ep.15 おいばかやめろ。
さて、普通にやべえ。
どういう手段かは知らないけど、わたしが来ることを予期されて、出迎えられた。
主導権は完全に向こうにある。
こっちは出方を伺うしかない。
展開された夜会は、現実の図書館とほぼ変わらない。
もっとも現実では飲食禁止なのに、テーブル上にスポンジケーキの一種であるラヴァニや、ドーナッツの一種であるルクマデスなどが並ぶ。
壁付近には予備も大量にあったので、後で取りに行こう。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
薦められたお茶に口をつけ、菓子類もパクパクと食べる。
魔力で作られたそれらは、形を変えたカリスコインみたいなものだ。
食べれば魔力が回復する。
口の端のクリームを手早くハンカチで拭きながら、周囲をぐるりと見渡す
誰もいない。
誰もいないのに、人の気配だけはある。
「……他の方々は、どうしたのでしょうか」
「少し席を外していただきました。あなたに聞きたいことあったのです。しかし――」
アマニアは少し嘆息する。
「どうやら、私の勘違いであったようです。申し訳ありません」
明らかな失望が見て取れた。
なんかわからんが、わたしにとってはラッキーだ。
情報を司るものの興味の対象になること以上に迷惑なことはない。
特に、このアマニア・アンドレウは――もっと言えばアンドレウ家はそうだ。
人形(コーキィア)は、現実のわたしと同じくらいの背丈だ。
髪の毛は長くつややかで、天井で灯る薔薇の明かりをよく反射する。
普通の人形はゴテゴテとした装飾が施されているものだが、そういう余計なものはない。
すっきりとした造形は、知を司る家だからこそだ。
アンドレウ家らしい形だと言ってもいい。
大陸を南北に流れる川沿いに、三国が隣接する地点があり、三国の共同出資の図書館が建てられている。
これらの国々は、それほど豊かではなく、また戦の火種を常に抱えていた。
だからこそ、予算や人員や設備など、足りない部分を補い合い、知識の集積場を作り出した。
情勢として安定しないからこそ、失われそうな知識を安全な場所へと移動させ、保管したのだ。
そこの差配を任されたアンドレウ家は、「情報の取り扱い」に関して絶大な信頼がある。
余計なことを漏らさず、何事に対しても慎重であり、上昇志向や権力志向を持たない、その特性はとても貴重で、ちょっとばかり変態嗜好を持つことなど些事として扱われた。
「もしかしたら、と期待していたのですが、やはり違っていましたね。残念です」
その変態的な興味の対象でさえなければ、危険はない。
また、カリスであれば嫌味のひとつでも言う場面で、わたしがバクバクと菓子を食べるのを止める様子もないことから、吝嗇家でもない。
「わたしは失格ですか? これがなにかの選考であればの話ですが」
一応は飲み込んでから言う。
「いえ、なにかのテストというわけではないのです。ただ……」
「ただ?」
「カリス様の夜会に現れたあなたの特徴が、ぼくの求める人と一致していたので、胸を躍らせていたのです」
「ぼく」
「失礼、少し言葉が砕け過ぎましたね」
「いや、別にいい」
「そうですか?」
なんか引っかかるな、という気がしたけれど、気にせず観察を続ける。
とりあえず、危機はない。
いつの間にか陥っていた死地を、いつの間にか抜け出していた。
「……」
眼の前のアマニアは、印象としてはつるりとしている。
顔の凹凸が少なく髪は長くつややかで床まで伸びる、その光沢は、すべてが陶磁器で作られたんじゃないかとすら思える。
その目は硬く揺るがない。
眼球というよりは、何かの結晶体のようだ。
「アマニア・アンドレウ」
「なんです」
「わたしは、情報を求めてここに来た」
「ええ、そのようですね」
「お前は、わたしが求める情報を知っているのか?」
「さあ?」
その視線は、完全に興味をなくしたものを見る目だ。
あからさまに「一応は付き合ってやるけど、できればとっとと終わらせたい」と告げている。
「……」
続く言葉を迷う。
ここで不用意には踏み込めない。
きっと素直に「教えてくれ」と言ってもダメだ。
それはカリスに「金をくれ」と要求するようなものだ。
言葉を尽くした罵詈雑言と大振りなアクションで拒否される。
アマニアはそういうことをしそうにないが、その内面ではきっと似たような悪態が発生する。
なら――
「この夜会では、本の貸し出しはしているか?」
「へぇ」
「あるいは、本を借りる条件は何かあるか?」
「なるほど、あなた案外、面白いですね」
視線が少しだけ好意的なものとなる。
「それは、図書委員という情報をもとにした提案ですね?」
「――」
あ、ミスった。
わたしは今、安全にここから脱出できるルートから外れた。
そんな悪寒が発生した。
「面白いですね、ええ、とても」
「なにが言いたい?」
「ぼくは、あなたに興味が湧きました」
おいばかやめろ。
「だってあなた、ここにいませんでしたね?」
「ここ?」
「ええ、ぼくは夜会を開催する際、事前に説明を行ないます。どのような夜会であり、どのようなルールが有るかを必ず伝えてから、夜会を始めます。わかりますか? 必ずです、例外はありません」
マズった?
