ep.3 「このトンカチであいつの側頭部をぶっ叩く」
やるか、と覚悟を決めたわたしを止めたのは、腰に手を当てたメイド長の姿だった。
上級職員は、時と場合によっては学園生よりも立場が上になる。
その人が、ぷりぷりと怒りながら接近していた。
おそらく、わたしの帰りが少しばかり遅くなったのを叱るためだ。
わたしの身を案じての行動だとはわかっている、けれど、いくらなんでもタイミングが悪すぎた。
トンカチを令嬢の上に振り下ろして、死体処理して証拠が残らないようにしてやるぜとは行かなくなった。完全に機会を逸した。
今も争うわたしたちの様子を見て、心配を押し殺した早足で近づいた。
カリスが振り返り、まばたきをして驚く。メイド長の焦った姿とか、わたしでも滅多に見ない。
「あら、あなたは――」
「失礼いたしますカリスお嬢様。メイド長のリリと申します。この子が、なにか無礼を働きましたでしょうか?」
「いいえ。けれど、これを没収したわ。適切な値段で売却し、きちんと彼女に還元するつもりよ」
「それは――本当にその子が、クレオが持っていたものですか?」
「? ええ、いま没収したばかりだもの」
うん、普段は隠匿の魔術をかけてるからバレていなかった。
そして、学園生がまじまじと下級職員を観察する事態が起きるなんて、完全予想外だ。
実質使用人のわたしたちのことは空気として扱うのが優雅な人のやり方だ。
空気とかまじまじ見るなよ。
「こんな華美なものを持つべきではないわ、第一……」
カリスはわたしを一瞥し、ハッ、って感じに鼻を鳴らした。
「こんなやせっぽっちのみにくい者が持つべきじゃない」
言ってくれるじゃないか。
まあ、本当のことだから反論しないけど。
それでも主張すべきことはする。
「それは、小職の家族の形見です。貴重品のため部屋には置けず、身につけていたのはこちらの不手際ですが、どうか売却することはお止めいただけないでしょうか」
「あなたの?」
「ええ」
困惑したように令嬢は微笑した。
憐憫の笑みだ。
「どうせ没落した家でしょう? 大した才覚もなく滅亡して落ちぶれたのですから、キレイに売り払った方が――」
「家の悪口を言ったな」
メイド長の「あ、やば」という顔が横に見えた。
「一度口にしたからには撤回してくれるな。お前はわたしの家を侮った。我が一族を下に見た。命が尽きようとも必ず殺す、そう決めた。生涯をかけてお前に思い知らせてやる」
「な」
身体に魔術を回す。
構築された力が筋繊維にバフを与える。
握る木製の柄が軋みを上げた。
「やめなさい!」
止められた。
メイド長に後ろから羽交い締めにされた。
同じく筋力増加を使ったバフだった。わたしの方が強力なはずだけど、体格差が違うし、技術も異なる、なによりも体勢が悪すぎた。
いくら暴れても脱出できない。
「止めないでリリさん! 処刑されても構うもんか、絶対に、絶対に思い知らせる!」
「なにをするつもりですか!?」
「このトンカチであいつの側頭部をぶっ叩く、頬骨弓(きょうこつきゅう)を破壊してやるッ! ガッツンガッツンに壊してやる!」
「どうしてそんなにマニアックな部位を知ってるんですか!? いえ、カリスお嬢様、今すぐお逃げください!」
「え、え……?!」
おろおろとする令嬢に、メイド長は叫んだ。
身分違いとか言ってられない状況だ。
「はやく! この子、本気です! せめて視界の入らない場所へ!」
「し、失礼!」
脱兎というようにそそくさと逃げ出す。形見のペンダントを持ったままで。
「逃げんな卑怯者! 人のもん持って行くな! 礼儀知らずのクズの盗人がッ!」
「いい加減になさい!」
首をキュッとされた。
頸動脈がキレイに絞められた。
う゛、とうめき声を出すだけで精一杯だ。
わたしが殺して回った鼠もこんな感じだったのかな、と薄れゆく視界の中で思い――意識は途切れた。
+ + +
その後、メイド長の長々とした説教だけで終わったのは、いくらかわたしに同情したからだろうし、あのカリスという令嬢が訴えずに済ませたからだ。
