1. 始動――深堂院志摩の秘めたる素質
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その場にはたくさんの花園の生徒がいたのですが、その中でわたし――
わたしの通うセント・フローリア女学園は、地域に名だたるお嬢様学校です。全寮制ですが、学生寮は学園の外、徒歩五分のところにあります。
花園の生徒は名実ともに箱入り娘ではあるのですが、本人たちとしてはそのような評判を払拭したいという想いは当然あります。学生寮が建て直されることになったとき、
学園OGのデザイナーが設計したというおしゃれな学生寮から学園までは徒歩五分、スクールゾーンに指定された通学路は、この時間車通りもありません。
いえ、ないはずだったのです。
しかし事実として、わたしの目の前で振り返り、明るい栗色のツインテールを風になびかせ、かわいらしい笑顔で朝の挨拶を口にされようとなさった森野つぐみさんの横手から、猛スピードでトラックが突っ込んできたのです!
そのときわたしを襲ったのは目もくらむような既視感でした。
幼い頃の交通事故の記憶がわたしを突き動かし、気がつけばわたしはつぐみさんを跳ね飛ばしていました。
「――ぁっ!」
驚いた顔でわたしを見返すつぐみさんの顔が、一瞬で強ばりました。
そう。つぐみさんを助けた当のわたしは、トラックの進路から逃れることができなくなってしまったのです……!
「お姉さまぁ――っ!」
なんだか唐突にわたしの人生にクライマックスが訪れてしまったようですが、これでよかったのかもしれません。
いえ、よくはないのですが、幼い頃にお兄様に助けていただいた命です。
最後につぐみさんを助けて無くすのならば、それはそれで筋が通っているような気もします。
しかし――
「……っ!」
わたしは息を呑みました。
つぐみさんの表情に、です。
まるでこの世の終わりにでも遭遇したようなひどいお顔。
遅まきながらわたしは気づきます。つぐみさんはわたしのことをとても慕ってくださっていました。
ならば、わたしがこのようにして自分の命と引き替えにつぐみさんを救ったとして、果たしてつぐみさんは喜んでくださるでしょうか。
むしろ、一生涯消えることのない十字架を背負わせることになってしまわないでしょうか。
ならば――わたしは、ここで死ぬわけにはいかないではないですか!
しかし、わたしがそれに気づいたときにはもう事態はどうにもならないところまで来てしまっていました。
(……しくじった!)
わたしの人生最後の感慨がこんなものになってしまうなんて、想像したこともありませんでした。
迫るトラック――運転手は作業服を着た若い男性で、奇妙に強ばった顔をしています。目は血走り、口元からはなんだか茶色がかったゲル状のなにかが吹き零れています。
頬や瞼の筋肉がぴくぴくと震えて――そう、実際に見たことはありませんが、麻薬か何かの中毒者のように思われます。
彼の運転するトラックは速度を減じるそぶりすらみせず、じわじわとわたしの元に迫ってきます。
……?
今、おかしくはなかったでしょうか。
麻薬常習者の運転する――あるいは運転していないとも言えます――トラックが、高速で突っ込んできているはずなのに、わたしにはその動きがとても緩慢なものに見えています。
くりかえしますが、トラックが高速であることはわかるのです――にもかかわらず、わたしにはそれがほとんど……そう、スローモーションのように見えているのです!
『――まったく、君はいくつになっても変わらないな』
唐突に――本当に唐突に、声が聞こえました。渋い、男性の声だと思います。
「……ど、どなた?」
わたしはきょろきょろとあたりを見回します。
しかし、遠くで動けずにいる花園の生徒たちを除けば、声に見合った人物はおろか、つぐみさんとトラックの中の薬物中毒者の他に、人影自体が見当たりません!
『話は後だ。まずはこの状況をどうにかする』
「ど、どうにかできるのですかっ!?」
『できる』
確信に満ちた声とともに、あたりが急に騒がしくなりました。
いえ、これまでが静かすぎたのです。
トラックが息を吹き返したかのように速度を取り戻し、わたしに突っ込んできます。
『問題はこのトラックだな』
「そうです!」
『……気を強く持てよ』
「は、はい……?」
声とともに、わたしの下半身を奇妙な感覚が襲いました。
「ひ、ひいぃぃぃぃっ!?」
わたしのスカートが――波打っています!
ボコボコボコッ!!
わ、わたしの……わたしのスカートの中から――ぐねぐねとした紫色の、あるいはピンク色のタコの足のような何かが這い出してくるのです!
わたしのスカートから這い出した――あるいは噴き出したそれらは、恐ろしい勢いでトラックへ向かいます。
そして――
「きゃああああっ!」
つぐみさんの悲鳴とともに、わたしへ向かって突っ込んできていたトラックが宙に吹き飛びました。
トラックは宙で勢いよく縦に回転すると、逆さまになって路面に激突します。
が、トラックの勢いはそれだけではなくならず、路面を削りながら滑り、高級住宅街の高い塀にぶつかって大破しました。
その場に残されたのは、わたしと、つぐみさんと――そしてわたしの身体から生えた、謎の怪生物だけでした。
呆然としていたわたしを我に返したのは、遠くから聞こえてくるサイレンの音でした。まわりにいる通学中の生徒の誰かが、警察か消防かに通報なさったのでしょう。
「な……、えっ……、と?」
一瞬の間にいろいろのことが起こりすぎて、わたしはすっかり混乱しています。
そんなわたしに、例の渋い声が語りかけてきました。
『とりあえず、この場を離れよう』
ことここに至っては、この声の主は明らかです。
わたしのスカートから伸びた、タコの足のような触手――それこそが、この渋い声を発しているのです!
先ほどは観察する余裕もありませんでしたが、わたしのスカートを割って現れた触手は一本ではありません。
わたしの腕よりもひとまわりは太いそれが、ぐねぐねと数十本ほども生えているのです。
「で、ですが……、警察の方に事情を説明しなければ……」
『これを、どう説明するつもりかね?』
わたしの身体から生えた触手の一本が動き、周囲の惨状をさっと示します。
「……たしかに」
天地を逆さまにして大破したトラック、派手に壊れた高級住宅の塀、荒々しく剥がされた路面のアスファルト、そして次々と集まってくる野次馬。野次馬といっても、通学途中だった花園の生徒と周辺の住民ですから、物見高さからというよりも事故を心配して集まってくださったようです。わたしに突き飛ばされたつぐみさんも、集まってきた他の生徒が介抱してくださっています。
「ですが、こうなってしまってはもう……」
『問題ない。君の姿は偽装している』
「偽装?」
『君の周囲に体色をカムフラージュできる触手を巡らせている』
「つまり?」
『野次馬たちは君の姿を視認できない』
にわかには信じがたい話ですが、周囲の様子を見る限りでは、彼(?)の言う通りのようです。
市民の義務として警察にことの経緯を説明するべきだとは思うのですが、そもそも、ことの経緯を説明していただきたいのは、この場合むしろわたしの方ではないかとも思います。ここは彼の言葉に従って、お暇させていただくのがよさそうです。
「……わかりました。ですが、事情の説明はしていただけるのですよね?」
『無論だ』
「では、参りましょう」
わたしは腰から下に触手を生やした格好のまま、野次馬の間を慎重に擦り抜けて、われらが花園へと向かいました。
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