3.桜塚猛(70)、異世界で目を覚ます

 目が覚めると、わし(桜塚猛)は粗末なベッドの上にいた。


「――気がついたか!?」


 むさくるしいヒゲ面の男が、わしの顔を覗き込んで叫ぶ。


 男――いや、アーサー・ケスト。のパーティメンバーだ。


 ……俺? わし・・は社会人になるまでは「僕」、若いうちは「私」、50を超えてからは「わし」を使っている。

 だいいち、わしには西洋人の知り合いなどいない。


 そもそも、「パーティ」とは一体何のことだ?

 得意先のパーティに招かれたことなら何度もあるが……。


「おーい、ロイドが起きたぞ!」


 アーサーが胴間声を上げる。

 ドタドタと物音がして、部屋に二人の男女が現れた。

 パーティメンバーの女戦士ミランダと、エルフの学者ジュリアーノ。

 ここ数年で見慣れた顔だった。


 いや、わしにとっては初対面なのだが……。


「どうした、呆けて。どこか調子が悪いのか?」


 ジュリアーノが心配そうに言ってくる。


「遺跡でいきなり倒れたからねぇ。何がどうなったかわからなくて混乱してるんだろ」


 ミランダが言う。


「そ、そうだ。わし……いや、俺も混乱してるんだ」


 遺跡? 一体何の話だ?

 たしかにわしは歴史が趣味で、神社仏閣や遺跡を巡ることもある。が、ここ最近は孫の問題で息子夫婦と揉め、あまり外出はしていなかった。


 しかし、「遺跡」と言われて記憶の底からある光景が浮かび上がってくる。

 ピラミッドか古墳の石室のような空間。

 いや、それらよりも天井が高く、横幅も広い。

 そんな遺跡の中をモンスターを警戒しながら進む俺たちパーティ。


 混乱する。

 これではわしの中に別人の記憶があるようではないか。


 だが、記憶は芋づる式に蘇る。

 そうだ、俺はロイド・クレメンス。17歳の、万年D級冒険者。

 ここ数年の冒険の日々が高速でフレッシュバックしていく。

 わしは、ロイド・クレメンスなる少年の、冒険者になってからの記憶を取り戻していた。

 もともとなかったものを「取り戻す」というのもおかしいが、そうとしか言いようにない感覚だった。


 ……これは、一体どういうことだ?


「ともあれよかった。まったく、遺跡の奥で突然絶叫して白目を剥いた時には絶対呪われたと思ったぜ」


 ジュリアーノが胸を撫で下ろす。


 ロイド・クレメンスなる少年の知識では、遺跡には呪いがかけられていることがあるようだ。

 ジュリアーノは解呪のエキスパートでもあるが、当然解けない呪いも存在する。


「遺跡の奥で何があった……?」


 わしは知らずつぶやいていた。

 ミランダが答える。


「わからないね。あんたは最奥の間に入った途端、意識を失った。続いて入りかけていたあたしたちは慌てて足を止めて様子を見た。薄情なんて言うなよ?」

「言わんよ。当然の判断だろう」


 もしロイド・クレメンスが何らかの罠にはまったのだとしたら、二重遭難を避けるために警戒するのは当然だ。

 少しじじくさい口調になったが、仲間たちは気にしなかったようだ。


「真っ先に警戒したのは呪いだ。俺は呪術が発動した気配は感じ取れなかったけどな」


 ジュリアーノが言う。


「念のためジュリアーノが周囲を調べ、罠なしと判断してから、わしが最奥の間に飛び込んでおまえさんを引っ張り戻したのだ」

「それは……世話をかけたな」


 アーサーの言葉に答える。

 ジュリアーノが調べたとはいえ、未知の罠が残っている可能性もあった。

 にもかかわらず、アーサーは最奥の間に飛び込んでロイドを助けてくれたのだ。


「なに、そのための仲間だ。この件は大きな貸しだと思っておくよ」

「なんだ、借りにはされるのか」


 苦笑して言い返すが、それがアーサーなりの照れ隠しであり気遣いであることはもちろんわかっている。

 こうして話してみると、わしは不思議なほど自然に初対面の彼らの仲間を演じることができていた。


 ……これは、ひょっとして夢なのだろうか?

