5.ロイド・クレメンス(17)、日本で考える

 グレた孫を追い払い、落ち着いて考え直した結論はこうだ。


 ――元の世界に帰りたい。


 異世界に来ちまったことも問題だが、桜塚の知識と年金があるから食っていく分には問題ない。桜塚猛の送るはずだった静かな余生を過ごせばいいだけだ。

 だが、問題はこの身体だ。

 とにかく動かない。動けない。今更鍛えることも難しい。どころか、日常生活ですら怪我や病気をしないよう細心の注意が必要だ。

 冒険者として身体を動かすことを仕事にしていた俺にとって、これはとんでもない苦行だった。

 だいたい、何が悲しくて、17歳の俺がいきなり70歳にならなくちゃならないのか。


「……どうしてこうなった?」


 記憶をたどる。

 ええっと、いつものメンバーでクエストで指示された遺跡に乗り込んだことまでは覚えている。

 遺跡の様式は珍しいものらしく、普段は冷静沈着なジュリアーノがいつになくはしゃいでいた。

 罠はジュリアーノの知識とアーサーの手先の器用さで解除して、俺たちは問題なく遺跡を進んでいった。

 そして――


「そうだ、遺跡の最奥とおぼしい部屋に入って……んん? どうしたんだったか……」


 必死に記憶をたぐるが、浮かんでくるのは断片的なイメージだけだ。

 頭に走った激痛、迫る床、やたら遠く聞こえる仲間の声、そして、


「……誰だ、この女は?」


 冷たい笑みを浮かべる女――いや、少女か。

 その顔が大写しになったイメージが脳裏に浮かんだ。

 少女は14、5歳くらいだろう。長い銀髪、紅色の虹彩。透き通った鼻梁と形の整った唇。十人中十人が美少女と言うだろう。


「こうしててもしょうがねえ。ひとつ、この街を見てみるとするか」


 この街――東京という名の何千万人もの人間を抱える巨大都市を一望できる場所はないか。

 桜塚猛の記憶にそれらしい場所があった。



 というわけで、俺は東京スカイツリーにやってきた。

 平日だったおかげで入場券はすぐに買うことができた。

 案内されるままにエレベーターに乗り、しばらくするともう地上数百メートルという展望スペースへとたどり着く。


「おおっ! こりゃすげぇ!」


 視界は一面の青空が広がっていた。

 その下には見渡すかぎりに灰色の建物が並んでいる。その多くは4,5階建て以上の堅牢なコンクリートの建物だ。それらのすべてに水道と電気と冷暖房がついている。また、遠く新宿の方には何百メートルという高さの高層ビルが林立しているのが見えた。

 桜塚猛の記憶によれば驚くほどのことではないようだが、辺境の街に生まれ育った俺(ロイド・クレメンス)は顎が落ちるほどに驚いた。


 この国は、途方もなく豊かだ。

 それは何も建築物に限った話じゃない。

 さっき、ここに上がってくる前に、フードコートでうどんを食べた。

 うどんに天ぷらをつけて500円。

 サヴォンの通貨に換算すれば、銅貨10枚ってとこか。

 しかもうどんも天ぷらもかなり旨い。辺境なら貴族様行きつけのレストランででもなければ食えない味だろう。


 俺が暮らしていた辺境の街は生きることに精一杯だった。

 うまいものを食いたいとか、いい家に住みたいとかは二の次、三の次だ。

 冒険者はその名の通り危険を冒すことが仕事だが、それ以外の人間だって安全だとは言いがたい。むしろ辺境で戦う術を知らない者は、強い者の餌食にされやすい。だから、俺は冒険者を目指した。人間のクソ野郎に喰い物にされるくらいなら魔物と戦って死んだ方がマシだ。


 とはいえ、嫌々冒険者をやっていたわけではない。

 むしろ、俺には向いていると思っていた。

 命をかけてモンスターと渡り合い、ついに仕留めた時の興奮。

 ダンジョンと化した古代遺跡を探索し、未知の古代遺物を持ち帰った時の誇らしさ。

 クエストの後に仲間と酒場で騒ぐ時の充実感。

 どれも、普通に暮らしていては得られないものだったと思う。


 普通に暮らしていたら――つまり、桜塚猛のように暮らしていたら、ということだ。


 この東京は、驚くほど複雑に発達した大都市だ。

 グレートワーデンのどこを見渡しても、これほどの都市は存在しないだろう。


「軒を並べ、いらかを競う……か」


 桜塚の記憶によれば『方丈記』という千年近く昔の書物の一節だ。

 桜塚は歴史が趣味だった。とくに源平合戦に興味があったらしい。桜塚の人生観は一言で言えば「諸行無常」。若いうちから年寄りじみた精神の持ち主だったようだ。


 だが、ここからこうして東京の街並みを見下ろしていると、桜塚の気持ちもわからなくもない。


「ゆく河の流れは絶えずして、だな。桜塚の覚えてるここ数十年だけでもとんでもなく変化してるが、全体として『東京』であることは変わってない」


 この発達した都市は、驚くほど安全で、驚くほど衛生的だ。

 働いてさえいれば、毎月食うに困らないだけの給金がもらえる。


 しかしだからこそか、人と人の関係は複雑だ。

 何もかもが剥き出しだったサヴォンのような辺境では、人間関係は敵か味方かだ。


 東京は違う。敵とも味方ともつかない中途半端な関係。いや、味方のような顔をした敵がいたり、敵のはずの相手と味方でいなければならなかったりする。同じ会社に属する人間は広い意味では味方のはずだが、日々の関係の中では敵でもありうる。


 そんな複雑怪奇な人間関係の中で、俺と入れ替わったらしい桜塚猛という男は35年もの歳月を過ごしてきた。目立たないように、目立たないようにとそれだけを心がけて、長いサラリーマン生活を務め上げた。


「35年……かよ」


 目がくらみそうだ。辺境では35まで生きられない奴がざらにいる。サヴォンの住民の一生にも匹敵するほどの年月を、桜塚猛は自分の務める会社へと捧げていた。


 会社は桜塚猛にさまざまな理不尽を押し付けた。急な転勤などは序の口だった。桜塚が大人しいのをいいことに、誰からも嫌われる上司のもとに桜塚を押し付けたこともあった。桜塚はほとんどうつになりかけ、この時は本気で退職を考えていた。妻である葉子が夫の異常に気づき、死にものぐるいで精神科医やカウンセラーを探し、桜塚は危ういところでなんとか持ちこたえることができた。リストラをちらつかせ、まだローンの残る持ち家と妻子から離れて単身赴任するよう強いたこともある。2人の子どもはそれぞれ就職活動と受験を控えていて、葉子は非常に不安がったが、桜塚は従わざるをえなかった。にもかかわらず、桜塚は結局肩を叩かれることになった。会社の業績悪化にともない、早期退職を勧告されたのだ。それは任意の形を取ってはいたが、事実上の強制だった。一応定年までの残り年数に応じて退職金が割増されたことを思い出し、桜塚のために、俺はなんとか胸を撫で下ろすことができたが……。


「俺なら3ヶ月で……いや、3日で辞めてるかもな」


 この国は豊かだが、この国に生まれなくてよかった。

 砂埃の舞うサヴォンの街に戻りたい。


「やっぱり俺は辺境の人間だよ」


 俺はため息とともに眼下の東京から展望スペースへと視線を戻す。

 そこに――いた。

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