11.桜塚猛、エルヴァの隠れ里を訪問する(2)

 わしたちはその後、ジュリアーノの案内で森を進んでいった。


「はぁ、まさかこんなところに森があったとはね」

「一体どういう仕組みなんじゃ? さっきまでの荒野は嘘だったというのか?」


 ミランダとアーサーがジュリアーノに言う。


「半分だけは正解だな。この森はもともとここにあったものだ。だが、その周囲に荒野があることも間違いじゃない」

「幻術か何かで森を隠してるってことかい?」

「幻術では、これほどに広い領域を隙もなく隠すことはできないよ」

「じゃあどういうことだ? 聞かぬ方がいいなら聞かぬが……」

「中に入れてしまった以上、聞かれたところで問題はない。ざっくり説明すると、この森とその周辺は空間が圧縮されているのさ」

「空間が圧縮されている……じゃと?」


 アーサーが「奇っ怪なことを」とでも言いたそうな顔で言った。


「普通の空間なら、10メテルはあくまでも10メテル。どこへ行っても変わらない」

「そりゃ当然さね」


 ミランダが言う。


「ところが、その当然がここでは成り立っていない。外側から測った森の大きさと、内側から測った大きさが……まぁ、具体的な数字は機密なんだが、何十倍というレベルで異なっているんだ」


 ジュリアーノの説明は、ミランダたちには難しかったようだ。

 代わりにわしが聞く。


「この森は見かけよりもずっと広い、ということか」

「そういうこと。サクラヅカ翁は呑み込みが早いね」

「逆に、外から見ればこの森は実際よりもずっと小さくなる。その小さな入り口さえ隠蔽してしまえば、外部から発見することは不可能に近い、というわけだな」

「その通り……だけど、細部は違う。べつに、エルヴァが何らかの魔法で隠蔽を施してるわけじゃないんだ。もともとこの森の周辺は空間がおかしくなっている。そのせいで、限られた入り口以外から森に入ろうとしても、森の反対側に突き抜けてしまう。それは視線についても同じだ。外から森があるはずの側を見ても、その向こうにある荒野が見えるだけだ。そこに森があることすらわからない」

「なるほど。隠れ里にするにはぴったりの場所なのだな。しかし、そんな空間自体が不安定な場所に住みたいとは思えんが……」

「それは違うよ、サクラヅカ翁。ここの空間はたしかにおかしいのだが、そのおかしさは不安定なものではない。むしろ非常に安定した構造を持っている」


 ジュリアーノがそこまで説明すると、ミランダが「あっ!」と声を上げた。


「さっきから説明を聞いてて何か引っかかると思ったんだが、ようやくわかったよ! この場所はダンジョン・・・・・なんだ、違うかい?」


 ドヤ顔で指摘するミランダに、ジュリアーノが眉を上げた。


「その通りだよ、ミランダ。この空間はもともとはダンジョンだった。ただ、入り口があのように特殊なものだったから、エルヴァがここを発見するまで手付かずだったんだね。エルヴァはこの場所の特異性に目をつけ、ダンジョンからモンスターを駆逐し、時に迫害されがちな自分たちの隠れ家として利用することにしたんだ」


 ダンジョン。

 ロイドの記憶では、モンスターが溢れ、お宝が見つかる冒険者御用達の場所だということしかわからない。

 が、記憶をたどると、ダンジョンなるものの性質には、いくつかの不思議な点が思い当たる。たとえば、ダンジョンは見かけよりも内部空間がかなり広く、入り口の数が限られている。内部環境は、ダンジョンの外の気象条件に関わらず一定で、暑いダンジョンは常に暑く、寒いダンジョンは常に寒いという。

 どうしてこのような不思議な場所が存在しているのかは、少なくともロイドの知識ではわからない。


「でも、元がダンジョンだって言うなら、モンスターが湧くんじゃないかい?」

「たしかにその通りだが、もともとダンジョンに巣食っていた強力なモンスターは退治済みだからね。散発的に弱いモンスターがポップするくらいならなんとでもなる。むしろ、湧いてくれたほうが有り難いくらいだ」

「モンスターが湧くのが有り難い?」


 わしは思わず聞き返す。

 これまでの道程でモンスターとの戦闘も経験した。

 ロイドの知識と経験があるので、わしであってもそこそこ戦うことはできた。

 が、凶悪な形相のモンスターがこちらを殺そうと襲い掛かってくる。これは馴れていないわしにはかなりきつい経験だった。たとえ、そのモンスターを自分や仲間が確実に狩ることができるとわかっていても、だ。

 そのようなモンスターが湧くのが有り難いとはどういうことなのか?


「モンスターは解体すれば素材や食料になる。また、モンスターとの戦いは若いエルヴァたちにとって格好の訓練にもなる。もし、この聖域にモンスターがいなかったら、エルヴァたちはただの隠遁者ひきこもりになってしまっただろう」


 外からの危険を気にしなくていい場所で、適度な数のモンスターを相手に戦いの経験を積むことができる。

 この聖域は、よくできた練兵場でもあるのだ。

 エルヴァの狩人や暗殺者が卓越した腕を持っているのはそのせいか。


「さて……そろそろだと思うんだが」


 ジュリアーノがつぶやく。

 それに答えるかのように風の鳴る音がした。

 ジュリアーノの目の前の地面に、複数の矢が突き立っていた。


「――何者だ!」


 警戒心の滲んだ声。

 声の方を見ると、木々の枝の上に弓を構えたエルヴァがいた。

 ジュリアーノ同様金髪で耳が尖っており、容姿は作り物のように整っている。


「無駄な抵抗はするなよ。おまえらの周囲は既に仲間によって囲まれている」


 エルヴァの男が警告する。

 が、言われるまでもなく、周囲の気配には気づいている。

 この「気配」というのもこの世界独特の概念だ。少なくともわしはこの歳になるまで人の気配なるものを視力にも聴力にもよらず捉える手段があるとは知らなかった。

 しかし冒険者にとって気配を読む能力は重要だ。ロイドも人並みには気配を読む力を持っていた。だから、姿を現したエルヴァの他に、前方に二人、側面に二人、背後に一人が潜んでいることがわかる。