「だというのに、あなたはそれを知らない。一度も聞いた覚えがないという態度です。あなたは決して頭は悪くなさそうですし、それほど礼儀知らずにも見えないというのに」
「悪いな、ウトウトしていて聞き逃したんだ」
「あなたは、いつ、どこから、この夜会に参加しました?」
最初からで、この図書館の真下の下水からだよ、とは言えない。
「知りたいですね、ええ、是非とも」
硬質な目がわたしに向く。
口元は笑みの形だけれど、笑いの要素はカケラもない。
「それを教えれば、わたしが知りたいことを教えてくれるのか?」
「いいえ、情報価値に差がありすぎです。却下ですね」
「そんなもんか」
「そもそも、知っていますか?」
「なにをだよ」
目は変わらない。
わたしの一挙手一投足を逃さないというように。
「情報というものは、交換が難しいものです」
「そうか?」
「はい、情報とはその性質上、常に価値が変わるものですし、その人の立場によっても評価が異なります。お互い満足がいく情報交換など、夢物語に近い」
「じゃあ、どうするんだ?」
「簡単です」
アマニアは手を翻した。
そこにはカードが握られていた。
一般的なカードとは少し違う。
その背にはヘビを模した意匠が描かれている。
「どうぞ」
五枚ばかりを手渡され、アマニア自身も同じ枚数を持つ。
そのカードには何も書かれていない。真っ白な表面だけが光る。
「カードゲームをしようって雰囲気でもないな?」
「ええ」
アマニアは、唇の端を釣り上げる。
皮肉というには、あまりに挑戦的だ。
「この夜会においては、情報こそが力です」
まるで夜会を開くかのように、宣言した。
「それがどのような形であれ、なにかを得たいと望むのであれば、それほど選択肢は多くないものです」
「かもな」
「どのような方法だと思いますか?」
「相手から奪う」
「その通り」
アマニアは、視線を深くする。
興味をより深化させる。
「あなたには知りたい情報がある。一方、ぼくはあなたに興味が湧いた。あなたのことを知りたい。なら、話は簡単です」
「どうするんだ?」
「このカードを使って、奪うんですよ」
アマニアは、一枚をくるりと翻す。
真っ白なそこに、なにかが浮き出ようとしていた。
「欲しい情報が出るかどうかは、あなた次第だ」
「待てよ」
思わず止める。
「どんな情報が欲しいかを、わたしは言っていなかった。本当にお前は知っているのか?」
普通に考えて、この図書委員が「オークションの窃盗犯の素性」について掴んでいるとは思えない。
「知ってますよ」
なのに、断言した。
「あまりぼくらを舐めないでいただけますか。あなた方が右往左往している間に、その程度のことは調査済みです。当然でしょう? ここは図書委員会だ、ぼくたちが知らないことなどありはしない」
いや、あるだろ。
どこの図書委員会がそんな高レベルの事情通になるんだ、と言いたかったけど、できない。
ちいさな体は、その全身から知識に対する矜持と飢えを発散していた。
「このゲームで勝てば、知りたいことを得ることができます、他の方法などありはしない、少なくともこの夜会では、そうです。ここは、互いの情報を奪い合う場です」
真っ白なカードに、黒が浮かぶ。
文字だ。
そのカードの横で、変わらず硬質な瞳に笑みを湛えたままアマニアは言う。
「もっともぼくは、一方的に情報を奪い尽くすつもりですけどね?」
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