 どうせ夢を見るなら、こんなわけのわからない世界ではなく、信長のいる戦国時代にでも飛ばしてくれればいいものを。平将門の時代か、承久の乱でもいい。わしは近代戦にロマンは感じないから、太平洋戦争に放り込まれるのは勘弁してほしいが。


 いや、わかっている。

 これは夢ではない。

 こんなに現実感のある夢を見たことなど、70年の人生のうちで一度もない。


 その70年の記憶。

 ロイド・クレメンスの数年間の記憶。

 そのふたつは脳内でちゃんと区別されているようではあるが、意識に両方の記憶が想起されるので混乱する。

 記憶をさらに探ろうとすると、脳に鋭い痛みが走った。


「うっ……」

「お、おい大丈夫か?」


 ジュリアーノが心配げに聞いてくる。

 ジュリアーノは冷静沈着そうな見た目に反して情に厚い。

 わしが倒れている間もずいぶん心配してくれたのだろう。


「……どうも、調子が悪そうだね。あたしらはいったん退散して、休ませた方がよさそうだ」

「だな。俺たちは隣に部屋を取ってるから、何かあったら大声を出せ」


 ミランダとジュリアーノが言い、三人が部屋を出て行った。




 わしは粗末な部屋の中で、いろいろなことを考えた。

 身体を動かし、ガラスのない窓から外の光景を観察した。

 事実は疑いないように思う。

 すなわち、


「わしは今、17歳の冒険者ロイド・クレメンスになっている。正確には、ロイド・クレメンスの身体の中に入っている。ロイドの記憶も持っている」


 つぶやきながら、部屋の中を歩きまわる。


「しかし一方で、意識はわし――桜塚猛のものだ。ロイドの記憶はあるが、ロイドの意識はないようだ」


 わしは窓の外をもう一度見る。

 この部屋は二階にあるようだ。窓から見えるのは、中世ヨーロッパ風の町並みだ。ただし、石造の家と干し煉瓦の家が混在している。現代の中東の田舎町の方が雰囲気的には近いかもしれない。


「ロイドの知識によれば、この世界はグレートワーデンというらしい。グレートワーデン。聞いたこともない。だいたい、『この世界は』というのはどういうことだ? こことは違う世界がある? わしの住んでいた東京、日本、あるいは地球は、グレートワーデンとは異なる世界にある? つまり、ここは『異世界』なのか?」


 馬鹿げている。

 わしの常識からすればそういうことになる。

 しかしロイド・クレメンスにとってはこれは当然のことなのだ。


「ロイドは東京のことも、日本のことも、地球のことも知らない。異世界があるということも知らないようだ」


 謎だらけだ。

 その謎を解く鍵は、やはり彼らの言っていた「遺跡」ということになる。


 しかし、肝心のその部分に関しての記憶が曖昧だ。

 途中まではロイドの記憶にある。

 が、最奥の間に入る前後の記憶が見当たらない。


「むむむ……」


 何より問題なのは――元の世界への戻り方がわからないことだ。

 ロイドの知識を見る限り、このグレートワーデンという世界は70の年寄りには過酷すぎる。

 元の世界に帰って、年金を頼りに歴史小説を読み、名所旧跡を巡る悠々自適の生活に戻りたい。


「遺跡、遺跡か」


 そこに行かないことには始まらないだろう。

 ひょっとしたら、その最奥の間にもう一度入れば元の世界に戻れるかもしれない。




「もう一度遺跡に行きたいだって?」


 ミランダが理解できないという顔をする。


「結局ロイドには何もなかったようだが、あの遺跡には何か危険があるのかもしれない。正直、もう一度行きたいとは思えないね」


 ジュリアーノも反対のようだ。


「だが、わしが入った時には何もなかった。ロイドの不調も、本当に遺跡の罠だったとも限らん。緊張が極まって倒れることも、まれにだがあるという話だ」


 アーサーは楽観的な見方をしている。


 わしはロイドの知識を動員して説得の言葉を考えた。


「どちらにせよ、遺跡は誰かが調査する。せっかく最奥まで到達したってのに、手柄を他人に渡しちまうつもりかよ?」

「それは……」

「俺が引っかかったことで、最後の罠はもうなくなったんじゃねぇか? あそこに残ってるのはもうお宝だけかもしれねぇ。他の冒険者が目をつけないうちに回収しないと倒れ損だぜ」


