ep.19 その背丈はちいさく、見覚えがある。

人形(コーキィア)は一定の被害を受ければ構成を保てずに崩壊する。

崩壊した内部からは花が出る。


じゃあ、その花を破壊したらどうなるか?

これについて、わたしはよく知らない。

もっと言えば、実例が少ない。


もともとこの花は、安全装置として取り付けられたものだ。

現実の人の身体から人形(コーキィア)へと、直接移動すれば拒否反応が出る。


近くて遠いものだからこそ、その違和感は凄まじい。

背の高さが少し違う、体重が前より軽い、指の数が一本多い、その程度の差で、上手に動くことができなくなる。


だから、一度は「花」という非動物の、まったく違うものを経由することで、細かい違いをふっ飛ばした。


自分は別のよく似た身体を操っているのではなく、花と化した後で人形を操っている、そう認識することでコンフリクトを乗り越えた。


だから、人形の身体を壊しても、あまり問題じゃない。

だけど花の方を破壊すれば、うん、ちょっと危うい。


いろいろと説はあるけれど、「ろくなとこにならない」のは確かみたいだ。

人形がいくら破壊されたところで他人事だけど、花が壊されたらそれは、自分の身に起きたことだと認識される。


場合によっては、人格まで変わる。


けど、そうしたリスクを負ってでも、あの場を逃げ出すべきだとわたしは判断した。

何のストッパーも倫理観もないマスコミの群れに監禁されて、無事で済むとは思えない。


こっちのほうがまだマシだ。


「くそ、ペッペッ!」


頭から下水につっこみながら、わたしは自身をそう説得した。

クソ最悪すぎる。


見上げれば、下水天井に白いものが見える。

巨大なカイコ繭の一部が生えていると見えるそれは、夜会(オルギア)だ。


現実で外から見るとこうなるらしい。

たぶん、図書館全体をすっぽりと覆っている。


「手足、動く、反射はちょっと鈍いか? 死ぬほど疲れてるし、ダルいしキツいが……」


この程度の被害で済んだことは幸いだ。

最悪、身動ひとつ出来ずにぶっ倒れることも考えられた。


「これ、魔力が相当削られた」


また元通りのすっからかんだ、魔力量の底が見えるのが普通になりつつある。


「まあ、代償としては当然か……」


濡れた服の裾を絞り、そのまま脱ぎだす。

こうした事態になることは想定できていた。


不測の事態が起きなかったとしても、臭いが染み付くのは止められない。


だから、ちゃんと用意もしていた。

下水探索に防水密閉袋とタオルと下着類を始めとした衣服の準備は必要不可欠だ。


「あ?」


脱ごうとしていた濡れた衣服のポケットに、やけに白く輝くカードがあった。

背にはヘビを模した意匠が描かれている。


「一緒にこれまでついてきたのかよ……」


夜会は本来、とんでもない時間と魔力を必要とする儀式だ。

ここまでぽんぽん気軽にやれるのは、学院内に限定される。


まだここは「夜会」の中だという扱いで、だから一緒についてきたのかもしれない。


「壊して純粋な魔力に変換できたりしないかなあ」


まあ、すぐには無理そうだけど、貴重な魔力源であることには違いない。

着替えた衣服にしまい込む――よりも先に、眼の前に持ってきてまじまじと確かめた。


追跡や盗聴の魔術が仕掛けられていないかのチェックをする必要があった。

どうやら心配はなさそうだ。


どうにかひと安心、あとは自室に戻って惰眠を貪るだけだ。

肩の力を抜いて、あくびを一つして――


「あ」


わたし自身のポンコツさに、ようやく気がついた。


周囲を見渡す。

当たり前だが、わたしだけだ。

他には誰もいない。


カリスも、いない。

わたしと同様に目覚めているはずなのに。


どこで起床した?

