうだ』

「でも、ホンダさんは、事故に遭ったわたしを助けて十年近くも……」

『……確かにそうだ。が、宇宙規模で考えれば大したロスではない』


 本当でしょうか? たしかに宇宙規模で考えれば十年はつかの間のことかもしれませんが、ことが地球で起きている以上、十年は地球の十年であるはずです。


『十年前の時点では、ぶよぶよとした褐色のゲルがこの銀河にいるだろうことがわかっていたにすぎん。時間的余裕はたしかにあった』


 ホンダさんはわたしの内心を察したらしく、そんなことを言ってくださいます。

 ぐねぐねとしたアザミ色の賢人という渾名も、案外的外れではないのかもしれません。

 ですが、それとは別に、聞き逃せないことがありました。


「……あった……というのは?」

『ふむ。君は話が早くて助かる。そう、時間的余裕はあった――十年前までは、な』

「でも、今はない?」

『そう、今はない。君も見たのではないか、ぶよぶよとした褐色のゲルを』

「わたし……が?」


 わたしは眉をひそめ――そして、気づきました。

 先ほどのトラックの運転手!

 麻薬常習者のようにひきつった唇の端から、そう、たしかに――ぶよぶよとした褐色のゲルのようなものが、吹き零れていたではありませんか!


「まさか……あれが!?」

『君の想像通りだ』


 ホンダさんが重々しく断言します。



『奴らぶよぶよとした褐色のゲルが――この街にいる』

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