8.ロイド・クレメンス、少女から事情を聞く
「――動くな!」
ギガアントを仕留めた俺の背後から、鋭い声がかけられた。
振り向く。
「げっ……」
そこには、ずらりと並び、拳銃を構えた警官たちがいた。
そして、ふしゅう……という音。
視線だけで振り返ると、倒されたギガアントが溶けて消えていくところだった。
グレートワーデンのモンスターは倒されることで消滅する。
一部部位だけは残存し、貴重な素材となることもあるが、基本的にはモンスターの死体は残らない。もとより、自然の理を外れた存在だ。驚くほどのことでもない。
だが、今の状況ではそれは都合が悪かった。
「な、消えた……?」
警官のひとりがつぶやく。
警官に目撃されたのは都合がよかった。うまくすればスカイツリーの防犯カメラでも確認できるかもしれない。
しかし、巨大な蟻型の化け物が現れた。こんな突飛な話を、この場に居合わせなかった日本人が信じられるものだろうか。
あれは集団幻覚だった。そんな理屈をつけて、目の前にいる刃物をぶらさげた老人を犯人に仕立て上げるのではなかろうか。
「ちっ!」
そう分析し、俺はとっさに判断する。
スカイツリーの展望ガラスに、白熱斬りで斬りつける。日本刀でガラスを四角く切り抜き、そこに蹴りを入れようとして思いとどまる。これをそのまま落としたら、下にいる人間が危険だろう。俺は白熱斬り状態の日本刀でガラスを突き刺し、力を入れてこちら側へと引き倒す。
「な、何をしている!」
「すぐにやめなさい!」
警官が今頃になって制止してくるがもちろん無視。
ガラスの穴から強風が吹き込んでくる。
俺はその穴に、恐れ気もなく身を乗り出す。
「自殺する気か!」
「止めろ!」
警官が駆け寄ってくるが、俺が宙に飛び出す方が早かった。
俺の身体が重力にとらわれる。
耳元で風がうなりをあげる。
飛び出した元の展望台がどんどん遠ざかっていく。
もちろん、このままでは墜死する。
「風の結界よ!」
ごうっ、と音を立てて、俺の身体を風の結界が包む。
結界は下からの風圧を受けて扁平状に変形する。
この世界風に言えば、この風の結界は、簡易なパラシュートにもなるのだ。
崖から飛び降りたりすることもある辺境ではよく知られた技術だった。
とはいえ、これほどの高度から飛び降りた経験などもちろんない。
俺は魔力が続くか心配したが、桜塚猛の魔力は大したもののようだった。あれだけ魔法を連発した後だというのに、風の結界を問題なく維持することができている。
時間にして十数秒で、俺はスカイツリーのふもとへと着地した。
ふもとには何台ものパトカーや救急車が集まっていた。
さいわい、俺の着地を目撃した者はいないようだ。
ちょうど救急車に怪我人が運び込まれるところで、その場は騒然としていた。
俺は日本刀を仕込み杖に戻すと、せいぜい無害な老人に見えるように祈りながら、その脇をすり抜けた。
そのまま帰ろうとして、俺はふと思い出す。
「あのガキを置いてきちまった」
俺の置かれた状況について、何か知っていそうだった淫靡な雰囲気の少女。
警官から逃げることを優先して、彼女を回収するのを忘れてしまった。
引き返すべきか?
