7.ロイド・クレメンス、東京スカイツリーでモンスターと遭遇する
「――ぎゃああああっ!」
展望台の反対側から悲鳴が聞こえた。
振り返ってみると、反対側からこちら側に、観光客たちが雪崩れ込んでくる。
観光客は顔に恐怖を浮かべ、口々に悲鳴を上げている。悲鳴のいくつかはこの国の言語ではないようだ。
「……やっぱり、現れたわね」
「現れた? 何が?」
「モンスターよ」
「はっ? ここは日本だぞ?」
「疑うなら、見てみればいいわ」
少女の言葉に、俺は悲鳴の源泉へと目を向ける。観光客たちはエレベーターに殺到していた。が、エレベーターはなかなか来ない。恐慌に陥る観光客たちの背後から、
「ギガアント!?」
それは、巨大な赤色の蟻だ。
体高は人の背丈ほどもある。口には鋭利な一対の牙がついていて、キングタートルの甲羅くらいならやすやす噛み砕いてしまう。
そして――言うまでもなく肉食だ。とくに人肉を好んで食べるということで忌み嫌われているモンスターだった。
ギガアントはその頑強な顎にさっきの若い男を咥えていた。
「いでえよぉ!」
脇腹を咥えられたチンピラは両手でギガアントの顎を外そうともがく。
ギガアントはびくともしない。
ギガアントは一度食いついたら滅多なことではその獲物を離さない。同時に、一撃では獲物を殺さない。獲物の仲間に苦しむ姿を見せて動揺を誘うためだと言われている。ギガアントは、仲間を救おうと無理をした者から順に殺していく。ジュリアーノによれば、ギガアントに知能はさしてなく、ほとんど本能でそうしているらしいが。
「チッ! 動くなよ!」
俺は手にした杖を腰だめに構えると、持ち手をひねって引っ張った。
杖から抜けたのは白刃だ。
刃渡りは70センチほど。俺(ロイド・クレメンス)があっちで使っていた片手剣と同じくらいの長さがある。
間違いなく銃刀法に引っかかるシロモノだ。
こんなものを真面目一辺倒の桜塚が持っていたのは意外だった。
大学の史学部時代の悪友が、老後の道楽に刀鍛冶を始め、手ずから打った一本を仕込み杖にして桜塚にプレゼントしてくれたようだ。
素人の道楽で打った刀がどれほどのものかと思ったのだが、波打つ波紋には透明感があり、サヴォンで使っていた数打ちの片手剣よりよほど切れそうに見える。
「下がってろ。……いや、この隙に逃げろ。邪魔だ」
俺は抜身の刀を構えて少女に言う。
居合という技術があることは知ってるが、俺も桜塚もその手の技術はもってない。
それなら、俺(ロイド・クレメンス)のやり方で使わせてもらおう。
「サンドストーム!」
俺は左手をギガアントに向けて呪文を唱える。
虚空から現れた砂嵐がギガアントを襲う。
「ぎゃああああっ!」
チンピラが悲鳴を上げる。素肌でサンドストームを受けるとやすりをかけられたような酷い痛みに襲われる。肉に砂利が食い込むと回復魔法をかけるのも一苦労だ。
もちろん、サンドストームでは硬い甲殻を持つギガアントにダメージを与えることはできない。
しかし、目くらましくらいにはなる。露出した巨大な複眼はギガアントの弱点のひとつなのだ。
「シッ!」
サンドストームから頭をそらしたギガアントに一息に近づく。
視野角の広い複眼の死角に潜り込む。
桜塚猛の70の身体は、これだけの動きでも悲鳴を上げている。
俺は地面に片手をついてなんとか勢いを殺しながら、手にした刀で掬いあげるような斬撃を放つ。
狙いはギガアントの脚の関節だ。
白刃がギガアントの茶色い関節に食い込んだ。
――シャアアアアッ!