 とはいえ、これですべてだとは思えない。エルヴァは気配を消すことが得意だという。おそらくはさらに何人かが潜んでいると思って間違いないだろう。むしろ、気配が読めている相手は囮だと思っていい。


 ミランダとアーサーはさすがに緊張した面持ちになっている。

 ジュリアーノだけは、両手を上げて、普段通りの気さくさで、現れたエルヴァに話しかける。


「おいおい、しばらく見ないうちに俺の顔を忘れたか?」

「……何? おまえ……いや、貴方は、ユリアヌス様ですか!?」


 エルヴァの男は枝から飛び降り、弓を下ろす。

 が、この時点ではまだ、他のエルヴァたちは弓に矢をつがえたままのようだ。気配が張り詰めたままであることからそうとわかる。


「その通り。俺はユリアヌス、正見しょうけんのユリアヌスだ」


 ジュリアーノはそう名乗り、懐から複数の枝を絡めたようなものを取り出した。

 地球で言えば、アメリカ土産の定番であるドリームキャッチャーに似ている。ドリームキャッチャーよりは構造が複雑だ。複数の枝が意味ありげに結び付けられているし、宝石や房のようなものもついている。おそらく、エルヴァとしての身分を証だてするためのものなのだろう。

 エルヴァの男は離れた位置からその身分証をじっと見る。ロイドの知識ではエルヴァは視力がいいらしい。この距離からでも真贋が見分けられるのだろう。

 男がうなずく。


「……正見のユリアヌスであることはわかった。だが、なぜ人間たちを連れている?」

「部外者を里に連れてくる場合には、必要性と信用性を吟味した上で、二百歳以上のエルヴァの許可を得ることと掟では決められている」

「その通りだ」

「必要性と信用性については、ことが重大なため直接長老たちに判断を仰ぎたい。二百歳以上のエルヴァの許可については、俺が昨年でちょうど二百歳になっている」

「ええっ!?」


 ジュリアーノのセリフの途中でミランダが驚く。

 アーサーも驚きを顔に浮かべていた。


「そうか。貴方ももう二百歳――若年寄になったのだな」

「若年寄か。嫌な言葉だ。……ともかく、俺が必要だと思ったから彼らを連れてきたのさ。ギリエント、済まないが、長老たちへの取次を頼む」

「あいわかった。だが、長老の許可が下りるまでは、途中にある小屋で待機する規則だ。周りの者たちに案内させる」

「案内っていうか、監視だよな」

「それは……」

「いや、いい。それが掟だからな。俺も人里に馴染みすぎたか」


 ギリエントと呼ばれた男が、何人かの仲間とともに去っていく。

 同時に、森の中から数人のエルヴァが現れた。

 既に弓を下ろし、戦闘態勢を解いている。


「じゃあ、済まないがよろしく頼む」

「かしこまりました」


 エルヴァたちの先導で、わしらは再び森の中を進み始める。


 ミランダが言う。


「ジュリアーノ! あんた隠し事が多いとは思ってたけど、まさか二百年も生きてるとは思ってもなかったよ!」

「悪い。言う機会もなかったからな」

「水臭いのう。それにしても、『ユリアヌス』殿や、思った以上に大物のエルヴァだったようではないか」


 アーサーがそうからかう。


「そうでもない。単に、学者の家系の生まれだってことさ」


 ジュリアーノが肩をすくめる。

 あえて言わなかったのだろうが、そこには複雑な事情があるのだろう。

 自給自足で成り立っているこの聖域を出て、人間に交じって冒険者をやっていたくらいなのだから。

 ミランダもアーサーも、そこをつっこまないくらいの気遣いはできる。


 わしは気になったことを聞いてみる。


「エルヴァの寿命というのは、人間の倍程度ではなかったのか? 二百歳というのはそれに比べて随分と長生きのように思えるが」


 日本でのわしは七十歳。二百歳のジュリアーノがこんなに若々しくては、わしの立つ瀬がないではないか。


「ああ、それは一般のエルヴァの場合だ。ただ、一部の魔力操作に秀でたエルヴァの中には、それ以上生きながらえる者もいる」

「羨ましい話だな。見れば、いつまでも若いようではないか」


 つい絡むように言ってしまう。


「そういえば、サクラヅカ翁は七十歳だと言っていたな」

「さよう」

「人間でも、魔力の修練を行えば、ある程度の延命が可能だ。過去にこの方法を使って齢百を超えるまで生きた者もいたそうだぞ。せっかくだ。教えようか?」

「……いや、遠慮しておこう。わしはもう十分に生きたよ。妻にも先立たれたしな」

「そうか……」


 話している間に、森の間に小屋のようなものが見えてきた。

 エルヴァたちの案内で中に入る。

 小屋はログハウスによく似ている。

 案内のエルヴァが一同に香茶を出してくれた。


「さて、それじゃあ沙汰を待つことにしようか」


 ジュリアーノが言う。


「長老たちの会議は長いが、今回は具体的な情報をあえて渡さなかったからな。ほどなく迎えが来るだろう」


 なるほど、さっきのエルヴァに事情を説明しなかったのはそういう理由もあったのだな。

 わしらは快適なログハウスで歓談しながら連絡を待つことになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る