一瞬迷ったが、俺は警官たちに人相を知られてしまっている。桜塚の記憶によれば、この国の警察は大層優秀らしい。桜塚に前科はないから写真と照合されるおそれはないと思うが、しばらくはおとなしくしているべきだろう。
……と、思っていると、スカイツリー側の路地から、当の少女が現れた。
「ひどいじゃない、置いていくなんて」
少女が笑う。
「スカイダイビングに付き合わせるわけにもいかんだろ」
「あら、それも素敵ね。わたしも誘ってくれればよかったのに」
「どうやってあそこから出てきた?」
関係者は警察に事情を聞かれるものじゃないのか。
「面倒だから、あの人たちには一連の事件を忘れてもらったわ」
「忘れ……」
とんでもないことを言い出した少女に絶句する。
俺の様子に構わず、少女が言った。
「こんなところで話すのも野暮だわ。どこかお店に入らない?」
俺は少女の要望を断り、自分の家――いや、桜塚猛の家へと戻ってきた。
急須で茶を淹れ、不満顔の少女の前に置く。
「……わたしはお店と言ったはずだけれど?」
「おまえみたいな目立つ奴と店に入れるか」
俺自身、警察によって手配されているかもしれないのだ。
そんな目立つ真似ができるわけがなかった。
警察に事件のことを「忘れさせた」と少女は言ったが、その言葉を真に受けるほど俺はお人好しではない。
「さて、説明してもらおうか。俺はどうしてこの見知らぬじいさんの中にいる!? しかもこの世界は何だ! ここはグレートワーデンじゃないのか!?」
わからないことだらけで、鬱憤が溜まっていたのだろう。
俺は気づいたら少女に詰め寄っていた。
少女はたじろぐ様子もなく口を開く。
「そうね。どこから説明したものかしら?」
冷静な少女の様子に、俺の方も頭が冷えた。
「そうだな。まずはあんたの正体を教えてくれ。どうして俺のことを知ってるかも、だ」
ここに至って、俺は未だにこの少女の名前を知らなかった。
少女が言う。
「わたしの名はオスティル。グレートワーデンで双子神と呼ばれる神の片割れよ」
少女の言葉に、俺は驚くよりも当惑した。
「神、だって?」
「何を驚くことがあるのかしら、ロイド・クレメンス? あなたのことを知っていて、別の世界に現れることができる存在なんて、神の他にいないでしょう」
「……そんなこと俺が知るかよ」
だが、少女の言い分はもっともだ。
神かどうかは知らないが、それくらいの存在でなければ、グレートワーデンから名前のないこの世界へとやってくることなんてできないはずだ。
「じゃあ、あんたが神だとして、俺は何だ? 俺はどうしてここにいる?」
「落ち着きなさい、ロイド・クレメンス。疑問には答えるけれど、物事には順序があるわ」
「それなら、順序どおりに話してくれ。信じる信じないはその後でいい」
「あら、まだ信じないの?」
「当然だろ」
私は神です。そう言われてそいつの言葉を真に受ける奴がいたら見てみたいものだ。
「最初に説明するべきなのは、コンジャンクションのことでしょうね」
「コンジャンクション……?」
「どちらの世界にも概念すら存在しない事象ね。
「わけがわからん」
「神であるわたしにも完全に理解できているわけではないわ」
そう前置きして、少女――オスティルが語る。
「コンジャンクション。それは、世界と世界の衝突事故のようなものよ。地球を含むこの世界と、グレートワーデンが衝突した。世界を包む気泡同士がぶつかりあい、
「……よくわからんが、とんでもないことなんじゃないのか?」
「とんでもないことよ。一歩間違えばどちらの世界も滅んでいたことでしょうね」
「どうしてそんなことが起こったんだ?」
「さあ?」
「さあって」
「コンジャンクションの原因なんて、所詮は世界内存在にすぎない神には知りようがないわ。世界泡沫の存在する〈虚ろなる海〉における自然現象のようなものらしいのだけれど」
「まったくもってわけがわからん」
ここにジュリアーノの奴がいたら、喜々として食いついたかもしれないが、あいにく俺は世界の成り立ちなんぞには興味はない。
「コンジャンクションが起こったのは、あなたがわたしの封印されていた方舟の最奥に踏み込んだ瞬間のことだった……といえば、少しは興味が湧くかしら?」
「何だって!」
あの遺跡の最奥で何があったのか。俺にはその記憶が一切ない。
「記憶がないのではないわ。コンジャンクションによってあなたと桜塚猛という類似した構成要素同士が衝突し、魂の中核部分が転移を起こしたのよ。その衝撃で、その前後の記憶は世界泡沫の彼方に消えてしまったのでしょう」
「俺と桜塚が似てるって?」
「人間、という意味では同じでしょう?」
「そりゃそうだが」
「コンジャンクションの時に、同じような事象が数千、数万というオーダーで発生しているわ。その多くは何事もなかったか悲劇的な結末を迎えたか。人格の入れ替わりが起こり、かつそれが定着したのはあなたたちのケースだけね」
「どうして俺と桜塚だけが……」
「入れ替わりに耐えうる魂の強度を双方が持っていたから、よ」
「魂の強度?」
「困難に打ち克つ精神の強さ……かしらね。この世界の言葉で言えば、レジリエンスというのがいちばん近いかしら」
その言葉は桜塚猛の記憶にはなかった。
「どうすれば元に戻れる?」
「無理よ」
「は?」
「無理」
「マジで?」
全身から力が抜けた。