ギガアントが悲鳴を上げる。
ギガアントの顎が外れ、若い男が跳ね飛ばされた。
男は気を失っているようだ。
一方、俺は食い込んでしまった刃が抜けずに困っていた。
トドメが刺せない状況では食い込まないように撫で斬るのが剣術の基本だ。
それができなかったのはこのいまいましい老人の身体のせいだった。
「くそがっ!」
俺はギガアントの脚に足をかけて強引に刀を抜き取った。
暴れるギガアントの脚をなんとかかわしつつ後方に下がる。
「なかなかやるじゃない、ロイド・クレメンス」
「なんで残ってやがる!」
そこにはなぜか少女が残っていた。
「でも、辛そうね?」
「ったりめーだろ、今の俺は70のジジイなんだぞ!」
俺は少女に言い返しながらサンドストームを放ってギガアントを足止めする。
再び死角から近づき、別の脚の関節を斬る。
今度はうまく撫で斬ることができた。
これで2本。
ギガアントは脚が8本もある。
動きを止めさせるには最低でも半分の脚は潰したい。
が、
「ぜぇ、ぜぇ……」
情けなくも、俺は息が完全に上がっていた。
「さ、サンドストーム!」
砂嵐でギガアントを牽制するが、足が動かなくて接近するチャンスを逃してしまう。
「くっそ! 魔力が無駄になった!」
ギガアントの攻撃。
身を投げ出してかろうじてかわす。
そのまま地面を転がる。
直前までいた場所にギガアントの脚が突き刺さった。
急いで起き上がろうとするが、起き上がれない。
最近は朝布団から起きだすのも一苦労だ、という桜塚猛の有りがたくもない記憶が浮かんでくる。
「ファイアアロー!」
しかたなく俺はギガアントの複眼めがけて魔法を撃ち込む。
ギガアントは驚きの悲鳴を上げながら後退する。
その隙に全身に気合を入れて起き上がる。
起き上がるだけのことにこんなにも気力を奪われたのは初めてだ。
……こんなことなら、サヴォンでももっと年寄りをいたわってやればよかった。
「ちくしょうっ! 年寄りをいたぶりやがって!」
怒りとともに斬りつける。
が、日本刀はギガアントの硬い殻に弾かれた。
「くっ……」
ヤバい。
これは詰んでる。
こちらの攻撃はギガアントにダメージを与えられず、向こうの攻撃は一発でも食らったら即アウト。そのくせ身体がジジイなものだから一度避けるだけでも体力をごっそりと持っていかれる。
桜塚は散歩を日課にしていたようだが、その程度の体力でモンスターと渡り合えるわけがない。
「苦労してるわね、ロイド・クレメンス」
少女が言う。
この少女は逃げるでも加勢するでもなく、ただ俺の戦いを見ているだけだ。
「こんな身体でどうしろってんだ!」
思わず毒づく。
「そうかしら? 失ったものばかりではないでしょう?」
「何……?」
少女と会話している間に、ギガアントが脚を振り下ろしてくる。
こいつの攻撃パターンは脚の振り下ろしと強力な顎による噛みつきだけだ。虫だけに単調で、実力のある冒険者なら危なげなく処理することができる。もちろん、万年D級と揶揄されてはいたが、俺だってそれなりに経験を積んでいる。ギガアントくらい、本来なら自分一人で倒せていたはずだ。
しかし、いかんせんこの身体。平和な日本で引退後の平穏な暮らしを送っていた老人の身体では、俺の経験も生かしようがない。
ぶん、と音を立てて振り下ろされる脚。
俺は再び転がってかわそうとしたが、片足に痛みが走った。くじいたらしい。
正面から脚が迫ってくる。
先端の鉤爪が大写しになった瞬間に、俺はかろうじて魔法をねじこんだ。
「清流の盾よ!」
どこからともなく現れた水流が、ギガアントの脚を横へと押し流す。
どころか、ギガアントの本体すら押し流してしまう。
いつもと違う感触に、俺は思わず硬直した。
「ほら、あるものでしょう? 桜塚猛は入れ替わりに巻き込まれた人間よ? 魂の強度が入れ替わりに耐えられるくらいなのだから、無能なはずがないわ」
少女の言葉にハッとする。
……いや、ほとんど何言ってるかわからなかったが、気づいたのだ。
――この身体は、俺の身体ではない。
魔法戦士を目指していた俺は、当然魔力にもそれなりの自信があった。
が、俺の清流の盾にはこんな威力はない。
サンドストームは威力固定型の魔法だ。砂嵐なんて、いくら強くしたって限度があるからな。
一方、清流の盾は魔力消費によって威力を上げられるタイプの魔法だ。
今の清流の盾はとっさのことで、威力を加減できなかった。
それだけに、この「身体」の本来の魔力量にふさわしい威力で発動したのだ。
「……なるほど。このじいさんはキャスター(魔法使い)タイプだったのか」
しかし魔法の知られていないこの日本でキャスタータイプとは……。
この世界の言葉で言えば、まったくの「宝の持ち腐れ」ではないか。このじいさんの不遇っぷりには同情を禁じえないな。
ギガアントは清流の盾に押し流され、スカイツリーの丈夫な柱に激突している。
脚の一本が折れ曲がり、苦悶の悲鳴を上げていた。
「よし、覚悟しろよ、ギガアント」
俺はその隙に、日本刀を構えて呪文を唱える。
――呪文。
無詠唱による発動が当然のテクニックとなった今では使う者はほとんどいない。
が、一部の強力な魔法には必須の技術。
俺はいざという時の切り札として、たったひとつの呪文を繰り返し繰り返し練習してきた。
「光と炎の精霊よ、我がつるぎに宿り、その大いなる霊威で我が敵を滅ぼし給え」
俺の手にした日本刀が、白い炎に包まれた。
俺は動けないギガアントへと接近する。
日本刀は頭上へ。
そこから縦一文字に振り下ろす。
「――白熱斬り!」
俺の放った一撃は、ギガアントの頭部を真っ二つに切り裂いていた。
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