二〇二一年 澤田 海里(さわだ かいり)
被疑者 澤田海里
年齢 十八歳
職業 高校生(開光高校)
供述日時 令和三年七月五日 月曜日
供述場所 赤丘警察署
【目的】
本件の調査における主要な目的は、澤田氏の不登校に至った経緯および要因を明確にし、関連する背景や環境を包括的に把握することにある。これにより、当該事案との関係性を解明し、今後の適切な対応策を講じるための基礎資料とすることを目指す。
【供述内容】
被疑者、澤田海里は、中学時代に県内トップの高校を第一志望とし、受験に臨んだが、不合格となり、次点の開光高校に入学する。
受験に失敗した理由について、澤田氏は当日のコンディションが悪かったことを挙げており、自身より成績が下位であったにもかかわらず、合格した進学塾の同級生に対し強い不満を抱くようになった。また、進学塾の同級生が合格発表の場で被疑者を憐れむような目で見ていたことが、今でも記憶に強く残っていると供述している。
開光高校に入学後、被疑者は常に成績が一位であったが、同校での学業に対して物足りなさを感じていた旨を述べる。澤田氏は自身の学力が他の生徒とは異なると考え、同級生や教員からの称賛に対しても冷淡かつ軽蔑的な態度を示していたと自身について語った。また、周囲から「生意気」と見られる言動を繰り返していたことから、同級生から執拗な絡みを受けることが多かった。これに対して澤田氏は、「この高校が自分にふさわしい環境ではないため、このようなトラブルが発生しているのだ」と認識している。
澤田氏は県内トップの高校受験に失敗したことがきっかけで、自身の人生が順調に進まなくなったと感じていた。高校入学後も学校には通い続けたが、成績が常にトップであることに満足感を得られず、大学受験を待たずに人生を変える手段を模索するようになる。澤田氏は、自身に特別な才能があると信じ、その才能を活かして何か起死回生の手段を考えつくことができると考えていたと供述している。
澤田氏は、起業やビジネスに関する書籍を読み始め、何かを始めるためには出資金が必要であることを知った。また、自身は世間で成功するための「土台」にも乗っていないことに気がつき、現時点で所有している僅かな資金を増やす方法を調べた。
結果、株式投資に辿り着く。
株式投資を開始した澤田氏は、短期間で成果を上げた。最初は少額で投資を行ったが、自身の得意とする検証や分析の能力を活かし、成功していく。次第に信用取引にも手を出し、元金以上の投資を行うようになったが、その分析の成果はすぐに運用成績に反映され、さらに資金を増やしていった旨を供述している。
澤田氏は、株式投資において、企業のファンダメンタルズ分析に基づいた手法を採用していたと述べる。企業の財務状況や将来性を徹底的に分析し、一年後の一株当たりの純利益を予測して、現時点の株価が市場の期待値より低いと判断した場合に大きな額の投資を行ったと説明する。澤田氏は一年足らずで自身の資産を倍々に増やすことができたと供述している。
資産の増加に伴い、澤田氏は学校を欠席することが多くなる。だが、一般のサラリーマンが生涯に稼ぐ金額の半分程度を短期間で稼ぎ出し、学校での勉強はもはや必要ないと感じるようになった旨を供述している。
高校三年生に進級した澤田氏は、久しぶりに高校に登校した際に、学校の価値を再度疑問視するようになった。登校した際、クラスメイトの竹岡則康と松岡俊介という生徒から因縁をつけられ、口汚い言葉をかけられた上、暴力を振るわれた。さらに、彼らは澤田氏の財布から五万円を無理やり奪い取ったとされる。澤田氏は、このような少額の金に喜ぶ竹岡と松川の姿を「哀れ」だと感じ、特に抵抗せずに金銭を渡した。
澤田氏の母親も、父親も、不登校となった澤田氏のことを心配していたが、久しぶりに行った学校で息子が顔にいくつかの痣をつくって帰ってきたため、両親が強く学校に行くことを強要することはなくなった。
また、それ以前にも、両親から学校を休んでいる理由を問われた際、『貧乏人が俺に口を出すんじゃねぇ』と発言したことがきっかけで、両親が学校へ行くよう求めることは極端に減っていたと供述している。
