二度目の国難、幕末の動乱

 先の大航海時代で恐ろしくも強大な力を世界に見せつけた、スペインやポルトガル。

 それらの国と互角、いやそれ以上の力を持つ外国が目をつけたのは、日本である。

 そんな幕末のことを紹介する。

 外国の日本侵略の動きは、かの有名な徳川家光の鎖国をしてから始まった。

 鎖国によって中国とオランダだけとの貿易になった。

 それらの国との貿易は、初期は理に叶っていた。

 それはキリスト教が入るのを阻止し、後々続く幕府を長引かせることを、達成できたのだ。

 それからは、度々外国船から開国を要求されてきた。

 開国をさせる目的は様々だが、一番は鎖国が日本侵攻の障壁になっているということだろう。

 これまでの開国要求に首を横に振り続けた過去の日本。そしてついに1854年日米和親条約により開国した今の日本。

 開国後の日本を待ち受けたのは外国の洗礼であろう。

 金銀対価の違いにより海外に金貨流出、薩摩・長州藩による外国との戦争、その数多の場面で外国は、高い技術力・生産力や軍隊で圧倒し、植民地化してきた。

 その植民地化の方法は、時代とともに変わっていった。

 まず最初に、戦争のための口実づくりをし、戦争を始める。

 この時悲しいことに、発展途上国が勝てる見込みはほとんどない。その後の講和条約は無論西洋列強の独壇場である。

 幕末の西洋列強による植民地化の方法は、帝国主義により戦争をし、領土や賠償金を取ったもん勝ちという風潮が露骨に表れている。

 ここで1つの疑問が出てくる。

 なぜまだまだ外国に劣っていた日本が、他の国と違い植民地化されなかったのかということだ。その理由は、端的に言えば地理的条件と、高い技術力と多彩な文化や教育の高さ、そして命をかけて国を守ってきた先人たちのお陰であろう。

 地理的条件については、大陸と陸続きではなかったため船などで日本を征服する軍隊を送ることは金銭的にも容易ではなかった。

 技術力では、戦国時代に種子島の鉄砲の国内製造を短期間で達成しており、とても高度な技術力が伺える。

 江戸時代の教育は、寺子屋や藩校などで教育機関が整っており、勉学に励んでいて識字率は当時世界一だったと言われている。

 最後にもう一つ挙げるのなら、武士がいたことが大きかったのではないか。

 武士、それは刀を肌身離さず持ち歩き日々訓練に打ち込み、戦の時には、己の命も惜しまず戦い、責任の取り方に関しても切腹という潔いものを選ぶ。

 そういった命をかけて国を守る武士という存在が日本を植民地にしようとする考えを諦めさせ、日本を守ったのかもしれない。

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