 わしの言葉に、ミランダとジュリアーノが考えこむ。

 ロイドによれば、二人とも経験のある冒険者で、慎重な判断ができる人物らしい。

 とはいえ、彼らは冒険者。ハイリスクハイリターンを狙うのが基本である。少々のリスクは生き方の中に織り込み済みなのだ。

 会社員として平凡な人生を送ってきたわしには理解しがたい生き方だが、そのあふれんばかりの生命力は眩しくもある。同じ若者でも、わしの孫のような半グレとは違うのだ。


「わかったよ。どうせ、最奥の間までは危険がないんだ。もう一度潜って、最奥の間をよく観察してから決めればいい」


 ジュリアーノが言って、ミランダがうなずく。


「よし! じゃあさっそく行くか!」


 わしはそう言って部屋を飛び出そうとする。


「ちょっと、待ちな! ギルドに届けない勝手探索は禁止だよ!」


 ミランダがあわてて止めてくる。


「そ、そうだったな……」


 たしかにロイドにはそのような知識がある。

 意識しないと思い出せないというのは不便だな。

 わしの考えで動こうとすると、この世界の常識から外れた行動を知らずに取ってしまうおそれがある。

 なるべくパーティメンバーの陰に隠れてやり過ごすようにした方がいいのかもしれない。




「えっ! あの依頼をまたやってくれるんですか!? 嬉しいです!」


 キャリィという受付嬢が、あざとい笑顔でそう言った。

 なんでも、ロイドが遺跡内で倒れたことが噂になり、他の冒険者が遺跡の探索を敬遠して困っていたのだという。


 それにしても……この受付嬢。

 ロイドはこの娘に入れあげていたようだが、わしに言わせれば怪しい匂いがぷんぷんする。

 今の笑顔だって、自分に都合のいいことをやってくれる相手を持ち上げるためのものだ。

 この娘は、もしこちらが都合の悪いことを言い出せば、露骨に機嫌を損ねるだろうし、場合によっては周囲の男たちを巻き込んで圧力をかけてくるだろう。

 要するに、笑顔ひとつで男を意のままにできると思っているということだ。


 たしかに、この娘は顔もいいしスタイルもいい。シャツのすそから覗く谷間は計算ずくのものだろう。そうだと見抜いていたとしても、男なら目を惹かれずにはいられない娘だと言える。

 が、性欲が旺盛だった若い頃ならともかく、齢70を数えた老いらくの身に色仕掛けなど通じない。ただ浅ましいと思うだけだ。


 そして警戒する。この手の男を動かす手管に長けた女は、自分の都合を満たすために他者を利用することをためらわない。わしの経験はこの女には注意すべきだと告げている。


 会社の金を横領していた同僚がいた。水商売の女にそそのかされてのことだったらしい。金のほとんどはその女に渡っていて結局回収することはできなかった。

 わしはその時経理にいたから横領の正確な額まで知っている。当時、思わず自分の給料と比較してしまった。女は怖いと思い知り、自分はいい妻に恵まれたと思った。その日は柄にもなく花屋で花束を買って帰り、妻に驚かれたものだ。浮気でもしてるんじゃないかと疑われて心外に思ったのも、今となってはいい思い出だが……。


 とにかく、その時の水商売の女と、目の前の受付嬢はよく似ている。もちろん、かたや日本人、かたや西洋風の女と、個別の特徴は違うのだが、目つきや表情がそっくりなのだ。


 だが、深く関り合いにならなければ問題はないだろう。

 わしは探索のための手続きを淡々とこなした。キャリィ嬢は拍子抜けしたような顔をしている。


 不思議なことに、ここで使われている言語は、自然に読み書きすることができた。

 考えてみれば当たり前かもしれない。目覚めてから、パーティメンバーたちと普通に会話ができていたのだから。彼らが日本語を話しているはずがない以上、わしがロイドの知識に基づいてこの世界の言葉を話していると考えるのが妥当だ。あまりに自然に使えるので、これまでおかしいと思わなかったほどである。


「意外だな。キャリィのことは諦めたのか?」


 ギルドから出ると、ジュリアーノにそう言われた。

 ロイドはあの受付嬢に執着していたから不思議に思ったのだろう。


「ロイドもようやく目が覚めたってことかい」


 ミランダが肩をすくめる。


「……まさか、倒れた後遺症ではあるまいな? ロイドよ、きちんとあっちの方は機能しているか?」


 アーサーが心配しつつ、下ネタを振ってくる。

 ミランダがアーサーをじろりと睨む。


「いや、実際にあるのだ。冒険者として危機的状況を切り抜けた後、おっ勃た……げふん、男性としての機能が働かなくなるということがな」


 アーサーの言葉は、ある意味では正解だったかもしれない。

 実際、70のじじいと中身が入れ替わったロイドにちゃんと性欲があるのかはわからない。身体の問題だとしたらあるはずだが、『それ』には精神的なものもからんでいると聞いたことがある。


「んなわけあるか! 俺様はいつでもビンビンだぜ!」


 誤魔化そうと思ってそう叫ぶわし。

 が、やりすぎたのだろう。

 顔を赤くしたミランダが、わしの頭にげんこつを落とした。

 ミランダは歳に見合わず初心うぶ、という知識がわしの意識に浮かんできたのは殴られてからのことだった。

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