事件当日、澤田氏は学校を休んでいる。
澤田氏の家は事件現場である赤丘市中央公園から徒歩で二十分程度の位置にある。
京堂陽向が殺害された日の午前中に、澤田氏は全資産を地元企業である京堂テクノロジーに投資する決断をしている。これまでも行っていたように、元本以上の信用取引を用いて投資を行った。
澤田氏は、京堂テクノロジーのことを事前に徹底的に調査した。特に地元企業であることから入手できた情報も活用し、自信を持って投資した企業だったと供述している。同社は、地元の政府との大型プロジェクト契約を獲得し、新たな技術分野への進出を果たしており、収益の大幅な向上が期待されていた。また、特許の取得や強固な財務基盤を持ち、さらに市場価格が低評価であると澤田氏は判断した。
また、澤田氏は地元社員への聞き込みのため、自ら工場に足を運んだとされている。この行為は、情報の信頼性が不確定であるにも関わらず、強引に取得を試みたものであり、その結果として未公表の情報を得ることとなった可能性がある。被疑者は、これがインサイダー情報に該当する恐れがあることを認識し、深く反省している旨を述べている。
以上を根拠として、澤田氏は京堂テクノロジーの株価が今後大きく上昇すると確信した。事件の日の午前の取引で資産の全額以上の額を京堂テクノロジーに投資する決断に至る。
澤田氏は、『自分を馬鹿にした者たちを見返したかった』と述べ、歯ぎしりをしながら強い感情を露わにした。この様子から、澤田氏が相当なストレスを抱えていたことが推察できる。
その日の夕方以降も、澤田氏は家にいたと供述しているが、それを証明できる人物はいない。有馬神社で猫が殺害されたとされる時間帯のアリバイも特にないと述べる。
澤田氏によると、事件当日、彼は米国株市場が開く午後十時三十分頃まで自宅にてスマートフォンを操作し、米国市場の動向を確認していた。澤田氏は米国株の取引を行ってはいないが、日常的に米国市場の状況を確認する習慣があったと述べている。スマートフォンの通信履歴および指紋認証の記録からも、この時間帯に澤田氏が端末を操作していたことが確認されており、本人の供述と一致している。
その後、澤田氏は日課である夜の散歩に出かける。家を出たのは、午後十時四十分頃、近くのコンビニエンスストアへ飲料水を購入するのが目的である。コンビニへ向かう道中、同じ学年で近所に住む尾道健司とすれ違い、軽い会話を交わしたと供述している。また、コンビニエンスストアの防犯カメラにも澤田氏の姿が映っている可能性があると述べたが、映像が記録された時間帯は午後十時四十分以降であり、事件の重要な時間帯におけるアリバイとしては確定されていない。
翌日、澤田氏は開光高校に登校した。この日の登校理由は、竹岡則康および松川俊介に奪われた五万円を返してもらうためだったと説明している。澤田氏によれば、この時点で全資産が京堂テクノロジーに投資されており、同社の社長が「事件解決に向け、事業の停止も辞さず社を挙げて犯人捜しに取り組む」と発言したことが、株価の下落を予期させたため、急ぎで現金を集める必要があったという。
金銭の返却を拒んだ竹岡則康に対し「俺が渡した五万円を今すぐ返せ」と詰め寄り、暴行に及んだとのこと。
澤田氏は被害者である京堂陽向に対して殺意を抱いたことはなく、面識もなかったと語る。殺害する動機もなく、むしろ、犯人がいるならば自ら手を下したいほどの憤りを感じていると述べた。
澤田氏はさらに、自身が抱える多額の負債についても供述した。
京堂テクノロジーへの投資により、大きな損失が発生する見込みであることを明らかにし、自身の証券口座を確認すれば、投資に失敗し多額の負債を抱えている状況が証明できると説明している。この証拠が自身の無実を示すものとなると主張した。
以上の供述は、澤田氏が自発的に行ったものであり、これらの情報が事件の真相解明に向けて適切に考慮されることを望んでいるとのこと。
本調書は、澤田氏の供述に基づき作成されたものであり、供述内容は澤田氏本人により確認済みである。
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