9.桜塚猛、仲間たちに問いつめられる
篝火が焚かれる。
森閑とした木々の間に橙色の火が灯る。
現代日本の電灯と比べたらささやかすぎる
しかし、モンスターの潜む暗い森の中を進んできた後だと、篝火は物理的な明るさ以上に明るく感じられた。
わしはほっと息をつく。
腰が砕けてしまいそうだったが、これでようやく休むことができる。
わしはそう思ったのだが――
「――おまえ!」
わしの胸ぐらを、ミランダがいきなり掴み上げた。
「おい、どうした、ミランダ!?」
「身体でも触られたか?」
ジュリアーノとアーサーがミランダの行動に驚く。
「ど、どうしたんだ、ミランダ」
わしはわけがわからないままミランダに言う。
何か気に入らないことでもしただろうか。ここは異世界だ。何か文化的な無作法を働いていないとも限らない。
ミランダはわしの言葉には答えず、胸ぐらを掴んだまま、わしの顔をじっと観察する。
そして言う。
「……あんた、誰だ?」
ミランダの言葉にわしの肝が冷えた。
「な、何のことだ?」
「とぼけるんじゃないよ。あたしの目に狂いがあるもんか。あんたはロイドじゃない。そうだろう?」
わしはとっさにどう答えたものかわからず沈黙する。
「あんた、遺跡の奥で喚いていたろ? その時、あんたはたしかに『わし』と言っていた。ロイドがそんなじじくさいしゃべり方をするものかね?」
「あの時は……錯乱していて……」
「錯乱したならなおのこと、『わし』なんていう一度も使ったことのないような言葉が出てくるはずがないじゃないか」
ミランダの鋭い指摘に返す言葉がない。
「……たしかに、あの時のロイドはおかしかった。まるで何かが取り憑いたかのようだった。だから俺は呪術にかけられた可能性を案じて、その場ですぐに調べた。ロイドからは呪術の気配は感じなかったよ」
ジュリアーノが疑わしそうに言う。
その口調はミランダを疑っているようでもあり、わしを疑っているようでもあった。
「おいおい両人とも。おぬしらこそ、遺跡の気配に当てられたんじゃないのか? わしにはいつものロイドのようにしか見えぬぞ」
アーサーがパイプを吸いながら言った。
彼だけは、まったく疑ってもいないようだ。ロイドの記憶によれば、もともとドヴォという種族は迷信を嫌うことで有名らしい。
「ジュリアーノ、あんたが言うからには、こいつが呪術にかかってるわけではないんだろうさ。だがね、あたしはずっと違和感を覚えていたんだ。それも、今日遺跡の奥でこいつが取り乱した時からじゃない。ロイドが遺跡で倒れて、目を覚ましてからずっとなんだよ」
ミランダの言葉にジュリアーノが目を細める。
「つまり、最初に遺跡で倒れた時点で、こいつが別人にすり替わってたんじゃないか……そう言うんだな?」
ミランダがうなずく。
「……そんな事例は聞いたこともない。呪術でもなく、憑依でもなく、着の身着のままの人間が別人に入れ替わった、なんて例はな」
「おかしくはないだろう? 本当にそんな風にして入れ替わったんだとしたら、そもそも入れ替わったことに気づかれようがないじゃないか」
「おいおい……それが本当だとしたらえらいことだぞ! いつの間にか別人にすり替わって、誰にも気づかれないまま生活してる連中がいるだなんて……」
アーサーが気味悪そうに言う。
一方、わしは迷っていた。
疑っているのはミランダだけだし、疑う根拠は彼女の直感だけだ。わしが演技を通せば一時の気の迷いだったと認めるかもしれない。
だが、これは同時にチャンスでもある。
異世界の老人がロイド・クレメンスと入れ替わった。
そんな荒唐無稽な話、この機会を逃してはなかなか信じてもらえないだろう。
わしは心を決めて言った。
「……わかった。全部話させてもらおう。だが、これは信じられないような話だよ」
「信じるか信じないかは、話を聞いてから考えるさ。あんたはせいぜい信じてもらえるよう努力するんだね」
ミランダがそう言ってわしを放す。
ジュリアーノが言った。
「長くなるなら、飯を食いながらにしよう。空き腹に長話は辛いからな」