戻れない。俺はこの老人の身体の中で異世界で余生を送るしかないというのか。
「ただ、ひとつだけ、方法がないこともないわ」
「本当か!?」
「ただし、その方法でも、元の身体に戻るのは難しいでしょう。それでも聞きたいかしら?」
「くっ……」
一瞬たじろぐ。
が、聞かなくてもいいことなど一切ない。
「教えてくれ」
「そもそも、わたしがなぜ、こちらの世界にいるか、わかるかしら?」
オスティルははぐらかすように言った。
しかし、言われてみればそうだ。なぜグレートワーデンの神であるオスティルがこの世界にいるのか。
いや……そうか。
「あんたもコンジャンクションでこっちの世界に弾き飛ばされたってことか」
「その通りよ。同時に、わたしの片割れであるオストーもこの世界に飛ばされたはず」
「オストー?」
オスティルがうなずく。
「わたしたちは双子神。善き神オスティルと、悪しき神オストー。わたしたちは抱き合わせにされることで双方の力を封じられた。神を失ったグレートワーデンには善も悪もなくなり、人の世が始まった」
「聞いたことがあるような、ないような……」
神話なんて、辺境で生きていく上で何の役にも立たない。
それこそ学者くずれのジュリアーノか、ドワーフのアーサーなら何かを知っていたかもしれないが。
「コンジャンクションによって、あの遺跡――方舟に封じられていたわたしたちは解き放たれた。ただし、グレートワーデンではなく、この世界に向かって、ね」
オスティルの言葉を反芻する。
そして気づく。
「まさか……そのオストーとかいう悪しき神が、この世界で野放しになってるのか?」
「そういうこと。知識はないけど、頭は悪くないのね、ロイド・クレメンス」
下手なお世辞を無視して聞く。
「じゃあ、あんたはそのオストーを探して、また抱き合わせになって封印されるつもりか?」
「それが、わたしの役割だから」
気負いなく、少女が言った。
自分を犠牲にしても、悪しき神を封じる、か。
それが本当だとしたらオスティルはたしかに善き神なのだろう。
「それで、それがどう俺に関係するんだ?」
「双子神を封印できる聖櫃は、グレートワーデンにしかないわ。わたしたちは抱き合わせになった瞬間から、聖櫃の重力に捕らわれる。その力は世界と世界の狭間を超えられるほどに強いものよ」
「世界と世界の狭間を超える……」
「その時に、あなたと、あなたのカウンターパートの再入れ替えを行うことができると思うわ。人格だけ入れ替えることができるか、身体ごと入れ替えることしかできないかは、やってみないとわからないけれど」
「カウンターパート? ああ、そうか。ロイド・クレメンスとしての俺の身体に、今は桜塚猛の人格が入ってるってことになるのか」
「そういうことよ」
オスティルがうなずく。
桜塚猛はあの厳しい辺境に適応できるのだろうか?
なにせ、あのクソ孫の言いなりになってたような気の弱い老人なのだ。
俺の身体で死なれたりしたら困ったことになる。
ああ、でも、ミランダたちのことだ。事情を知ったら放ってはおかないだろう。
どちらにせよ、こっちの世界にいる俺にできることは何もない。俺は俺の問題を片付けるしかないのだ。
「ってことは、何か? おまえは、俺に悪しき神オストーを探して封印する手伝いをしろと?」
「察しがいいわね、ロイド・クレメンス」
「……このじじいの身体で?」
「たしかに歳は取っているけれど、取り柄のない人間ではないことは、あなた自身が知っているでしょう?」
「魔力のことか」
桜塚猛には高い魔力がある。
グレートワーデンに生まれていれば一流の魔術師になれただろう。
「協力と言っても、何をすればいい?」
「露払いを」
「何だって?」
「わたしは神だけれど、オストーを封じる他にできることは限られているわ。わたしには戦う力もない」
「こんな年寄りを戦わせる気か?」
「わたしの方が年寄りだわ」
心持ち得意気に、オスティルが言う。
「そりゃそうだろうが……じゃあ、俺はあんたをオストーのところまで連れて行けばいいんだな?」
「そうよ。そこから先はわたしの番ね」
「あんたは確実にオストーに勝てるのか?」
「勝てるわ」
「どうして?」
「オストーは悪を働くために力を使わざるをえない。わたしはオストーを封じるためだけに力を使う。だから、わたしに見つかった時点でオストーの負けが確定するわ」
「なるほどな」
納得しかけてから思い直す。
「でも、オストーはあんたの接近を阻むために力を使えるわけだよな?」
「…………」
オスティルが無言になる。
「そうじゃなくても、オストーが『悪を働く』としたら、それだけこの世界が混乱するってことだよな?」
「…………」
オスティル、やはり無言。
「そんな中で、俺は70億以上の人口があるこの地球の中から、オストーひとりを探しださなくちゃならないんだな?」
「…………」
オスティル、さらに無言。
「オスティルはオストーを封印するための力を残しておく必要があるから、オストーの捜索には基本的に協力できないってことなんだな?」
「…………」
無言。
オスティルの端整な顔を汗がつたう。
「……まぁ、なんとかなるわよ」
「無茶振りじゃねえかああああああっ!」
俺の絶叫が桜塚家に響き渡った。
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