もし「令嬢を殺すと脅してトンカチを振り回す職員」についての報告が上がれば、間違いなくわたしは首だ。
職務的にも、物理的にも。
この島が独立を保ち、他勢力の影響が及んでいないのは、令嬢たちの安全が保証されているからだ。
その平和を脅かすものは排除される。
そうしなければ、家族を守るためという名目で各国から戦力が送り込まれる。
下級職員に恩情をかけたせいで、島を舞台にした戦争が勃発することになる。
けど――
「どうしよう……」
それでも、形見のペンダントが戻らないことには変わりはない。
あのカリスとかいう令嬢は、悪いことをしたと思えばこそ「できるだけ高く売って金銭的に報いるべき」とか考えるタイプだ。
貿易と商売を主とするペルサキス家は「金銭」にこそ価値を置き、それ以外のものを重視しない。
思想や信念や矜持よりも、誰でも欲しがるものを対価とすべきだ――そんな風に考える。
「クソ迷惑だ」
場合によっては聞くべき意見だけど、現状ではひたすらに余計な世話でしかない。
形見が、家族の思い出が、金に変えられるわけがないだろうが。
けど、どうする?
取り返す方法はあるのか?
屋根裏部屋の私室でぐるぐると巡りながら両手で頭をガリガリと掻いた。
髪質が悪くなるとまたメイド長に怒られるかもしれない。
知るか。
「……あの令嬢が住んでる寮は防衛力が高すぎる、盗み出せない。ただし、学校のカリキュラムはわかる。あいつの今後の動きはつかめる……」
床上と床下、人が嫌がる部分の清掃こそがわたしが任されている担当だ。
暗がりに身を潜めて、見えない部分をキレイにする。
天井裏の掃除は、日中に行うことが多い。
真夜中の真っ暗な中で掃除をするのはさすがに危険すぎるためだ。
なるべく物音を立てないようにしながら掃除するついでに、各クラスの授業も聞いていた。
各国の歴史、文化、習慣。
微分積分を使った弾道計算や魔力濃度からの最終出力を求める算術。
土地柄による魔力属性および、そこから発展して作られた魔術体系とその補正。
昨今の戦争における主役を張る人形(コーキィア)の作成とその運用など。
これらは本来、お金を出さなきゃ得られない情報だ。
聞き覚えた事柄はノートにまとめた。
試験前の令嬢によく売れる。
そして――
「明日には、夜会(オルギア)がある……」
舞踏会とも少し違う、特殊な形の会合だ。
これについて、わたしはよく知らない。
学院生が個々それぞれに作ったグループの、内部闘争や他勢力と格付けを行うものだとは聞いていた。
しかもそこで、人形(コーキィア)を使用するらしい。
戦争に使うようなものを、生徒同士の集まりで活用する。
うん、学院生にそんなことやらせんな。
夜会の翌日はなんか変な雰囲気でギクシャクしてたし、中には休む生徒もいた。
それだけの争いが、発生する。
別の言い方をすると、そんだけの騒ぎを起こしても、島の戦力が介入して来ることはない――
「やるか」
盗み出す隙があるとしたら、ここしかない。
わたしは立ち上がり、拳を握る。
わたしのペンダントは、かなりの価値を持つ。
パッと見では気づかないだろうけど、隠蔽術を解除すれば信じられないような輝きを放つ。
また、更によく調べれば、魔術道具としての価値にも気づくはずだ。
着飾るためにも、戦力のためにも、あのペンダントを夜会へと持ち出す可能性は高い。
というかあってくれ。
寮内にしまわれたら絶対に盗めない。
「やってやる……」
令嬢が目立つアクセサリーをなくすような事態は、失態だ。
表向きは同情されても、裏ではクスクスと笑われる。
「そっちは真正面から盗んだ、なら、こっちだって真正面から盗んでやる」
わたしは一度、令嬢をぶっ殺そうする無謀をした。
なら、あと二回か三回くらい無謀をしてもきっと変わらない。
わたしは、夜会(オルギア)に忍び込むことを決めた。
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