「ふぅん……ロイドの身体に別人の人格が入っている、ねぇ」
わしの話を聞き終え、ミランダが盛大に眉をひそめながらつぶやいた。
「だから言ったろう。信じられんような話だと」
わしは、ロイドを装うことをやめて、そう言った。
「にわかには信じがたい話だな」
アーサーが、いつもにもまして煙を吹かせながら唸る。
「逆に、俺は信じていいかもしれないと思えたね。これが作り話だとしたら、いくらなんでも荒唐無稽すぎる。そのくせ、細部は異常に凝っている」
ジュリアーノだけは、目を輝かせていた。
「異世界の話も興味深い。遠くの者と話せる道具に空を飛ぶ機械。もともとのロイドにそんな想像力はないはずだし、ロイドを乗っ取ったのがただの悪魔や亡霊だったとしても、そんな知恵はないだろう」
わしはふと思いついて、鞄に入れていたクエストの受注書を取り出した。
それを紙飛行機に折る。
ジュリアーノに向かって投げると、紙飛行機はふわりと飛んだ。
「飛行機の原理は、これと同じだ。たとえこれを鉄で造ったとしても、翼面の構造がちゃんとしていれば空を飛ぶ。だが、この世界の技術水準を考えれば、まずは木と布で造ってみるべきだろうな」
ジュリアーノは紙飛行機をキャッチしてしげしげと観察する。
「……面白い。聞いてみればシンプルな着想だ。エルヴァの長老が聞いたら腰を抜かすほど驚くだろう」
学者くずれだというジュリアーノはわしの話を理解してくれたようだ。
「タケル、と言ったね。あんたが異世界の存在だってことは認めてもいい。ジュリアーノが認めてるんだから、あたしなんぞに言い分はない。でも、これだけははっきりさせたい。あんたが邪悪な人間でないという保証はどこにある? あんたはロイドの身体を乗っ取ったんじゃないかい?」
ミランダが、わしを鋭く睨みながら言う。
「自分が邪悪な人間でないことを証明しろと言われてもどうすればいい? ないことを証明することは難しい。向こうの世界ではそういうのを『悪魔の証明』と呼んでいたよ」
「……本当に、宿屋で目覚める前の記憶がないのかい?」
「ないのだ。どうしてこのようなことになったか、見当もつかない。いちばん戸惑っているのはわしだろうと思うよ」
「サクラヅカ
ジュリアーノが聞いてくる。
「さすがにそんな技術はない。科学はオカルトではないからな」
「あなたが知らないだけ、ということは?」
「わしの知らぬ技術ももちろんあるだろうが……さすがにそんなことができるとは信じられんな」
「しかし、実際に信じがたいことが起きたわけですよね?」
「そう言われればそうなのだが……むしろ、こちらの世界の魔法によるものと考えた方が納得がいくように思う」
「グレートワーデンの魔法でも、そんなことができるとはとても思えませんがね」
「わしがロイドとして目を覚ます前、向こうの世界でことさら特別なことをやっていたとは思えんのだ。わしは会社勤めを引退した老後の身で、年金を頼りに静かに暮らしていただけだよ。直前の記憶はないが、普段と同じような一日を送っていたはずだろう」
「ロイドの方は、遺跡で気を失ったことがはっきりしている。俺たち自身が目撃したわけですからね。だとすれば、やはりこちらの世界に原因があると考えるのが妥当か……」
ジュリアーノが考えこむ。
ミランダが不満そうに言う。
「ちょっと、あたしの質問に答えてないよ。あんたがロイドを乗っ取ったのでないという証拠はないのかい?」
「……信じてもらうしかなかろう。しいていえば、わしにはロイドとやらを乗っ取る理由がない。余生を静かに送る心づもりだった人間が、どうして異世界の冒険者になりたいと思うものか」
わしはなんとか抗弁してみるが、ミランダの疑いは解けないようだった。
もともとわしは弁の立つ方ではない。会社では主に経理畑を歩んできた。趣味は歴史。自分で言うのも何だが、目立ちもせぬ地味な男だと思う。