それはきっと――現実の図書館、新聞部員たちが周囲を固める中で……


「やっべぇ……!」


正直、そこまでは考えずに行動してた。

ああ、もうまじでバカだ。


学院へとつながる上部通路への道を素早く開く。

すぐにはわからないように隠された、使用人たちだけが知る通路だ。


開けた途端、夜会が開催されたとき特有の、濃い暗闇の気配を感じた。


ツバを飲み込み、ヒリヒリとした悪意のようなものを全身で受け取りながらも、全速力で走り向かう。

位置関係上、遠回りして行く必要がある、もたつく時間的余裕はない。


「カリスのやつ、普通に敵地で一人だ……ッ!」


せっかく助けたのに、これじゃ無意味になる。



 + + +



わたしは普段、あまり学院内を歩かない。

なにせ主な業務は清掃で、その担当場所も地下下水と天井裏だ。


カリスと出会ったのも、たまたまの時間的なかみ合わせでしかない。


それでもきっちりと清掃が行き届き、陽光を十分に取り入れた廊下はキレイで爽やかだとは感じていた。

遠くから見かけるたび、思わず目を眇めたほどだ。


その爽やかさ、下働きの日々の苦闘の成果は一見の価値がある。


今は、違う。

夜ってだけじゃない。

別世界に来たんじゃないかってくらいの違いがある。


暗い。

ただただ暗い。

それも「明るいからこそ暗い」という矛盾した明暗だ。


当たり前の顔で佇む教室は、今は巨大な繭の側面を覗かせ、うっすらとした燐光を放つ。

その光は、まるで周囲の光量を吸い取ったかのようで、走る廊下の位置すらわからなくさせる。


足元や床がまるで見えない――自分の手足の形ですらもわからないくらいだ。

気づけば意識が移り、また人形(コーキィア)と化しているんじゃないかという恐れを押し殺しながら進めば、ようやく目的となる繭に行き当たる。


普段であればひっそりと溶け込むように建つ学院図書館も、今はバケモノの繭卵として佇んでいた。


「くそ怖……」


思わず言いながら、わずかに脈動する繭の白さに触れて内部に侵入しようとするけど。


「ひっ……」


ずるり、とすぐ近くから腕が突き出ていた。

震える繊手が助けを求めるように出ている。

ゾンビのように行先を求めて蠢く。


繭にも負けないその肌の白さに、恐れおののき後ずさる。


「た、たすけ……」


聞こえた声は、カリスだ。


「!」


すぐに手を掴み、そのまま引っこ抜き、夜会から引き出した、ほとんど力の入っていない身体が、こちらへと倒れ込む。


「ど、どなたか知りませんが、ありがとうございます」


背が高いくせに、ほとんどわたしにより掛かるような格好で、カリスはゼイゼイと呼吸していた。

どうやらわたしだと気づいていない。


「とんでもなく横暴な夜会に巻き込まれました。その上、おそろしく横暴で品性のカケラもない凶暴なぶさいくに殺されかけたのです、叶うのならば訴訟を起こして賠償金を……」

「戻すか?」

「…………助けて?」


なんか可愛く言われた。

わたしに媚びてどうすんだ。


「まあ、自力で夜会の外まで出れたのは偉かったけどな、とっとと離れるぞ」

「あの、もう歩けないわ」

「あの連中、目を覚まして追いかけてくるぞ、確実に」

「ううぅ、どうしてこんな一コインの得にもならないことを……」


そんなの知るかと思いながら、引きずり離れる。


図書委員会兼新聞部の連中は、数だけは多い。

ここで追いつかれたら、夜会に逆戻りだ。

致命的すぎる。


なんせ「夜会中はどんなことも罪に問われない」のだから、やりたい放題だ。


「学院生が知らなくて、わたしが知ってる隠し通路がいくつかある。そこを通れば大丈夫だ」


もともとは使用人がこっそり使うためのルートだ。

普通に勉強に来る学院生ではまず見つけられない。


「そんなものが……」

「割と便利だぞ」

「……その情報、売れるわね」

「放置するぞ」

「6・4! 貴女が6割でどう!」

「お前の金への執着、どっから来てんだよ。今は――」


生存第一だろうが、という言葉は紡げない。

発生した特大の悪寒のためだ。


カリスもきっと同様のものを感じた。


わたしたちは振り返る。

現実から見た夜会、繭のような様相の、その表面が波打つ。


カリスは疲労困憊の顔をさらに青くしながら、わたしはフード奥から睨みつけるようにそれを見る。


ぐぅ、と両手が伸びた。

夜会の繭そのものが変形したと思えた。


人が出てくるのではなく、人に似たものが出る。

腕から肩が、頭部が、踏み出す細い足が、やがてはその全身が現れる、それらはくまなく繭の白さで形作られている。


ぷつりと繭との連結が途切れる。

形としては、人間だ。


だけど、人じゃない。

これがそうであってたまるか。


半端にわだかまるものが、徐々に形成されていく。


手足は細く、肉体的な活動には適していない。

けれど、そこに内在する魔力量は魔獣すら連想させる。


頭がささくれ立ったかと思えば細く分かれて髪となる。

黒のベリーショートだ。


ぐるりと現れる眼球は、鉱物を思わせる硬質さで周囲を見渡す。

捕食すべき獲物を探す。


その背丈はちいさく、見覚えがある。

アマニア・アンドレウ、その人形(コーキィア)だ。


完全に顕現させることはできないのか、全体は繭の白さを基調とし、口や耳などものっぺりとした膜で覆われる。


「やっべぇ……」


そう、人形(コーキィア)は、戦争にも使われる。

その使用は、夜会に限定されない。


「ど、どうしますの!?」

「知るかよ……ッ」


目を覚ました新聞部員に追いかけ回られることは想定していた。

だけど、こんなのは想像すらしていない。


逃げ出したわたしたちの追跡のために、人形(コーキィア)を夜会の外に持ち出すような事態とか、ふざけている。


わたしたちの騒ぎを感知したのか、硬質な両眼がまっすぐこちらを向いた。

存在しない口が、これ以上無い喜悦に歪んだのを見た。


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