10.桜塚猛、エルヴァの隠れ里を訪問する(1)

 わしらパーティは一度サヴォンの街に戻り、ギルドへの報告を済ませてから、ジュリアーノの案内でエルヴァの隠れ里を目指すことになった。


「初めに言っとくが、これから見聞きすることはすべて他言無用だ」


 ジュリアーノはくどいくらいに念を押す。

 それも当然だ。エルヴァにとって里の位置は最高機密。これを部外者に漏らしたとあってはエルヴァの暗殺者に命を狙われる覚悟をしなければならない。気配の隠密に優れるエルヴァの暗殺者に狙われて長く生き延びられる者はいないと言われているらしい。


 ジュリアーノは、神経質なほど尾行に気をつけながら荒野を進む。

 わしらを尾行するもの好きなどいないはずではあるが、エルヴァの掟で里に向かう際には尾行の排除を徹底することになっているらしい。道程も直線的なものではなかった。同じような場所を方角を変えながら進んでいくため、わしは出発からはや数時間で方向感覚を失っていた。ミランダやアーサーも、一日目の日が暮れるまでには今いる場所がわからなくなったという。

 それにしても不思議なのは、


「……どうして荒野ばかりなんだい? エルヴァの隠れ里は森の中にあるんじゃなかったのかい?」


 ミランダが聞く。


「隠れ里はたしかに森の中にあるよ。ただし、その森の存在自体が隠されているんだ」


 ジュリアーノの答えにアーサーが首を傾げる。


「存在自体が隠されているじゃと?」

「ああ。だって、考えてもみろ。もしエルヴァの隠れ里が既知の森の中にあるんだとしたら、森で活動する冒険者たちが何かの偶然で発見していてもおかしくないだろう?」

「そう言われればそうじゃの」


 アーサーが顎鬚を撫でながらうなずいた。

 代わってミランダが言う。


「それについては物騒な噂を聞くけどね? エルヴァたちは、隠れ里付近に迷い込んだ冒険者たちを人知れず始末している――と」


 わしは驚いてジュリアーノを見る。

 ジュリアーノは苦笑した。


「それはあくまでも噂だ。むしろ、都市伝説というべきかな。もちろん、隠れ里を探られないために、エルヴァがあえて誤解を解こうとしてないという面もあるけどね」


 なるほど。命が惜しければ隠れ里を探そうなどとは思うな、というわけか。


 話しながら進んでいると、ジュリアーノがやおら足を止めた。

 目の前には、荒野に走った大きな谷が広がっている。ジュリアーノは断崖ぎりぎりの場所で止まっていた。

 わしを含め、他のメンバーがいぶかしげな顔をする。


「……引き返すなら今のうちだ。エルヴァの秘密を漏らせば命はない。覚悟はいいな?」


 ジュリアーノが真剣な顔で言った。


「今更何言ってんだい。覚悟なんてとっくにできてるよ」


 ミランダが言う。


「ドヴォにだって秘密はある。その大切さはよくわかっておるよ。みだりに漏らしたりなどするものか」


 アーサーが言う。


「わしは異世界の人間だ。既にこれ以上ないほど秘密を抱えてしまっておる。この上秘密が増えたところでなんともない。毒を食らわば皿まで、よ」


 わしが言うと、


「毒を食らわば皿まで、か。異世界のことわざかな。あははっ、駄目だ、ツボに入って……はっはははっ!」


 ジュリアーノが腹を抱えて笑い出す。


「学者さんのツボはよくわからないねぇ。さっさと秘密とやらを見せてくれよ」


 ミランダが呆れて言う。


「はははっ、いや、済まない。それじゃあ行こうか」


 そう言ってジュリアーノが一歩を踏み出す。

 それも――谷側に向かって。


「お、おい!」


 アーサーが止めようと手を伸ばすが、その手は届かなかった。

 ジュリアーノが崖下に向かって落ちていくことを誰もが想像した。

 が、ジュリアーノは何もないはずの空中に、落ちることなく留まっている。

 いや、正確には立っているというべきだろう。ジュリアーノは、空を踏みしめ、谷の上に立っているのだ。


「ついてこい」


 ジュリアーノはそう言って谷の奥に向かって歩き出す。


「つ、ついてこいって」


 ミランダが珍しくたじろいだ。

 アーサーはつま先を空中に伸ばして見えない足場を確かめようとしている。


「アーサー、それじゃ駄目だ。人間くらいの体重が乗った場合のみ、この足場は現れる。そうでないと、荒野から吹き付ける砂が積もってしまうだろう?」

「ふ、踏み込んでみないとわからないってことかい……」


 ミランダが冷や汗を流す。


「ええい、こうしていてもしかたあるまい。――ままよ!」


 アーサーが腹を決めて空中へと足を踏み出す。

 はたして、アーサーの足は、落下することなく見えない足場の上に着地していた。


「ひゅーっ、こりゃおっかないわい!」


 アーサーはそう言いながら、足場の上で小さく跳ねる。


「おい、あまりはしゃぐなよ? 足場の範囲はそこまで広いわけじゃないからな」


 ジュリアーノの言葉にアーサーが動きを止める。


「ほら、対岸に二つの高い岩山があるだろう? あの中間に向かって歩いていけば落ちることはない。……何してる? ミランダ、サクラヅカ翁」

「そ、そうは言ってもこいつは……ええい、くそっ、あたしだって女だ!」


 ミランダが目をつぶって谷側に跳ぶ。

 ミランダはゆっくりと目を開き、自分が空中に立っていることを確認する。


「ひゃあっ、おっかないねぇ」


 一度飛び移ってしまうと、ミランダの方も余裕を取り戻したようだ。


 最後はわしか。

 べつに、高所恐怖症というわけではない。

 が、何もない空中に足を踏み出す、というのはなかなか勇気がいる。

 よく階段を登っている時に、もう一段あるはずだと思って踏み出したら段がなく、身体が驚くことがあるが、これはその逆の状況だ。


 しかし、若い連中がやったのに、年寄りがいつまでもビビっていては示しが付かない。

 わしは思い切って空中に足を踏み出した。

 問題なく、わしは空中に立っていた。

 ガラス張りの床の上を歩いている感じではく、ふわふわとした見えない何かの上に乗っている感じだ。


「全員乗ったな? じゃあ行くぞ」


 ジュリアーノが先頭に立って空中を歩いて行く。


「さ、ここからだ。驚くぞ」


 ジュリアーノがにやりと笑う。

 わしたちはジュリアーノに続いて歩いて行き――


「わっ! こりゃなんだい!」

「森の中……か!」


 先行していたミランダとアーサーが驚きの声を上げる。

 わしは二人に続いて空中を進む。

 何か、膜のようなものを感じた。

 それを通り過ぎると、目の前の光景が一変していた。

 見渡すかぎりの荒野だったはずの光景が、静けさの漂う森の中へと変わっていた。

 足下を見る。そこには、ふかふかした腐葉土の、ちゃんとした地面がある。


 驚くわしたちに、ジュリアーノが言った。


「――ようこそ、エルヴァの隠れ里へ」

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