その点、やることなすことが派手で、仲間からも慕われているロイド・クレメンスとは対照的だ。もっとも、その派手さゆえにロイドは危なっかしくもある。冒険者としてのランクが上がらないのも、あるいはそれが原因かもしれない。会社員としての目で見れば、ロイドは大きな仕事を任せるには不安を覚える相手なのだ。
「ミランダ、彼は嘘を言っていないと思うぞ」
ジュリアーノがミランダに言う。
これまで黙っていたアーサーも口を開く。
「けったいな話ではあるが、話を聞けば聞くほどこやつのじじくささが伝わってくるわい。引退したカイシャインと言っていたが、実際大都市の商家上がりのじじいどもによく似ている」
あんたもじじくさいだろうと言いたくなったが、ここは黙っていることにする。
「……しかたないね。あんたらがそう言うならひとまず信じておくとするかい」
ミランダがため息をとともにそう言った。
ジュリアーノが言う。
「だが問題はロイドのことだ。いや、ここにいる『ロイド』ではなく、ロイドの元の人格はどうなったかということだ」
ジュリアーノが右手の指を三本立てる。
「考えられる可能性は三つだ。一、ロイドの人格はサクラヅカ翁の中で生きているが、何らかの理由で表に出て来られない。二、ロイドの人格はサクラヅカ翁の中にはいない。二はさらに二通りに分類できる。二の一、ロイドの人格は身体を抜け出し、どこか別の場所に行ってしまった。二の二……ロイドの人格は既に消滅してしまっている」
ジュリアーノの声は徐々に沈鬱なものになっていた。
「ロイドが死んだって言うのかい!?」
「あくまでも可能性の話だ。サクラヅカ翁はどう思う?」
ジュリアーノがわしに話を振ってくる。
「……わからん。どの可能性もあるだろう。今のところ、わしの中にロイドの人格があるようには思えんが、あったとしてもおかしくはなかろう。もともとはこやつの身体なのだからな」
「二の可能性については?」
「否定はできん。現にわしがこうしてロイド・クレメンスの中に入っておるのだ。ロイドの方でも別の身体に入っているということもありえよう。身体に入らず、幽霊のように漂っている可能性もないわけではないが……」
「あなたの世界では幽霊というものは存在したのですか?」
「ない……と思うのだがな。このような現象を我が身で体験しては、何事にも自信がなくなるよ」
わしはため息をつく。
「……で、どうするんだ? ロイドは大切な仲間だが、その霊魂のありかを追うなどというのは一介の冒険者の手には余るわい」
「見捨てるって言うのかい!」
アーサーの途方に暮れたような言葉にミランダが噛みつく。
「わしだって助けられるものなら助けてやりたいよ。あやつに命を救われたこともある。じゃが、このような奇っ怪な事態となってはわしにできることなど思いつかんのだ」
「っ!」
苦渋を滲ませるアーサーを、ミランダはそれ以上責められない。
ミランダはその矛先をジュリアーノに向けた。
「ジュリアーノ! あんたなら何かいい知恵があるんじゃないかい!?」
ジュリアーノはミランダの視線を受け止め、しばし考えてから口を開いた。
「……ないこともないな」
「本当かい!?」
「本当か!?」
ミランダとわしの言葉が期せずして重なる。
「といっても、確実にどうにかできるとは言えないな。結局は人頼みになる」
「それでもいい! あたしはどうすればいい!?」
「ミランダにできることはないかもな。俺が思いつくのは、エルヴァの長老に相談してはどうか、ということだけだ」
「エルヴァか……」
エルヴァという種族は、ロイドの記憶によると、人間の倍以上の寿命を持っているという。
人間との無用の諍いを避けて森の中に隠れ住んでいるということで、会おうと思っても簡単に会える存在ではないらしい。
「正直、長老どもに頭を下げるのは気が進まないんだけどな……。だが、俺だってロイドのパーティメンバーだ。できることがあるならやってやりたい」
そういうわけで、わしらはジュリアーノの案内でエルヴァの隠れ里を目指すことになった。
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